粛清のはじまり -2-
なにを言ってるの?
責任者って……和幸くんじゃないでしょ。
「ようやく、か」警察だという男の人は和幸くんを嘗めるように見つめ、にんまりと笑んだ。「名前は?」
「藤本和幸」
「脚本も君かな?」
「……ああ」
嘘。
脚本も和幸くんじゃないのに。
どうして? 演技とか、アドリブとか……そういうの苦手なはずなのに。なぜ、そんな平気な顔でするすると嘘ばかり?
「和幸、あんたなに言ってるのよ!?」アンリちゃんは青白い顔で叫んだ。「脚本まで……」
「お前はタイプしただけだろが」と和幸くんはさらりと流す。「話を考えたのは俺だ」
どこか脅すような声色だった。
「和幸……」
和幸くんの迫力に気圧されたのだろうか。アンリちゃんはしゅんと勢いを失くし、口ごもった。愛嬌のある大きな瞳が潤んでいる。アンリちゃんらしくない、切羽詰った表情。今にも泣き出しそうだ。
そんなアンリちゃんの肩をぽんとたたいて、和幸くんは警察の人に歩み寄る。
その様子に、私は悟った。
そっか。和幸くんの嘘は、アンリちゃんのため。かばってるんだ。
ずき、と胸が痛んだ。不安に息が詰まる。ぎゅっと胸元をつかんだ。
私は必死に視線で和幸くんに訴えかけた。
ねえ。かばうって……かばわなきゃいけないほど、危険ってこと? カインとして、アンリちゃんをかばおうとしているの? この騒動は、カイン絡みなの?
「俺だけでいいんだよな?」
「ああ」こけた頬をくいっとあげ、男は目を細めた。「こっちは責任者に用があるだけだ」
「分かった」
和幸くんは安堵したようにふっと息をついた。
体育館は不気味なほどに静まり返り、不安や好奇、猜疑の視線、それらが絡み合って彼へと向けられていた。
男は私たちを囲むようにして立っている部下たち(おそらく)に目配せし、和幸くんの腕をつかんで歩き出す。
彼は抵抗する素振りも見せなかった。促されるまま、歩き出し――ちらりと私に視線だけ向けた。冷静な眼差し。まるで、自分の運命を受けいれているかのような……。
首が絞められるような息苦しさが襲った。
不安と焦りが波のように押し寄せる。足が竦んだ。
男たちに連れられ、ステージを降りていく背中が遠ざかっていく。届かなくなっていく。このままじゃ、また、彼を見失ってしまう。
「いや……」
デジャブのような強い既視感が脳裏を貫いた。
同じだ。夕べと同じ。
また……私はこのまま、彼の背中を見送るの? また、大人しく彼を危険な場所に送り出すの?
嫌だ。またあんな思いは嫌。
不安に怯えて待つだけなんてもう嫌なの。
彼と二度と会えないかも……そんな不安、耐えられない!
「和幸くん」ぎゅっとロザリオをつかみ、私は彼の背中を追って駆け出していた。「行かな――」
「待ちなさい!」
体育館中が震えるような怒声が響き渡り、私ははたりと足を止めた。
「これも劇の演出なのかと思ってもみたが……違うようだね」
聞き覚えのある声。
頼もしくて力強い声。
「いったい、何の騒ぎなんだね?」
不安に呑まれた闇の中、ぽつりと灯った希望の光。
私は気が遠のくような疲労感を覚えつつも、その光を探した。
「彼を連れて行く前に、まずはわたしに事情を説明してもらおうか」
ステージの下。客席との間のスペースに、私は見つけた。腰の後ろに手を回し、警察の人たちを前に堂々と佇むその姿。莫大なエネルギーを内に秘め、静かに聳える火山のような毅然としたオーラ。年齢など感じさせない、和幸くんとは違った逞しさがある。
胸が熱くなって、きゅっと唇をかみ締めた。
「何度言えば分かるんだね、カヤ?」眼鏡の奥で光る鷹のような鋭い瞳が、こちらに向けられる。「困ったときは、わたしに頼りなさい」
「おじさま……」
感極まって声が震えてしまった。思わず頬が緩んだ。
「失礼ですが」と、和幸くんの隣であの男は蔑むような笑みを浮かべた。「保護者の方には、後ほど改めて説明をさせていただきますので」
「では、保護者としてはあとで説明を聞くことにしよう」
だが、とおじさまは眼鏡をくいっと上げて、男を睨みつけた。
「国家公安委員会委員長として、今、事情を聴かせてもらおうか」
男たちがざわついた。動揺がはっきりと見て取れた。
――表の世界では権力がすべて。表で闘おうとしたら、権力で立ち向かうしかない。
いつかの美月さんの言葉が脳裏をよぎった。
そうだ、と胸の奥から力が沸いてくる。さっきまで震えていた私の足が、ようやくしっかりと地を踏んでいた。
私は彼を救える武器を持っている。本間カヤという名が持つ『権力』という武器。
ロザリオを握り締め、男たちを見下ろす。私から、彼を盗もうとしている人たち……。
どんな名でも、どんな手でも、使えるものは全て使う。何を利用してでも、私は――和幸くんを守る。
彼は私にとってこの世界の全てだから。
すみません、ちょっとスランプ気味で。短くなってしまいました。