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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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運命の夜 -9-

後半に、ほんの少しだけ大人な描写があります。苦手な方はご注意ください。

「失礼します」 


 本間の屋敷でメイドを始めてもう六年になる沖野真麻は、電話の子機を片手に扉を開いた。そこは、つい二週間ほど前から養女としてこの屋敷に住み始めた、見目麗しい少女の部屋だ。この世のものとは思えない――そんな表現がしっくりくるほどの、カヤという名の美しい娘。


「カヤさま?」入るなり、部屋が真っ暗であることに気付き、真麻は遠慮がちに呼びかける。「申し訳ありません。起こしてしまいましたか?」

「いえ、横になっていただけですから」


 特に無理した様子もない声がベッドのほうから聞こえてきた。嘘をついているわけではないようだ。真麻は「そうですか」とやつれた頬をほころばせ、扉を開けたまま、そこから漏れる明かりを頼りにベッドのほうへと歩み寄る。


「あら?」ベッドの傍に立ち、真麻は小首をかしげた。上半身だけ起こしてこちらを見ているカヤ。その姿をまじまじと見つめて、真麻は訝しげな表情を浮かべる。「ドレスのままでお休みになられていたのですか?」


 言われてカヤは、今気付いたかのようにハッとした。自分の身体を見下ろして――確かに、ホルターネックのドレスのままだ――慌てたように毛布を胸まで引っ張りあげた。今更、隠す必要もないのに、と真麻はさらに不審に思う。ここまで動揺する彼女を初めて見た気がした。


「す、すみません。あの……あまりに疲れていたものですから」


 どうも説得力に欠ける。だが、執拗に問い詰めるほどのことでもないだろう。真麻は「ちゃんとお着替えになってくださいね」とだけ言い、持っていた子機の保留ボタンを押す。


「相当、ご心配されているようですよ」


 そうっと小声で囁いて、真麻は子機をカヤに手渡した。

 カヤは不安げな笑みを浮かべて「ありがとうございます」と真麻に告げ、おそるおそる子機を耳にあてる。


「おじさま?」


 屋敷の主と会話を始めるカヤの傍で、真麻は姿勢よく直立不動で控えていた。眠気を一切感じさせない、きりっとした眼差し。ゆるやかな弧を描いた、ほぼ左右対称の眉。髪の毛一本はみ出ていない、ぴっしりと後ろでまとめたお団子ヘア。そのたたずまいといい、身なりといい、神経質で完ぺき主義な彼女の性格をよく表している。


「ごめんなさい、勝手に帰ってしまって。ちょっと体調が悪くなって」


 申し訳無さそうに少女は言い訳を始めた。真麻はぴくりと眉を上げ、特に体調が悪そうにも見えない彼女を一瞥する。

 彼女が早々と帰宅したときには、てっきり本間も知ってのことだと思っていた。本間から、カヤの姿が見えない、携帯もつながらない、と心配そうな電話がきたときには飛び上がって驚いたものだ。

 こんな上品で、育ちもよく、本間が溺愛するほどの才女が、なぜ不良のような行いを? そういえば、つい先週もいきなり行方をくらまし、藤本和幸とかいう孤児と夜遅くに帰ってきたことがあった。

 真麻は眉根を寄せた。まさか……と、再び、カヤに視線を向ける。


「パーティーだから、と思って、携帯も電源を切っていて……はい、すみません」カヤはしゅんと身体を小さくした。どうやら、今回はこっぴどく叱られているようだ。「もう二度と、こんなことはないようにします」


 最後に、安堵したような笑みを浮かべて「はい」と返事をし、カヤは子機を耳から離した。ふうっと一息ついて、真麻を見上げる。


「怒られちゃいました」恥ずかしそうにそう言って、真麻に子機を返す。「わざわざ、運んでいただいてありがとうございました」

「いえ」子機を受け取りつつ、短く答え、真麻はジト目でカヤを見つめる。「ところで、まさか今回のことも、あの少年が絡んでいるのではないでしょうね?」

「……はい?」


 カヤはきょとんとして「あの少年?」ととぼける。真麻はわざとらしく咳払いをし、「藤本和幸、とかいう不良です!」ときっぱりと答える。


「別れた、とお聞きして、大変安堵していたのですよ。これでもうカヤさまが非行にはしられることはないだろう、と」

「非行って……」


 苦笑して反論しようとするカヤを、真麻の早口がさえぎる。


「あんな、どこの馬の骨か分からないような孤児と関わってもろくな目にはあいません! たとえ、どんなにしつこくされようと、決してあの孤児とヨリを戻そうなどと考えませんように。カヤさまと孤児がつりあうわけなどないのですから。いいですね!?」


