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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
237/365

危険な同情

 銃? どこから出した? 持っていたのか? 気付かなかった。いや……確認しなかった。 

 なにやってんだ、俺は。凡ミスだ。相手が武器を持っているかどうか、確認もしないでつっこむなんて……ガキのケンカじゃねぇか。

 まずい。頭が回らない。状況が整理できない。こんなこと……今までなかった。少なくとも、『殺し屋』をしていたときは……こんなミスはしなかった。こんな、短慮な行動はとらなかった。


「だから、君は子どもなんだよ」


 ぎくりとした。薄暗いリビングで、かちりと聞き覚えのある音がした。俺を同情するような笑みを浮かべて、男が……椎名望が撃鉄を起こしたのだ。その銃口はしっかりと俺の頭を狙っている。

 撃つ気か? いや、まさか……


「嫌いじゃないんだけどね」


 冷静な、それでいて落胆したような声色だった。

 心臓が脈打つ音が早まる。味わったことのない緊張感が身体を走った。体が動かない。

 撃つわけない。こいつに俺を撃つ理由はないはずだ。こいつは、カヤのボディガードだぞ。俺を撃つ理由なんてない。撃つはずがない。そうに決まっている。なのに、なぜ……確信がもてない? 

 撃たれる、と思っている自分がいる。殺される、と覚悟している自分がいる。こいつは――敵だ。その感覚は、いつもこいつに感じている嫌悪感とはまるで違っていた。苛立ちとか、腹立たしさとか、そんなものはなかった。ただ純粋に、危険だ、と思った。

 椎名の指が引き金にかかる。俺は呼吸をするのも忘れて目を見開いた。やばい、撃たれる。そう覚悟した、そのときだった。


「ばん!」

「!」


 思わず、びくんと体が震えた。カヤの小さな悲鳴が聞こえた気がした。何が起きたのか、一瞬分からなかった。


「……は」


 安堵からなのか、困惑からなのか、すっとんきょうな声が浅い息とともに漏れた。

 今のは……椎名の、声?


「あっはは」と、銃声を警戒していた鼓膜に届いたのは、高らかな笑い声。「冗談だよ、冗談!」


 俺を睨みつけていた銃口がくいっと天井を向く。そして、


「ごめん、ごめん」と、言葉とは裏腹に、まるで反省している様子のないおどけた声が笑い声に続く。「いやぁ、藤本くん……いい顔してたぁ」


 椎名は銃をさっさと腰にしまうと、立ち上がってソファから降りた。あっけに取られる俺の目の前に立ちはだかると、くいっと左手で右腕を――俺が掴んでいる二の腕のあたりを――指差す。


「腕、離してくれるかな」


 人を見下すような目つきで見下ろし、口元に笑みを浮かべる。

 俺は呆然として、身動き一つとれなかった。まだ心臓が騒いでいる。頭の中がごったがえしている。


「やりすぎちゃったかな」と苦笑して、椎名は俺に顔を近づけてきた。男のくせに、香水の(たぶん)匂いがした。そして、囁くように言う。「ところで……カヤちゃんと仲直りできたみたいだね。おめでと。手伝ったかいがあったよ」


 その瞬間――カヤの名前が出た瞬間――俺は目が覚めたかのように我に返って、椎名の右腕を放り投げるように離し、今度は胸倉を掴んだ。


「っざけんなよ!」吐き捨てるようにそう怒鳴りつけ、胸倉をぐいっと引き寄せる。といっても、ボタンが全部しまってないから、大して意味はない。シャツの皺を伸ばしてやったようなものだ。何もかも、にくたらしい奴だ。

 俺は肺にたっぷり空気を取り込んで、喉がはりさけんばかりの怒声を放つ。


「カヤを襲おうとしたのも、冗談だったってのか!?」


 几帳面に整えられた椎名の眉がぴくりと動いた。

 俺はぐっと唇を引き結ぶ。堪えるように鼻から息を吐き出し、椎名の答えを待つ。

 そう、俺をからかったのは大目にみるさ。今に始まったことじゃない。どうでもいい。でも……

 俺はちらりと横目でカヤを見やった。ソファにへたりと座り込み――俺が撃たれると本気で思っていたに違いない――怯えた表情でこちらを見ている。髪は乱れたまま。ブレザーのジャケットも皺だらけだ。

