絆の選択 -中-
「殺された?」
鼎は目を見開き、しばらく呆けた。
「嘘を……」
「嘘ではない!」痛みに顔を歪めながら、藤本は掠れた怒鳴り声を響かせた。「ある少年を迎えに行き……そこで、頭を殴られ、帰ってきてから数時間後に意識を失った。そのまま、達也は……」
悔しげに唇を噛み締め、藤本はうつむいた。
「頭を……殴られた?」
「助けに行った少年にバットで殴られた。そう言っていた」
藤本は皮肉そうに苦笑した。
カインの父として、藤本は数多くの悔恨と哀しみを背負って来た。達也の死もその一つだ。
「あのとき、わたしがすぐに病院に連れて行っていれば……。いや、そもそも……クリスマスイブにまで仕事をさせるべきじゃなかったんだ」
こんな状況で懺悔している場合ではないのは分かっている。しかし、溜め込んでいた後悔は藤本の意志とは関係なく、歳とともに緩んだ口からこぼれ出ていた。
「さあ、達也のことは話した。砺波を――」
「嘘だ!」
窓でも割りそうな、甲高い怒号が病室の空気を震わせた。
「嘘ではないと言っている!」
ばっと顔を上げて鼎を睨みつけ――藤本ははたりと勢いを失った。
そこに、娘の姿をした夜叉はいなかった。代わりに立っていたのは、怯えきった少女。雪のような白い肌を青くして、唇をかたかたと震わせている。翠色の瞳は光を失い、キョロキョロと頼りなく泳いでいる。まるで両親とはぐれた子供のようだった。
「嘘よ」と少女は繰り返す。「わたしは覚えてる。あいつは元気だった……生きていた。お兄ちゃんに殴られてからも、ちゃんと起き上がって、わたしたちを追いかけてきて……必死に逃げたのよ」
嘘よ、と少女は悲鳴のような叫び声をあげて、ガラス片から手を離すと頭を抱えた。
「あいつは……死んだ? あの日、お兄ちゃんが殺していたというの? わたしたちの復讐は……終わっていたというの? あの日に、全ては終わっていたというの?」
興奮気味に連ねられる鼎の言葉はくぐもっていて、藤本にはよく聞き取れなかった。だが、ひどく動揺していることは確かだ。いったい、何をそんなに取り乱しているのだろうか。仇相手が死んでいたという事実がそこまでショックだったのか。自らの手にかけることにそこまで固執していたのだろうか。
「なんのために……」ふいに、鼎はだらんと両手を垂らして、力無い声を漏らした。「私たちはいったい、なんのために……今まであいつの犬になって……」
「フィリオ……」
その打ち拉がれた姿があまりに哀れで、つい藤本は目の前の『娘』を抱きしめてやりたくなった。やっと、その身体に娘の魂が戻ってきたんじゃないか、とさえ思えた。
そんな望みを抱いていい状況ではないと頭では分かっているというのに……。
「話してくれ、何があったのか。誤解があるのかもしれない。何か他に解決法があるかもしれない。こんな血なまぐさい方法じゃなく、他にまだ……」
「……呼ぶな」
鼎の肩がぴくりと動いた。
「フィリオ?」
「私を……」ゆらりと大きく身体を揺らし、鼎は細い髪を散らして藤本に振り返った。「私をその名で呼ぶな!」
鼎は息をつかせぬ勢いで藤本の脚からガラス片を抜き取り、砺波に向かってそれを高々と掲げた。
「砺波!」と藤本の悲痛な声が病室にこだまする。
尋常ではない殺気を感じ取ったのだろう、砺波も持てる力を振り絞り、抵抗しようとしているようだ。咳と荒い呼吸をこぼしながら、必死に身体を揺らしている。しかし、思うように力が入らないのだろう。「あうぅっ……!」と悔しげなうめき声が漏れ聞こえてくる。
何十年も『無垢な殺し屋』の父親をやってきた。幾度となく、身が引き裂かれるような心の痛みを経験してきた。しかし、これは……この状況は、そんな藤本にも堪え難いほどに残酷すぎる。
自分が創り出した娘の分身が、本当の娘のように育ててきた少女を目の前で殺そうとしているのだ。
「やめてくれ!」
藤本は苦悩の表情を浮かべ、命乞いをするように身を乗り出した。
しかし、鼎は何も感じていないようだった。涼しげな表情で、砺波を見下ろしている。
「あいつに復讐できないなら、もう仕方ない。それなら、元凶であるお前に復讐するだけだ」まるで感情が無いかのように冷たく凍った翠色の瞳が、藤本を一瞥した。「大切な家族を目の前で奪ってやる」
藤本は目をむいて息を呑んだ。
次の瞬間、鼎はガラス片を勢いよく砺波の首筋目がけて振り下ろした。
――すまない。
藤本は祈るように心の中でそうつぶやいた。
そして、藤本の視界が真っ赤に染まった。
相変わらず、一話ずつが短くなってしまってすみません。ペースをつかむのに手こずっています。そして、もうしばらく残酷描写は続きます。苦手な方はすみません!




