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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
268/365

日常と友情の終わり -下-

 男の頸動脈から血しぶきが鮮やかに飛び散り、教室の壁や周りの生徒を赤く染めた。

 その場にいる全員が反応もできずに放心状態でその様子を見守っていた。映画でも観ているかのような、ぼうっとした表情を浮かべて。

 そんな映画館のごとく静まり返った教室で、倒れていく男の身体を冷静な眼差しで見守る少年が一人立っていた。薄い茶色の瞳からは人間らしい感情は伺えず、ただしっかりと男の首を掻き切った鍵を握りしめている。ニホン人離れした透明感のある白い肌を赤く濡らし、じっと動かぬ物体となった男を見下ろす姿は——人並み外れた端整な顔立ちもあいまって――不気味でもあり、また神秘的でもあった。天使や死神、そういった存在を思わせるほどに。


「……ひいっ……」


 やがて、どこからともなく、小さな悲鳴が漏れ聞こえた。それを合図に、教室中に阿鼻叫喚がこだました。我先に、と正気を失った高校生たちが教室から逃げ出す。その波は出口へといっせいに押し寄せて、啞然としていた警官(と名乗った)二人を飲み込んだ。

 この機を逃すわけにはいかない。

 人波に消えた二人組を確認し、曽良は奪った自動式オートマチック拳銃を腰に差しつつ、くるりと身を翻して窓へと向かう。

 ズボンのポケットからは、やはり振動が伝わって来ていた。すぐにでもケータイを取り出して確認したいところだが、今は逃げるのが先決だ。安全な場へ身を隠し、状況を把握、藤本マサルの指示を仰ぐ。

 曽良はなんとか気を落ち着かせ、今後の動きを頭の中で整理した。溢れ返る疑問と沸き上がる不安を押さえつけるにはそれが一番有効だった。

 窓を乱暴に開け、窓枠に足をかける。ベランダのない三階の教室だ。遥か遠い地面が眼下に広がっている。だが、そんな高さも彼にとっては問題ではなかった。『完璧』な身体があるのだから。

 脚に意識を集中させ、曽良は身を乗り出した。

 そのときだった。


「藤本くん」


 相変わらずけたたましい悲鳴が響く中、怯えた声がかすかだが聞こえた。その声はあまりに聞き慣れていて、無視することはできなかった。

 曽良は息を呑み、ぴたりと動きを止めた。


「ど……どうして……」


 高校男子とは思えないほどに情けない声だ。この状況だから、というわけでもない。彼はいつもこんな調子だ。

 曽良は足を窓枠にかけたまま、振り返った。『表の世界』に別れを告げるために。


「なんで……君が……こんな……」


 曽良の瞳に映ったのは、生気のない顔をした少年だった。鈴木という名のクラスメイト。裏の世界が存在することさえ知らない、普通の高校生。中学からの友人でもある彼は、曽良にとって『表の世界』との唯一のつながりだった。

 貧血でも起こしたのか、と思ってしまうほどに顔色を青くして、ふらつきながらも歩み寄ってくる。瞬きをすることさえ忘れてしまったのか、見開いた目はひどく充血していた。

 この不良高校であらゆる苦楽を共にして来た。だが、今まで彼のこんな表情を見るのは初めてだった。


「ごめんね」


 曽良は返り血に濡れた顔に、笑顔を浮かべた。無防備で、どこか切なく、寂しげな笑顔。それは、父である藤本マサルにも、カインの兄弟姉妹にも見せたことのないものだった。


「君は……いったい、なんなの?」


 恐怖と混乱がうずまく彼の心が手に取るように分かった。

 彼の背後では、出口でつまる不良たちの群れと、その向こうで慌てている二人の男の姿がある。

 時間がない。

 曽良は鈴木をじっと見つめた。状況は把握できていないまでも、日向での人生はこれで終わりだと、それだけは確信していた。彼と会うのもこれで最後だ。

 赤く染まった顔に苦悩の色を浮かべ、曽良は諦めたように微笑んだ。

 