 椎名のシャツを掴む手が震えた。怒りが爆発寸前だ。

 ぎりっと奥歯を噛み締めて、眼球に痛みが走るほど、椎名を睨みつける。

 俺のことはいい。でも、カヤにしたことは許せない。俺にカヤの悲鳴を聞かせたことだけは絶対に許さねぇ。


「なかなか、トリッキーな質問をしてくるね」


 しばらく間をおいてから、悪びれた様子もなく、椎名は鼻で笑った。


「トリッキーだ!?」

「だって」と、わざとらしく困ったような表情を浮かべて椎名は口角を上げた。まるで挑発するような笑みだ。「冗談じゃなかった、て言ったらどうするの?」

「……なに?」

「本気だった、て言ったら、どうするの?」


 思わず、言葉を失った。何が言いたいんだ、こいつは?


「想像してごらんよ。僕が本気だったら……カヤちゃんはいまごろ、僕の下で――」


 何かが切れた。

 考える前に、体が動いていた。


   *    *    *


 それは本能的なもの。無意識だった。感情に突き動かされるまま、和幸は身体を動かしたのだ。その結果が、禁じたはずの『暴力』につながることなど、考えている余裕もなかった。

 左手で望の胸倉を掴んで、右腕をふりかぶる。脇をしめ、左足を前に出す。あごをひいて、腰の回転をつかって、勢いのままに右拳を繰り出した。

 その一連の動きは流れるように、滑らかかつ迅速に行われた。望は防御の姿勢を取る暇もない――はずだった。

 

「和幸くん!」


 悲鳴に近いカヤの静止の声。たった一瞬のことだった。ほんの一瞬、和幸の拳は失速した。

 その隙を望は見逃さなかった。

 カヤに気を取られてひるんだ和幸の拳を左手ですばやく払いのけ、胸倉を掴んでいる和幸の左手首を右手で掴む。ぐいっとそれを外側に捻りつつ、和幸が次の動きに入る前に、即座に左手で和幸の首を掴んだ。がっしりと、その手の甲に血管が浮き上がるほどに力強く。


「ぐっ……!」


 望の胸倉をつかんでいた和幸の手が離れた。当然だ。人の胸倉をつかんでいる場合ではない。自分の喉が今にもつぶされようとしているのだから。だが、その手首も望に拘束されていて、首の救出へは向かえない。

 あいている左手で、首を締め付けるそれを必死につかむ。片手で掴まれているだけだというのに、息苦しさは尋常ではない。そもそも、和幸は商業用のクローン。その肉体は改造強化されている。手が伸びてきたときに、瞬間的に首に意識を集中させた。首の筋肉は全力で抵抗しているはず。左手もそうだ。さっきから望の左手首をつぶす気で力をこめている。手加減はしていない。

 だというのに、まるで効果がない。それどころか、圧迫感はじわじわと増している。大蛇が巻きついてくるようだ。

 足元がふらつき、宙にでも浮いているような気分になった。今にも意識を失ってしまいそうだ。血がめぐっていない。顔が熱くなっていく。このまま血液が溜まって、頭のどこかで血管が破裂するんじゃないか、と思った。みしみしと軋む音が聞こえてくる。眼球が飛び出しそうになって、瞼をかたく閉じた。

 力が入らない。抵抗する力が……

 気が遠のく。

 ぼんやりとする意識の中で、誰かが叫んでいるのが聞こえてきた。ずっと遠くで……いや、違う。香りがする。甘い香り。心地よくて、愛しい……彼女の香り。すぐ、そこに――


「望さん、やめて!」


 悲鳴に近いその声が鼓膜を貫き、和幸はハッと目を見開いた。

 その瞬間、首に巻きついていた大蛇がするりと逃げて、一気に酸素が戻ってきた。これでもかというほどに大きく息を吸い、そのままその場に崩れ落ちる。全身に力が入らず、立っていることもままならなかった。

 

「あッ……ぐ」


 喉が圧迫されていたせいで、声もまともに出せない。四つんばいになって咳き込みながら、横隔膜に痛みが走るほど大きく空気を吸いこんだ。それでもまだ酸素が足りない気がして、咳きの合間に荒い呼吸を繰り返す。


