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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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父の遺言

「砺波」


 藤本は負傷した左脚をかばいながらベッドから降り、横たわる砺波を抱き起こした。


「しっかりしなさい、砺波」


 苦しげだが、息はしっかりしている。藤本はひとまず安堵しながらも、「応急処置と痛み止めをお願いできますか」と隣で様子をうかがっている男に声をかけた。


「任せてください」


 眼鏡をくいっと上げ、四角い輪郭の男は頷いた。

 騒ぎに気づき、病室の外で息を殺して待機していた筒井医師だ。


「何者かは分かりませんが……わたしを狙う人間が間もなくここに来ます。巻き込まれないよう、あなたは奥さんを連れて早く逃げて下さい」


 筒井は砺波のケガの具合を看ながら、何も言わずに頷いた。


「できれば」と藤本は苦しげな表情で砺波を見つめた。「砺波も一緒に連れて逃げていただきたい。ケガが治るまでで結構ですので」

「もちろんですよ」

「すみません。さんざん世話になったあげく、ご迷惑をおかけして……」

「気にしないでください」と筒井は柔らかく笑んだ。「あなたは父の同志。そして、僕は父の意志を継いだ人間。お手伝いするのは当然です」


 藤本は複雑な心境に眉をひそめた。

 ぼんやりと脳裏に浮かんだのは、人の良さそうな男の顔だった。

 『クローンを救う会』で知り合った男。藤本と同じ種類の男だった。――つまり、秘密裏にクローン研究に携わった人間。

 彼もまた、その罪に気づき、贖罪のため裏社会に身を落とした。名を、筒井公宣といった。

 彼は『クローンを救う会』に入る前、己の身体を蝕む病の存在を知った。死期が迫っていることを悟り、残りわずかとなった時間を贖罪のために使い果たすことにしたのだ。家族をかえりみず、死の間際でさえも己の信念に突き進む――まさに、研究者らしい生き様だったといえよう。

 藤本はその事実を葬儀の場で息子に聞かされた。衝撃を受ける藤本に、まだ若き青年は、そんな父を責めるわけでもなく、息子としてその贖罪の旅を引き継ぎたい、と伝えた。父が生み出した罪を自分も背負う、と。

 数年後、彼はカインノイエのお抱え医師となった。


「あの世で、君のお父さんにどやされそうだ。息子を巻き込みやがって、と」

「何を言っているんですか」筒井は手際よく砺波のケガの応急処置を施しながら、落ち着いた笑みを浮かべた。「そもそも、僕は医者です。人助けするのが仕事なんですから。僕はただ、あなたのお子さんたちの面倒をみてきただけです。父が怒る理由がありますか?」


 藤本は呆気にとられたように目を丸くした。


「それに、僕は覚悟の上でした。妻も全部分かっています。あなたが入院すると決まったときから、他の入院患者もよそに移していましたから。万が一のために、いいマンションもよそで見つけてあります。お金はあなたがたカインノイエからたんまりいただいていますしね。これからしばらく休業して妻とのんびりやります。砺波ちゃんも、元気になるまでそこで匿います。安心してください」


 そういえば、他の病室に人気がなかった。偶然、皆、退院していったものとばかり思っていたが……。

 面食らう藤本に、筒井は慰めるような眼差しを向けてきた。


「僕たちのことは心配なさらず、今はご自身……いえ、ご家族のことだけ考えて下さい」


 その忠告に目を覚まされたようだった。藤本ははっとし、「そうだな」と表情を曇らせた。

 ひび割れた心に、鼎の最期の言葉が響く。


――どうせ、お前らは皆、すぐ……消され……。


 お前らは皆……つまり、カイン全員が標的ということなのだろうか。両親を殺され、その報復に達也と自分を狙っていただけかとも思ったが……そんな単純な話ではないようだ。『部下』と口にしたことも気になる。なにか組織がカインを狙って動いている、と考えたほうがいいだろう。

 長年、裏社会で生きてきたが、ここまで胸騒ぎを感じるのは初めてだ。


「……パパ」

「砺波!」


 沈んでいた藤本の表情が希望に赤みを宿した。藤本の腕の中で、砺波がようやく瞼を開いたのだ。

 ひとまず安心したように筒井は息をつき、「痛み止めを持ってきます。ここを出る準備をしておいてください」と立ち上がり、病室を出て行った。


「砺波、もう大丈夫だ。怖い思いをさせたね」


 そっと抱き起こしてやると、砺波はちらりと視線をずらした。その先を藤本は決して見ようとはしなかった。そこにある少女の亡骸はもういやというほど目に焼き付けた。


「いったい、なにが起きてるの?」

「……」

 

