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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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運命の夜 -7-

「ちゃんと撃ったんだ」留王は真っ青な顔で右手を見つめ、これで何度目かも分からないセリフを口にした。「胸を貫通したはずなんだ」


 その右手を額に置いて、身体を丸める。どこからか冷たい隙間風が入り込む古い教会だ。ヒーターをつけているといっても、肌寒い。だが、留王の額からは汗がにじみ出て、まるで熱でもあるかのようだ。

 カインの『実家』。その奥にある藤本マサルのオフィスで、留王はソファに腰掛けていた。その隣に座り、憐れむような視線を留王に向けているのは、彼の兄であり、この組織のリーダー代理でもある曽良だ。

 彼は何も言わずに手を伸ばし、ひどく塞ぎこんでいる弟の背を慰めるようにさすった。

 普段の留王なら、すぐさまその手を払いのけ、罵声の一つでも浴びせるところだろうが、このときばかりは違っていた。ぴくりともせず、思いつめた表情で一点を見つめたまま、固まっていた。ただ、その困惑に震える唇だけは、動きを止めずに迷える言葉を吐き出し続ける。


「心臓を撃ちぬかれて、なんで生きてるんだ?」おかしい、と留王は怯えたような表情で二、三度繰り返した。まるでよからぬものにでもとり憑かれているかのような様子だ。「茶々は、俺が手元を狂わせたと思ってる。心臓に当たってはいなかったのだ、と思い込んでる。いや、そう思いこんで自分を納得させてるんだ。じゃなきゃ……」


 そこまで言って、やっと留王は口を噤んだ。

 茶々は、留王と同い年のカインであり、リーダー代理をしている曽良の右腕でもある。そして、あの日(・・・)、冷たい雨が打ちつける『虹の橋』で、曽良の言いつけを破らんとする留王を止めようとした人物でもあった。――本間カヤには手を出すな、というリーダー代理の命令を。

 だが、茶々は止められなかった。留王はその銃口を本間カヤに向け、引き金をひいてしまった。熱風に押し出された鉛の弾は、彼女の胸を撃ちぬき貫通した。

 茶々は止められなかった。――少なくとも、彼女はそのときはそう思っていた。だから、すぐさまその場から逃げ出した。たった今、表の世界で人を殺した留王を連れて。

 だが、助言と赦しを求めに赴いた曽良のもとで、二人は思わぬ事実を聞かされることとなった。


「なんで……あの女、生きてるんだ!?」


 留王は叫んだ。初めて、その事実を聞かされたときのように。

 相当、混乱しているのだろう。息は荒く、肩は上下に激しく揺れ、髪をかきむしるように両手で頭を抱えている。


「なんで、何事もなかったかのように生きてるんだ!?」


 曽良は苦渋の表情を浮かべ、「留王」と優しく声をかけた。すると、留王はばっと曽良に振り返り、鬼気迫る表情で訴えかける。


「見たんだ」その目は血走り、元々白い顔は死人のように青白く、生気がなくなっていた。「あいつを撃って、茶々と逃げ出したとき……俺は振り返ったんだ」


 曽良は顔色ひとつ変えなかった。そのあと、留王が何を言うのか、すでに知っているからだ。それは、この一週間、何度も何度も留王に訴えかけられてきたことなのだから。だが、曽良は何も言わない。何度でも話を聞く――その約束は、ごく単純で、それでいて、今の留王には何よりも必要なことだと分かっているからだ。彼がこの話を出来る相手は、曽良しかいないのだから。――誰にも言うな、と口止めしたのは、ほかでもない曽良自身ではあるのだが。


「あれは……血じゃなかった」


 留王は焦点のあっていない目であらぬ方向を見つめた。


「あいつの身体から漏れていたのは……」留王の声は段々と小さくなり、それに比例するかのように身体からも力が抜けていった。落ち着いたのではないだろう。それはおそらく、諦めの境地に近い心境。そして留王はぽつりとつぶやく。「あれは、()だ」


 留王は力無げに首を左右に振り、肩を落とす。


「あの女は……なんなんだよ?」


 それだけ言うと、がっくりと頭を垂らして留王は黙り込んだ。

 ずっと大人しかった曽良の唇がわずかに開き、「この話……」と、その隙間から感情の伺えない無機質な声が零れてきた。「茶々(ティコ)以外には誰にも言ってないよね?」

「……」


 留王は何も言わずに小さく頷く。それを確認して、曽良は安心したように頬を緩めた。


「安心して」と囁くように言い、「もう手は打ったから」


 その言葉に、留王は今まさに正気に戻ったかのように目を見開いて、顔を上げる。怪訝そうな表情で振り返れば、そこにあるのは普段と変わらぬ曽良の能天気な笑顔。留王の表情はさらに曇った。


「手は打った……?」


 戸惑いをあらわにする留王に、曽良はすばやく言葉を返す。


「殺せないなら、他の方法で止めればいいだけだよ」


 曽良は口元の笑みだけはそのままに、冷めた眼差しで窓のほうを見やった。


「愛する人が傍にいる限り、彼女も世界(ここ)を滅ぼそうとは思わないでしょう」独り言のようにそう言って、曽良はひとつため息をつく。「あと一ヶ月……かっちゃんにはもう少し、泥遊び(・・・)をしててもらうよ」

