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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
269/365

神様

残酷表現があります。苦手な方はご注意ください。

「『理性あるおっさん』が、いったい俺に何の用なのサ?」


 曽良は負傷した腿を押さえつつ、反抗的な目つきで男を睨んだ。

 肉を抉られた傷口からは血が溢れ出て、身体に力が入らなくなっていた。目眩までする有様だ。ちょうど、着地したところを撃たれたのがまずかった。筋肉の緊張が解けた瞬間を狙われたのだ。ざっくり腿の脇を削られてしまった。

 体内には、自己治癒能力を高めるためのナノマシンが幾多も仕込まれている。血が止まるのも時間の問題だが、それまでは無茶はできない。

 スキンヘッドの男は、そんな曽良を観察するようにじっくりと見つめてから、妖しく唇の片端を上げた。


「かわいげないねぇ。田端さん、とでも呼んでくれよ」馴れ馴れしい口調で言って、田端は曽良の額に銃口を強く押当てる。「お前らはいたずらが過ぎたんだ。『お仕置き』の時間がきたんだよ」

「『お仕置き』?」


 動揺を悟られまい、と顔を引き締めても、早まる心臓の鼓動は押さえることができない。呼吸が荒くなる。

 絶えず伝わってくる携帯電話の振動と、かすかに聞こえた『助けて』という茶々の声が、曽良の心に不安と焦燥感を募らせていた。


「他のカインに何をした?」


 今にも飛びかかりたい衝動を必死に押さえつけ、曽良は脅すような低い声で訊ねた。

 田端はしばらく黙ってから、馬鹿にするように鼻で笑う。


「ついさっき人を殺しといて身内の心配か。どういう神経してるんだ? 羽崎にはお前くらいの娘がいるんだぞ」


 曽良は何も答えず、田端を冷めた表情で見上げた。

 田端はチッと舌打ちし、「何も感じないか」と嫌悪感もあらわに顔を歪めた。


「お前らクローンには良心ってものが欠けてるのかね」嫌みっぽく言ってから、田端はあごをしゃくった。「ほら、立て。教員どもが首を突っ込んでくる前に、移動する」

「無理を言うね」くっと曽良は冷笑した。「このケガで立てっていうの?」


 立てないわけじゃない。時間稼ぎだった。このまま、大人しく従って様子を見るか。それとも、今、一か八かで勝負をかけるか。——その選択をするために。

 

「立てない、だ?」田端は曽良の脚を一瞥し、侮蔑がにじむ笑みを浮かべた。「ふざけたことを言うな。お前、『商業用』のクローンなんだろ? どうせ痛みも感じないんだろうが。

 お前らが体ん中で飼ってるアレ……ナノマシンだったか。それのお陰なんだろう? 人並みはずれた身体能力と自己治癒能力。お前らの『売り』だもんな。どんなに荒く扱っても壊れない生きた玩具。金持ちがほしがるわけだ」


 目を見開き、曽良は呼吸も忘れてかたまった。腹の中でムカデでもうごめいているようだった。ひどい胸焼けがして、体の中が熱く滾りだす。

 傷を押さえていた手に力がはいって、ぎゅっと握りしめた指の間から血が溢れでてきた。

 生臭い血の匂いが嗅覚を刺激して、遠い記憶を引きずり出す。忘れたはずの痛みが——体の芯まで刻み込まれた痛みがよみがえる。


「おい? なんとか言——」

「俺にも『父親』がいたんだ。あんたくらいの……」

「は?」

「俺をオークションで買った男さ」


 ぎろりと田端を睨みつけると、田端は一瞬にして顔色を変えて立ち上がり、間合いを取った。


「気味の悪いガキが!」怯えたように顔を青くし、田端は吐き捨てるように言った。「いいから立て! 足にもう一発食らわせて、本当に立てなくするぞ」


 怒気のこもった田端の声が校庭に響き渡った——そのときだった。

 頭上で、いきなりガラスが割れる音がした。

 ぎょっとして振り仰いだ田端に、一筋の閃光が襲いかかった。それが何か見極める間もなく、巨大な物体が落ちて来てあたりを砂埃が覆った。キラキラとガラス片が舞い、赤い雨が降りそそぐ。

