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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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贖罪の果てに

「わたしは最後までずるい人間だったな」


 砺波が去った病室で、藤本は静かに横たわる女に這いずるようにして近寄った。瞳孔の開いた翠色の瞳は、ぼうっと天井を見つめていた。もともと色素の薄い肌は青みを持ち、桃色の潤った唇はひからびて紫色に変色し始めていた。

 娘の変わり果てた姿を見るのは、これで二度目だ。

 思い浮かぶのは、三十年前に叩き付けられた残酷な現実。血だらけになったランドセルと、もの言わぬ『物体』となった娘の姿。

 視界が歪み始めて、藤本は驚いた。――まだ涙が残っているとは。


「フィリオ……」


 藤本はそっと彼女の顔に手を伸ばし、瞼を閉じさせた。

 ふわりと指に触れた彼女の髪は、細くやわらかで懐かしかった。


「すまない……すまない……」


 震えた声で藤本は何度も繰り返した。そのうち、段々と口内に血の味が染み渡っていった。

 意識が薄れていく。体が冷えていく。息苦しさがなくなっていく。

 もう終わりが近づいていることを悟った。

 どくどくと血が噴き出す左足の腿から、押さえていた手を離した。――せめて、子供たちを狙う連中の足止めくらいしたかったが……。


「本当に……最低の父親だったな」


 藤本は自嘲気味に笑った。


 三十年。人生の半分を闇の世界で使い、『無垢な殺し屋』の父親として生きた。

 藤本は遠のく意識の中で、その長い贖罪の旅を思い返していた。

 始まりは、失った娘を取り戻したい、そんな純粋な親心だけだった。ただ、娘に会いたいという一心で、なり振り構わず、あらゆる藁にすがりついた。そして見出した一つの光は、自分を闇の底へと引きずり込んだ。自分が希望だと信じたものは、この世界に災いをもたらし、多くの子供たちを光も届かぬ奈落の底で苦しめることとなった。


 藤本の研究が創り出した人工子宮。それが加速させた裏世界でのクローン製造と売買。そうして生み出された大量のクローン。存在の証明の無い子供たち。

 彼らがどんな扱いを受けているのか、藤本が知ったのはある夜のことだった。二十一年前、藤本が『クローンを救う会』を立ち上げようと決意した夜だ。

 クローン研究に携わる中で知り合ったある権力者がいた。その男の屋敷に呼ばれたとき、「おもしろいものを見せてやる」と屋根裏に連れて行かれた。

 そこにいたのは、幼い少女だった。死んだ娘と同い年ほどの少女。

 彼女は一糸まとわぬ姿でベッドに鎖でつながれていた。その体には大量の痣があり、目の焦点は合っていなかった。部屋は異臭に包まれ、ベッドはシミだらけで、男から暴行を受けているのは明らかだった。

 彼女はクローンだった。『商業用』に創られたクローン。手荒に扱っても耐えられるよう、体を丈夫に改造された少女だった。

 そのとき、ようやく藤本は己が犯した恐ろしい罪を悟った。

 気づいたときには、少女を屋敷から連れ出していた。べっとりと血に染まった手で……。

 男を殺したことへの罪は感じていなかった。それよりも、このトーキョー中に存在する、自分が生み出してしまった『罪』への懺悔の念が重くのしかかった。

 まもなくして、少女は死んだ。

 彼女が存在していたことを知っているのは、自分だけ。藤本は彼女に立派な墓を建ててやった。せめて、彼女が生きた証を形に残してやりたい、と思ったのだ。


 そして、藤本は『クローンを救う会』を立ち上げた。とにかく、クローン製造を止めなくては、と同志たちとテロじみた行為を繰り返した。しかし、クローン工場を爆破している間にも、どこかでクローン売買は行われ、奴隷のように扱われて死んでいく子供たちがいる。

