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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
234/365

アベル -4-

残酷表現、気分を害される可能性のある描写が含まれています。苦手な方は、ご注意ください。(避けたい方は、***の後からお読みください)

「逃げなさい!」唐突に、父の怒号が鼓膜につきささった。「早く、鼎を連れて……」


 片腕で床をつっぱり身体を支え、もう一方の手で血がにじむ左下腹部を押さえ、父は必死に口を動かしていた。顔色がみるみるうちに青白く変わっていっているような気がした。おびただしい失血のせいだろう。その横で、母も苦しげな表情でこちらを見ている。血まみれになって床に這いつくばるその姿に、ぞっと寒気がした。恐ろしい、と思ってしまった。

 だから、動けなかったのだろうか。前にも後ろにも、進むことも退くことも、出来なかった。


「ああ、そうだ」


 父に銃口を向けてこちらを見つめていた少年(カイン)が、くすりと笑んだ。自分の些細なミスに気付いて、参ったな、と微笑む――そんな感じだった。


「弟とこうして会えたわけだから」と静かにつぶやき、視線をゆっくりと父親へ向ける。「もう協力(・・)は必要ないんだ」


 カインは父親へつきつけている回転式(リボルバー)拳銃の撃鉄を起こした。その眼差しは、夕焼けに染まる海を眺めるように穏やかだった。


「なぜ」と父の震えた声が聞こえた。恨み言も命乞いもなかった。ただ、「なぜ」とつぶやいた。――それが、父の最期の言葉だった。

 突然、空気が鋭い刃となって鼓膜に突き刺さり、父の後頭部から小さな肉片とともに血が飛び出して床を染めた。

 ぐらりと父の身体が揺れ、うめき声一つださずに、カインの足元へうつぶせに倒れる。

 心臓が鷲掴みにされたようなショックが襲ってきた。思わず、バットが手から落ちる。それが床にぶつかる音が先か、鉄の塊が再び雄たけびをあげるのが先か。気付いたときには、母も血だまりに顔をうずめて動かなくなっていた。

 静かなものだった。恐ろしいほど、静寂に包まれていた。

 あたりに焼け焦げたような匂いが漂う。瞬きをするのも忘れて立ち尽くしていた。

 おかしい、と思った。こんなものなのか、と思った。あまりに、あっけない。

 とっくみあいも何もない。「やめろ!」と叫んでもみあったり、両親とカインの間に分け入って盾になって一騒動起こしたり――そんなものも何もなかった。いや、しなかった(・・・・・)のか。

 自分は何もしなかった。突っ立っていただけだ。

 がくん、と膝から崩れ落ちた。不思議なことに、震えは止まっていた。

 鮮血でできた池に顔をうずめる二つの躯。仲良く並んで横たわる、血に浸かった肉と骨の塊。その一つ、こちらに顔を向けて倒れている父だったもの(・・・・・・)のうつろな目。それが恨めしそうにこちらを見ている気がした。何をしていたんだ、と責められている気がした。助けにきたんじゃないのか、と。恩を仇で返してどういうつもりだ、と。

 胸焼けのようなものがして、何かがこみ上げてきた。胃の奥から食道をのぼって口まで逆流してきたそれを、こらえることはできなかった。口元に手を伸ばしたが、間に合わず、それを床にぶちまける。鼻をつく甘ったるい臭気に、さらに気分が悪くなって、再び吐いた。

 胃がしめつけられる。まだしぼりだす気なのか、と思った。もうこれ以上、何も入っていないだろ。

 胸に手をあて背中を丸める。口の中に残った粘り気のある液体を全て吐き出すように咳き込む。それでも気持ちが悪くて、息が出来ないほどに咳き込んだ。このまま血を吐くんじゃないかというほど咳き込んだ。

 不意に、背中を誰かがさするのを感じた。


「大丈夫?」と滑らかな声が耳元でした。「君は避難させておくべきだったね」


 いつのまに、というのが最初の感想だった。気配など感じなかった。気付けば隣で座り込み、自分の背をさすっていたのだ。

 心臓の鼓動が早まる。さすられる背中に悪寒が走った。振り返ることもできない。

 床に落ちているバットは手に届くところにある。すぐそこだ。手を伸ばしてそれを掴んで振り返り、カインの頭にぶち当てればいい。たったそれだけのこと。

 なのに、なぜ……またしても、自分は動けない?

