運命の夜 -8-
「あれ!?」
ベランダで靴を脱ぎ、カヤの部屋に足を踏み入れたときだった。先に部屋の中に入っていたカヤが目をまん丸にして俺を凝視し、驚いたような声をあげた。
「な……なんだよ?」
後ろ手に窓を閉めつつ、俺は戸惑いがちにそう尋ねる。あまりにも見つめられ、一瞬、チャックでも開いているのかと、ズボンに視線を落とした。だが……特に異常はない。――と、慌てたようにカヤが歩み寄ってくる足音が聞こえて顔を上げた。
「ない!」
俺の目の前に立つなり、カヤは不安げな表情を浮かべてそう言いはなった。そして、俺の胸倉に手を伸ばし、シャツを破きそうな勢いでそれをつかむ。って……え? なんだ、この状況?
「……カヤ?」
カヤに胸倉を掴まれる日が来ようとは、思ってもいなかった。俺はひきつり笑顔を浮かべて、無意識に怯えたような声を漏らしていた。おそらくこれは、身体に染み付いた幼いころの記憶によるものだろう。非常識な姉をもった後遺症、とでも言うべきか。
――和幸くんが頼れるくらいの女になる。静流さんみたいな。
いつかのカヤの言葉が脳裏をよぎる。静流姉さんみたいな……か。まさか、着実にその道を歩んでいるんじゃあ……と、恐ろしい未来のシナリオを思い浮かべていた、そのとき。
「ネックレスは?」
「へ? ネックレス?」
「カインのお守り!」
カヤは血相変えて、今度は両手で俺の胸倉を掴んだ。いや、胸倉を掴むつもりではないのだろう。ただ、首元を確認したいだけだ。
カインのお守り――その言葉に、俺はやっと状況を把握した。
俺はため息をもらし、カヤの手首をつかむ。
「大丈夫だ」言って、俺は若干腰を曲げ、手に持っていた紙バッグをカーペットに下ろした。「失くしたわけじゃないよ」
カヤはぱちくりと目を瞬かせ、力なく俺の胸倉から手を離す。それに合わせて、俺もカヤの手首から手を離した。苦笑しつつ、ポケットに手をつっこむ。
「ちゃんとここに……」
ポケットの中で、固く冷たい物体に指先が触れ、ざわっと鳥肌が立ったのを感じた。金縛りにでもあったかのように、身体が硬直する。
――家族の脅威は全て取り除く。
どこからともなく、曽良の声が聞こえてきて、ぞっと背筋に悪寒がはしった。ひんやりと嫌な汗が背中を伝う。
俺は固唾を飲んで、カヤへと視線を向けた。
カヤは不思議そうに小首を傾げて、俺の様子を伺っている。
「どうしたの?」
遠慮がちに尋ねてくる彼女は、穢れのない無垢な少女、そのものだ。とても世界を滅ぼす災いには見えない。家族を脅かす存在には見えない。
でも、彼女は――いつのまにか、ポケットにつっこんでいた手は、ロザリオを握り締めていた。
俺は視線を落とし、早まる鼓動の音に耳を澄ませる。そうしていくうちに、自分の世界に入り込んでいくのを感じた。記憶の奥深くにもぐりこんで、ついさっき別れの言葉を交わした弟と意識の中で再会する。
相変わらずのアヒル口に浮かぶ笑み。何も考えていないかのような、能天気な声。それでも、今や裏世界の一組織を動かせる権力を(代理ながらも)持っている。そして、その組織を……いや、家族を守る責任を背負っている。
単に兄弟だ、と言える相手じゃなくなったんだ。
――カーヤは世界を滅ぼさない。やっぱり、俺はそう言うよ。
あれは、本音なのか? 信じていいんだろうか。
俺は顔を上げ、再びカヤを見つめた。
まるで自分の腕じゃないかのように、十字架を握り締める右手が動かない。
兄弟を疑うなんて最低なことだ。――分かってる。でも……
