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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
245/365

祭りの前に -2-

「なんで、いきなり朝飯をたかりに来るんだよ?」

「だから、朝ごはんは建前ですって。ユリィ・チェイスを預けに来たんですよ」


 部屋に通されてからそろそろ十分。一応、オレなりに誠意のこもった謝罪はしてみたんだけど……和幸さんの機嫌が直る様子はない。

 むっとした表情で床に座り、白のローテーブルに頬杖をついている。その視線がオレに向けられることはなく、窓の外を眺めている。別段、ベランダに何かあるわけでもないんだけど。

 要は、オレと目を合わせたくないってことかな。


「まだ怒ってるんですかぁ?」


 苦笑して訊ねると、和幸さんは落ち着かない様子で咳払い。「当たり前だ」と吐き捨てるように言って顔を赤らめる。


「でもねぇ、和幸さん。こっちだって、被害を被ったんですから。よくも、朝から人間の罪深い行いを見せつけて、大事なウチの天使を穢して……」

「じゃあ、人の家に勝手に天使を入れるな!」


 どん、と和幸さんはローテーブルを叩いて俺を睨みつけた。それから「天使って」とぼやいて頭痛でもするかのように眉間をもむ。


「ああ、もう……我ながら言っていることが奇天烈すぎてついていけねぇよ」

「すっかり、こちら(・・・)の常識に慣れちゃいましたね」


 クスクス笑って指摘すると、「そうみたいだな」と和幸さんは鼻で笑った。

 ほんの少し、張り詰めていた空気が和らいだ気がした。オレのウィットの利いた返しがうまく働いたかな。

 それにしても……と、目の前のルル――『災いの人形』の恋人をまじまじと見つめる。

 予想通り、本間先輩はまだ和幸さんに何も言っていないみたいだな。

 もし、和幸さんが『テマエの実』の真実を聞いていたら、今ごろオレはサンドバッグ並みに袋叩きにされてるだろうからね。

 ケットのことで頭にきていると言っても、まだからかえる範囲……いや、話ができる範囲。たいしたことじゃない。

 万が一、和幸さんが全てを知ったら……こんなお友達ごっこなんてしてられなくなる。そのときは、オレは完璧にこの人の敵。

 それも、運命……か。構わない。受け止められる。そうやって、オレは生きてきたんだ。


「ところで」と、和幸さんは声色を変えて切り出した。苛立ちや怒りは伺えない。やっと話を進める気になってくれたみたいだ。「どうして俺がここにいる、て分かった?」

「は?」思わぬ質問に、オレは面食らった。しばらく間をおき、ぐるりと辺りを見回す。「あれ? ここ、和幸さんの部屋じゃないんですか?」

「わざとらしい」と和幸さんは言い捨てる。「お前とユリィが一緒に暮らしてることはカヤから聞いてる。どうせ、夕べの俺とラピスラズリの会話、ユリィに生中継させてたんだろ?」

「生中継、ですか。嫌味の腕が上がりましたね」

「おかげさまでな」

「どういたしまして」


 へえ。どうやら、本間先輩はユリィのことは説明したみたいだな。てっきり熱い夜を過ごしてそれどころじゃないかと思ったけど。


「ラピスラズリが帰ったあと、俺がカヤの部屋に泊まったとは考えなかったのか?」

「なるほど。そういうご質問なわけですか」


 それなら、と肩を竦めて、オレは「ケット」と天使の名を呼ぶ。

 すると、和幸さんの隣に、光り輝く塵のようなものが現れた。キラキラと舞いながら、それはやがて人の形へと収束していく。

 和幸さんはいたって落ち着いた様子でその様子を眺めていた。

 もう、天使が現れても驚かないんだな。なんだか複雑な気分だ。

 オレ……本当にこの人間(ルル)を巻きこんだのか。


「かずゆき、ごめんね!」


 光の繭から飛び出すなり、オレの守護天使はそう叫んだ。和幸さんの腕にとびつくと、すがるような眼差しで見上げている。

 おいおい、また話題を戻すつもりか、ケット。


「ケットは嫌な予感がしてたんだよ? だからね、勝手に部屋に入るのはまずいんじゃないか、てちゃんとリストに進言したんだ。でも……」

「まあ、こいつがそんなまともな助言を聞き入れるわけはないわな。プライバシーの侵害はこいつの得意分野だ」


 和幸さんはすっかり機嫌が戻っているようだった。というか……諦めきっているような、そんな声色。


「そうなんだ!」とケットは、理解者が現れたことに黄金色の瞳を一段と輝かせた。「ケットはリストの天使だから、命令は無視できないし。それをいいことに、いっつも、リストはケットを使っていたずらするんだよ。こういうの、今に始まったことじゃないんだ!」