 いつも勝ち気な砺波らしくない声に、藤本は胸を引き裂かれる思いだった。


 砺波は常に虚勢を張っているようだった。和幸や曽良といった『商業用』のクローンと過ごす時間が多かったせいか、 特殊な能力を持つカインたちへの嫉妬やコンプレックスといったものがあるようだった。彼女の高慢とも思えるほどのプライドの高さは、彼らとの差を埋めようと積み上げられた結果に違いない。弱肉強食の裏社会で生き残るために、彼女は強い自分を創って身を守ってきたのだ。

 しかし、その偽りの盾さえ、砕け散ってしまったようだ。それほど、ショックを受け、混乱しているのだろう。

 できることなら、落ち着くまでゆっくり話を聞いてやりたい。父親として、せめて……。

 しかし、と藤本は奥歯を噛み締めた。――もうそんなわがままを言ってられる余裕は無いのだ。


「いいか、砺波」藤本は心を鬼にして砺波を厳しい目つきで見つめた。「すぐに筒井先生とここを出て、曽良と連絡をとり、『引っ越し』を始めるように言いなさい。それが済んだら、しばらく筒井先生のもとで匿ってもらいなさい。ケガが治り次第、別のカインと合流すること。いいね?」

「『引っ越し』って……」


 じっと見つめていた砺波の瞳が見開いた。

 藤本は何も言わずに頷く。

 『引っ越し』――一生、使わずにすむことを願っていた暗号。その意味することは、カイン全員のトーキョーからの撤退。つまり、事実上のカインノイエの壊滅だ。


「何を……言ってるの、パパ?」

「お前も聞いていただろう。彼女の言葉……」


 砺波は息を呑んだ。彼女の不吉な言葉を思い出したのだろう。

 潤んだ瞳が震え、頬が痙攣している。その様子に藤本は胸が痛んだ。


――『フィレンツェ』から、かず――じゃくて、曽良がひったくってきたかなえさんよ。売られるところだったみたい。


 あの言葉から察するに、どうやら彼女は『競売品』のフリをして砺波たちに近づいたようだ。

 つまり、砺波からすれば、助け出したクローンに裏切られたということ。しかも、その女の正体は、父親代わりだった男が創ったクローンときた。

 藤本がクローン製造に携わっていた事実すら知らなかった彼女のことだ。心から信用を寄せていただけに、裏切られた気持ちになったに違いない。

 助け出したクローンからも、父親からも裏切られ、おまけに殺されかけたのだ。砺波の胸中は想像もできない。身体も心も生々しく痛んでいることだろう。

 しかし、気遣ってやれる状況でもない。砺波を守るためにも……。

 藤本は顔を引き締めた。


「詳しいことは分からない。彼女がどの組織の人間なのか、いったい何を企んでいるのか。だが、それを調べている暇もない。今はとにかく、逃げることに専念するしかない」

「パパは……」


 青白い顔で砺波は藤本を見上げた。怯えた表情を浮かべ、すがるような眼差しを向けてくる。


「パパも一緒に逃げるんでしょう!?」


 藤本は感情を顔に出すこと無く、まっすぐに砺波を見つめた。

 まだあどけなさは残っているものの、初めてカインノイエに現れたときよりもずっと女らしくなった。愛らしさの中にも芯のある強さを感じさせる顔つきは、不思議なことに、彼女の姉代わりのカイン、箕面みのおを思い起こさせる。

 そういえば、どのカインも育てたカインによく似てくるものだ。和幸は広幸の性格を引き継いでいるし、曽良も兄代わりの光矢みつやに負けない能天気ぶり。

 そんなカインの子供たちを見ていると、血のつながりなど些細なことなのではないか、という気がしてくる。血とかDNAとか、人を決めるものはそんなものではないのかもしれない。

 ふと、赤く染まった女の姿が脳裏をよぎった。

 恨みに満ちた眼差しで自分を見つめて死んでいった女。娘と同じ翠色に輝く瞳の奥には、憎しみしかなかった。娘の面影を残したその姿に、亡くした娘は宿ってなどいなかった。

 ただ似ているだけの別人だった。


——私を勝手に創り、そしてお前の都合で殺そうというのか。


 心臓が目に見えない手で握りつぶされるような痛みが走った。

 なぜ、もっと早く気づかなかったのだろう。なぜ、DNAなどという不確かものにすがろうとしたのだろう。その螺旋にどんな望みを抱いたというのか。なぜ、そんなものにこだわって、禁忌の研究に没頭してしまったのか。なぜ、この世に災いしかもたらさないパンドラの箱を開けてしまったのか。