「顔色、悪いよ?」おずおずとカヤは口を開き、俺の頬に手を当ててきた。「汗、かいてる。調子悪い? 怪我でもしてる?」
本気で身体の心配をしているようだ。カヤは注意深く俺の全身を見回し始めた。
「そうじゃないんだ」と、緊張で喉に詰まっていた空気を吐き出し、俺はゆっくりとポケットから手を抜く。金属がこすれる音とともに、ネックレスのチェーンが一緒にこぼれでる。
手の中に、ひんやりと冷たい物体を感じる。力をこめれば簡単につぶせそうな、ちっぽけな金属の塊なのに。この中には、カヤを裁くからくりが仕掛けられている。どれほどの殺傷能力かは不明だが、胸元に提げている限り、爆発すれば命に関わるだろう。
これを……カヤに渡せ、ていうのか。
「あ」と、カヤの明るい声が聞こえてきた。「ポケットに入れてたんだね」
カヤの満面の笑みに、ひどく胸が軋んだ。「あ、いや」とはっきりしない返事をこぼす。
「感謝しなきゃ」急に、カヤは声を落としてそうつぶやいた。愛でるような視線で俺の右手を見つめ、安堵した笑みを浮かべている。「こうして、ちゃんと和幸くんを守ってくれたんだもの」
「!」
ハッとする俺をよそに、カヤは合掌し、冗談っぽく「ありがとうございます」と俺の右手――いや、その中に握られている十字架に、一礼してみせた。
十字架に合掌、という組み合わせに違和感を覚えつつも、俺もじっと右手を見つめた。そっと拳を開き、銀色に鈍い光を放つ十字架に視線を落とす。
「守ってくれた……か」
俺は目を細め、ぽつりとつぶやいていた。確かに、そうかもしれない。
頭の中に浮かぶのは、俺を射殺しようとした男の亡骸を前に、間に合ってよかった、と笑みを浮かべた幼馴染。少なくとも、あいつは俺をまだ家族と思ってくれている。それだけは、確かだ。
十字架を凝視してぼうっとしていると、「和幸くん」とカヤが顔を覗き込んできた。
「つけて」
「『つけて』?」
カヤはいたずらっぽく笑んで、踊るようにくるりと俺に背を向けた。
腰まであらわになった背中に、俺の心臓が大きな鼓動を打って反応した。月の光だけが頼りだが、それでも……いや、それが余計に彼女の背中を艶かしく見せて――つい、ごくりと生唾を飲み込んでいた。
「どうかした?」
露出された彼女の素肌に気を取られていると、カヤがくるりと顔だけこちらに向けてきた。やべ、と俺は「なんでもない」と慌てて返事をして、ロザリオのチェーンを手に取る。
カヤは安心したように微笑んで、再び顔を前に戻した。
チェーンを指にからめ、十字架を垂らす。風もないのにそれは揺れ、四方におぼろげな光を反射させている。
それをじっと見つめていると、催眠術でもかけられているような気分になる。
俺は固く目をつぶって、首を横に振った。――情けないが、どうしようもないんだ。迷える状況でもない。カヤにこれを返さなければ、砺波に迷惑がかかるだろうし……きっと、カヤの疑いを深めることにもなるだろう。入浴以外でこれを外せば、暗殺される、て話だったし、カヤを危険な立場に追い込むだけだ。このまま、あと二日間堪えて、カヤはシロだとカインの連中に納得させるほうが利口だろう。
ただ、それでも俺の手を躊躇わせるのは……曽良なんだ。カヤが『黒幕の娘』だとは思ってはいないだろうが、あいつはとんでもない事実を知ってしまった。カヤが『黒幕の娘』以上に、家族にとって危険な存在であること。