「ああ、よく分かってるよ。てか、たぶん、俺が一番よく分かってる」


 うーん。居心地悪くなってきた。


「ケット!」立場がこれ以上悪くなる前に、オレはぴしゃりと鋭い声を張り上げた。「ラピスラズリを入れてあげて」


 にこりと微笑みそう告げると、ケットは慌てて「ああ、そうだった」と身を翻す。


「ラピスラズリ?」窓に駆け寄るケットを見送ってから、和幸さんはオレに振り返った。「どういうことだ?」

「プライバシー侵害の件、オレだけ責められるのは不公平だ、てことですよ」


 訝しそうに小首を傾げる和幸さんをよそに、ガラリ、とケットは勢いよく窓を開けた。よかった、鍵はかかってなかったみたいだな。


「ラピスラズリ、お疲れさま」


 ケットがベランダに向かってそう呼びかけると、


「天使は疲れませんでしょう、ケットさま」


 それはまさに天使の名にふさわしい、母性あふれる声だった。

 ふわりとカーテンが揺れ、聖霊の化身たる白い鳥が姿を現す。はらりと一枚羽根をこぼしながら、優雅に宙を泳いで窓から入ってきた。

 まっすぐに部屋の中心へと飛んできて、ローテーブルに着地する。

 それを唖然と見つめる――和幸さん。

 その間の抜けた顔に思わず笑いそうになったが、そんなことをしたら、せっかく矛先を変えようとしているこの人の怒りがまたオレに戻ってきてしまう。なんとか、こらえた。


「おはようございます、和幸さま」

「ラピスラズリ……か?」と鳩に訊ねる和幸さんの頬はひきつっている。嫌な予感でもしているのかな。「なんで、ベランダから……」

「申し訳ありません」


 礼儀正しく鳩は和幸さんに向かって頭を下げる。そのさまは、時間を知らせる鳩時計の人形みたいだ。


「我が主に、あなた方の護衛を命じられておりました。なので……その、夕べからずっと見守っていた次第でございます」

「夕べから!? て、つまり……別れたあとも――」

「ご安心ください! 鳥目ですから、暗闇では視界が悪く、お部屋の中で何が行われているかまで窺い知ることは出来ませんでした」

「鳥目か、そうか。それはよかった」と、和幸さんは皮肉たっぷりに言い放つ。ラピスラズリは首を竦めた。黒豆ほどの小さな目なのに、申し訳なさそうな色が浮かんでいるのが見て取れる。

 

 それにしても、鳩に説教する人間……シュールだ。オレは興味深く観察していた。


「あの、今朝もですね、必死にわたしの存在を知らせようと鳴いてはみたのですが、お気づきにならなかったようで。直接お声をかければよかったのでしょうが、タイミングを失ってしまい……」

「もう、いい」


 鳩の言い訳を遮り、がくりと和幸さんは頭を垂らした。「そうか、あのうるさい鳥の声……」と疲れ果てた声でひとりごちる。


「もう出家したい」


 和幸さんは怒りを通り越して意気消沈したようだった。


***


「彼氏が丸坊主になったら、パンドラは悲しい?」

「ええ!? い、いきなり、何の話?」


 思わず、私は卵を落としていた。ぐしゃりと悲鳴をあげて、足元で白い殻が黄色い血しぶきを上げる。


「あ、やだ」


 慌てて冷蔵庫の上に置いてあるキッチンペーパーを取り、しゃがみこんだ。床にひろがった粘り気のある液体をせっせとふき取る。


「どうして急に丸坊主? 彼氏って和幸くんのことだよね?」

「そういう話になってるから」


 今にも眠ってしまいそうな声。予測のつかない発言。相変わらずね。

 卵がしみこんで黄ばんだキッチンペーパーを丸めつつ、私は立ち上がって彼と対峙する。

 愛らしい天使のような、カールがかった栗色の髪。同じ色のたれ目はぼうっとしていて眠そうだ。

 突然、リストくんと共に現れた、私の元婚約者(偽者だけど)、ユリィ。

 彼ののんびりとした雰囲気は、一緒にいるだけで私の心を落ち着かせてくれる。和幸くんといるときとはちょっと違う安らぎ。なんだろう……静まり返った神社にいるみたいな、そんな感じ。