 怒涛のようにまくしたてられ、カヤはぐうの音も出ないようだった。ひきつった笑みを浮かべて、「はあ」と生返事をする。


「ユリィさまという素敵な婚約者もできたのですから」そう付け加え、真麻は気がすんだように鼻から息を噴出した。「今や、大臣の娘なんです。孤児に現をぬかしている場合ではありませんよ。もっと身の振り方を考えていただかないと」


 忠告するようにそう言い残し、真麻はくるりと踵を返す。が、不意にあることが気になって、ぴたりと立ち止まった。獲物を見つけた鷹のように鋭い視線で、カヤのベッドを舐めるように見回すと、


「だいぶ、ベッドが乱れていますね」

「え!?」カヤはぎょっと目をむいて、胸元で掴んでいた毛布をさらに引き寄せた。「そんなことありませんよ」


 そうは言われても、明らかにベッドは乱れている。掛け毛布の下で毛布がくるまっているのだろうか、妙な盛り上がりが気になって仕方がない。

 真麻はベッドに歩み寄ると腰を曲げた。そっとベッドに手を置き、


「すぐ済みますから。ベッドメーキングを……」

「お風呂!」


 必要以上の大声が、真麻の耳を貫いた。頭痛でもするかのように顔をしかめ、「はい?」とカヤに振り返る。すると、カヤはにこりと屈託のない笑みを浮かべて、今度は落ちついた口調で言う。


「お風呂、沸かしてくださいますか? すぐに、入りたいんです」

「それは構いませんが……」

「その間に、自分でベッドメーキングは済ましますから、今は結構です」


 まるで命じるような強い語調だった。カヤにしては珍しいことだ。真麻は面食らいつつも、「分かりました」と不承するしかない。

 カヤのほっと安堵した表情がやはり気になったが、真麻は大人しく子機を手にカヤの部屋をあとにした。


    *    *    *


 真麻さんがそうっと扉を閉めて、私はやっと肩の力を抜くことが出来た。


「危ないところだったぁ」


 ため息混じりにそうひとりごちる。すると、もぞもぞと毛布がひとりでに動き出し、「誰が不良だよ」とくぐもった声が聞こえてきた。まるで毛布がしゃべっているみたいだ。私は失笑しつつ、近づいてくる毛布の波を見つめていた。


「先週の誘拐事件が響いてるみたい。だから、また不法侵入したって知れたら……」

「分かった、分かった。玄関を使う癖をつければいいんだろ」


 吐き捨てるように言って、和幸くんは毛布の中から出てきた。暑苦しかったのか、乱暴に毛布を投げ飛ばすように剥ぐと、後ろ手に身体を支えて天井を振り仰いだ。そして、疲れたようなため息を漏らす。――その横顔をじっと見つめ、私はさっき彼が口にした言葉を思い返していた。


――お前、生理なんじゃないのか?


 男の子から、あそこまではっきりと聞かれたことなんて無い。思い出すだけでも恥ずかしい……ううん、そんなことはいいの。

 てっきり、彼は私の身体のこと……神の罰のことに気付いてしまったのかと思った。でも、違う? 彼が私を拒もうとしたのは、単に体調のことを気にして?


「ねえ、和幸くん」うつむいて、私はおそるおそる唇を動かした。「さっきのこと……」


 言いかけたときだった。隣で動く気配がして振り返ると、


「!」


 彼の顔が目の前にある――それに気付いたときには、唇が奪われていた。

 彼の右手は頬を撫で、やがてうなじへと回る。そのまま、彼は私に体重をかけるようにして、私をベッドに押し倒した。キスで口を塞がれ、何も言葉を発せず、「んん」と漏れる声で戸惑いを表すことしかできない。それに気付いていないわけはないのに、彼は息継ぎさえ出来ないほどに、さらに激しく唇を重ねてくる。

 不意に、するりと何かがスカートの中に潜り込んできたのを感じた。思わずびくんと身体が反応する。それは這うように太ももを撫で、そしてゆっくりと、まるで焦らすように徐々に上にのぼってくる。

 何が起きてるのか、あまりに突然のことに判断できなかった。

 ただ、足をまさぐっているそれ(・・)がショーツにかかって、やっと目が覚めたかのように状況を理解した。それが彼の右手であること。そして、彼が何をしようとしているのか。――思わず、彼の腕を掴んで、それ以上の侵入を拒んでいた。