 なぜ……そんな己の業を、無垢な子供たちに押し付けてしまったのだろうか。

 藤本は血がにじむほどに唇を噛み締めた。

 もう、終わりにしなくては。もう、この子たちを自分の犠牲にしてはいけない――。


「わたしはここに残る」藤本ははっきりと砺波に告げた。「お別れだ、砺波」


 しばらく砺波は呆然として、やがて我に返ったように首を横に振った。


「いや……いや! パパを残してなんかいけない!」

「分かってくれ、砺波。わたしが一緒に逃げても、お前たちの足手まといになるだけだ」

「平気よ! わたしがなんとかするから!」

「砺波。わたしはもう……」

「平気だってば! 平気だから……一緒に来てよ! お願い、パパ!」


 子供のように涙をこぼして叫ぶ砺波を、藤本は優しく抱きしめた。


「もういいんだ」と囁き、藤本は震える背中をさする。「お前たちのおかげでわたしは十分幸せに暮らした。最期くらい、父親らしいことをさせてくれ」

「……パパ?」


 藤本は娘をぎゅっと抱きしめ、瞼を閉じた。

 ようやく、言えるような気がした。ずっと言いたかった言葉を……。

 

「いいか、砺波。皆に伝えてくれ」


 どうして、こんなにも時間がかかってしまったのか。

 どうして、こんな簡単なことを今まで言ってやれなかったのだろうか。

 その悔しさが雫となって、目尻からこぼれ落ちた。

 藤本はすっと浅く息を吸い、積年の後悔と訓戒を吐き出すように言った。

 

「もう誰も殺さなくていい」

「!」


 ふっと身体が軽くなるのを感じた。長い間、全身に絡まっていた鎖がほどけ、背負っていた重石が消えていくような感覚がした。


「自分が幸せだと思える生き方を見つけなさい。『無垢な殺し屋』ではなく、一人の人間として……」

「パパ……」


 砺波は藤本の胸に顔をうずめた。嗚咽まじりに「嫌だ」と何度も繰り返す。


「嫌だよ、パパ。お願い。一緒に来てよ、お願い……」


 まだ、自分を父と慕ってくれるのか。騙していたようなものなのに……。

 身体の痛みなどすっかり消えていた。そのかわり、柔らかく暖かな空気に全身が包まれているような——そんな安らかな『幸せ』を感じていた。


「砺波」


 藤本はそっとウェーブがかった砺波の髪を撫でた。

 いつから、こんな大人っぽい髪型をするようになったのか。


「お前ならきっとここを出て、カインの皆を助けてくれる。わたしはそう信じている」

 

 皆、勝手に大人になっていく。それは寂しくもあり、頼もしくもあった。カインの子供たちの成長を見守れることが、何よりの喜びだった。

 藤本の目尻には穏やかな笑みが創る深い皺が刻まれていた。


「お前は強い子だ。——わたしの娘なんだから」


 びくんと砺波の身体が震えた。


「そうだな、砺波?」


 砺波は何も言わなかった。ただ、嗚咽まじりの泣き声を一段と大きくしただけだった。——だが、それだけで、藤本には十分だった。覚悟が決まったのだろう、と悟った。

 藤本は安堵したように溜息を漏らし、「ありがとう」と囁き、砺波の頭を撫でた。

 ややあって、通路のほうからバタバタと足音が聞こえて来た。筒井が用意を終えて戻って来たのだろう。


「砺波」藤本の眼差しが、裏社会の男のそれに戻った。「もう一つだけ、頼みがある」


 藤本の声色が変わったことに気づいたのだろう。砺波の泣き声がおさまった。

 何度か鼻をすすり、藤本から身体を離すと、「はい」と涙に濡れた顔でこちらを見上げて来た。腹をくくった女の顔になっている。

 こうして、また強くなっていくんだな。つい、頬が緩みそうになった。


「これから話すことは何よりも重要なことだ。カインだけに関わらず、裏社会全体を揺るがす情報だということをまず言っておく。だから、わたしはお前たちに隠していた」


 砺波は眉を曇らせ、訝しげな表情を浮かべた。

 もったいぶっている気はなかった。ただ、きっちりと自分の意図を明確にしておかなければ、これから自分がすることは逆効果になってしまう。

 藤本は脅すような低い声で続ける。


「感情に流されても、私情を挟んでもいけない。ただ、事実だけを受け止め、その上でカインの皆が生き残る道を考えなさい。いいね?」


 カインの子供たちが今後、危険なマネをしないをしないように釘を打つ必要があった。自分たちの敵がどれほど強大なのか知らせておかなくては、と思ったのだ。そうでもしなければ、今回のことで逆上し、無謀な戦いを挑んでしまいそうで不安だった。


 だから……言っておかなくてはならない、と思ったのだ。

 自分たちの敵は国なのだ、と。


「わたしたちが追い続けていた黒幕——それは、本間秀実。国家公安委員会委員長だ」


 その瞬間、砺波の顔から表情が消えた。

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