 いったい、なにが起きているのか。

 警戒する曽良の耳に、田端のくぐもったうめき声が聞こえてきた。そして——。


「何ぼうっと座ってやがる!? 能無しか!?」


 しゃがれた怒鳴り声が突然頭上から降り注いできた。

 曽良はぎくりとして息を呑んだ。目が覚めたようだった。すっと体の中から熱が引き、頭が冷静さを取り戻す。

 気を取り直すように顔を引き締め、血があふれるのも構わず地面を踏ん張り立ち上がった。

 砂の幕が降り、視界がひらけると、足下には見覚えのある男の変わり果てた姿が転がっていた。さっき教室で見かけた男の一人だ。鬼と出くわしたかのような凍り付いた表情を顔に張り付け、瞳孔の開ききった目で空を見上げている。あんぐりと開けた口にはナイフが突き刺さり、目や耳、後頭部から血が滲み出ていた。

 見覚えのあるミリタリーナイフだ。

 曽良は懐かしむように目を細めてそれを見つめ、左脚をかばいつつ男の躯を跨いだ。そして、乾いたうめき声をあげる田端のもとへ歩み寄る。

 さっきまでの状況が一転していた。蔑むような目で見下ろして来た田端は、今度は怯えた表情でこちらを見上げている。ちょうど右耳の付け根のあたりに突き刺さったナイフを必死に押さえながら。——やはり、そのミリタリーナイフにも見覚えがあった。

 田端は何かを言いたそうに口を動かすが、もはや声にならないようだった。

 曽良は足下に落ちている銃を蹴り飛ばし、うずくまる田端と視線を合わせるようにしゃがみこんだ。


「俺をオークションで買った男はね、変わった愛情表現を持っていたんだ」曽良は愛嬌のある笑みで田端に語りかけた。「だから、俺みたいな頑丈な身体を持った『男の子』が必要だった」


 曽良はそっと田端の首に突き刺さっているナイフに手を伸ばす。


「『売り』……そうなんだろうね。俺たちがオークションで高値で競り落とされるのは、こういう体を必要としている人間がいるからだ。どんな『行為』にも耐えられるような体。どんな特殊な『性癖』にも応えて、長持ちするような体。生きた玩具——その通りさ」


 田端は目をむき、必死に口を動かしている。だが、出てくるのは、声というより空気の通る音でしかなかった。それでも、すがるような眼差しが田端の言わんとしていることを伝えてきた。「やめてくれ」と。

 構わず、曽良はナイフの柄を強く握りしめた。


「でも、一つ、教えといてあげるよ」恐怖に震える田端の瞳を真っ直ぐに見据え、曽良は冷たく微笑んだ。「俺たちクローンにも……痛みはあるんだ」


 躊躇いなく、曽良は思いっきりナイフを引いた。左耳から右耳まで弧を描くように田端の喉を掻き切ると、裂けた喉から大量の鮮血が噴き出した。


「ヤハウェのご加護を」


 静かに祈りを捧げて立ち上がり、地面に突っ伏し自らの血に顔を埋める田端を見下ろした。自分を買った男の最期と重ねながら……。


 弱いものが泣き叫ぶのを見て興奮を覚える人間だった。毎晩、己の加虐性欲を満たすためにひたすら暴力をふるってきた。

 改造された体はどんなケガもすぐに治してしまい、『何をしても壊れない体なのだ』と男に錯覚させた。そのせいで、男の暴力はひどくなる一方で、止まることはなかった。

 『抵抗する』とか『逃げる』なんて、その概念さえなかった。男の使用人たちは見て見ぬフリ。ただ、痛みに耐えるしかなかった。

 そんな日々が二年も続き、とうとう限界が来た。

 その夜のことを、曽良は今でもはっきりと覚えている。

 声を出す力もなくなった自分に、男は苛立って首を絞めてきた。いくらお前にかけたと思っている、と怒鳴る男の声がひどく遠くに聞こえた。やがて薄れ行く意識の中で、悲鳴が聞こえた。

