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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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運命の夜 -4-

「へえ……本当に怪我がなおった」


 ニヌルタの王、タール・チェイスの弟・ユリィは、窓際に立ち、ぼうっと半開きの目で右手の平を食い入るように見つめていた。そこには、つい数分前まで細かいガラスが突き刺さって出来た傷がいくつもあった。今は跡形もないが。誰かさん(・・・・)のありがたい剣のおかげでな。


「すごいんだねぇ、『聖域の剣』って」


 感心したような声でそう言ってこちらに振り返る。

 って、そんなセリフをニヌルタの奴に言われたくないんだが。いや、そもそも、なんでエンリルの子孫の怪我をエンキの()を使って治してやらなきゃいけないんだ。てか、その前に、なんでニヌルタの王の弟が、オレの部屋に居座ってるんだ?

 ああ、もう……言い始めたらキリがないよ。

 オレはソファに腰を下ろし、呆れてため息を漏らす。


「いったい、どこでそんな怪我できるの? 本間先輩とオークションにでかけただけでしょ」

「元彼とトラブルになって」


 まるでそれがなんでもないかのようにさらりと言って、ユリィは窓の外を眺め始めた。

 が、そんな涼しげに言えることじゃないだろ。オレはぎょっとして、思わず、ソファから立ち上がっていた。


「元彼って……和幸さん? トラブル? オークションで会ったの?」

「そう」振り返る素振りすら見せず、ユリィは相変わらず力の抜ける声で答える。「ちなみに、今彼だけど」

「……は!?」


 な……何言ってるんだ、こいつは? 今彼? あの二人、ヨリを戻したってこと?

 ちょっと待って。だって、本間先輩は……

 困惑して言葉を失っていると、ユリィはくるりとこちらに顔を向けた。やはり感情の伺えない無表情で。


「希望を与えたんだ」


 希望? 突然、何の話だよ? 

 ユリィと同居(認めたくないが)を始めて間もないが、それでも、こいつの意味不明の発言には慣れ始めていた。それくらい、多いからね。だから突拍子もない言葉が飛び出してきても、そこまで驚くことは無くなった。だけど、希望? それはあまりにも違和感のある単語だ。本間先輩……いや、『災いの人形』について話しているときは。


「愛する人と生きる希望」ぽつりと言って、ユリィはまた窓の外を見やる。まるで、誰かを待っているかのように。「彼女には、諦めてほしくないんだ」


「諦めてほしくないって……」オレはふらりとユリィに向かって歩み寄っていた。「何言ってるの、いまさら?」

「いまさらかな。まだ、『収穫の日』まで一ヶ月はある」

「日にちの問題じゃないでしょ」


 ユリィの背後まで近づいて、オレは立ち止まった。カーテンが全開にされた窓に、自分の姿が見えた。窓の奥に立つオレは、白々しくも苦しそうな表情を浮かべていた。本間先輩に同情する権利さえ、ないはずなのに。オレはぎゅっと拳を握り締めた。


「諦める、諦めない、とかいう話でもない。本間先輩に、そんな選択肢はない。そういう運命なんだ」


 ユリィは特に返事をする様子もなかった。ただじっと窓の外に目を向けて動かない。

 黙ればいいのに、オレの口は勝手に動いて言葉を並べだす。まるで、良心の呵責に駆られて懺悔でもするかのように。


「たとえ、和幸さんとヨリを戻したところで、一緒にいられるのはあと一ヶ月だ。それが希望だっていうの? 残された和幸さんの気持ちはどうなる?」


 そうだ。だからこそ、本間先輩は和幸さんと別れたんじゃなかったのか? 和幸さんを傷つけたくなかったから。残された未来が少ないことを知り、愛する人を遠ざけたんだ。これ以上、愛が深まらないように。想いが募れば、それだけあの人を苦しめることになる。そう思ったから。なのに……その気持ちを踏みにじるようなことをして、ユリィはどういうつもりなんだ?