 これが恐怖というものなのだろうか。呼吸は乱れ、穴という穴から汗が噴出し、酸素が充分に行き届かない脳は冷静な判断力を欠き、ある疑問だけを何度も繰り返している。――自分も殺されるのか、と。両親と同じように、物言わぬ物体として横たわるのか、と。


「ところで」と、カインが切り出したのは、死を受け入れかけたそのときだった。「ドアの向こうに隠れているのは誰?」

「!」


 ぎくりとして目をむいた。

 その瞬間、とても大事な存在を――今となっては、この世にたった一人となった肉親(・・)の存在を――思い出した。なぜ失念していたのかも理解できないほど、かけがえのない少女。この家で得た、妹と呼ばれる存在。

 階段で待っていろ、と言い含めたはずだったのに。まさかついて来てしまったのか。まさか全てを見ていたんじゃないだろうか。いや、そんなことより……この男に気付かれるなんて。緊張と更なる恐怖に、また吐き気をもよおした。しかし、すでに胃の中に吐き出すものもなく、それがさらに情けなくも感じた。

 また、何もしないのか。怯えて縮こまっているつもりなのか。このまま、妹も見殺しにする気なのか。


「小さい女の子だったみたいだけど……」


 カインの視線を感じた。こちらの様子を伺っているようだ。

 ぐっと唇を引き締め、堪えるように黙り込む。しばらくそうして、彼がふっと笑ったのが視界の端で分かった。


「大丈夫だよ」なぜかそう言って、彼は立ち上がった。持っていた銃を腰に差しながらつぶやく。「彼女も連れてってあげるから」


 どこからか、熱いものが湧いてくるのを感じた。やっと拳に力がはいった。目が覚めたような気分だった。

 何も考えてはいなかった。とにかく、夢中で――彼はバットを勢いよく掴んだ。


    *    *   *


「野沢くん」


 はっと気付くと、車は停まっていた。いつのまに、眠っていたのだろうか。嫌な夢を見ていた気がする。目をこすり、後部座席の窓から外の様子を伺う。どうやら、住宅街のようだ。それも、高所得者層が住まう一帯だろう。街灯が照らす路地には人っ子一人見当たらない。娼婦や客引き、麻薬の売人で溢れる歌舞伎町とは正反対だ。

 しかし、と眉をひそめる。てっきり、警察署に連れて行かれると思っていたのだが。


「野沢くん」と再び、男の声が聞こえてきた。苛立ちが感じられる。おそらく、何度もこうして名前を呼びかけていたのだろう。「着いたよ。降りなさい」


 男は運転席から身体をひねってこちらを睨みつけていた。黒目が大きいせいか、全体的に目が小さいせいか、暗いせいなのか。男の目は黒く塗りつぶされているように見えた。骨格に皮だけはりつけたような顔が、男をさらに不気味にしている。宇宙人なんじゃないか、と想像して、彼は苦笑した。


「なに笑ってる。覚せい剤(シャブ)でもやってんのか」


 男の声に蔑むような色はなかった。呆れたようではあったが、純粋に疑問に思ったような言い方だった。

 男が車から降りるのを見届けて、彼も後部座席のドアを開けて路地に降り立つ。

 目の前に佇んでいたのは、角砂糖のような白いキューブがいくつも重なったようなデザインの屋敷だった。趣向を凝らした豪華な住宅が立ち並ぶ中で特に異彩を放っている。はたして、このデザインの狙いが何なのか。頭を捻るべきなのか、感嘆の声を発するべきなのか。彼にはさっぱり分からなかった。

 やがて、大人の背丈ほどの門がゆっくりと開いていく。かすかな耳鳴りを感じて顔を上げれば、二つの監視カメラがこちらを睨みつけていた。門の両脇から仲良くこちらを見下ろしているその様は、神社を守る狛犬のようだ。


「野沢くん」監視カメラを睨み返していると、また男が苛立ちをあらわに呼びかけてきた。いつのまにか、隣に並んでいた。「何をぼうっとしているんだ? 入りなさい」


 彼は肩をすくめ、開いていく門にいざなわれるように屋敷へと向かった。

 表面上は平静を装ってはいたが、内心、心の中は荒れ狂う海のようだった。妹に会えるかもしれないという期待と、そして……


――彼女は、彼……風間颯太(そうた)殺害の容疑で拘束されている。


 自然と彼の表情は曇った。彼の頭の中では、彼女はあどけない笑顔を浮かべて遊ぶ幼い少女。いじめられて泣いて帰ってきた、弱虫な子供のままだ。そんな彼女が人を殺した? まさか、と鼻で笑いたい。だが、風間颯太の顔写真を思い出すと、自信がなくなるのだ。妹はあの男を殺したのだ。そんな確信が絶望とともに襲ってくる。

