表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
238/365

インターミッション:孤独な怪物 -上-

「と、いうわけで……首を絞めてクビになったわけですよ、先生」


 一通り説明しおわって、望はまるで他人事のようにさらりとまとめた。それも、冗談めいた言い回しで。

 扉の前で仁王立ちし、じっと黙っていた本間はわなわなと震えている。怒りを堪えていたのだろう、かたく閉じていた瞼がかっと開かれ、獲物に牙をむく猛獣のごとき迫力で望に怒鳴りつけた。


「なにをふざけたことを言っている! どういうつもりだね、望? 当日なんだぞ! 全てを台無しにするつもりか?」


 肩をいからせて、本間は望が座っているソファへと歩み寄った。顔は真っ赤に染まっている。怒り心頭、といった様子だ。

 望はくつくつ笑って、「まさか」と否定した。「見てください、眠そうでしょう」と白々しく哀しげな表情を浮かべ、目元を指差す。確かに、切れ長の目にいつもの鋭さはない。


「台無しにするわけがないですよ。なんのために、夜更かししてたと思ってるんです? トーキョー中の『藤本』を調べてたんですから。まあ、途中で寝ちゃったんですけど」

「トーキョーに『藤本』は千四百十六人……本気で全員調べるつもりだったのか」

「できると思ったんですけどね」


 本間は呆れたようにため息を漏らし、「とにかく」と首を横に振る。「カヤにうまくごまかして、謝りなさい」


 言われて、望は目を丸くした。「なぜです?」と当然のように問いかけると、本間は床にたたきつけるように脚を一歩踏み出す。


「警戒されたらどうするんだ!?」

「ああ……そのことなら、多分、手遅れです」

「なんだと?」

「つい、本気だしちゃいました。もう警戒されてますよ、彼に」


 本間は言葉を失ったようだった。ぴたりと硬直し、口をあんぐりと開けている。今にも、染めている黒髪が真っ白に変わってしまいそうだ。


「大丈夫ですよ」そんな本間の様子をおもしろがっているのか、望は失笑を漏らす。「さすがに、僕が同類(・・)だとは気付いたでしょうが……実際、カインじゃないクローンなんていくらでもいます。彼もそれは分かっているでしょう。僕もそのうちの一人だ、としか思いませんよ」

「だが……」本間は珍しく弱々しい声をこぼした。不安が声からにじみ出ている。「もし、これをきっかけにお前のことを調べだしたらどうする?」

「好きに調べさせればいいじゃないですか。どうせ、タイムリミットは今日の昼。今から探り出したとしても、先生の本性(・・)まで行き着くことはありませんよ。ご安心ください」


 台本でもあるかのようにすらすらと言い切って、「それに」と望は長めの前髪を右手でかきあげた。「万が一何かあっても、僕たちは彼の弱みを握ってる。そこが重要です」


 本間は腫れぼったい瞼をやや下げて目を薄める。疑るような表情で望を睨みつけ、「カヤか?」と相槌を打つ。すると望は嬉しそうににやりと笑んだ。


「最終確認をしたくなったんですよ。彼女のピンチに彼がどう反応するか」


 興味がくすぐられたのだろう、本間はぴくりと眉を動かして、「どうだったんだ?」と腕を組む。望はもったいぶるように間をおいてから、「予想通り」と間延びした声で答えた。


「冷静な判断なんて出来ない。おもしろいほどに挑発に乗る。短絡的。軽率。無鉄砲。ただの子供でした」

「なるほど」やれやれ、と言いたげに本間は頬をかいた。だが、その表情は悦びを隠せていない。「いたずらに騒ぎを起こしたわけじゃないんだな。今夜の騒ぎも、計画の内、というわけだな」


 望への呆れと誇らしさが混じった声色だった。おそらく、誇らしさのほうが強かっただろう。

 しかし、望はそれを裏切るように鼻で笑って「まさか」と言い放った。

 

「僕に予知能力なんてないですよ。予想できていたのは、彼とカヤちゃんが仲直りするまで。こうしてここで会うとは思ってもいませんでした。

 偶然、夜中に目が覚めて降りてきたら、ばったり……じゃ、ついでに、予行練習(・・・・)でもしておこう、と思ったわけです」

「予行練習……だと?」目をみはり、本間は疲れ果てたような声を漏らす。「練習でケガをして本番に出場できない――スポーツでもよくある話だぞ」

「さあ。僕はスポーツマンじゃないですから」


 けろりと返して、望は「ま」と肩を竦めた。背もたれによりかかり、天井を仰ぎ見る。「結果オーライじゃないですか。クビになったおかげで、今日は動きやすい。朝から忙しいですからねぇ。カヤちゃんの登校に付き合わなくてすんでラッキーです」