「じゃあ、聞くけど」


 不意にユリィは身体ごとこちらに向け、口を開いた。珍しく、その眼差しは鋭く、睨みつけられているようにさえ感じた。

 オレは、悔しいかな、たじろいだ。ごまかすように「なんだよ?」と尋ねると、


「彼は彼女を『テマエの実』から守ろうと必死だよ。君が与えた『偽りの希望』を信じてね」


 その瞬間、ハッと目を見開き、オレは呼吸を乱した。心臓に寸分の狂いも無く刃が突き刺されたような、そんな激しい痛みが走った。オレの胸を貫いた鋭い刃――それはきっと、罪悪感だ。

 窓に映るオレまでが、軽蔑するような眼差しでオレを見つめている気がした。


「それは……」と目をそらし――ユリィからなのか、光の反射で創り上げられた自分からなのか――口ごもった。


 恥ずかしいほどに動揺していた。それでも、ユリィは容赦なく続ける。いつも通り、まるで感情がこもっていない声色で。


「『収穫の日』、『テマエの実』を食べなければ、彼女は土に還る(・・・・)

「!」

「それを知ったとき、彼はどう思うだろうね? 考えたことある?」


 ざっくりと傷をえぐられた。そんな気分だった。

 それは、正しく……一ヶ月前から――和幸さんに全て(・・)を話したあの夜から――オレが自分自身に問い続けてきたことだった。

 考えたことないわけないだろ……! オレはそう怒鳴ってユリィに八つ当たりしそうになった。ユリィが言っていることは全て正論だと分かっているのに。ユリィの言葉に苛立つ権利さえ、オレにはないというのに。自業自得なんだ。オレが和幸さんに嘘をついたんだ。それがどんな結果を招くか、分かっていて……。いや、だからこそ、嘘をついた。

 『テマエの実』を食べなければ、彼女は人間として生きられる――そう言えば、和幸さんは、必死で『テマエの実』から彼女を遠ざける。そう思ったから。

 『テマエの実』を食べて『終焉の詩』を詠う以外、彼女に生き残る道はない。それを知っていて、わざと嘘をついたんだ。


――リスト……。


 心配そうな天使の声が頭の中に響いた。いつもだったら、呼んでもいないのにでてくるくせに……さすがに、この張り詰めた雰囲気に空気を読んだかな。やっと、天使らしくなったじゃないか。

 オレは、大丈夫、と心の中でケットに告げる。

 でも、本当は……大丈夫じゃない。きっと、ケットもそれに気付いているだろう。なんて無意味な嘘だ。

 オレは苦笑した。今更ながら、神の高潔な血でも騒いでいるのだろうか。激しい後悔。自責の念。それらが身体を蝕んでいる。

 

「とは、言ったものの」ふと、さっきとは違い、のんびりとしたユリィの声が聞こえてきた。「君を責めるつもりはないよ」


 責めるつもりはない? 責められて当然だよ。どんな言い訳だって、オレがしたことを正当化することはできない。

 オレは、嘘で和幸さんの気持ちを利用して……あの人に、恋人を殺させようとしていたんだ。

 眉根を寄せて見つめる先で、ユリィは壁際の棚へと歩み寄っていった。背の高さほどある備え付けの棚。六段ほどあるのだが、すっからかんだ。一番下の段でガイドブックが三冊ほど倒れていて、あとは真ん中の段に……写真が飾ってあるだけだ。――ナンシェの写真が。

 棚の前に立ったユリィは、じっとその写真を見つめていた。そして、おもむろにつぶやいた。


「君は君で、守りたい人がいる。それだけだ」

「!」


 ユリィの口から零れたのは、慰めるような優しげな声だった。今まで聞いてきたどの突飛な言葉よりも、それはオレを驚かせた。


「は……」と、すっとんきょうな声が漏れた。「それだけ……て」

「使命だからってわけじゃないんでしょ」そう切り出し、ユリィは振り返る。そして、ちらりと棚に飾ったナンシェの写真に一瞥をくれた。「彼女を守りたかったから、嘘までついて、世界の脅威を取り除こうとした。君が考えて選んだことだ。だから、オレは責めないよ」


 『だから』……て、やっぱり、こいつの考えてることは分からない。オレはあっけに取られて言葉をなくした。

 でも、なぜだろう。なんとなくだけど……ほんの少しだけど……楽になった――気がした。


「パンドラの恋人は、そうはいかないだろうけど」


 急にまた眠そうな声でそうぼやき、ユリィはのっそりと歩き出した。

 言ってくれる――オレは冷笑を浮かべた。気の利いた冗談のつもりなんだろうか。まあ、いいや。オレはユリィを目で追いながら、肩をすくめる。


「だろうね。覚悟してるよ」


 といっても、オレはマルドゥクの王。不死の身体だ。王位を継承しない限り、死ぬことはない。不老不死ってわけじゃないから、身体は老いるけど……。とにかく、どれほど憎んでも和幸さんにオレは殺せない。まあ、痛みは感じるから……それになりに、うっぷんは晴らせるはず。――そういう意味の、覚悟だ。あの人の怒りを、死に匹敵する痛みをもって受け止める覚悟。


「本間先輩は、和幸さんに話すと思う?」


 ヨリを戻したっていうなら、今頃一緒にいるんだろう。何があったのかは知らないが、彼女の心に何かしら変化があったのは確かだ。真実を打ち明ける気になったと考えてもおかしくはない。


