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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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運命の夜 -5-

「来てやったわよ、曽良!」耳を貫く金切り声でそう怒鳴り、幼い顔立ちの少女がドアを蹴破るようにして勢いよく入ってきた。「なんなのよ、こんな夜遅くに呼び出して!? くだらない事情だったら、ただじゃおかないから!」


 寒さのせいか、怒りのせいか、少女の頬は赤く染まっていた。それが余計に彼女を幼く見せている。いわゆる、童顔――それは周りの男たちを虜にして止まない彼女の魅力の一つなのだが、本人にとってはただのコンプレックスだった。だからこそ、彼女は真っ黒の髪を伸ばし、何度もウェーブをかけてきた。少しでも、女性らしさを引き出すために。服も露出度の高いものばかり選んで、女の色気を出来る限り押し出してきたつもりだ。

 だが、彼女はその努力を止めた。一週間ほど前から――細かくいえば、卒業パーティーの翌日から――彼女は髪をしばるようになった。服装もぐっと控えめになり、特にジーパンを履く姿がよく見かけられるようになった。いつも、見せびらかすように、その自慢の細い足をミニスカートで惜しみなく晒してきたというのに。

 今夜も例外ではない。パーマがかった髪をポニーテールに縛り、上はパーカー、下はタイトジーンズ。

 変わってないのは、その甲高い声と口の悪さだけだ。


「あれ?」と、デスクに腰をかけていた曽良はわざとらしく声をあげる。「なんだ、来てくれたんだぁ。電話ではあれだけ文句言ってたのに。なんだかんだ言って優しいんだから、トミーは」

「うるさいわね!」


 吐き捨てるようにそう言って、砺波はずかずかと部屋の中に入ってきた。木造の床に穴があくんじゃないか、という勢いでハイヒールを叩きつけながら、デスクまで歩み寄る。


「それで、事情ってなによ?」


 曽良に向かい合うなり立ち止まり、砺波は腰に手をあてがった。細い眉は険しく吊りあがり、パッチリとした大きな瞳には苛立ちの色が浮かんでいる。

 曽良は怖気づく様子もなく、「ああ、それね」と言って肩をすくめる。「彼女(・・)が事情だよ」


 曽良のアヒル口は不敵な笑みを浮かべ、その視線は砺波を飛び越え、その背後へ向けられていた。

 砺波は訝しげに眉をひそめ、「彼女?」とつぶやきながらも振り返る。曽良の視線の先に何があるのかを確かめるために。


「こんばんは」


 その姿を確認する前に、か細くも可憐な声が聞こえてきた。

 砺波はその声の主を見るなり、くっきりとした二重が消えてしまうほどに、ぎょっと目を見開いた。

 夢中で部屋に入ってきたためか、全く気付いていなかった。この部屋にもう一人いることなど。それも、ところどころアザはあるものの、透き通るような白い肌をした、妖精のような少女。灰色がかった翠色の瞳は、奥ゆかしい輝きを放っている。カラーコンタクトなどではないだろう。

 砺波が唖然としていると、少女はすっくとソファから立ち上がり、遠慮がちに頭を下げる。細長い茶色交じりの黒髪がぱらぱらと肩をすべって、前へと落ちていく。それはまるで暖簾のように彼女の顔を覆った。