あいつは、このロザリオをカヤに返すのは砺波のためだ、と言った。カヤは世界を滅ぼさない、そうも言ってくれた。俺を信じている、とも言ってくれた。だが、本当なのか? もし、全部嘘だとしたら……あいつの狙いがもし、これでカヤを殺すことだとしたら……
俺はぐっと奥の歯を噛み締めた。
くそ。こうなったら、もう思いつく方法は……
「なぁ、カヤ」と瞼を開くなり、その華奢な後姿に声をかける。「今から、俺の部屋に泊まりに来ないか?」
出し抜けだったとは我ながら思う。驚いたのだろう、カヤはびくんと身体を震わせた。
「お……おと、まり?」
不自然なイントネーションでカヤは繰り返した。俺は「ああ」と短く返事をし、両手でチェーンの両端を持つ。背後から腕を回し、カヤの首に『お守り』を下げた。
心臓が不規則に波打っている。それを感じつつ、彼女の首の後ろでネックレスの留め具をはめる。その指先も心なしか震えていて、留めるのにてまどった。それでも、カチンと音を鳴らして、二つの輪はつながった。
まるで爆弾の配線を手伝わされた気分だ。
俺は嫌なため息をもらし、そっと留め具から手を離す。
「できたぞ」と知らせるが、カヤはなぜか、ぴくりともせずに俺に背を向けたまま動かない。「どうした?」
尋ねると、弾かれたようにカヤは振り返り、ぎこちない笑顔で「ううん」とごまかす。「ありがとう」と慌てたように付け加え、首もとの十字架にしなやかな指をあてた。
カヤにそんなつもりがないとは分かってはいても、皮肉にしか聞こえなかった。俺はつい苦笑していた。
「あの……それで」おもむろに、カヤは目を伏せ、緊張しているような声色で切り出した。「泊まりって……」
ああ、そうだったな。
余計な心配はかけたくない。俺は努めて落ち着いた態度を保つ。
「あと二日……この土日は、出来る限り傍にいてほしいんだ」そこまで言って口を噤み、「いや」と目を側め、抑えた声で訂正する。「片時も、俺の傍から離れないでくれ」
「かたとき……」
カヤと話しつつも、俺の意識は別のところにあった。
悪い、曽良――そう、心の中で唱える。
兄弟を疑うなんて最低だ。でも、不安なんだ。あいつははっきりと口にした。家族の脅威は取り除く、と。そのためなら、『殺し屋』になることも厭わない、と。だから、どうしても保険をかけずにはいられないんだ。
あいつがどれだけ家族想いかは分かっている。だからこそ、これだけは信じられる。あいつは、たとえどんな事情であれ、家族を――俺を傷つけたりはしない。俺を危険な目には合わせたりはしない。つまり……俺がカヤの傍にいる限り、あれを起動させたりはしないはずだ。
だから――
「土日ってことは……つまり、二泊?」
「え?」カヤの声にハッとして、俺の口からはすっとんきょうな声が飛び出していた。「あ、ああ。無理か?」
そういえば、本間の親父さんに許可をとらなきゃいけないんだよな。さすがのあの人も、娘を男の部屋に二泊もさせるのは……てか、もしかして、椎名の奴がついてきたりするのか? ――それだけは絶対に嫌だ。
「もし、難しいなら」とカヤの返事も待たずに言い出していた。「俺がこっちに泊まるとか……こうして、また忍び込めばいいわけだし」
って、忍び込むって……俺、一応、彼氏なんだよなぁ。冷静さを取り戻すなり、がっくりと頭を垂らした。なんだ、この虚しい気分は? なんでこんなに肩身が狭い思いをしなきゃいけないんだ。
いや、その前に……カヤは事情を――ロザリオの秘密を――知らないんだ。これじゃ、理由も無く、ただ泊まりたい、てしつこくしているみたいじゃないか。
って、ちょっと待て。それって……妙な誤解を生むんじゃ?