「……は?」


 曽良の意図することが理解できるはずもなく、留王は顔をしかめて呆然とするしかなかった。


    *    *    *


 とあるマンションの最上階。その角部屋の一室を、もう十六年ほど一人の男が借りている。が、そこはまるでモデルルームのように閑散として、最低限の家具しかない。生活観のない部屋、という言葉がここまでしっくりくることもないだろう。

 そんな薄暗い部屋に冷たい風が吹きこんで、分厚い遮光カーテンを撫でた。大きく口を開けた窓は、今か今かとベランダに佇む主人の帰りを待っているようだ。

 月明かりが落とす彼の影は、部屋の中、フローリングの床にまで伸びていた。ふと、その影に浅黒い肌をした足がふわっと降り立つ。


「フォックス」麻布(あさぬの)でえつらえたビキニのような衣装に身を包み、妖艶な姿態をあられもなく晒した女は、ベランダに向かってそう呼びかけた。その燃えるような紅い瞳は、寂しくも見える男の後姿を映しだしている。「シャカンの天使がおもしろいほどに惜しみなく話してくれましたわ。彼女の主はただの間抜けか、それとも何か企んでいるのか……どちらにしろ、事情は分かりましたわ」


 ドレッドヘアを揺らしながら、女は素足をひたりひたりと鳴らして、ベランダへと歩み寄る。


「あなたの『お人形』、もう全てを知っていますわ。そして……」


 月光が、ベランダに出てきた女の顔を照らした。どこか浮かない表情を浮かべる、異国の女だ。傷一つない、こんがりと日焼けしたような肌は、上質なショコラを思わせる。ともすれば、その唇はラズベリーといったところだろうか。扇情的な体つきに加えて、妖しげな美しさを漂わせるその顔つきは、一度虜にした男を逃がすことはないだろう。

 だが、この魅力をもってしても虜に出来ない男をどうすればいいのか。それは、この妖美な天使――バールを創り上げた神すらも分からないに違いない。


「ねえ」と嬌声にも似た声を漏らし、バールは腕を組んだ。「聞いてらっしゃる?」

「……」


 振り返る様子のない主の背中をじっと見つめ、バールはひっそりとため息を漏らす。


「『お人形』は神の罰を受けたのですわ」

「神の罰?」


 やっと、耳に心地よい低い声が聞こえてきて、バールはぶるっと身体を震わせた。うっとりと目を細め、「ええ」と答える。そうっと腕を伸ばして主の背に手を置くと、身体を寄り添わせる。豊満な胸を押し付けるように身体を密着させて、バールは主の耳元に息を吹きかえるように囁きかける。


「不死……になったんですの」


 その瞬間、バールの主、フォックス・エン・アトラハシスは、はっと目を見開き――そして、ほくそ笑んだ。満足そうに瞑目し、「そうですか」と味わうようにつぶやく。

 バールはその反応に、「あら」と落胆したような声を漏らして、身体を離す。


「驚きませんのね」

「予想はついていたことでしょう」言って、フォックスは瞼を開く。「あの日、カヤは胸に銃弾を受けて、死ななかった。それがすでに答えです。不死になったという可能性以外、何か思いつきますか?」

「それはそうですけれど」バールは頬に手を置き、呆れたようにそう答えた。「それでも驚くくらいの愛嬌があってもよろしいんじゃありません? せっかく確認してきたというのに、つまりませんわ」


 甘えるようなバールの声にフォックスは特に言及するわけでもなく、「しかし」と相変わらず冷静な声で切り出す。


「神の罰、とはどういうことです?」


 無視されることに慣れているのだろう。「ああ、それでしたら」とバールはけろりと答える。


「ほら、言い伝えがありましたでしょう? 『収穫の日』が過ぎる前に、『災いの人形』に全てを明かすと神の罰が下る、と。てっきり、明かした者に災いがふりそそぐのかと思っていましたけれど」そこまで言って、不思議そうな表情でバールは唇に人差し指を押し当てた。「どうやら、罰が下るのは『お人形』だったようですわね」


 すると、くつくつと笑う声が聞こえてきた。バールは小刻みに揺れる主の背中を訝しげに見つめる。


「なにか、おかしいかしら?」


 不服そうに尋ねると、「すみません」とフォックスは穏やかにつぶやいて、くるりとこちらに振り返る。

 眉目秀麗な青年は、誇りと知性をかねそろえた気品漂う笑みを浮かべていた。バールと似た色の肌。さらに、目を見張る整った顔立ちである、という点では、二人はよく似ているのかもしれない。だが、フォックスには、天使であるバールをも魅了してしまうオーラがあった。高貴なる魂から放たれる、凛として落ち着きはなったオーラ。王たる風格、とでも言い表せばいいのだろうか。陳腐な言い方をすれば、カリスマ性とでも言えるだろう。フォックスは、確かにそれを持ち合わせていた。