 目を覚ますと、男の姿はなく、代わりに見たことも無い少年がいた。

 彼は優しく微笑み、言った。


——『迎え』に来たよ。もう大丈夫だ。


 初めて手を差し伸べてくれたその存在を、『神様』だと思った。

 その夜から、『神様』に仕えることを誓った。この世で唯一自分が信じるもの。たとえ他の何を犠牲にしてでも守るべきもの。そして、必ず、自分を救ってくれる存在。

 

 曽良は血に濡れた顔を上げた。太陽の眩い光に目を薄めながらも、舞い降りてくる影を見つけて安堵したように微笑んだ。

 

「なにしてやがんだ!? 暢気に座っておしゃべりか!?」


 目の前に着地するなり掠れた怒鳴り声をまき散らしたのは、皮のライダージャケットを着た長身の女。南国の雰囲気を漂わせる彫りの深い顔立ちに、きついウェーブがかかった短い黒髪。切れ長の目の下には、きつい印象の顔立ちには似合わない涙ぼくろ。

 ジャケットの下に着たぴったりとした白いシャツと細身のジーンズが彼女のスレンダーなスタイルを強調している。


「こっちのセリフだよ」と、曽良はため息まじりに答えた。「なにしてるの、静流姉さん?」

「てめぇを『迎え』に来たんだろうが」顔についた血を手の甲で拭きながら、静流は曽良へと歩み寄る。「ったく……捜しに来てみりゃ、なんだこの騒ぎは? 悲鳴が聞こえたと思って校舎の中に入ってみりゃ、不良どもが廊下で吐いてるし、てめぇの教室に駆けつけてみりゃ死体に男二人」

「……で、とりあえず、そのうちの一人を教室の窓から落としたわけ?」


 曽良は苦笑して、大の字になって倒れている男をちらりと見た。


「てめぇがぼうっとしてるからだろうがっ!」静流は青筋を立て、切れ長の目を吊り上げた。「余計な言葉に躍らされやがって」


 曽良はハッとして表情を曇らせる。


「聞いてたの?」

「ったりめぇだろ! そっちの状況も分からずに手助けするのは却って危険だからな」言って、静流は苛立ちもあらわに頭をかいた。「てっきり、情報を聞き出してるのかと思ったが……挑発に乗りやがって」


 静流も『商業用』のクローンだ。聴力を引き上げて、三階の教室からこちらの会話を盗み聞きしていたということか。

 曽良は眉根を寄せ、視線を落とした。

 申し開きもない。焦りと不安に煽られ、我を失ってしまった。

 

「ごめん、姉さん」

「あとにしな」


 曽良の謝罪を冷たく一蹴し、静流は真剣な表情でねめつけてきた。


「それで……何が起きてやがる?」


 脅すような低いハスキーボイス。いつもなら震え上がっていただろうが、今は頼もしささえ感じた。


「分からない」曽良は苦しげな表情を浮かべ、ちらりと横たわる二つの遺骸を見やった。「ただ、はっきりしているのは、警察が俺たちを狙ってるってこと」

「俺たちって……」

「カイン全員」


 はっきり断言すると、静流は「くそ」と地面を蹴った。


「遅かったわけだな」

「遅かった?」


 どういうことか、と訊ねようと口を開いた瞬間、拳が飛んで来た。強い衝撃が頬を撃ち、力がまだ入らない左脚が耐えきれずにバランスを崩して勢いよく尻餅をついた。


「ね……姉さん!?」


 なぜいきなり殴られたのか。とにかく理解できずに目を白黒させていると、静流はそっと手を差し出して来た。


「話はここを離れてからだ」


 それはそうだろうが、殴られた衝撃がすんなり消えるわけではない。啞然としていると、静流はふっと微笑んだ。


「心配させんじゃねぇよ」


 勢いも迫力もない、小さな声だった。弱々しくも、暖かみに満ちた優しい声。

 曽良は頬を緩め、姉の手を取った。——『神様』が迎えに来たあの夜と同じように。


「ごめん、姉さん」

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