「和幸くん!」


 今にも泣きそうな少女の声。カヤだ、と分かっても、その名を口にすることも今はつらい。声を出す余裕さえない。

 すぐ隣でしゃがみこむカヤの脚が視界の隅で見えた。


「和幸くん、大丈夫!?」


 背中が暖かくなる。カヤがさすってくれているようだ。

 大丈夫、と言いたいが、それも叶わない。とにかく、酸素が欲しい。


「殴りかかってくるから、つい」と、背後からのんきな声が聞こえてきた。「年上にそんな態度はいけないよ、藤本くん」


 和幸はうずくまりながら、拳を握り締めた。

 死ぬか、死なないか、そのぎりぎりで望は楽しんでいたようだった。和幸はそれをはっきりと感じ取っていた。

 殴ってやりたい、と思うのが普通だろう。振り返って、全く同じことをしてやろう、といきりたっても不思議じゃない。

 だが……和幸に先刻までの勢いはなくなっていた。怒りに我を忘れてしまいたいくらいだが、そうもいかなかった。食いとどめているものがある。理性ではない。それは『同情』だ。

 段々と呼吸が落ち着いてくるにつれ、頭も冷静になってくる。それにつれて、ある予想が現実味を帯びてうかびあがってきたのだ。まさか、と思っても、それしか考えられない。否定しようにも、文字通り、痛いほど味わってしまった。


「まったく……最後まで聞いてほしいなぁ」と望はソファに腰かけ、ため息混じりに切り出した。「僕が言いたかったのは……男が本気で襲おうと思ったら、カヤちゃんみたいなか弱い女の子、簡単だってこと。だからこそ、こうして僕がボディガードをしているんだ。感謝される覚えはあっても、殴られるのは心外だよ」


 何事もなかったかのように、望は飄々と語った。

 和幸はもはや反論する素振りもみせなかった。それを見かねてか、カヤはすっくと立ち上がり、「望さん!」としかりつけるように怒鳴った。だが、それ以上、カヤの叱責が続くことはなかった。その代わり――


「いったい、何事だね!?」


 憤慨した低い声がリビングに響き渡った。


    *   *   *


 混沌としていた空気を秩序の刃が切り裂いたかのようだった。あたりにぴりっと緊張感が走る。

 リビングに姿を現したのは、寝巻き姿のおじさまだった。眉間に深く皺を刻み、鋭い眼差しで辺りを見回している。

 さすがにこれだけ騒いでいたら、二階で寝てても起きちゃうよね。私は「ごめんなさい、おじさま」と努めて落ち着いた声色でおじさまに言って、それから望さんに視線を戻した。

 望さんは左手をポケットに突っ込んでソファに座っている。あわてる様子もない。余裕の笑みで私を凝視している。私が何も言わない、と思っているのだろうか。

 私はごくりと生唾を飲み込んで、すっと息を吸い込む。


「今夜のことはもう冗談じゃすみません」


 望さんにだけ聞こえるように、そうつぶやいた。本気だ、と分かってもらえるように、声も低くし、睨みつけるような視線を浴びせた。それでも、望さんは特に顔色を変えることもなく、肩を竦めるだけだった。

 脅しているだけだ、と思っているのだろうか。それとも、和幸くんをあんな目にあわせておいて、何も感じていない? 冗談ですむ、と思っているの?

