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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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カイン

「私には記憶がない」


 暗闇の中、白いワンピースに身を包んだ少女がベッドの上で体育座りをしている。寝ぼけているようにぼんやりとした眼差し。どこか、顔色も悪い。


「ただ、気づけばここにいた」


 ベッドに横たわる痛んだテディベアを抱きしめ、少女はぼんやりと天井を振り仰いだ。


「全てがぼんやりとしている。何もかも曖昧だ。私の名前……さや。それさえも曖昧。なぜか、しっくりこない」


 テディベアをぎゅっと抱きしめ、さやは膝に顔をうずめた。

 物寂しい小部屋にあるのは、ひとつの窓だけ。そこからぼんやりとした光が注ぎ込んでいる。

 ふと、何かがその光をさえぎった。

 影が自分を覆ったことに気づいて、さやは顔をあげる。


「誰……?」


 いつのまにか窓が開いてひらひらとカーテンが揺れている。そこに人影があった。


「お……とうさん?」


 おずおずとさやは訊ねる。

 すると、影がくすりと笑った。


「そう、おとうさん」


 あまりにも若い声だった。

 さやは小首をかしげる。


「君の『おとうさん』から依頼を受けてさ」人影はそう続け、ひょいっと窓から降りる。「こうして君を迎えに来たんだ」

「迎え?」

「そう」


 ようやく、月の光が人影の姿を映し出す。

 さやと同い年くらいの少年だった。高校生なのだろう、ブレザーの制服を着ている。

 さやはいぶかしそうに少年を見つめ、「でも」と唇をすぼめる。


「父は隣の部屋で寝ているわ。迎えってどういうこと?」

「ああ、そっちのお父さんじゃあないよ」少年は柔らかな笑みを浮かべた。「俺を『迎え』によこしたのは、君の『本当のおとうさん』」

「ほ、本当の?」


 さやはぎょっと目を丸くした。


「なにを言っているの?」


 ここにきてようやく、警戒心を抱いたのだろう。さやはあわててベッドから飛び降り、少年と距離を置いた。ぎゅっとテディベアを抱きしめ、少年を睨みつける。


「あなた、誰? そうよ! いったい、どうやって入ってきたの?」

「いや、窓からだよ」少年は照れたように頭をかいた。「見てたでしょ」

「そういうことじゃないわ。外には見張りの人だって、たくさんいたはず」

「ああ、見張り」少年は苦笑し、さやに同情するような眼差し向ける。「君が逃げないように『監視』している奴らのこと?」

「か、監視!?」


 さやの声は裏返る。


「あ、あなた異常だわ。なんの話をしているの? 監視って……違うわ。皆、泥棒とかおかしな人がこの屋敷に入らないように、いつも守ってくださっているのよ」


 そこでさやはハッとし、少年を指差した。


「そうか、泥棒! あなた、泥棒なのね」

「泥棒」少年はクスクス笑った。「そうかもね」

「み、認めるのですか?」

「認める」さらりと言って、少年はさやに手を差し伸べた。「君を盗みに来た泥棒だ」


 さやはあっけに取られてしまった。

 少年は涼しげな表情でまっすぐにさやを見詰めている。さやの頬は赤らんだ。


「な、なにを言っているのです? やはり、異常だわ。頭がおかしいのね」

「どちらかといえば、それは君のほうじゃないのかな?」


 行き場のなくなった手をぶらぶら揺らして、少年は肩をすくめた。


「君さ、この屋敷に来る前のこと、何か覚えてるの?」


 さやはぎくりとした。


「小さいころの記憶、ある? いや――というより、いつからの記憶があるの? 気づいたら、この部屋にいた。そんなところじゃない? それこそ、異常じゃないかな」


 さやはあんぐりと口を開け、硬直してしまった。眉がくもっていく。心当たりがあることは、一目瞭然だ。

 そんなさやに、少年は申し訳なさそうに顔をしかめた。


「娘に暴力をふるう『父親』も異常だと思うよ」


 さやの顔色が一瞬にして変わった。

 テディベアの首をしめるように力いっぱい抱きしめる。


「何の……話をしているんですか?」

「ごめんね。一応、これも俺の仕事でさ。一ヶ月前くらいから盗聴させてもらってたんだ」

「と、盗聴?」

「そ」少年は、さやの腕の中で頭を垂れるテディベアを指差した。「あまり乱暴に扱わないでね。一応、精密機器だから」

「……」


 ぽかんとするさやに、少年は苦笑を漏らす。


「特に右目のあたり」


 さやは目を見開き、小さな悲鳴を上げてテディベアを放り投げた。


「おいおい」呆れたような声を漏らして、少年は足元に横たわるテディベアを拾い上げる。「だから、乱暴に扱うなって……」

「あ……あなた、何なんですか!? すでに以前にもこの部屋に忍び込んだってことですか!?」