(カナエ)といいます」


 それだけ言って、鼎は顔を上げて砺波に微笑んだ。

 砺波はただ呆然として、曽良よりもニホン人離れした容姿の少女を見つめていた。

 嫌な沈黙が部屋に蔓延し、曽良は居心地悪そうに苦笑する。「実はね」と事情を説明しよう、と口を開いた瞬間、砺波が顔を向きなおし、「ねえ」と深刻な表情で迫ってきた。

 滅多に見せない砺波の真剣な表情に、曽良は恐ろしささえ感じて身を引いた。が、その間を埋めるように、砺波は顔を近づける。そして、ぼそりと小声で尋ねた。


「あの子、誰だっけ?」

「へ?」


 このまま殴られる、とでも思っていたのだろうか。曽良はあっけにとられたような表情を浮かべた。そして安堵したようにがくっと肩を落とす。


「誰……もなにも、初対面だと思うよ」


 そう指摘すると、「え」と砺波は目を瞬かせる。戸惑い気味に眉をひそめ、くるりともう一度鼎に振り返った。

 こんなに見目麗しい少女、一度会ったら忘れることはないはずだが……砺波は思い出せずにいた。どこで彼女と会ったのか。それなのに、ただはっきりと、妙な懐かしさを感じていた。見覚えがある――そんな気がして仕方ない。

 鼎は鼎で、じっと見つめられて落ち着かないのか、頬はひきつり始めていた。

 そんな二人の様子を傍から見ているのは、たまらなく居心地が悪いはず。曽良は口元をゆがめ、「さっそくなんだけど」と切り出して、デスクから飛び降りる。この不穏な空気を取り払うかのような明るい声だった。


「彼女を今晩だけでもいいから、泊めてほしいんだ」

「は!?」ようやく、らしさが戻ってきた。そう思わせるような、あからさまに嫌そうな声をあげ、砺波は勢いよく振り返る。「いきなり、なによ!?」

「だって、俺の部屋に泊めるのは、ちょっとしたスキャンダルじゃない」

「あんたのスキャンダルとか、どうでもいいんだけど」


 とにかく、と曽良は砺波の肩をつかんで、くるりとデスクの方向へ身体を向けさせた。そのまま、二人で鼎に背を向け、ひそひそと話し出す。


「なんでわたしが? とは言わせないよ」脅すようにそう言って、曽良は人差し指を砺波の鼻に向ける。「これはトミーにも責任があるんだから」

「どういうことよ?」


 不穏な空気を察知して、砺波は不安そうに眉を曇らせた。曽良は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、さらに低い声でつぶやく。


「十字架のこと、かっちゃんにバラしたでしょ」

「!」


 砺波はびくんと身体を震わせ、目をむいた。小さな唇の間にぽっかりと隙間が開く。そこからおなじみの甲高い声が飛び出すわけでもなく、ぽかんとして凍ったように固まった。

 曽良はにんまりと笑むと、腕を組む。


「大丈夫。ここだけの話にするから」


 その言葉に砺波はようやく我を取り戻し、わざとらしく咳払いをして目をそらした。


「当然よ」


 こんなときでも勝気な彼女に、曽良は失笑し、「そのかわり」とため息交じりに口火をきる。「彼女を泊めてあげてよ」


 さすがに「いやよ!」と声を荒らげることはなかった。砺波は気に入らないような表情を浮かべたが、「分かったわよ」と、さも面倒くさそうに返事をした。だが、このまましおらしく了解するような少女でないことは、周知の事実。


「そのかわり!」と砺波は曽良に言い返し、きっと睨み付ける。「借りはなしよ」


 曽良は慣れた様子で「分かってるよ」と軽く答え、肩をすくめた。


「それで? 和幸の奴、あんたにチクったわけ?」


 瑞々しい唇をすぼめ、砺波はぽつりとそう尋ねる。珍しく、弱々しい声色だった。悩ましげに眉間に皺を寄せるその表情は、怒りというよりも哀愁を帯びていた。曽良は不思議そうに砺波を見つめつつ、「いいや」と首を横に振る。


「あの十字架を使って、連絡してきたんだよ」言って、ちらりと背後に――きょとんと立ち尽くしている蒼いドレスの少女に一瞥をくれた。「フィレンツェに来て、彼女を助け出すのを手伝え、てね」