 やるせない気持ちになった。ぎゅっと拳を握り締め、キッとおじさまに振り返った。


「ボディガードはもういりません」


 はっきりとそう言いきる。すると、おじさまは眼鏡の奥で小さな瞳を目いっぱい開けた。


「なにを……急に!?」

「詳しい事情は、望さんから聞いてください」


 それだけ言って、私はしゃがんだ。喉をおさえてうずくまっている和幸くんの腕をとると、「行こう」と無理やり起こす。

 もう少し、休ませてあげたいけど……彼をこれ以上、望さんの近くにいさせたくはない。


「悪い」と、和幸くんはふらつきながら立ち上がる。その声は……彼らしくなかった。掠れていて、苦しそうで……胸がしめつけられる。


「おい、カヤ? どこに行くんだね?」


 和幸くんを支えつつリビングを出て行こうかというとき、おじさまが立ちはだかった。困惑の表情が浮かんでいる。

 それはそうだよね。突然、こんな光景を見たら驚くに決まっている。第一、和幸くんがここにいること自体、おじさまにとっては不可解なことなのだろうから。


「彼の部屋です」私は正直にそう言い切った。もう嘘をつくのも、くだらなくなってしまった。「文化祭には、彼の部屋から真っ直ぐ行きます」

「和幸くんの部屋から? いや、待ちなさい。ウチで休んで、それから二人で行けばいいじゃないか。なにも、一度和幸くんの部屋に行かなくても」

「和幸くんにも用意がありますから。制服に着替えなきゃいけないですし。一度帰らないと」


 おじさまは何も知らない。親切心で言ってくれているとは分かっていても、つい言葉に棘が……。八つ当たりをしているみたいで申し訳ない。おじさまは何も悪くないのに。

 でも、今はとにかく彼をこの家から出さなきゃ。ううん、早く、あの人から引き離さないと。


「それに」と私は背後に振り返り、ソファに座ってこちらの様子を伺っているボディガード……いえ、元ボディガードに一瞥をくれた。「ウチの中は危ないみたいですから」


 望さんはやはり焦る様子もなく、微笑を浮かべただけだった。

 普段から、人を軽視するような言動が多かったけど……ここまで危ない人だとは思っていなかった。冗談で人に銃口を向けて、おまけに首を絞めるなんて……。ちょっといじわるなだけで、本当は優しい人に違いない、て思ってたのに。


――もう少し、人を疑わなきゃだめだ。


 いつかの、曽良くんの厳しい言葉がよみがえる。

 こういうこと……だったのかな。


「勝手にあがりこんで、すみませんでした」


 一晩、歌いあかしたようなつぶれた声が聞こえた。ハッとして振り返ると、和幸くんが神妙な面持ちでおじさまを見つめていた。その顔色には赤みが戻ってきていて、少しほっとした。おじさまを見つめる目は充血したままだけど……。


「いや……それはいいんだが」と、おじさまは顔をしかめた。「いったい、何があったんだね」


 おじさまは本当に心配そうだ。まじまじと和幸くんの顔を見つめ、「まさか、望が何かしたのか?」と不安げな声で訊ねてきた。

 私はぎゅっと和幸くんの腕をつかむ。望さんが自分で説明するべきかとも思ったけど……もういっそのこと、和幸くんが全て話したほうがいいのかも。もし、しゃべれるのなら。

 私はちらりと和幸くんの顔色を上目遣いで伺った。そして、「え」と眉をひそめる。


 なぜか、その横顔に浮かんでいたのは、寂しげな色だった。


「何でもありません」和幸くんは一度咳払いをして、さらりとそう答えた。「お騒がせしました」

「!?」


 何でもない?


「和幸くん、何を言って……!?」


 思わぬ言葉に驚愕する私を、和幸くんは視線で制した。首を横に振り、青ざめた唇に穏やかな笑みを浮かべる。

 どうして……笑顔?


「行くぞ」と短く促し、彼は唖然としている私の腕を引っ張って歩きだした。

「え、あ……」

「和幸くん、待ちなさい」


 私と同じくらい……ううん、私以上におじさまは困惑している様子だった。状況が把握できていないだけに、無理やり引き止める気にもなれないのだろう。「待ちなさい」とは言っているものの、声は弱々しく、何か行動しようという動きはない。呆然と立ち尽くして、通り過ぎる私たちを困り果てた表情で見つめているだけ。


「藤本くん」


 リビングから一歩出たときだった。背後から、級友にでも呼びかけるような親しげな声が聞こえてきた。

 ぞくっと背筋に悪寒が走る。――望さんだ。

 その声に、謝ろうという気配はない。いつも通りの、軽い調子だ。何を言い出すつもりなのか、不安が襲って私はとっさに振り返る。


「望さん、もうこれ以上は――」

「今、幸せかい?」

「!」


 急に何を聞くの? それも……何事もなかったかのような、笑顔で。もう望さんのこと、全く分からない。相手にするべきじゃないのかも。この人、危険だ。

 私は和幸くんに振り返り、「行こう」と言おうと口を開けた。でも、その言葉が出てくることはなかった。振り返って目にした和幸くんの表情に気を取られたのだ。

 ついさっき、首を絞められたっていうのに……不思議なくらい、落ち着き払った表情だった。冷静に、望さんをじっと見つめている。まっすぐに……憎しみも怒りもなく、ただまっすぐに望さんを見つめている。こんなときに、その深みのある瞳に私は見とれてしまった。 


「あなたはどうなんです?」


 和幸くんは感情の伺えない声でそう答えた。

 リビングは不気味な静寂に包まれて、やがて望さんが鼻で笑うのが聞こえた。

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