「そうなるね」ぱんぱんとテディベアについた埃をはらい、少年は微笑する。「それにしても……ここまで気づかれなかったってことは、俺、結構裁縫うまいのかも」

「話をそらさないで! あなた、何なの!? 私に何の用!? 盗聴までして、どうして……」

「だから、言っただろ。君を『迎え』に来たんだって」

「迎えって、どういうことなのよ!?」

「君はね、『盗まれた子供』なんだ」


 急に少年の声が低くなる。さやは怯えたような表情で後退さった。


「……盗まれた子供?」

「このトーキョーには二つの世界がある。表と裏。決して交わることのない世界」


 痛みをこらえるような表情を浮かべ、少年はテディベアをベッドに横たえた。


「『表』で広がり続けた貧富の差。それはトーキョーに大きな影を落として『裏』を創った。そこでは『人身売買』が横行し、貧しい子供たちが金持ちの玩具として売られている。ある子供は奴隷のように扱われ、ある子供は催眠術で記憶を変えられ実の子のように育てられている」

「そんな――」

「そんな話、信じられない?」少年は憫笑のようなものを浮かべて、さやに射るような視線を向ける。「でも、今、目の前にいる男はそんな裏側で生きる人間だ」

「は……?」


 少年はふうっと息をつき、さやに一歩近づいた。


「俺はトーキョーの裏側でそんな子供たちを守っている。権力の陰に隠れて好き勝手している連中からね」

「……」


 押し黙るさやに、少年は憐れむように眉をひそめた。


「何もかもが曖昧として、いつも夢の中にいるような感覚。『おとうさん』にどんなひどい仕打ちを受けても、なぜか逃げ出せない。屋敷から出たいと思えない(・・・・)。そうだろ?」

「!」


 さやの肩がびくんと震えた。さやは今にも泣きそうに顔をゆがめて、少年を見つめた。

 少年はそんなさやの視線を優しい笑顔で受け止める。


「大丈夫。俺が連れ出してやる。そのために、『迎え』に来たんだ」

「あなた……誰なの?」


 呆然とした様子で、さやは静かに問うた。

 すると少年はどこか気恥ずかしそうに笑み、再びさやに手を差し伸べた。

 

「俺は、カイン」


   *   *   *



――俺はカイン。


 彼はそう言った。


――君を迎えに来た。


 まっすぐに私を見つめて、彼は私に手を差し伸べたんだ。


――俺が連れ出してやる。選ぶのは、カヤだ。俺はただ……迎えに来ただけだ。


 両親も何もかもが信じられなくなって、孤独の中に閉じこめられた私の前に、彼は唐突に現れた。

 差し伸べられた手はたくましくて暖かそうで……でも、私には分かった。その手をとれば、全てが変わる、と。両親のこと、カインと名乗った少年のこと、全てが曖昧としている中で、それだけは確信していた。そして、確実に何かを失うことを私は知っていた。

 それでも、私は選んだんだ。


「お願い……」


 私はうつむいてうめくように言った。


「連れて行って」


 私は彼の手を取った。全てが変わった、あの夜のように。

 彼は懐かしむように目を細め、ぎゅっと私の手を強く握り返した。もう離しはしない――そんな彼の声が伝わってくるようだった。

 

「懐かしいな」


 私にだけ聞こえるように、彼はぼそりとつぶやいた。

 序幕が終わり、ステージ袖で平岡くんが必死になって幕を閉じる紐をたぐりよせている。その隣で呆気に取られた様子で佇むアンリちゃん。きっと、思わぬ和幸くんの『名演技』に驚いているんだろう。

 会場もすっかりざわめきに包まれていた。カインがヒーローの劇なんて、それだけでインパクトが強いはず。アンリちゃんの狙い通り。


「お前の言う通りだった。『演技』なんていらなかったな。観客さえ見なければ、なんとかなりそうだ」


 溜め込んでいた緊張を吐き出すように、和幸くんはふっとため息を漏らす。

 私はつい微笑みそうになるのを必死に堪えた。一応、まだ幕は開いてる。観客から見える間は『演技中』だ、と気を引き締めた。

 実を言えば、私も幕が開いた瞬間、あまりの観客の多さに驚いてしまった。

 さらに、一番前の席に見覚えのある顔があって、セリフを全て忘れそうだった。

 おじさまだ。

 夕べ、騒動を起こしたから、もう来てはくれないかと思っていた。さすがに望さんの姿はないようだけど……驚いた。

 そういえば、あとできわどいシーンもあるんだった。キスするふりだけど……ふりでも、おじさまの前で――しかも、和幸くんと――というのは、さすがに緊張しちゃう。

 思わず、和幸くんから目を逸らした。

 そのときだった。

 幕が半分ほど閉じたところで、慌しい足音が聞こえてきた。それも、かなりの大勢。団体さんが遅れて来たのだろうか、とも思ったのだが、様子が違った。


「劇は中止だ!」


 いきなり、そんな怒鳴り声が響き渡ったのだ。 

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