粛清のはじまり -5-
「わたしがなんとかしよう。わたしの言う通りにしていれば大丈夫だ」
その言葉に、私はほんの少しだけ肩の力を抜くことができた。
おじさまは国家公安委員会委員長。和幸くんを助けられるだけの権力がある。おじさまを利用するみたいで気が引けるけど……今は手段を選んでいる場合じゃない。
なんとしてでも、和幸くんを助けなきゃ。そのためにはどんな手だって使うんだ。
なぜカインがテロ組織だなんて、警察の人が言い出したのかは分からない。それが意味することがなんなのかも、私には分からない。ただ、和幸くんの様子もおかしいし……きっと、とんでもないことが起きているんだ。カインの皆に危険が迫っているのかもしれない。
――かっちゃんを……俺たちの大事な兄弟を、よろしくね。
私は和幸くんの胸元に置いた手に力をこめた。ぎゅっと彼の制服を握りしめる。
私は曽良くんと約束したんだ。表の世界では私が彼を守る、て。
そのためなら、『本間秀実の娘』だってなんだって、いくらでも利用する。
「ただ」と、不意におじさまの苦しげな声が聞こえた。「今すぐに……というわけにはいかない。すまないが、今はおとなしく彼らの言うことを聞いてくれ」
「そんな!」
思わぬ言葉が飛び出して、私は甲高い声をあげていた。
おとなしく彼らの言うことを聞く? このまま、連れて行かれろ、ていうこと? 「おい、カヤ」と和幸くんが引き止めるのも構わず、私は彼のもとを離れておじさまに詰め寄っていた。
「今、なんとかできないのですか!?」
「今すぐこの場で出来ることはなにもないよ、カヤ」
「これは明らかに不当です! ただ話題性があるからカインを題材にしただけで、他意なんてありません。反政府活動なんてとんでもない。たとえ、カインが……たとえ、カインがテロ組織だとしても、劇とは――和幸くんとは無関係です!」
キッとおじさまを睨みつけながらも、身が焼けるような感覚に耐えていた。
苦しい。
どうして、こんなこと言わなきゃいけないの? カインがテロ組織? そんなわけないじゃない。
カインは……カインの皆は……ただ、守っているだけ。誰の目も届かない闇の中、誰の耳にも届かない力無い悲鳴をあげ、迎えを待つ子供たちを……。
「カヤ」
ぽん、と肩に手が置かれた。
おじさまは苦悩に満ちた表情を浮かべ、どこか申し訳なさそうに私を見下ろしていた。
「分かっている。和幸くんは無関係だ、と」ぐっと堪えるようにおじさまは目を瞑った。「ただ、いくら不当だといえど、こちらも正規の手順を踏まなくては解決にはならない。ここでできることは何もないんだ」
「でも……」
「安心しなさい」とおじさまはやんわりと微笑んだ。「すぐに弁護士を用意する。それまでの辛抱だ」
いいね、と脅すようなその鋭い視線は私を通り越し、背後に佇む和幸くんへと向けられた。
「わたしを信じて、君は大人しくしているんだ。余計なことはしゃべらなくていい。弁護士が来るまで、黙っていなさい」
「おじさま、でも……!」
「カヤ!」
空気を切り裂く怒号に私の身体は震えた。
私を制止した声は……おじさまではなかった。
どうして? と、誰に訊ねるわけでもなく、その言葉が私の心の中を埋め尽くしていく。ドクンドクンと波打つ鼓動はやけに落ち着いていた。
「大丈夫だ」と力強い声がした。「俺は無実なんだから、心配することなんて何もない」
すぐ背後に気配がした。感じる息づかいが近づいてくる。
ふわりと逞しい腕が私を包み込み、ぎゅっと後ろから抱きしめられた。
「すぐ戻ってくる」
「……」
耳元で囁かれた優しい声はいつもと変わらない。身体中で感じるぬくもりも、いつもの彼。
なのに……どうして? 全然安心できないよ。落ち着かないよ。心が凍える。不安に胸が押しつぶされる。まるで、これが最期のような……そんな恐怖が私を縛りつけて離れないの。
ぎゅっと私を抱く彼の腕に触れ、瞼を閉じた。
嫌。絶対に、彼を失うのは嫌。
「守るから」はっきりとそうつぶやいて、私は目を開く。「今度は私が守る。――迎えに行くから」
「……待ってるよ」
彼がふっと笑ったのを耳元で感じた。
するりと彼の腕がほどかれる。それを見計らったかのように、「じゃ、いいかい?」という暢気な声が聞こえた。あの死神のような不気味な人だ。
「ああ」と答える和幸くんの声を遮るように、私は「待って!」と叫んで振り返った。咄嗟に首筋に手を回し、ひんやりとしたチェーンに指先をからめる。
「これ……お守り」
静かに言って、外したそれを彼の首に回した。彼のうなじに手を回し、留め金をカチリと鳴らす。
「きっと……また、和幸くんを守ってくれる」
十字架が、彼の胸元で銀色に輝く。――それはカインのお守り。夕べも、一人で女性を『迎え』に行った彼を私のもとに無事に送り届けてくれた。
和幸くんは驚愕したような表情でじっと私を見つめていた。私のその行動がよほど意外だったのか、唖然としている。
そんな彼に、私は精一杯明るく微笑みかけた。彼が希望を捨てないよう……。自暴自棄になって早まったことをしないよう……。大丈夫、私が守るから――そう、訴えかけるよう。
しばらくして、ようやく彼は表情を和らげ、ふうっと息をついた。
「ありがとう、カヤ。これで……安心できる」
胸元に垂れ下がる十字架をぎゅっと握りしめ、彼は安堵したような、寂しそうな、どこか儚い笑顔を見せた。
そして私は彼の背中を見送った。これで最期になるんじゃないか、という胸騒ぎを必死にごまかして……ただ、小さくなる背中を見送ることしか出来なかった。