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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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リストの望み

「あのぅ、砺波さん?」


 遠慮がちに呼びかけてくる声。馴染みの無い、か弱くも聞こえる少女の声だ。誰だったかしばらく思い出せなかった。寝起きの頭はぼうっとして、つい夕べのことも曖昧としていた。


「そろそろ、出かけませんか?」


 今にも「ごめんなさい」と続きそうなほど、自信無げな声色だ。礼儀正しいというよりも、腰が低いというか。まさか、二十四歳だとはとても思えない。

 ああ、そうだった。――ようやく砺波は思い出し、瞼を開いた。


「なんですか、(かなえ)姉さん?」


 目をこすりながら、砺波は身体を起こす。「うーん」と唸って伸びをすると、ちらりと横に視線をやった。

 朝一番に目にしたのは、まばゆい朝の光の中、ちょこんと床に座ってこちらを見ている少女――いや、女性、か。流れるような黒髪は茶色みを帯び、白い肌はまるで新雪のよう。砺波の姿を映し出す二つの硝子玉は、灰色交じりの翠色。小さな顔に華奢な体つき。異国の人形のような容姿は、夕べ貸したジャージが似合わないことこの上ない。

 夕べ、突然現れた鼎という名の女性。『フィレンツェ』で売られそうになったところを和幸が独断で『迎え』に行ったらしい。曽良も一枚噛んでいるのか、巻きこまれただけなのか、砺波は曽良に頼まれ、彼女を預かることになったのだ。


「姉さんだなんてやめてください」と鼎は照れたような笑みを浮かべた。「タメ口でいいですし、鼎、で結構ですよ」

「そう言われても……これからウチの一家に仲間入りするんでしょう? なら、私の姉さんになるんだし。タメ口なんか使ってたら、他の姉さんたちに怒鳴られますから。特に、ブチ切れしそうな姉さんが一人いますし。今のうちに慣れとかないと」

「でも、曽良は承諾してくれましたよ?」鼎が小首を傾げると、その細い髪が肩から滑り落ちた。「今後は白雪と呼んでくれる、て言っていましたし」

「白雪?」砺波は顔をしかめて嫌悪感をあらわにした。「また変なあだ名を……」

「そうですか? 私は気に入ってますが」


 無理した様子も、嘘をついている風でもない。まさか本当に気に入っているのか。どうも調子が狂う。カヤを相手にしているような気分になった。

 彼女から感じる懐かしさは、彼女がカヤに似ているからなのだろうか。だとすれば……ふと、砺波は思った。和幸もそれを感じたから、一人で彼女を助け出したのだろうか、と。

 砺波はなんとも言えない腹立たしさを感じて、とにかく、と強い語調で話を切り替えた。


「曽良は例外なんです。あいつのことは別枠で考えといてください」

「ああ」と鼎は目を大きく見開いて、両手をぽんと合わせた。「曽良はリーダー代理ですものね」

「いや……そういう意味じゃないんですけど」

「違うんですか? じゃあ、どうして例外なんです?」

「まあ、そのうち分かりますよ」疲れたようにため息をつき、砺波はベッドから足を下ろす。「さて……軽く朝ごはんつくりましょうか」


 すると、鼎は驚いたようにハッとして「いえ」と首を横に振った。「お構いなく!」

 構わないわけにはいかないでしょう、と砺波は心の中でぼやいた。


「お腹すいてないんですか?」と訊ねる声に苛立ちがにじんでしまった。「私はかなりすいてるんですけど」

「じゃあ、リーダーのところに行く途中にでも何か買って食べませんか?」


 どうもそわそわしている鼎に、「別にいいですけど」と言いつつも、砺波はいぶかしげな表情を浮かべて頭をひねる。


「砺波さんや曽良の育てのお父さんなんですよね。お会いするの楽しみです」


 鼎はにこりと満面の笑みを浮かべてそう言った。


***


 もともと、『災いの人形』に近づくためのカモフラージュにすぎなかったんだ。いつかどんな形であれ、殺さなくてはならない『災いの人形』――それがどんなものなのか、知っておきたかった。それがオレが背負えるせめてもの責任だと思った。

 だから、『災いの人形』の通う高校に潜りこみ、彼女が参加している劇にも加わった。

 使命を果たすための寄り道みたいなものだったんだ。

 ただ、それだけだったのに……


「きゃー! やっぱり、かぁわいい!」

「思った通りだったわねぇ。リストくんなら、完璧似合うと思ったのよ」

「リストくんがいれば、ウチらのメイド喫茶が売り上げ一位間違いなしっ!」


 同じクラスの女子三人組は、オレを囲んでやんややんやとお祭り騒ぎ。その声が被服室に響き渡る。

 オレは「そう?」と鼻高々に、目の前に置かれた姿鏡を見つめた。

 そこに映っているのは、ナンシェ――いや、違う。ナンシェよりも長いブロンドのウィッグをつけ、ひらひらとしたメイド服を着た、神の騎士。

 つまり、女装したオレなわけで。


――なにしてるのさ、リスト?


 呆れた声が頭の中に響いた。主のミニスカート姿にショックを受けている天使だ。

 でもさ、ケット。スコットランドの紳士たちだって、スカートをはいているじゃないか。


――あれは伝統衣装! ぜんぜん、ちがうよっ!