 それは不思議な気持ちだった。自分だって、『カイン』を見つけ出して仇を討ちたかったはずだ。つまり、殺したかったはずだ。その念願を妹が果たしてくれた。喜ぶべきじゃないのか。妹を誇りに思って微笑むべきじゃないのか。

 なぜ、こんなにもやるせない思いに満ち満ちている。

 

「野沢直人さま。お待ちしておりました」


 玄関に上がると、質素な服装の女が深々と頭を下げて迎えた。おそらく、家政婦だろう。こんなへりくだった態度をとられたのは初めてだ。落ち着かずに、眉を曇らせた。

 顔を上げた女は、五十ほどに見受けられた。皺だらけの顔にやんわりと笑みを浮かべ、「さ、こちらへ」と男とともに彼を屋敷の二階へと案内する。

 そして連れてこられたのは、二階の奥。父の書斎を思い出させるその部屋は、しかし、父のそれよりもずっと広い。彼が以前住んでいた家のリビングほどはあるだろう。正方形の部屋の一辺全てが窓になっていて、日中はさぞ眩しいのではないか、と思った。

 そして、部屋の奥にはマホガニー素材のデスク。これもやはり父が使っていたものとは比べ物にならないほど大きく立派なものだ。その端にちょこんと立っているのは、ステンドグラスのような色とりどりのデザインが施されたガラスを被ったデスクランプ。それが、デスクにひじをついてこちらを見ている男を、ぼんやりと照らしていた。


「君が……」と、その男は小さくつぶやいた。やがて、怪しい笑みが浮かび上がる。「ずいぶん、捜したんだよ」


 その言葉を合図にしたかのように、部屋の明かりがついた。デスクランプの幻想的な光は打ち消され、今ではついているのか消えているのかも分からない。


「ありがとう、行平(ゆきひら)さん。もう下がっていいよ」そう言って、デスクに座っていた男は大儀そうに腰を上げる。「ああ、蟹江(かにえ)くんは残ってくれ」

「はい」


 隣で骸骨が――いや、刑事が素直に応答した。


「それでは、失礼します」


 おっとりとした声が背後から聞こえて振り返ると、ここまで案内してくれた家政婦――どうやら、行平というらしい――がぺこりと腰を折ったところだった。ふと視線を上げれば、照明のスイッチが目に入った。自動でついたように思われた部屋の明かりは、どうやら彼女がつけたようだ。

 行平はこちらに一瞥をくれると、何も言わずに部屋を出て行った。どこか汚いものでも見るような、蔑む視線だった。


「自己紹介といこうか」窓際のソファに向かい合わせに座るなり、男は唐突にそう言い出した。「わたしは本間秀実。これでも、国会議員、なんてものをやっている」


 いきなりのことにきょとんとしていると、本間秀実は「そう見えないかな」と苦い笑みを浮かべる。


「そのうち、大臣になるつもりでね」


 コンビニのバイトを始めるんだ、とでも言わんばかりの軽い調子で本間は言った。フレームレス眼鏡の奥でこちらを見据える小さな瞳には、鋭い眼光が宿っている。冗談を言っているのではないようだ。

 本間は五十代くらいだろうか。四角い輪郭の顔にはあちこちに深い皺が刻まれている。髪の色は不自然に黒く、おそらく、染めているのだろう。その証拠に、芋虫のような眉の中に白い毛がいくつか混じっている。

 訝しげな表情を浮かべてじっと黙り込んでいると、本間は眉をくいっと上げ「ふむ」とため息にも似た意味ありげな声を漏らす。


「見た目に似合わず、慎重のようだ。安心したよ」


 それはやけに見下したような言い方だった。

 苛立ちがつのっていく。こちらは妹のことが気になって仕方がないというのに、本間といいう男はなかなか本題に入らない。


「国会議員が俺に何の用だよ?」と、やっと彼は口を開いた。「俺に話があるんだろ? さっさとしろよ」


 その反抗的な口調に、本間は顔色を悪くすることは無かった。逆に嬉しそうに微笑むと、「蟹江くん」と刑事に視線でなにやら合図した。

 隣に座る蟹江は何も言わずに手を胸ポケットに入れると、シルバーの機械を取り出した。小さなリモコンにも思える長方形のそれは、音声レコーダーのようだった。

 会話を録音するつもりか。すぐさま本間を睨みつけ、「どういうつもりだ?」と怒鳴りかけた。が、それは思わぬ声に遮られる。


『あたしは全部、見てたわ』


 隣から聞こえてきたその声に、彼の心臓が大きく波打った。


『四年前、あの男が父と母を撃ち殺すところ。あの夜、扉の隙間から……全部……一部始終、見てた』


 舌足らずな口調は抜けきって、声も心なしか少し低くなったような気もしたが、それでも分かる。この声は――


『あの男よ。間違いない。あの男が犯人。あの男がカイン。風間颯太(そうた)だなんて偽名に決まってる。教育実習も全部、嘘なのよ。あいつはあたしを迎えに来たのよ。四年前、殺し損ねたあたしを迎えに来たの。なんで……なんで、信じてくれないのよ!?』