 すると、ようやく彼は唇を離し、私を見つめてきた。私の困惑した表情が、深みのある黒い瞳に映し出されている。あまりに真っ直ぐに見つめられ、たまらず目をそむけた。


「嫌じゃないんだよな?」


 こんな状況にそぐわない、けろっとした声で彼はそう確認してきた。私はハッとして、彼に視線を戻す。飛び込んできたのは、穏やかな笑顔。いつも通りの、優しい笑顔。

 胸が苦しくなった。さっきまで彼に塞がれていた唇をきゅっと噛み締める。

 スカートの中に忍び込んだ彼の手。それを捕らえている私の左手が震えている。

 嫌じゃない。そう、嫌じゃない。それは本当。彼なら……て、そう思ってる。でも、違うの。そういう問題じゃない。だって、この身体は……


「和幸くん」言いたくない。でも、言わなきゃ。「私の身体は……」

アレ(・・)でもないんだろ?」


 まるで聞く耳を持っていないかのように、彼はすかさず問いかけてきた。

 彼の言うアレが何を意味するのか。もう分かってる。


「そう……だけど」と私は震えた声で答える。「でも、そういう問題じゃ――」

「そういう問題だ」


 彼はきっぱりと言い放った。何の迷いもない、はっきりとした口調だった。


   *   *   *


 彼女の身体が土で創られたものであることは否定しない。その事実を否定することは、彼女を否定するようなものだ。

 だが、それでも……せめて、俺の傍にいるときだけは、人間としての幸せを与えてやりたい。使命とか、神とか、『裁き』とか、くだらないことは忘れて、一人の女でいられるようにしてやりたい。そう思ったんだ。

 俺は神の子孫でもないし、そもそも神が創った人間でもない。世界のルールに反して創られた命。人の罪そのものだ。本来、カヤに裁かれるべき存在なんだろうな。だから、きっと神サマにとっては気に入らない光景だと思うよ。こうして、俺が彼女に触れているこの状況は。神の怒りがあるとすれば、俺は今まさにその矛先にいることだろう。

 俺はじっと、カヤの顔を見つめていた。困惑した色がはっきりと浮かんでいる。その表情も、愛おしくてたまらない。

 こんな暗闇でも、はっきりと彼女の顔を眺めることができる。これほどまでに、この改造(・・)された身体をありがたいと思ったことは今までない。


「そういう問題なんだ」


 俺はもう一度、そう囁きかけた。一語一句、噛みしめるようにゆっくりと。

 カヤの唇が震えている。大きく見開かれた瞳には、うっすらと涙が浮かび上がっていた。

 その涙がこぼれる前に拭ってやりたい。だが、右手は彼女に掴まれていて、動かせない。無理やり振り払うこともできるが……しがみつくように力強く握りめる彼女の手を乱暴に引き離すのは気がひけた。


「カヤ」


 俺は暴れだしそうな心臓を必死に抑え、平静を装って微笑んでみせた。だが、その頬もぴくぴくと痙攣しているのを感じる。情けないが、緊張しているみたいだ。ったく、もういい加減、ふっきれろっつーの。――俺はすうっと息を吸い込んで、


「愛してる」

「へ……」


 カヤの艶やかな唇から、間の抜けた声が零れてきた。そのあっけにとられた顔に、俺はつい苦笑していた。


「また、『答えになってない』か?」


 からかうようにそう尋ねると、カヤはハッとした。まるで、何かを思い出したかのように――いや、思い出してくれないと困るんだが。

 思い返せば、俺はちゃんと伝えていなかったんだ。いや……伝えたんだけど、受け止めてもらえてなかった、てのが正しい言い方だな。

 一週間前、生まれて初めて、この歯の浮くようなセリフを彼女に言って、もらった返事は……


――答えになってないよ。


 その声は、今でもはっきりと思い出せる。哀しみを、責めるような口調でごまかしたような声色だった。


「お前が何者だろうと、どんな身体だろうと、どうでもいい」力強くそう続け、俺はそうっと彼女の耳元に顔を寄せた。万が一、あのロザリオが会話を録音していたときのために……彼女にだけ聞こえるように低い声で耳打ちする。「だから、大人しく抱かせろ」


 俺はただのクローンで、神の『裁き』には関係ない。神サマからのありがたい(・・・・・)使命があるわけでもない。天使もいないし、摩訶不思議な力があるわけでもない。銃だって手放してしまった。無力な存在だ。

 だから……俺に出来るのはこれくらいなんだ。一人の男として、彼女を愛してやること。

 パンドラだろうが、土人形だろうが、終焉の詩姫だろうが、どうでもいい。どんな名前で呼ばれようと、関係ない。俺の前では、ただ、カヤであってほしい。せめて、一人の女としての幸せくらい、与えてやりたい。そう思ったんだ。


    *   *   *


「お前が何者だろうと、どんな身体だろうと、どうでもいい」彼は熱のこもった口調でそう言って、不意に私の耳元に顔を寄せた。そして、囁きかけるようにつぶやく。「だから、大人しく抱かせろ」


 痺れるような感覚が全身を襲った。思いっきり胸に木槌でも打ち付けられたような衝撃が走り、息が出来なくなった。

 視界が潤んで、胸が熱くなる。身体中が火照っていく。顔が真っ赤だと、鏡を見ずにも分かった。

 ため息が漏れて――目を瞑ると、涙が目じりを伝っていくのを感じた。

 

 私は左手を緩め、スカートの中に潜む彼の右手を解放する。そして――彼の侵入を赦した。

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