俺はちらりとカヤの様子を伺う。カヤは顔を真っ赤にして、落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
嫌な予感が確信へと変わって、さあっと血の気が引いた。――やっぱ、勘違いされてる。
「いや、そういうつもりじゃねぇから!」反射的に両手を挙げて、裏返った声で弁解を始めていた。なんとも……典型的なリアクションだ。「別に、やりたいってわけじゃ……」
そう言った瞬間、カヤはぎょっとして目を丸くした。頬がさらに紅潮して、「えっ」と聞いたこともない間の抜けた声を漏らす。そして、固まってしまった。
俺の頬は自然とひきつった。もしかして……自爆した? 余計なことを口走ったのかもしれない。
「下心があるわけじゃなくて、ただ、その……」
言葉を連ねるたびに、変な空気になっていく。釈明するにつれて、袋小路に迷い込んでいくみたいだ。いっそのこと、下心があったことにしたほうが話がスムーズに進んだんじゃないだろうか。そんな気までしてきた。
カヤはかあっと耳まで赤くして、うつむいてしまった。さっきも恥ずかしそうではあったが、ここまでひどくはなかった。
最悪だ。俺はこれ以上余計なことを言う前に、口を閉じた。
しばらく居心地悪い沈黙が続き、俺はたまらず「悪い」とつぶやき頭をかいた。
すると、
「いいよ」それまで黙りこくっていたカヤがぽつりとつぶやいた。「下心……あっても」
一瞬、自分の耳を疑った。思わぬ返しに唖然としていると、カヤは胸の前で組んだ手をせわしなくもじもじと動かし始めた。
「ただ、ね……心配なの」
途切れ途切れに言うカヤの声は、頼り無げで、不安そうでもあった。
「心配?」
話は想定外の方向に転がっていっているが、そんなことどうでもよくなっていた。いや、もう冷静に考えられる状態ではなくなっていた。
下心があってもいい、て、つまり……OKってことだよな。
俺もカヤに負けず劣らず赤面していることだろう。心臓の激しい鼓動が体中を震わせているようだ。
カヤは「うん」とうつむいて答え、顔にかかった髪を耳にかけた。その動き一つ一つさえ、色っぽく見える。
ああ、何が下心がない……だ。自覚してなかっただけだろ。
自分に呆れかえっていると、「からだ」と消え入りそうな声がかすかに聞こえてきた。幻聴にも思えたが、それは確かにカヤの声だ。
「からだ?」と聞き返すと、カヤはこくんと頷く。
「私……」
瑞々しい唇は何かを言いかけ、そしてぎゅっと結ばれた。俯いているせいで、前髪が目元を隠し、表情がよく分からない。
そして再び、あの嫌な沈黙が戻ってきた。
どこにあるのか、時計の秒針の音が聞こえてくる。それが一体、何回刻んだ頃だったろうか。不意に、またあのハイテンション女の甲高い声が脳裏によみがえってきた。
――生理に決まってんでしょ、気付きなさいよ!
「あ」と、つい間抜けな声がでた。これはもはや、あのおせっかい野郎のお告げかなんかか? 生霊? なぜだろう、あいつならそれも有り得なくもないと思えてしまう。とにかく、やっぱそういうことなんだろうか。
「カヤ、忘れてくれ」やんわりと言って、カヤの肩に手を置く。「本当に、そういうつもりじゃないんだ」
はっきりとそう言いきると、カヤはやっと顔を上げた。訝しげにぱちくりとさせる目は、潤んでいるようにも見えた。
まさか、泣かせるほど追い詰めていたんだろうか。それほど、必死に見えた? すげぇ情けないな。
「ほら」と、ぎこちなく笑って、ごまかすように明るく切り出す。「お前、そういうことできる身体じゃないんだろ」
この件に関しては、どんなセリフが女を怒らせるか分かったもんじゃない。直接的に言うと、デリカシーが無い、と責められるし(砺波調べ)。
「そんな状態じゃ、俺もする気は起きない……つーか」
俺は慎重に言葉を選んで、つっかえつつもそう締めくくった。
すると、カヤは思いつめたような表情を浮かべ、
「聞いたの!?」
「は?」いきなり、なんだ? 「聞いたって……?」
「私の身体のこと!」
ついさっきまで、はにかんでいたというのに、なんだろうか、この変わり様? まるで糾問されているような気分だ。って、やっぱ怒らせたのか? かなりオブラートに包んだつもりだったんだが。
