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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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絆の選択 -下-

 辺りに硝煙の香りが漂い、血とともに肉片が飛び散る。赤く染まったガラス片が窓から差し込む光に煌めきながら散って行った。


「な……」


 血走る目を見開いて、鼎は啞然としていた。砺波に振り下ろした右腕を見つめて。

 白くしなやかな腕は真っ赤に染まり、ガラス片をつかんでいた右手の甲には穴が空き、指は親指を残して全て吹っ飛んでいた。


「き……ぁあああ!」


 ようやく、我に返ったように鼎は悲鳴をあげて、右手を一心不乱に押さえた。

 鼎の拘束から逃れた砺波は滑るようにベッドから落ちていった。


「すまない」と藤本は冷静な声でつぶやいた。「お前の銃を……こんなことに使ってしまって」


 その手には、 古びた回転式リボルバー拳銃が握られていた。三年前に、ある少年に渡した銃だ。彼は『無垢な殺し屋』と呼ばれつつも、その銃を『死』で穢すことはなかった。

 武器に頼らず、大切な人を守る方法を探したい――彼はそう言って、自分の元を去って行った。その決意の証として、彼はこの銃を置いて行ったのだ。

 寂しさからなのか、藤本はそれをずっと手放せずにいた。病院に置いておくべきではない、と思いつつも、枕の下に隠していた。子離れできていない証拠だ、と一人で笑っていたものだ。


「すまない……和幸」


 ぎゅっとそれを握る手に力をこめ、藤本は苦しげにひとりごちた。


「お前……」ぼたぼたと右手から血をこぼしながら、憎しみに歪んだ表情で鼎はこちらを睨みつけていた。「私を殺すのか? 私を勝手に創り、そしてお前の都合で殺そうというのか」


 藤本は眉間に深い皺を刻みながらも、覚悟が滲む眼差しを鼎へ向けていた。煙を吐く銃口もまた、鼎を真っ直ぐに見据えている。震えることもなく、真っ直ぐに……。


「いえ……殺せないわよね?」


 鼎はぴくぴくと頬をひきつらせ、不気味な笑みを浮かべた。


「そうよ……お前が私を殺せるわけがない。そうでしょう、『お父さん』?」


――お父さん。


 愛しげに放たれたその声は藤本の古い記憶を揺り動かす。銃口がびくんと震え、藤本は目を見開いた。


「ほらね」と呼吸を乱しながらも、鼎は勝ち誇ったようにほくそ笑んだ。「私はあなたの娘だもの。ねえ? 殺すわけないわよね、『お父さん』?」


 じりじりと鼎は藤本へ歩み寄る。動揺もあらわに瞳を震わせる藤本の手へと、鼎は真っ赤に染まった右手を伸ばした。


「ねえ、『お父さん』。そんな危ないもの、私に向けないでよ」


 甘えるような声で囁きかけて、鼎はそっと銃口に触れた。指を失った右手から流れ出る鮮血に銃が赤く染まって行く。

 藤本の目尻から一筋の雫がこぼれでた。


「すまない、フィリオ」罪悪感が胸の奥から押し上げ、喉をつまらせる。それでも、藤本は精一杯声を絞り出した。滲んだ視界に、救いを求める娘の姿を捉えながら……。「わたしは父親なんだ。――カインの子供たちの」


 鼎ははっと顔色を変えた。慌てて身をよじろうとしたその瞬間、病室に耳をつんざく破裂音が響いた。

 鼎は悲鳴を上げることもできずに、ぐらりとよろめいた。その胸元に輝いていた蒼いペンダントは破片となって、赤いしぶきとともにあたりを舞う。


「せめて、お前と一緒に地獄へ堕ちよう」藤本は目に涙を溜め、赤く染まっていく女を見据えていた。「父親として……」

「おまえ……」


 愛娘の面影を持った女は、恨めしそうにこちらを見つめ、みるみるうちに顔色を悪くしていった。胸にあいた穴からどくどくと赤黒い液体を噴き出し、その華奢な身体を小刻みに震わせている。

 いつ倒れてもおかしくない状態で、それでも立っていられるのは、おそらく自分への憎悪からなのだろう、と藤本は思った。朦朧としながらも、憎む男の姿だけは逃がそうとはしない。哀しくも恐ろしい執念が、濁り行く翠色の瞳に浮かんでいる。

 藤本は、自らが創り出した娘の分身を――今や、憎悪の塊となった女を、目に焼き付けていた。それが、今、せめて自分ができる贖罪だと思った。

 

「もう……手遅れだ」やがて、青白く変色した唇から血とともに呪言を唱えるような声が漏れ出た。「どうせ、お前らは皆、すぐ……消され……」


 ふっと瞳から翠色の光が消えた。力を失った鼎の身体は重力に押しつぶされるようにぐしゃりと倒れた。

 病室は不気味に静まり返った。窓から差し込む光はいつもと変わらずのどかで、今、起きた惨劇が嘘かのようだ。

 藤本はしばらく呆然としていたが、やがて震える唇を噛み締めた。うう、とうめき声を漏らし、「すまない」とうずくまるように身を丸め、目元を押さえる。


「すまない、フィリオ。すまない……」


 老いた男の泣き声は虚しく病室に響いて消えていった。

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