 その漆黒の瞳に囚われて、バールは硬直した。ほんのりと頬を赤らめると、うっとりと見とれるような視線を送る。

 風がフォックスの前髪を揺らし、目元をくすぐっていった。フォックスはそっと前髪をかき上げると、「罰はカヤに下ったのではないでしょう」と唱える。


「どういうことですの?」とバールが興味津々に尋ねると、フォックスはもったいぶるように微笑んだ。


「これで」と口火を切って、トーキョーの街を見渡す。「ルルの唯一の希望は消えたわけです」

「唯一の……希望?」ぱちくりと目を瞬かせてから、バールは苛立ちをあらわに唇をとがらせる。「はっきりと言ってくださらない? さっぱり、分かりませんわ」

「罰はルルに下ったんですよ、バール」


 再びバールに視線を戻して、フォックスはさらりと答えた。嬉しそうに頬をゆるめて。


「分かりませんか? もう、ルルにカヤを殺すことはできない。つまり、彼らに『裁き』を止める術はなくなったのです。ただの一つも……」


 それを聞くなり、バールは「あ」と目を丸くした。その反応に、フォックスは満足げに頷くと、「これで、だいぶ安心しました」と吐露した。本当に安堵しているのだろう。その表情からは、緊張や不安といったものは微塵も見受けられない。


「安心……ですの?」


 一方、そう聞き返す彼女の顔には困惑の色が浮かんでいた。フォックスは貴公子を思わせる上品な微笑を浮かべて、そんなバールを見つめた。


「正直、不安だったんです。あの少年の気が変わり、カヤを殺すようなことがあったら……と。最もカヤの近くにいるのは彼だ。彼がカヤを殺す気になれば……さすがに、わたしたちにそれを防ぐことは不可能でしょうから」


 思わぬ主の告白に、バールはぎょっとした。


「そんな……」と、取り乱した声を漏らして、食い入るようにフォックスを凝視する。「そんな心配をしていらしたの!? それなら、やはりさっさと取り返して、わたくしたちであの『お人形』を保護すれば……」


 すっとフォックスは右手を出して、バールを制す。凛々しい眉に力を入れ、きっと厳しいまなざしを向けた。それだけで、バールの動きははたりと止まる。不満げな表情を浮かべたものの、一瞬にして大人しくなった。


「何度、繰り返せばいいのですか、バール? 彼は必ず必要になります。『収穫の日』に」

「分かっておりますわ」ため息混じりにそう答え、バールは肩を竦める。「彼は布石……耳にたこ、とはこのことですわね」


 もうこれ以上は聞きたくない、と言いたげに手をぱたぱたと振り、バールは「彼といえば」とすぐさま話を変えた。


「『お人形』とのラブラブな会話をちょっと立ち聞きしたのですけれど、どうやら彼はちょっと勘違いをしているようでしたわ」

「勘違い、ですか?」

「ええ」とぼんやりと答え、バールは思い出すように夜空を振り仰ぐ。「『テマエの実』なんて食べさせない、この世界でずっと一緒に生きていこう――とかなんとか。どうも、変ですわ。あの子、『お人形』が『テマエの実』を食べなきゃどうなるか、まるで理解していないようで……」


 その瞬間、フォックスは目をむいた。驚愕した表情を浮かべ、凍りついたかのように動かなくなった。


「どうしましたの?」


 主の不穏な様子に気付いて、バールは顔をしかめて彼を注視する。すると、彼の唇がふっと怪しく微笑んだ。「そうですか」とそれ(・・)は囁くような声を漏らし、止めることができない、と言わんばかりに笑みを広げていく。

 さすがのバールも不気味に思ったのか、一歩あとずさり、ひきつり笑顔を浮かべた。


「ど、どうなさいましたのよ、フォックス?」

「素晴らしいですね」


 突然、フォックスは高らかに声を上げた。もはや悦びを隠せないのか、満面の笑みを浮かべている。だが、それでも――どこか、影があるように見えて仕方のない不完全な笑みだった。


「これで、もう一つの懸念も消えました」


 はっきりとそう言い放つフォックスに、バールは眉を曇らせ、「はい?」と小首をかしげる。


「彼は完璧です」


 それは、自信に満ち溢れた発言だった。しかし、彼の天使は戸惑うのみ。


「完璧って……」と、バールはぎこちなく言葉を搾り出す。「確かに、母性をくすぐられる魅力的な坊やですけれど……」


 そんな彼女らしい切り返しにフォックスは失笑し、再びトーキョーの夜へと顔を向けた。

 冷たい風に打たれながらも、人々の生活が生み出す灯りをその目に焼き付ける。夜空に浮かぶ星の輝きを打ち消してしまうほどに増幅した人々の光。フォックスは冷然とそれを眺め、不意につぶやく。


「もう少しだ、カヤ。もう少しで、君に楽園を与えてやれる」


 煌くネオンをも吸い込んでしまいそうな漆黒の瞳。そこには、狂気にも似た激しい執着の色が浮かんでいた。

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