 短い両脚をだんだんと地面に打ち付けて、泣きわめく幼い子どもの姿が思い浮かんだ。

 やっぱ、マルドゥク的にこの姿はアウト?


――男としてアウトでしょっ。


 ずばりと言ったな。オレはくすりと笑った。

 いやぁ、でも似合っちゃってるから。――腰に手をあてがって、心の中で言い放つ。もはや、ケットのため息すら聞こえなくなった。

 先週だったかな。教室でのんびり午後のひと時を過ごしていると、いきなり彼女たちが突進してきて、「後生だから!」となんだか難しい言葉を叫んで頼みごとをしてきたのだ。

 ニホン文化の一貫だ、とか言われてまるめこまれ――もちろん、嘘だとは分かっていたけど――こうして、メイド服を着ることに。

 この学校の文化祭は、学年ごとに二、三個、大きな出し物を決めるようだ。どれに参加するかは個人の自由。参加しなくてもオーケー。あと、小規模なら部活やクラブ別に好きなことをしていいらしい。

 結構、ゆるい文化祭だよね。オレなんて、一学年上の劇に参加するんだし。


「ねぇねぇ、こっちも着てもらおうよ」

「あ、いい、いい!」


 なにやら、怪しい会話が聞こえてくるんだけど。

 いつのまにやら三人組は、スポーツバッグを囲んでこそこそ話し始めていた。

 皆、黒髪ロングの純和風の三人組だ。どうやら、茶道部らしい。部員不足に困っていて、この機会にイメチェンをはかって新入部員を募ろう、という計画だとか。で、なんだか知らないけど、オレに助っ人の白羽の矢が立ったようだ。

 文化祭では劇以外に特にやることもないし、慈悲深い神の心で、快く引き受けた、てわけ。

 しかし、メイド喫茶でどんなイメチェンになるんだろう。


「ね、リストくん! こっちも着てみて」


 三人組の一人がくるりとこちらに振り返り、眼鏡の奥で瞳を爛々と輝かせて見つめてきた。その手には、紺のセーラー服が。


「メイド喫茶じゃないの?」


 にこりと微笑んで訊ねると、眼鏡少女は頬を真っ赤に染めた。


「……私の個人的な趣味です」


 もじもじとする眼鏡少女の後ろで、他の二人がそれぞれユニークな衣装を携えているが――まあ、いっか。


「じゃあ、着替えるねぇ」


 わあ、と盛り上がる三人組。そこまで喜ばれちゃうと、こっちも一肌脱ぎたくなっちゃう、てもんだ。


――そういうの、お調子者、ていうんだよ。


 お人好し、て言ってほしいな。


「廊下で待ってるからー」


 オレにセーラー服を手渡すと、三人組は、きゃっきゃきゃっきゃ、と騒ぎながら教室を出て行った。

 誰もいなくなった被服室はやけに静かで、文化祭の朝だというのが嘘のようだ。

 じっと姿鏡を見つめていると、やがて、そこに映る自分が、遠い故郷に残した彼女の姿とダブって見えた。

 真っ白な肌に透き通るような青い瞳。その藍玉(アクアマリン)は見ているだけで癒される不思議な魔力を持っている。煌くブロンドの髪は、収穫を前に祝福の黄金に染まる麦のよう。それが撫でる細い肩。微笑みはバラの花のように気高く可憐。それでいて、聖女のような神々しさがある。全てを許し、包みこむ――オレの罪をも浄化してくれるような、そんな圧倒的なオーラがある。

 似ているんだ。オレたちは兄妹のように、そっくりなんだ。

 でも、別人だ。決定的な違いがある。

 彼女は神の子で、オレは……人の罪。

 

 姿鏡からはナンシェの幻影は消えていた。

 映っているのは、虚しく苦笑を浮かべる女装した少年。その手には、セーラー服。


 なにをやってるんだろうな、オレは。笑えてしまった。

 ナンシェを守るため、使命を背負い、それを全うするためだけに生きてきた。そのためだけに創られた。そのためだけに許された存在。

 オレはなんとしても『災いの人形』を斬らなきゃいけないと思っていた。いつかどんな形であれ、殺さなくてはならない。だから、知っておこう、と思った。自分が滅ぼそうとしているものを。

 だから、こうして普通の高校生のふりを始めた。だから、文化祭にも参加しようと思った。

 全て、使命を果たすための寄り道だった。

 ただ、それだけだった。それだけだったのに……


――リストくんはもう私を殺さなくていい。


 彼女の言葉が脳裏をよぎる。あの覚悟に満ちた声が耳に残って離れない。

 本当に、そんな未来があるのか。本当に、オレは使命を失うのか。――気づけば、そんなことばかり考えている。

 おかしいな。もう覚悟は決めていたはずなのに。ナンシェのためなら、喜んで使命を受け入れる、と心に決めていたはずなのに。

 どうして……そうだといい、と願っている自分がいるんだろう。いつから、ただのルルとして過ごす日々を楽しんでいたんだろう。

次話から、文化祭も始まり、そして物語は急展開を迎える......予定です!

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