リスト・ロウヴァー
さて……うまく、はいりこめたな。自己紹介が終わって、オレは台本をもらった。
教室のはじでイスにすわりながら読み始める。横目で、藤本和幸の様子を伺う。
向こうもこっちをちらちら見ている。やっぱ、気になるか。
あの人の正体はすぐに分かった。
あのあと……このあたりで有名だっていう『三神』とかいう情報屋に依頼したら、あっという間に調べはついた。ちょっとばっかり、出費はかさんだけど…ま、おかげさまで必要な情報はそろったしね。
神崎カヤのことも大体状況は把握した。
エノクの言っていたことは本当だった。彼女は、普通の暮らしをしている。彼女の世話をしている夫婦がなにもので、どういう経緯で彼女を育てているのかは謎だが……
とにかく今は、神崎カヤに自然に近づくのが先決。フォックス・エン・アトラハシスは、『収穫の日』に、彼女の前に『箱』を持って現れる。このまま、彼女のそばにいれば、一網打尽にできるってこと。
それまでは、この劇の練習もまじめにしなきゃな。
オレは、ページをめくった。
「え……」
しばらく読んで、意外な単語に驚いた。
「カイン?」
つい、藤本和幸を見てしまった。
へえ。おもしろいな。カインの劇に、本物のカインが参加してる。
三神とかいう情報屋は、カイン(藤本和幸)がなぜ、神崎カヤを調査しているのかまでは、詳しく教えてくれなかった。カインは自分たちの仕事を『おつかい』と呼んでいるらしいが……神崎カヤにまとわりついているのも、その『おつかい』のためらしい。そこまでは教えてくれた。だが、一体、どういう『おつかい』なのか、その内容までは情報はくれなかった。
オレの心配はそこだった。カインノイエとかいう組織は、神崎カヤのことを…『災いの人形』と知ってマークしているのだろうか。それとも……ほかの理由で、偶然に彼女に白羽の矢が立ったのか。
「うーん。情報が足りないなぁ」
こうなったら……と、ある思い切った案が頭にちらついた。それは……藤本本人に直接聞く。
「しっかし、それはやりすぎかぁ?」
ま、成り行きにまかせて決めればいいか。時間はまだあるんだし。
オレはあまりねちねち考えるのは苦手だ。頭を劇のほうへ切り替え、視線を台本に戻した。
そのときだった。
ガラッと扉が開く音がした。
ふりかえると、そこには神崎カヤがいた。
まるで、絵画からでてきたような美しさ。きりっとした眉。柔らかな輪郭。くっきりとした目。長く伸びたまつげ。一本一本が揺れる、さらさらとした黒髪。長い足。そして、包み込むようなオーラ。なるほど、これが神の『人形』か。彼女の姿は、誰がみても息をのむだろう。これが『災いの人形』だとは……。オレはなんともいえないむなしさにおそわれた。
「あれ」
オレの姿に気づいたらしく、神崎カヤは目を丸くした。
「あなたは……」
「どうも。同じ学校だったみたいです」
オレは立ち上がって微笑んだ。
* * *
劇の練習が始まってからも、俺はロウヴァーから目が離せなかった。
ロウヴァーの自己紹介がおわってしばらくしてから、カヤが来た。彼女は週番で遅くなったらしい。今は二人で台本の読みあわせをしている。
「なんだ、和幸。嫉妬か?」
「は!?」
振り返ると、平岡がニヤニヤしている。
「な、なんだよ?」
「いきなり、ライバル出現ってやつだな。それもあんな美形」
平岡は、わざとらしくため息をついて俺の肩に手をのせた。
「気持ちは分かるが、あきらめろ」
「だから……なんなんだよ、急に」
平岡の言ってる意味がさっぱり分からん。
「隠すなよ。俺はわかってるぜ。
さっきから、ずっと二人のほう見てるしよ。ばればれだよ」
「……え」
言われてみれば、確かに、見すぎかもな。
いかんいかん。ロウヴァーの奴は気になるが……ここは冷静に行動すべきだ。
「たまには、的を射たこというじゃねぇか、平岡」
「は?」
とりあえず、布を縫おう。俺は、ロウヴァーから目をはなし、布に集中した。
* * *
練習が終わり、俺はひとり、教室をそうじしていた。
掃除当番は一人ずつ日替わり。そうじ、て言ってもほうきで掃くだけだけだから、なんてことはない。
にしても……こうしていると、俺も普通に高校生活を送っているんだな。ここ数週間、『おつかい』はまったく回ってきていない。『おつかい』がなければ、俺はなんてことはないただの学生と同じ。なんだか、気がぬける。