「物は考えようだな」呆れたようにつぶやいて、本間は「だが」と低い声で切り出した。「そうはいっても、このままカヤを放っておくわけにはいかんだろう。お前も言ったとおり、カヤは必要だ。監視は続けてもらわなくては困る。カヤに謝らなくてもいい。とにかく、今から和幸くんの家に向かって、監視を――」

「いいじゃないですか」望は落ち着いた声で本間の言葉を遮った。背もたれから身体を起こし、髪をさらりと揺らして本間に顔を向ける。「最後くらい、二人きりにさせてあげましょう」

「そんな……そんなことを言っている場合かっ!」

「たった数時間ですよ」本間の怒号にひるむ様子もなく、望はにこりと微笑んだ。「幸せなひと時を与えてやってもいいじゃないですか」


 ここまでさわやかに返されては、怒鳴りつける気も失せるというものだろう。本間は眉を寄せて絶句した。しばらく苦渋の表情を浮かべていたが、やがて、頭痛でもするかのように眉間を指で押さえた。唸り声にも似たため息を漏らす。


「何かあったとき、危ないのはお前の義妹だからな」


 確認や注意とかいったものではない。その声色からはあきらかな脅しが感じられた。


「分かっています」と、本間を見据えて望は低い声で答えた。その真剣な表情に迷いの影はない。本間は諦めたように「まあ、いい」と半ば投げやりな言葉をこぼす。


「ところで、その鼎だが……大丈夫なんだろうな?」


 気持ちを切り替えたのだろう、本間の面持ちは仕事へ向かうときの凛々しいそれに変わっていた。


「ここ数週間は落ち着いていました」少し間をおいてから、望は気落ちしたような声でつぶやく。「例の『パパ』とかいう人物が、あの子を挑発でもしない限りは大丈夫だと思います」

「あまりぱっとしない返答だな」

「すみません」と、望は苦笑する。

「まぁ……そのための和幸くんだ。リーダー代理(・・)の名前も所在も分かってる。保険はいくらでもあるさ」


 本間は唇の片端をくいっと上げる。勝利を確信しているかのような、自信に満ちた笑みだ。


「リーダー代理――友人Aくんですね」と、望はくすりと憫笑のようなものを浮かべる。その表情には余裕が戻っていた。「朝から補習授業とは……『殺し屋』とは思えませんね」

「『殺し屋』なんぞをやっているから、学業に身がはいらんのだろう」

「なるほど、確かに」言って、望はちらりと本間を見やる。「でも僕は大学卒業しましたよ」

「書類上は、な」相手にできん、と言いたげに本間はため息をついた。「それにしても、十七の子どもにリーダーを代行させるとは……思った以上に、カインの年齢層は低いのか? しかし、カインが現れてから十八年も経つ。当時、十二歳だとしてももう三十歳のはずだ。大人のカインがいてもいいだろうに」


 本間は眉間に皺を寄せて黙りこんだ。「皆、死んだわけじゃないだろう」と独り言のように漏らす。


「死なれてたら困りますよ」


 すかさず、望はぼそりとそうつぶやいた。まっすぐに前を見つめるその眼差しは真剣そのもの。そんな望の横顔を凝視し、本間は「そうだな」とほくそ笑んだ。


「しかし……お前にしては珍しいな。子ども相手にムキになるとは。本気で首を絞めることはなかったんじゃないのか」

「ああ、そのことですか」先刻までの神妙な面持ちは消えうせ、望の口許には柔らかい笑みが浮かんでいた。世間話でも始めそうな雰囲気が漂っている。「本気を出さざるを得なかった――というのが正直なところですね」

「どういう意味だ?」


 望は姿勢を正すと、おもむろにポケットにつっこんでいた左手を取り出した。本間が訝しそうに見守る中、割れ物でも扱うかのようにそうっとシャツの袖をまくる。一つ、二つ、と折っていき、それ(・・)は現れた。

 本間はぎょっと目を見開いた。顔色が一瞬にしてがらりと変わる。


「先生の言うとおりですね」本間に視線を向けることなく、ぽつりと望はそう言った。「彼を無理やり捕まえるのは、文字通り、骨が折れそうです。大人しく自首してもらったほうがよさそうだ」


 睨みつける視線の先にあるのは、骨ばった左手首。そこには、くっきりと手形が残っていた。まるで刺青のように青く刻まれた五指の跡。怨霊が残した呪いのような印。

 望はニヒルな笑みを浮かべ、そのアザを隠すように右手でつつんだ。


「ちょっとでも力を抜いたら、左手をもぎとられていました」

「もぎ……」と本間はぎょっとして口ごもった。


 望はそんな本間を脅すような目つきで見上げて、「大げさじゃないですよ」と釘をさすように言った。「あの子もあれで、怪物なんですから。――僕と同じく」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