「はあ!?」


 耳元で放たれたその甲高い声は、曽良の鼓膜に破らんばかりに突き刺さり、曽良は顔をしかめた。


「助け出すって……どういうこと!? まさか、あいつ、勝手に『迎え』に行ったわけ!?」


 砺波は顔を真っ赤にして曽良に詰め寄る。傍から見れば、その様は曽良に怒り狂っているようだ。曽良は、まあまあ、と両手を挙げて苦笑する。


「しっかり、叱っておいたから」

「そういう問題じゃないでしょ!」


 砺波はここ一番の大声でそう怒鳴りつけ、ふいっとそっぽを向いた。


「信じらんない……」


 掠れた声でつぶやかれたその言葉は、悔しげで、それでいて寂しそうにも聞こえた。が、そのか細い声は誰に届くわけでもなく――いや、届けるつもりは元からなかったのかもしれない。砺波は大きくため息をつき、くるりと踵を返す。くりっとした瞳に鼎の姿を捉えると、腰に手をあてがって、顎でくいっと出口を指した。


「行くわよ」

「え!?」と鼎は目をぱちくりと瞬かせる。「行くって……」

「ついてくれば、いいのよ」


 それだけ言って、砺波はずかずかと歩き出す。突然の展開についていけず、あたふたとしながらも、鼎は助けを求めるように曽良に視線を向けた。

 曽良は穏やかな笑みを浮かべてその視線に応え、「明日、迎えに行くから」と告げて、促すように砺波の背中に目をやった。

 鼎は安心したのか、薄桃色の唇をゆるめ、「うん」と微笑む。ぺこりとお辞儀をすると、ひらりとドレスをなびかせて砺波の後を追う。待ってやろう、という気はさらさらないのか、砺波はとっくに部屋から姿を消していた。


「待ってください」と慌てた鼎の声が聞こえてくる。曽良は疲れ果てた表情で苦笑して息をついた。


 それからしばらく、曽良は一人、ソファに寝転がっていた。眠りにつくわけでもなく、たまにあくびをしてはぼうっと天井を見上げ、物思いにふけっていた。――ある人物が、突然、彼を訪ねてくるまでは。

 それは砺波と鼎が出て行ってから十分ほど経ったころだろうか。鼎が閉じ忘れて開けっ放しになっていたドアがいきなりバタンと閉じて、曽良はハッとして身体をびくつかせた。窓は全部閉まってる。風で閉じたわけじゃないだろう。

 誰か来たのか、と曽良はゆっくりと身体を起こし、そして――そこに立っていた人物に目を丸くした。

 怯えたような青白い顔で、曽良を見つめている少年。百五十七センチほどの小柄な身体。つりあがった瞳。毛先だけ、茶色く染まった髪。


「留王」と曽良は神妙な面持ちで声をかけ、ソファに座りなおした。


 食事を充分に取っていないのか、頬はこけ、睡眠が足りないのか、目元にはクマがある。若干十五歳の少年にしては、実に痛々しい姿だ。

 曽良は憐れむような視線を向け、「座ったら?」とソファを叩いた。だが、留王は動こうとはせず、何も言わずに唇を噛み締め、拳に力をいれた。


「俺は」と搾り出すような声で言い、救いを求めるような視線で曽良を見つめた。「俺は……ちゃんと殺したんだ」

「……」

「ちゃんと、撃ったんだ」


 それは、この一週間、曽良が何度も聞いてきた彼の告解だった。あの日(・・・)から――曽良の言いつけを破った日から――留王は、まるで狂ったように、こうして曽良に訴えてきた。そのたびに、曽良ははぐらかしてきた。留王の心に巣食う疑問に答えるわけにはいかないことを、よく分かっていたから。真実を伝えることは、彼の心の闇をさらに深めることにしかならないと分かっていたから。

 兄としてできることは他にある、と彼は信じていた。そしてそれを実行する覚悟ももう決めていた。


「座って」と、曽良は落ち着きはなった表情を浮かべ、やんわりと説得するように促す。「何度でも、話は聞くから」 

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