「いや」と、俺は口をゆがめて頭をかく。「なんとなく、分かったっつーか……」
カヤは愕然として、「そう」と意気消沈してしまった。そのままうつむいて、押し黙る。
「……」
また、沈黙かよ。俺はかける言葉も見つからず、ただ苦笑いを浮かべるしかできなかった。
* * *
――お前、そういうことできる身体じゃないんだろ。そんな状態じゃ、俺もする気は起きない……つーか。
ズキン、と胸が痛んだ。
はっきり、言われてしまった。たまらず、私は顔を伏せた。
「そう」
まさか、彼の口からそんな言葉がでるとは思ってもいなかった。期待していたのかもしれない。「大丈夫だ」なんて優しい言葉をかけてもらえることを。
私はぎゅっとスカートを握り締める。
和幸くん……まさか、気付いていたなんて。私の身体の異変のこと。もう、普通の身体じゃなくなってること。
一体、どうやって分かったっていうの? 私の態度? 発言? それとも、勘? なんにせよ……分かっちゃったんだ。バレていたんだ。この身体のこと……もう私が人間じゃないってこと。
「どうした?」和幸くんの動揺した声が聞こえてきた。私の肩に置かれた手に力がはいった。「悪い。俺、余計なこと言ったか? 言葉、選んだつもりだったんだけど……」
申し訳無さそうな声が、余計に私の胸を苦しめた。
「いいの」気付けば、強い語調でそう言い放ち、彼の手を払っていた。「本当のことだから」
払われた手と私を不思議そうに交互に見つめ、和幸くんはきょとんとしていた。
「わ……悪い」
戸惑いつつも、彼は素直に謝った。それが……それが、余計につらい。私はこれ以上彼と対峙しているのも耐えられず、くるりと身を翻して背を向けた。
「謝らないで」言葉が勝手にこぼれでてくる。「和幸くんは悪くないんだから」
なに、この刺々しい口調? 私、もしかして怒ってるの? 彼に?
「いや、まあ……そうなんだけど」
振り返らずとも分かる。きっと、彼は困り果てた表情を浮かべて頭をかいているに違いない。
なにしてるんだ、私は。こんなの、ただの八つ当たりじゃない。でも、無理。言葉が……気持ちが溢れでてきてしまう。
「仕方ない……よね。私の身体、もう普通じゃないもの。嫌だよね。こんな身体……気味悪いよね」
「は?」彼は呆けた声をだし、それから鼻で笑った。「いや、普通だろ。大げさな……」
普通? 大げさ? 咄嗟に私は振り返り、彼を睨みつけるように視線を向けた。
「普通なわけない! 人間じゃないんだから」
自分でも驚くような、悲鳴にも似た声だった。和幸くんはハッと目を見開いて、言葉を失ったようだった。私は気まずくなって、すぐに顔を背ける。
「だから……いいの」彼と顔を合わせて、一気に頭が冷えたみたい。冷静になった途端、どれだけ理不尽な態度を彼にとっていたのか嫌というほど分かってしまった。恥ずかしくてたまらなくなった。でも、それでも……やっぱり、哀しいの。彼に拒絶されるのが。たとえ、どんな理由であれ、たまらなく哀しい。「当然だよね。誰も、粘土で出来た身体なんか……」
沈黙が、さらに私を惨めにさせた。ぎゅっと自分の腕を掴み、堪えていた。心の中でうごめくよからぬ感情を、必死に抑えていた。この嫌な気持ち、なんなんだろう。自分でも分からない。でも、吐き出したくはなかった。それを自覚してはだめだ、とさえ思った。
「何言ってんだ?」唐突に、彼の困惑した声が聞こえてきた。「誰がそんな話してるんだよ?」
「そんな話……?」
ハッとして顔を向けると、彼は眉を曇らせ目を眇めていた。
「お前……」と言いにくそうに切り出して、「生理なんじゃないのか?」
「は?」
せい……え!?
「ちがっ――」
爆発しそうな恥ずかしさが脳天までかけめぐった。慌てて否定しようと声を上げた――そのとき。
「カヤさま?」
ノックの音とともに、はきはきとした声が聞こえてきた。ぎょっとしてドアを振り返る。
「本間先生からお電話です。入ってもよろしいでしょうか?」
メイドの真麻さんだ。
「あ、はい!」と反射的に答えてしまったものの……しまった、と気付いて私は彼に振り返った。