「ただの『友達』――君には、そう思っていてほしかった」


 唖然とする鈴木を残し、曽良は勢いよく窓から飛び降りた。

 打ち付ける風を感じつつ、地面へと落下していく。ただただ、抵抗することもできずに堕ちていく。——まるで、これから自分が歩む道のりを暗示しているようだった。

 やがて地面が目前に迫り、曽良は脚に意識を集中させた。筋肉の収縮と、体内でうごめく数多もの存在を感じ取りながら、辺りに地響きでも起こしそうな勢いで着地する。

 ぶわっと周りを砂埃が覆った。

 電流が走ったような痺れが足裏から脳天まで突き抜ける。曽良は「ぐっ」と何度経験しても慣れることはないその不快な感覚に顔をしかめた。


「相変わらず、猫みたいに器用に飛び降りる」


 突然背後から声がして、曽良ははっと目を見開いた。振り向く間もなく、破裂音が耳をつんざいて、痺れが残る足に焼けるような激痛が走る。片足から力が抜け、曽良はその場に崩れた。それでも、必死に悲鳴を飲み込み、曽良は血走った目で背後を睨んだ。


「見た目はただの子供なんだから、困ったもんだよな」


 黒く光る銃口をこちらに向け、一階の教室の窓から気だるそうな顔を出す男がいた。髪をきれいに剃ったスキンヘッド。百戦錬磨のボクサーのような鋭い眼差し。スーツが似合わないたくましい体つき。その見た目と状況から考えて、さっきの三人の仲間だろう。

 だが……と、曽良は嫌な汗を背中に感じながら、生唾を飲み込んだ。男の言い回しは、まるで自分を知っているかのようだ。それに、なぜこんなところで――。

 

「そんなショックを受けた顔をするなよ」得意げに微笑んで、男は銃を片手に胸ポケットから携帯電話を取り出した。「こんなとこで待ち伏せなんてあるわけない、てか? そうだろうなぁ。普通は、高校生が三階から飛び降りるとは思わないだろうよ。ただ……今回は相手が悪かっただけの話さ」

「どういう意味だ?」


 鉛に肉をえぐられた左の腿をおさえながら、曽良は努めて冷静な声で訊ねた。取り乱すわけにはいかない。奪った銃で応戦しようにも、教室の中にいる男に比べて、グラウンドにいるこちらは隠れる陰もない。逃げようにも、片脚を負傷した今、どこまで機敏に動けるか定かではない。圧倒的に不利な状況だ。

 スキを待つしか無い。逃げられなくてもいい、せめてこの男をここで『片付ける』――そのスキを狙う。


「おい、こっちで『友人A』は押さえた。お前らも降りてこい」


 曽良を無視し、男は携帯電話に呆れたような声で話し始めた。降りてこい、ということは教室にいた連中だろう。


「羽崎が!?」


 急に、男はぎょっとして大声をあげた。動揺は見られたものの、銃口はぴたりと曽良を捉えて離さない。その鋭い眼差しは、一瞬にして殺気を帯びた。

 なんとなく、『羽崎』が誰のことか察しがついた。


「分かった。先に俺がこいつを車に連れて行く」


 舌打ちまじりに言って、男は携帯電話を切って胸ポケットにしまった。


「危ないガキだよ、お前らは。野放しにしていていいわけがない。この街の治安のためにはな」


 しっかりと曽良に銃口を向けたまま、男は窓を乗り越え、外に出て来た。


「これでお前らに同僚を殺されたのは二度目だ」曽良の前に立ちはだかって、男は蔑むような視線で見下ろしてきた。「一度目は、『フィレンツェ』でガードマンをしていたときの同僚だった。山ほど身に覚えがあるだろう」

「『フィレンツェ』……」


 曽良は目を瞠った。

 『フィレンツェ』はトーキョーのオークション会場の一つ。クローンの闇売買といった裏オークションも頻繁に行われている。つい夕べ、鼎という少女を『迎え』にいった場所でもある。――そのときも、ガードマンを三人『片付けた』。

 男の言う通りだ。ガードマンを手にかけたことなど、山ほど身に覚えがある。

 男は曽良と目線を合わせるようにしゃがみこみ、銃口を曽良の額に押し付けた。


「皮肉なことに、その私怨のおかげで、こうして名ばかりでも警察に入れたわけだがな。感謝してるよ」

「本当に、あんたたちは警察なのか?」

「治安警察部隊――一応、そういう肩書きだ」


 治安警察……そんなものは聞いたことが無い。曽良は眉を雲らせた。

 そもそも、元『フィレンツェ』のガードマンが警察? 裏のビジネスに関わった人間が警察に入れるわけがない。しかも、カインとの『私怨のおかげ』とはどういうことか。


「話はあとでたっぷりしてやる。とにかく、立て」


 男はくいっとあごをしゃくって促した。

 曽良は怪訝そうに顔をしかめた。


「ここで殺さないのか?」


 すると、男はふんと鼻で笑って口角を上げた。


「お前らと違って、俺たちは理性ある『大人』だからな」

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