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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
254/365

不吉な再会 -下-

「フィリオ?」


 砺波は思わぬ名を耳にして、ぎょっと目を見開いた。

 その名を知らないわけはない。カインなら。藤本マサルの『子供』なら。

 しかし、なぜ?

 砺波はごくりと生唾を飲み込みながらゆっくりと振り返る。父の視線を追うように。


「あの、どうかされたのですか?」


 病室に漂う張りつめた空気に、ほんわかと柔らかな声色が混じる。

 病室の入り口でおどおどとしているのは、砺波が曽良から夕べ預かった女性。自分が貸した黒いワンピースに身をつつんだ、儚げで気の弱そうな鼎という名の女性だ。和幸と曽良が『フィレンツェ』から盗んで来たという『競売品』。

 そんな彼女を、父は「フィリオ」と呼んだ。

 なぜ? と、砺波は表情を曇らせた。

 ――なぜ、目の前の女性を、三十年も昔に亡くした娘の名で呼んだの?


「フィリオ」と再び、藤本は震えた声でつぶやいた。「ようやく……ようやく、お前にたどりついたんだな」


 今にも立ち上がらんとする父の気配に気づいて、砺波は慌てて振り返った。


「パパ、休んでなきゃ――」

「ずっと捜していたんだ。お前に謝りたくて……二十四年前の過ちを、お前に謝りたかった。すまなかった、フィリオ! わたしは『創られた』子供が裏でどんな扱いを受けるかなど、あのとき何も知らなかったんだ。だからお前を……まだ赤ん坊だったお前を手放してしまった!」


 砺波は見たこともない父の様子に恐怖さえ覚えていた。自分の声など聞こえていない。夢中で鼎に訴えかけている。

 藤本の身体をおさえる自分の腕が震えている。

 たまらなく嫌な予感がしていた。


「なんのお話をされているんです?」


 鼎の声が急に低くなった。冷たくも感じるような声。藤本の異様な様子に気味悪がっているのだろうか。


「いつか、いつかこうしてカインの子供が連れて来てくれるんじゃないか。そう信じて待っていたんだ。二十年以上も、ずっと……いつかお前にたどり着く、と。お前はどこかで生きて『迎え』を待っている、と信じていた」

「おっしゃっていることが分かりません」まるで感情がないかのような声が響いた。「私の名は鼎です。人違いではありませんか? フィリオなんて、聞いたことも――」

「フィリオは三十年前に死んだ私の娘。そして君は……私が創った(・・・)


 砺波は瞠目した。

 心臓が激しく揺れて、刺すような痛みが走る。


「つくっ……た?」


 藤本には娘がいた。本物の。

 フィリオという名の少女。

 藤本から直接聞いたことはない。だが、姉たちから聞かされたことがある。三十年ほど前に、藤本は幼い娘を亡くしたのだ、と。それがカインノイエができるきっかけだということも。

 具体的な事情は誰も知らないようだった。交通事故で亡くなったようだが、それがどうカインノイエと関係しているのか。なぜ、それがきっかけで藤本はこんなクローンのための慈善事業のようなものを始めたのか。全ては謎に包まれていた。

 ただ、藤本がその娘を今でも愛していることは、大事にデスクに置かれた写真からも明らかだった。


「!」


 写真――砺波ははっとし、視線を横にずらす。

 ベッドの横に置かれた机。花瓶に生けた花の陰で、こちらに微笑みかけている少女がいた。

 全身から血の気が引くのを感じた。

 砺波はとっさに藤本から離れ、よろめくようにあとずさった。

 鼎と会ったときに感じた親近感のようなもの。どこかで見たことがあると思った……。


「砺波」

 

 ようやく、藤本の視線がこちらに向けられた。しかし、それはもう砺波の知る父の眼差しではなかった。――赦しを請う罪人のそれ。


「……すまない」


 重く苦しげな声だった。

 だらりと頭を垂れた藤本の姿に、父の威厳はどこにもなかった。

 砺波はぎゅっと唇を噛み締めた。

 悔しさなのか。恐怖なのか。寂しさなのか。絶望なのか。はたまた、そのどれでもないのかもしれない。

 ただ、涙がぽろりとこぼれていた。

 人前で――たとえそれが藤本マサルであったとしても――涙を見せることは砺波にとって何よりも許せないことだ。だからうつむくことしかできなかった。

 まさか、クローンである自分を救ってくれた父が……。

 砺波はぎゅっと拳を握り締める。

 こんなとき、一番会いたい奴はもう手の届かないところに行ってしまった――その事実が余計に砺波の心を孤独に染めた。唯一、自分が泣ける場所だったのに。

  

「いったい、なんの話だ!?」


 急に鼎の口調が変わった。

 カツカツとヒールを鳴らして近づいてくるのが分かった。

 鼎は、砺波の隣――藤本のすぐ目の前に立ちはだかった。荒い息遣いが聞こえてくる。

 よほど動揺しているのだろう。

 目の前に、自分を『創った』人物がいる。どれほどのショックだろう。同じクローンである自分にさえ想像もつかない。それでも、今の砺波に他人を同情できるほどの余裕はなかった。


「わたしは一人娘を失った。三十年ほど前のことだ」


 感動の親子の再会とは程遠い張り詰めた空気の中、冷静な藤本の声が流れた。

 藤本はそっと写真に手を伸ばし、それを鼎に差し出した。

 鼎はしばらくそれに目もくれようとはしなかったが、


「わたしの娘だ」


 促されるようにそう言われ、藤本を睨みつけながらも震える手で受け取った。

 覚悟を決めたのだろう、その翠色の瞳はゆっくりと手にした写真へと向けられ、そして――


「っ!!」

 