 心臓の鼓動が早くなる。久しく聞いていなかったその声に、懐かしさと愛おしさがこみ上げてきたのもつかの間、彼の表情は曇っていった。これは本当に彼女なのだろうか、と不安と恐怖が襲いかかってきた。まるで別人のようだ。こんな風に声を荒らげるような子ではなかったはずだ。緊張と焦燥感に似たもの、それらが混じりあって胸の中に立ちこめた。


『あんたたちは四年前もそうだった。兄さんのこと、全然信じなかった。兄さんは本当のことを言ってたのに。あんたたちは信じてくれなかった。助けてくれなかった! あんたたちが悪いのよ! あんたたちが――』

 

 そこで声はぶつりと切れた。蟹江が停止ボタンを押したのだろう。声の様子から、どんどん彼女の感情が高ぶっていったことが分かる。おそらく、この後、彼女は暴れだしたんじゃないだろうか。そんなことを容易に想像できた。


「一昨日、だったかな」という本間の落ち着いた声が彼を現実に引き戻す。すぐさま、「一昨日です」と蟹江が答えた。


「この少女……横井サエコは、教育実習に来た風間颯太を彼のマンションで刺殺。自ら警察に『カインを捕まえた』と電話を入れて、警察がマンションに来るまで大人しく待っていたそうだ。もちろん、そのまま拘束。しかし、取調べを始めてみると、『正当防衛だ』と言い出した。彼が自分を『迎えに来た』んだと思った。殺されると思った。だから、殺したんだ、とそう主張した。もちろん、刑事は誰もそんな話を信じようとはしなかった。風間くんは実に優秀な学生でね。――ああ、もちろん、資料の上で、だけど」


 本間が話を区切ったことにも気付かなかった。呆然としていると、「聞いてるかね?」と問いかけられ、そこで我に返った。

 気付かぬうちに俯いていたようだ。顔を上げると、食い入るように本間がこちらを見つめていた。目が合って満足したように口角を上げ、「この証言は」と話を続ける。


「精神的な問題があるのではないか……つまり、彼女は狂っているんじゃないか、と刑事が漏らした直後のものだよ。それまでしおらしく泣きながら訴えていたのが一変し、怒鳴りだした。その変わりようといったら……。

 だから、余計に刑事たちからの信用を失ってしまってね。今では何を言っても相手にされてないようだよ」


 手が震えだした。堪えるように膝をつかむ。息が上がっていた。

 本間はただじっとこちらを凝視している。自分が必死に自制している様子を眺めて楽しんでいるようにも見えた。だが……


「わたしは違うよ」と本間は静かにつぶやいた。「わたしは彼女の話にとても興味がある」


 思わぬ言葉に、彼は「え」とすっとんきょうな声を漏らす。

 すると本間は頬をゆるめ、ソファの背もたれによりかかった。


「蟹江くんから彼女の話を聞いて、すぐに調べてもらったんだよ。四年前の事件とやらを」


 そこで急に言葉を止め、本間は苦しげな表情を浮かべた。今まで見せたことのない哀れみに満ちた眼差しでこちらを見つめ、ゆっくりと口を開く。


「つらかったね、望くん(・・・)


 心臓に激痛が走った。呼吸が止まった。それは、四年ぶりに聞く名前だった。自分の名前。本当の両親がくれた、自分の真の名前だ。


「君の証言の記録もちゃんと残っていてね。聞かせてもらったよ」重々しい口調で言って、本間は首を横に振る。「痛々しかったね、実に。必死に君が真実を訴えているというのに……なぜ、誰も信じようとはしないのか。聞いていて胸がえぐられるようだった」


 初めての、同情の言葉だった。望は唇を噛み締め、視線を落とす。

 思い出されるのは、四年前の事情聴取。両親を殺したのは、見たこともない『カイン』と名乗る十代の少年で、両親の頭を撃ち抜く直前、自分に『迎えに来た』と微笑んだ。妙な話だと自分でも思った。だが、事実なのだから仕方ない。

