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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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絆の選択 -上-

「さあ」と蝋人形のような真っ白な顔に不気味な笑みが浮かんだ。「腹をわって話しましょうよ、『お父さん』」


 しばらく砺波の携帯をいじっていた鼎がカツカツとヒールを鳴らしてベッドへと歩み寄ってきた。

 ぐっと藤本は緊張に表情をこわばらせた。

 悪い夢だと信じたかった。

 長年、追い求め続けた愛娘が、血で赤く染まったガラス片を手に、狂気に満ちた笑みを広げて近寄ってくる。これが悪い夢でなくて、なんなのだ。


「自分が創った人形に怯えるとはいいざまね」

「フィリオ……」


 血でも吐きそうな声で藤本は愛しい名を口にした。その瞬間、鼎は表情を一変させた。その翠色の瞳を見開き、牙を剥くかの如く口を開くと、


「その名で呼ぶな、くそジジイ」


 鬼のような形相で声を荒らげ、鼎は足下に倒れている少女の髪をつかんでひっぱりあげた。甲高い悲鳴が響き、藤本は「砺波!」ともう一人の娘の名を叫ぶ。


「余計なことを喋るな! このガキの喉、かっ切るぞ」


 頭が割れるのではないか、という勢いでベッドに押し付けられた砺波は悲鳴とは思えない奇声を響かせた。その顔からは血の気が引き、荒々しい息づかいを漏らす唇からは赤く滲んだ唾液が滴り落ちている。


「そう、大人しくしてればいい」


 絶望を顔に張り付け絶句する藤本に、鼎は恍惚とした様子で唇を舐めた。とろんとまどろんだ瞳に、赤く染まった頬。この状況に性的興奮でも覚えているかのようだ。とても正気とは思えない。

 娘の皮をかぶった人ならざるもの。自分を罰するために地獄から這い出てきた死神にしか見えなかった。


「私の部下がすぐにここに駆けつける」


 部下? 藤本は充血した瞳を見開いた。なんらかの組織に属しているということか。


「その前に、教えてほしいことがある」


 鼎はベッドに砺波の頭を押当てつつ、別の手で砺波の携帯電話を藤本につきつけた。


「この男に見覚えはないか?」


 目の前に差し出された画面には、一通のメールが開かれていた。差出人の名前はアドレスのみ。本文には『写真を添付した。あとは応援を待て』とあり、青年の写真が貼付けられている。スーツに身を包み、どこか緊張した面持ちの好青年だ。

 しばらくその青年を見つめ、藤本ははっと息を呑む。違和感はあるものの、確かに、彼には見覚えがあった。

 その様子に気づいたのだろう、鼎はくいっと小首を傾げる。細い茶色まじりの黒髪が垂れ、冷たさをも感じさせる美しい顔にかかった。


「この男の名前を教えろ。分かっているだろうが、嘘をつくといいことはない」


 機械のような、感情が伺えない低い声。殺気のこもった脅しだった。

 携帯電話の画面から目を逸らすと、ベッドに顔を押し付けられている砺波が視界に入った。顔色からは生気が感じられず、目はうつろ。抵抗する力もないのだろう。

 砺波の生死は鼎の気分次第、というわけだ。

 選択の余地はない。今は彼女に大人しく従うしか、砺波を救う道はない。

 藤本はごくりと生唾を飲み込み、「彼は……」とおもむろに口火を切った。


「彼は藤本達也。少し、雰囲気が違うが……間違いない。わたしの……カインの一人だ」


 すっと鼎から表情が消えた。「藤本達也」と取り憑かれたかのように何度も繰り返し、「ようやく見つけた」と禍々しい殺気を瞳に宿してにんまりと笑んだ。


「君は、彼を捜しているのか? 達也を追って、こんなことをしているのか?」


 すると、鼎はふんと鼻で笑って携帯電話を床に放り投げた。そして、その手に残ったガラス片の先を藤本へ向ける。


「そうだ。私たちはこの男を捜し求めて、こんな血にまみれた世界にまで身を落とした。この男に復讐するため」

「復讐?」


 思わぬ言葉が飛び出し、藤本は眉根を寄せた。

 達也のことはよく知っている。復讐されるようなことをする子ではなかった。


「達也が何をしたというんだ?」


 鼎はしばらく黙り込んだ。

 藤本の目の前で、あと数センチというところまで迫った切っ先からぽつりと赤黒い雫が垂れた。


「十四年前」やがて、見るものを凍らせる雪女のような冷たい表情を浮かべ、鼎はぽつりとつぶやく。「十四年前、そいつは私の……私たちの両親を殺した」


 藤本は「な……」と驚愕に言葉を詰まらせた。その反応に、鼎は顔をあからさまに歪めた。


「なにを驚いている? お前がそう命じたんだろ? そのカインに、私の家に忍び込ませ、パパやママを殺すよう仕向けたのは、全てお前だったんだろう!?」


 徐々に興奮した様子で鼎は声を荒らげていった。顔を上気させ、緑色の瞳を潤ませるその様は――皮肉にも――ようやく人間らしく見えた。


「パパとママ? 君を買った人たちのことか」

「私を育ててくれた人たちのことだ」


 ガラス片をつかむ鼎の手からは、いつのまにかおびただしい量の血が流れていた。ぽたぽたと落ち行くそれは、まるで悪魔の涙にも見えた。 

 しかし、彼女は痛みを顔にだすことはない。精巧に創られた蝋人形のように美しいその顔に浮かび上がる感情は、ただただ憎しみ――それだけだ。


「ひどい目にあわされていたんじゃ……」


 藤本が震えた声で訊ねると、鼎はヤケになったように大仰に笑った。

 やがて、翠色の瞳に狂気の火種をくすぶらせ、ぎろりと藤本を睨みつける。


「それがお前の言い訳か」

「言い訳?」

「お前はさっき、こう言ったな。私のような子供を救うために『無垢な殺し屋』を育てあげたのだ、と」

「そうだ。カインは、裏世界で虐げられている子供たちを救うために――」

「ふざけるな!」と、怒号をあげ、鼎はガラス片を藤本の脚に突き刺した。「私は幸せだった。カインが現れるまで……幸せだったんだ!」


 藤本はくぐもった悲鳴をあげて、刺された太ももを押さえた。鼎は構わず、傷口を抉るように突き刺したガラス片をぐいっと動かす。それに呼応するように、藤本の悲鳴も大きくなった。


「お前はそうやって、勝手な正義で人殺しを正当化してきたんだな」


 冷たい声で囁き、鼎はガラス片をさらに奥へと刺しながら身を乗り出した。


「さあ、懺悔の時間をあげるわ」脂汗に濡れた藤本の顔を覗き込み、ふっと天使のように優しく微笑む。「私たちはただ、償ってほしいんだ。この男にふさわしい罰を与えたいだけ。だから、教えなさい。『藤本達也』は今、どこにいる?」

「達也は……」


 藤本は襲いかかる痛みの波に堪えていた。刺された左脚ではなく、もっと胸の奥から押し寄せてくる痛み。身体の中から食い破られていくような惨い痛み。

 正気を失う寸前だった。それでも舌を噛み切らずにいられているのは、目の前に砺波がいるからだった。砺波を助けなければ、という思いだけが藤本を支えていた。たとえそれが『父親』としての独りよがりの使命感だとしても、その思いだけが藤本をこの現実にとどまらせていた。


「達也は……もう、いない」口の中で血の味を覚えながらも、藤本はか細い声で答えた。「殺された。十四年前に」

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