 まさに、それは声にもならない悲鳴だった。

 力の抜けた指先から写真たてがこぼれおちる。

 鼎は吐き気をもよおしたかのように口許に手を当てよろめいた。近くの机に倒れ掛かるようによりかかり、真っ青な顔で足元を見つめている。

 彼女の足元に横たわる少女。

 鼎にしてみれば、それは自分の知らない自分。覚えのない場所で他人のように微笑む自分。

 その笑顔は残酷なほど無邪気に彼女の存在を否定する。――それはクローンが最も恐れる存在。ホンモノ。オリジナルと呼ばれる存在。

 あまりに痛々しい様子に、砺波は見ていられなくなって視線を逸らした。


「いや……」と鼎は消え入りそうな声を漏らす。

「わたしはどうしても娘の死に向き合えず、クローンに……手を出した。だが、事情があってお前を手放さなきゃならなくなった。すまなかった。わたしは何も知らなかった。裏の世界でクローンがどんな扱いを受けているか、知らなかった。だから、わたしは組織を創ったんだ。お前を救い出すために。そして、お前のような子供たちを育て始めた。それがカイン。ここにいる砺波もその一人だ」

「……私を……救うため……?」


 もしかして、これで終わりなんだろうか。砺波の脳裏に、そんな疑問がぽかりと浮かんだ。

 自分はとうとう、居場所を失うのだろうか。

 クローンである自分が唯一存在を許された場所、カインノイエという名の家。クローンである自分が手にした存在理由、それがカインだった。

 でも……自分たちの父――神に等しい存在である藤本マサルは、今、求め続けていたものを手にしてしまった。本当の娘を手に入れた。彼が自分たちカインを創り出した目的は……達せられたということなのだろう。 

 そうだ、どうせ自分はまがい物。藤本の娘でもない。そのクローンでもない。ただ、彼女を……鼎を捜し出すために拾われただけに違いないんだ。


「私を……私を捜すためだったと言うの? あなたが『無垢な殺し屋』を育てあげたのは、私を……」

「そうだ」

「……っ!」


 その瞬間、鼎はいきなり机の上の花瓶を手に取り、藤本の頭を目がけてそれを叩きつけた。

 散り乱れる花びらの中、透明のガラスが輝きながら舞い飛ぶ。

 あまりの出来事に、砺波はすぐに反応ができなかった。 


「うがっ……」

 

 くぐもった悲鳴をあげて、藤本は頭を押さえて体を丸める。

 そんな藤本の胸倉をつかんで、無理やり体を起こさせ、鼎は手に残ったガラスの破片を振りかざした。

 そこでようやく、砺波は我に返って鼎に飛びつく。


「ちょっと、鼎!」


 放り投げた砺波のバッグから、場違いな軽快な音楽が流れ出していた。

 マナーモードにするのを忘れていたようだ。こんなときに……と苛立ちながらも、鼎の腕をつかんで思いっきり引っ張る。


「落ち着いてっ! 取り乱す気持ちは分かるけど、やりすぎだっての! 冷静に……」


 なんとか藤本から鼎を引き離せた、と安堵した。

 そのときだった。


「!」


 砺波は焼けるような熱を腹に感じて、固まった。

 なんだ?


「砺波!!」


 ひどく取り乱した藤本の叫び声が聞こえた。だが、それもずいぶん遠くに聞こえるほどかすんでいる。

 何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。

 下っ腹に感じる熱が徐々に増していく。これは……痛み? そう自覚した瞬間、全身に悪寒が走る。一気に体温が下がって、全身が震えだした。

 足に力も入らず、砺波はがくりと膝からその場に崩れ落ちた。


「は……は……」


 何が起きた? 何が起きている?

 恐怖が忍び寄り、大蛇のごとく砺波の身体に巻きついていく。

 砺波は救いを求めるように、目の前にたたずむ女を見上げた。

 そこにいるのは、どこかカヤを思い起こさせる気弱そうな女……のはずだった。


「浅かったか」

「!」


 侮蔑するような眼差しで自分を見下ろし、冷たい声で吐き捨てた女に、温かみなんてまったく感じられなかった。透き通るような灰色交じりの翠には、どす黒い炎が宿っている。それがはっきり見えた。

 鬼……そんな言葉が自然と浮かんでいた。

 ほっそりとした腕には、ナイフのようにとがった鋭いガラスの破片。そこから滴る血が、砺波の目の前にぽたりと落ちた。

 ああ、そうか。砺波はかすむ意識の中で悟った。――刺されたんだ。パパの『娘』に。


「砺波! 大丈夫か、砺波!?」

「黙っていろ。一言でも喋ったら、このガキに止めを刺す。もちろん、動いてもな」

「……」


 鼎は鼻で笑って、自分を跨いだ。コツコツとヒールの音が背後でする。

 物色するような音がして、やがてそれまで騒がしく鳴っていた音楽がやむ。


「もしもし? ええ。時間よね、分かってるわ。こっちは終わったから。あとは兄さんたちよ」


 兄さん?

 砺波は床にはいつくばりながら、眉をひそめた。

 どういうことだ。あれは、間違いなく自分のケータイの着信音だった。なぜ、鼎の知り合いから電話が?

 いや、そんなことより……なぜ、鼎は自分を?

 てっきり、出生の真実を知ってパニックに陥ってしまっただけだと思った。――でも、違う。彼女からひしひしと感じる。恐ろしいほどの憎悪を。

 なぜ? 同じクローンなのに? 助けたのに?


「分かってるわ」悦に入ったような鼎の声が聞こえた。「茶番劇はもう終わり。――さ、復讐劇を始めましょう」


 パタン、とケータイが閉じる音が響いた。

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