「そういう話って、どういう話なの?」

「パンドラの恋人、出家したい、て言ってる」

「出家?」くすっと私はふきだした。「ユリィも冗談を言うのね」

「冗談? ううん。本当にそう言ってる」

「そう言ってる……て、聞こえないでしょう?」


 ちらりと私は背後の扉を一瞥した。確かに、和幸くんとリストくんの話し声は聞こえるけど、何を言っているかまでは分からない。

 冗談じゃないとすれば……ユリィの空耳か、なにかよね。


「和幸くんは出家しないから大丈夫よ、ユリィ」


 安心させるように言って、私は流しに体を向ける。

 キッチンペーパーを三角コーナーに捨て、手を洗うと、朝食の準備を再開した。

 今度は落とさずに卵をボールに割って、さいばしで溶く。その間も、隣でじっと見つめるユリィの視線を感じる。手伝おうという気配はない。観察しているだけ。

 和幸くんたちと一緒に部屋で待ってて、て言ったんだけど、黙ってついてきて……それからずっと私の傍らで立っている。

 なんだろう?


「ねぇ、ユリィ、何か話でもある――」


 訊ねようとした、そのときだった。


「ちゃんと、話した? 本当のこと」


 ぴたりと卵を溶いていた手が止まる。一瞬にして、体が凍りついた。


「話してないんだね」

「……」

「もう、話す気はないの?」


 ぎゅっとさいばしを握る指に力がこもる。

 話す……って、何を? 何から話したらいいの?  

 私の身体のこと? この肉体がもう泥に戻っていること? もう死ぬことすら赦されない身体になっていること? 『テマエの実』の真実? 私たち二人には未来はないこと?

 話さなきゃいけないことがありすぎて、もう分からないよ。

 じっとボールの中で渦を巻く黄身を見つめる。


「話すよ」とやっとのことで弱々しい声を絞り出した。「話す……けど、今はまだ……」

「そう」


 そっけない返事。まるで、落胆されたような……軽蔑されたような……そんな気がして胸が軋んだ。

 ユリィが動く気配がした。フローリングの床がぎいっと音を立てる。

 振り返ると、ちょうど、ユリィが歩きだしたところだった。和幸くんとリストくんがいる部屋のほうへ――


「ユリィ!」と、思わず、その腕をつかんでいた。


 ユリィは足を止め、何も言わずに私を見据える。


「わ……私……」


 何を言おうとしたんだろう。何を聞きたかったんだろう。何を言ってほしかったんだろう。

 分からない。何も言葉が出てこない。

 ただ、きっと怯えてる。私は怖いんだ。ユリィの腕をつかむ右手が震えているのが、その証。

 ああ……きっと、私は言いたくないんだ。彼に真実を言うのがおそろしくてたまらないんだ。言わないでいれば、それは事実にならない……そんな錯覚におぼれているんだ。

 何も知らない彼は、私を本間カヤでいさせてくれる。不死の土人形だということを忘れさせてくれる。私たちには未来がある――そんな幻想を抱かせてくれる。その幻を見せてくれる。その希望を信じさせてくれる。

 魂だけになっても、私たちに未来はない――その運命しか、私たちを待ってはいないのに。

 やっぱり、いや。そんなの、いや。言いたくない。彼に、そんなこと言いたくない。

 ぎゅっとユリィの腕をつかんで、瞼を強く閉じる。まるで、彼にすがるように……


「もう君は彼との別れを覚悟してる」


 急に、ユリィが珍しく低い声でつぶやいた。かろうじて聞き取れるほどの、小さな声で。

 私はハッと目を見開いて、顔を上げた。

 ユリィはまっすぐに私を見下ろしていた。吸い込まれるような茶色い瞳。滝つぼを覗きこんでいるような錯覚に陥った。全てを見透かされているような恐怖に襲われた。


「パンドラ、君はもう選んだんだね」


 ユリィはせつなげに顔をゆがめた。

 呆然とする私の背後で扉が開く音がした。

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