 その子供たちを救わずに、なにが『クローンを救う会』だ。藤本は売られたクローンの子供たちを救い出し、育てる場を創ることにした。――それが、『カインノイエ』だった。


 いろんな子供たちと出会った。

 藤本は冷たい闇の中で、育ててきた子供たちを一人一人思い浮かべた。

 皆、自分を父親として慕ってくれた。

 彼らに生きる意味を与えなくては、と奔走してきたつもりだったが、きっと生きる場所を与えてもらっていたのは自分だろう。

 そんな彼らに、自分は何かしてやれたのか。


 自分がしてきたことは正しかったのだろうか。――ふと、そんな疑問が浮かんだ。


 贖罪の旅の果て。終着点にあったのは、旅の始まりに見たものと同じだった。娘の死という、残酷な現実だけだった。

 果たして、罪は償えたのか。

 自分がしてきたことに、正義と呼べるものがあったのか。

 一人でも、クローンの子供を救えたのだろうか。

 カインの子供たちは、果たして幸せだったといえるのか。結局、彼らを『無垢な殺し屋』として闇の中に閉じ込めてしまったのは自分ではないのか。


 なんの答えも出ぬまま、藤本は力無く瞼を閉じ、深い眠りについた。

 自分の罪が生み出し、血で穢れた手で育てあげた子供たちを思いながら……。


***


「とりあえず、痛み止めは打ったから。少し経てば楽になるはず」


 注射器をしまい、三十代後半ほどの女は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。長い黒髪を一つにまとめ、質素な服に身を包んだ女。筒井医師の妻であり、看護師でもある筒井真帆だ。


「じゃあ、車を出すよ」

 

 運転席から様子をうかがっていた筒井は、アクセルを踏み、車を発進させる。

 砺波はじっと黙っていた。注射を打たれているときも、ぴくりともせずに、膝の上で握りしめる銃を見つめていた。護身用に、と父から受け取った回転式リボルバー拳銃だ。


「このまま、マンションに行くのよね?」


 名残惜しそうに遠ざかるクリニックを見つめていた真帆だったが、やがて曲がり角にさしかかると、諦めたようにシートベルトをしめた。


「ああ」と筒井はバックミラーで砺波を一瞥して、ハンドルを切る。「群馬にある僕たちの隠れ家に向かうよ、砺波。万が一のために医療機器も揃えてある。そこでちゃんと治療するからね」

「まだ応急処置しかしてないから、大人しくしているのよ。傷が開いたら……」

帝南ていなん高校」


 真帆の言葉を遮り、砺波は無機質な声でつぶやいた。

 え、と目を丸くする真帆に砺波は振り返るわけでもなく、「帝南高校に連れて行って」と脅すような語調で繰り返した。 


「帝南高校って……和幸の高校かい?」ちょうど信号にさしかかったところで、筒井のセダンは行列の先頭で停車した。「なにか、藤本さんから頼まれたのか?」


 困惑気味に筒井が訊ねると、砺波は持っていた回転式リボルバー拳銃をぎゅっと握りしめた。


「自分が幸せだと思える生き方を見つけろって……パパはそう言った」


 だから……と、砺波はバックミラー越しに筒井を睨みつけた。その瞳にはようやく感情が浮かび上がっていた。――ゆらりと不気味にくすぶる憎しみの炎。


「だから、『お片づけ』をしなくちゃ。それが、わたしの幸せ」

「お片づけって……誰か、他の人に頼んだら? 砺波ちゃんは安静にしてなきゃ。傷が開いたら、また出血が……」


 カチャリ、と冷たい音が響いた。

 真帆ははっと目を見開き、言葉を切った。その心配そうに皺を寄せた眉間に、赤い錆に染まった鉄が当てつけられていた。

 初めての銃の感触に、真帆は固まった。


「帝南高校でわたしを降ろして。そこまででいい。今後一切、わたしたちカインに関わらないで」


 後ろの車がクラクションを鳴らしていた。

 バックミラーに映る見たことの無い砺波の表情に、筒井はアクセルを踏めずにいた。鏡越しにメデューサの目を見てしまったかのように、身動きが取れなかった。

 車内の空気はぞっとするほど冷えきっていた。ハンドルを握る手にはじっとりと汗が滲んでいる。

 自分が乗せているのは、ただの少女ではない。裏世界の『常識』の中で育てられた『無垢な殺し屋』なのだ、と気づかされた瞬間だった。

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