結局、ロウヴァーとは一言も話さなかった。今、ぼろをだすのはまずいからな。向こうの出方を伺ってから俺も行動をとろう。俺はそう決めたのだ。それに、あいつがただの変わったガキ、て可能性もあるしな。
「あれ」
そういえば……あいつ、俺のひとつ下なんだな。背も低いし、見た目も幼いから、てっきり中学生かと思ってた。
「まあ、いいや」
俺はほうきを片付け、かばんを手に取った。
「おわった?」
「え」
驚いた。それは、カヤの声だった。あわてて顔をあげると、廊下にカヤが立っていた。
「カヤ?」
「今日は、だいぶ遅くまで練習したね」
そう言って、カヤは廊下の窓を見つめた。もう外は暗い。
「俺のこと、待ってたのか?」
「……」
カヤはなにも言わずに、はにかんだ笑顔をみせた。
* * *
「参ったなあ」
リストは、屋上で寝転がってそう言った。もう空には星がうかんでいる。
「ふられちゃったね」
ケットはからかうようにそう言うと、リストの隣にちょこんと座った。
「ねえ」
くくっとおもしろがってリストは笑う。
「人生ではじめて、『一緒に帰らない?』て言ったのになあ」
「見事に断られたね」
「仲良くならないとなにも始まらないのに。
あんまりしつこくすると、ナンパ野郎だと思われちゃうよ」
「……ねえ、リスト」
ケットは、おもむろに切り出した。ずっと疑問に思っていたことがあったのだ。
「なんで、わざわざ彼女の前に現れたの?
『収穫の日』まで、彼女をただ監視するって方法もあったでしょ」
ケットは、リストはそのつもりだとばかり思っていた。
彼女の学校に転校までして、劇にまで参加する……そこまでして、彼女に近づこうとしているリストの考えが理解不能だ。
「彼女と友達になろうとしてるみたいだけど……
そんなことして、事態を余計にややこしくするだけじゃない?
だって……何があろうと、リストと彼女は……」
リストは真剣な表情になった。いつものニコニコしているのが嘘のように、覚悟に満ちた表情だ。
「オレは『災いの人形』、神崎カヤを殺す存在。
いつか、オレはどんなかたちにしろ、彼女を殺さなくてはならない。
だからこそ……知っておきたかったんだ。
彼女がどういう人間で、何が好きで、どういう生き方をしてきたのか。
それがせめてもの、オレが背負える責任だと思うから」
それを聞いて、ケットは小柄なその体に似合わない、全てを悟った聖人のような表情を浮かべた。
「……」
しばらく黙ってから、ケットは優しく微笑んだ。それは、すべてを包み込むようなおおらかな笑顔だ。
「リスト……」いつものおどけた声とは違い、静かで落ち着いた声でケットは言う。「それは、ただの自己満足だよ」
リストは、フッと悲しく笑った。
「ああ。オレはとんでもない自己チュー。それでいいんだ」
それが、やけくそなのか、皮肉なのか、本心なのか……ケットには分からず、ただリストをじっと見つめることしかできなかった。
「それに……オレはさ、ケット」
リストは、夜空にひときわ輝く三日月を見つめた。
「ずるいかもしれないけど……全部、ナンシェのためだと思ってる」
「!」
月光に照らされたリストは、せつない表情をうかべていた。
「ナンシェのためだと思えば、全部背負える。どんなことでも出来る。
全て許される気がするんだ。
ナンシェはきっと、オレにとって唯一の光なんだ。
彼女という存在がいてはじめて、この世界にオレの影ができる」
リストは、月に手を伸ばした。月のやわらかい光がその左手を照らし、彼の顔にはうっすらと影ができた。
「自己チューでずるい人間だな、オレは。
でも、そういう生き方でしか……オレは自分の存在を肯定できないんだ」
ケットは、なにも言わなかった。
ケットは、エミサリエス。神の細胞でできたバイオロボット。『天使』とよばれるもの。神に近い存在だ。でも、神ではない。彼には、リストを救える力はない。
しばらく、沈黙が続いた。
「とにかくさ」と声のトーンを変え、リストは体をおこす。「収穫はあるわけだよ。今日一日だけでも、ひとつ重要なことがわかったし」
「え?」
ゆっくり立ち上がると、屋上のフェンスに歩み寄る。フェンスに手をかけ、校庭を見下ろした。
「『災いの人形』は恋をしている」
「へ?」
リストはクスっと笑った。
校庭には二つの影がある。和幸とカヤだ。
「それにしても、藤本和幸とは。
皮肉だね」
リストが『皮肉』といった意味は、ケットにも分かる。ケットは、またなにも言わなかった。