 『迎えに来た』と言ったなら、何か心当たりはあるだろう。そう刑事に尋ねられ、こう答えた。自分は闇オークションで売られたクローンだから、犯人はそこの関係者かもしれない、と。すると、刑事たちは――笑いだした。クローンはすでに過去のもの。廃絶された今、製造されいるわけがない。しかも、闇オークションときた。子供の想像力は素晴らしいものだが、迷惑だ。よくも両親が殺されて、そんな嘘で大人をからかえるな。そんなことを、刑事たちは口々につぶやいた。

 本当なんだ、と反論した。その証拠に、身体は改造されている。信じないなら、屋上から飛び降りてみせる。脚はきっと折れない。ぴょんぴょんと跳ね回れる。そうわめいて立ち上がった自分を、刑事たちは取り押さえ――誰かが『頭がおかしいんだろう』とつぶやいたのが聞こえた。


「あんたは信じてくれるのか、俺の……俺たちの話」


 疲れきった声で訊ねると、本間は満足げに「もちろんだ」と頷いた。「クローンは今も製造されているし、闇オークションもある。そして、『カイン』も存在している」


 膝に置いた手に力が入り、腕が震えた。じんわりと胸が熱くなるのを感じた。目の奥からにじんできたものを隠すように、うつむいた。四年間溜めこんできたものがあふれてきそうだった。やっと、救われる気がした。この瞬間を、ずっと待っていたような気がした。

 そんな感情の高ぶりに気付かれているのだろう。本間も蟹江もしばらく何も言わなかった。

 ややあってから、「妹を……」と望は苦しげな声をぽつりと漏らした。深く息を吸って心を落ち着かせると、顔を上げて本間を見据える。


「妹を助けてくれ。正当防衛だ、と証明してくれ」


 脅していると取られてもおかしくはない、強い語調だった。

 本間は蟹江をちらりと一瞥してから、眉尻を下げて首を横に振った。「残念だが」と重々しい口調で切り出す。「横井サエコ……いや、君の妹が殺した風間颯太には、四年前の十二月二十四日、犯行時刻……ちゃんとしたアリバイがある。当時付き合っていた女性と、トーキョー湾のクルーズにでかけていた。船内の防犯カメラにもしっかり映っているよ。

 つまり、彼は君たち兄妹の親の仇じゃない」


 思わず、望は立ち上がっていた。ガタン、とローデスクに脚があたったが、痛みも何も感じなかった。


「そんな……わけが」隣で気配を消して座っていた蟹江を見下ろした。いや、その視線は、正しくは彼の胸ポケットへと――その奥に隠れている写真へと向けられている。「あの写真……間違いない。あの男なんだ! 妹は間違ってない。他人の空似なんかじゃない! あの男なんだよ!」

「落ち着きなさい」呆れたように本間はため息をつき、望を見上げる。「君を信じている、そう言っただろう」


 心拍数が、これでもかというほど上がっていた。すっかり頭に血がのぼっていた。望は本間に振り返り、飛びかからん勢いで怒声をあげる。


「それじゃあ――」

「その時間に同じ人間が二人いた、ということだろう」

「は……」


 怒りと興奮で暴走しかけていた望の動きが止まった。そんなこと有り得るわけがない、と言おうとして、できなかった。何かがひっかかった。それを言ってしまえば、とてつもなく大事なものを否定するような気がした。

  

「本当に、君たち兄妹には感謝するよ。お陰でやっと謎が解けたんだ」


 本間は笑みを抑えきれないようで、怪しげな含み笑いをこぼしていた。それは、先刻まで見せていた優しげな表情が全て偽りである、と望に確信させるほど……『人間らしい』ものだった。


「九年前から現れたあのガキどもが一体何者なのか……ずっと分からなかった。なぜ、邪魔をするのか。目的は何なのか。ただの『正義の味方』気取りなのか。誰かに雇われているのか。雇われているなら、雇っているのは誰だ。私の成功を妬む奴の仕業か。同期の斉藤あたりがあやしいと思っていた。だが、どうもしっくりこなかった。――当然だな」


 本間はそこで一息置いて、望を見上げた。うっとりと絵画でも眺めるような眼差しで。


「なるほど。彼らは『迎え』に来ていただけなんだ。仲間(・・)を」

「仲間……?」


 本間は咳払いをし、背もたれにうずめていた身体を起こす。ぐっと両手の指を絡ませると、真剣な面持ちで睨みつけるような視線を望に浴びせる。


「どうだね。取引をしようじゃないか」

すみません、あと一話、と宣言していたのですが、思いのほか長くなってしまったので……あと一話です。今度こそ、おそらく……

*Web拍手へのお返事は、活動報告でさせていただいております♪ 

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