「話す……とは思ったけど」ユリィは再び窓際に立ち、外を眺め始めた。さっきから、何を見てるんだ? 尋ねようかとも思ったが、それをユリィの言葉が遮った。「やっぱり、話せないみたいだ」

「話せない……みたい?」


 なんだか、妙な言い方だな。何か深い意味でもあるんだろうか。だが、ユリィはそれ以上説明しようとはしなかった。マネキンのように突っ立って、窓の外――夜空を見上げている。


「まあ」調子が狂って――ユリィと暮らし始めてからは、いつものことだが――オレはそっぽをむいて腰に手をあてがった。「そりゃ、そうだよね」


 って、なに、他人事みたいに言ってるんだ、オレは。本間先輩をつらい立場に立たせているのは、ほかでもないオレじゃないか。


――リスト、あまり自分を責めないで。


 ふわりとそよぐ風のようにケットの声が流れてきた。オレは頭を振って、それを否定する。

 慰める必要はないよ、ケット。オレは最低のことをした。ちゃんと、分かってる。

 もし、弁明の機会が与えられたなら、オレは「怖かったんだ」と言うよ。『テマエの実』を食べることが、彼女が生き残る唯一の方法。『テマエの実』を食べなければ、『収穫の日』の終わりを告げる十二時の鐘と共に、彼女の身体は土へと還り、魂は記憶を奪われ浄化される。そんなことを知れば、あの人がどんな行動を取るのか、目に見えるように分かったから。たとえ、それが世界を滅ぼす行為だとしても、あの人はきっと……


「天使!?」

「!」


 いきなり、ユリィが驚いたような声を出した。って、こっちが驚くっての。心臓の鼓動が早まって、不自然に呼吸が荒くなった。


「なに?」


 またどうせ不可解なことを言い出すんだろうが。半ば呆れながらも尋ねたオレに、ユリィは素早く振り返る。その表情は真剣……いや、どこか緊張しているようにも見えた。


「現れた、て」らしくない早口でそう言って、ユリィは顔をしかめた。「アトラハシスの天使」

「ア……」 


 さすがにこのとんでも発言には、居ても立ってもいられなかったようで、


「アトラハシス!?」


 オレの言葉を遮って、そんな高い声が辺りに響いた。それは確かに、鼓膜を通して脳に伝わってきた。頭の中に響いたわけじゃない。

 オレはちらりと横に目をやる。そこには血相変えたブロンドの子供が立っていた。ふっくらとした頬は赤く染まり、真っ直ぐにユリィを見上げる金色の瞳は光線でも放ちそうだ。その容姿は、八歳ほどの少年。彫刻のような白い肌、腰まで伸びた真っ直ぐな金の髪。繊細な美をかねそろえた少年だ。その周りを、金粉のようなものが舞っている。それらはやがて、花火の火の粉のように一つずつ跡形も無く消えていった。――天使の鱗粉……だろうか。


「現れたって……どういうこと? どこに?」


 ずいっと前に出て、オレの天使、ケットはそう声を荒らげる。こうして、他の奴にここまで興奮されると、こっちは冷静にならざるを得ないよな。

 オレは腰を曲げ、ぽんっとケットの頭に手を置いた。視線はユリィから逸らさずに。


「その言い方……もしかして、ラピスラズリ?」


 ユリィはこくりと頷き、左手に視線を落とす。その中指には、古びた指輪にはめられた蒼い瑠璃(ラピスラズリ)。――彼の天使が宿る『贈り物(ドラ)』だ。


「今、パンドラたちのところに居るんだ」


 それを聞いてオレは目を丸くし、そしてすぐに納得した。

 そっか、遣いに出してたのか。通りでラピスラズリの姿が見えないと思った。てっきり、ドラの中で休ませているのかとも思ったけど。まさか、ずっと窓の外を眺めていたのは……遣いにやった天使を心配していたからか?


「じゃあ、『人形』の前に、アトラハシスの天使が現れたっていうの? ちゃんと説明して、ニヌルタの子!」


 ケットは声を張り上げてユリィに問いかけた。て、こらこら。興奮しすぎだ。

 そんなケットをじっと見据え、ユリィはゆっくりと首を横に振った。


「そういうわけじゃないみたい」


 じゃ、どういうわけだよ? こんなときまで、曖昧な返事をしないでほしいよ。


「ラピスラズリは会ったの?」


 すかさずそう尋ねると、ユリィは不自然な間を開け、「うん」と答えた。


「今、会うように命じた」

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