『カヤ』との約束
「ニュースだ、ニュースだ!!」
相変わらず、いつも元気な平岡が俺に駆け寄ってきた。朝っぱらからよくあの声量がでるよ。俺は窓際の一番後ろ。なのに、廊下から走ってくるあいつの声はよく聞こえる。
数学の宿題を終わらそうと思って、朝早くから来たってのに。平岡の噂話で朝の時間はつぶれるな。机に開いていた数学の教科書をいさぎよく閉じると、はあっとため息をもらした。
平岡は到着するなり、俺の机に両手をおいた。
「転校生だ!」
またか?
「今度こそ、パンをくわえて走ってきたんだろうな」
「は? お前、前もそんなこと言ってたな。まあいいや。
今度はひとつ下で、神崎さんみたいにキレーな……」
「私がどうかした?」
いきなりの声で、俺と平岡は一瞬固まった。平岡と俺がゆっくりと横に顔を向けると、そこにはカヤが立っていた。
「か、神崎さん」
そういえば、平岡もカヤとはあまり話してないよな。いつも、カヤの噂話はしてるが…劇の練習中も遠めで見てるだけだし。いきなり話す機会がやってきて、平岡は緊張のあまり、カヤに敬礼していた。俺はその様子に、ぶっとふきだした。
「なにやってんだ、平岡」
一方、カヤはいきなり敬礼されてきょとんとしている。そりゃそうだよな。
「おはよう、カ……」
俺はそこまで言ってとまってしまった。思った以上にまわりに注目されている。ここで、カヤ、と呼びつけにするという行為がどういう騒動を巻き起こすか、容易に想像できる。
なんだろう、これは……すごく、照れくさい!
「おはよう、和幸くん」
「!!」
俺が躊躇しているというのに、カヤはあっさりそう呼んだ。あたりがざわついたのが分かる。
カヤは、今までいつも注目の的になっていたと言っていた。一方で、俺は逆だ。カインであることもあって、注目にならないよう、表の世界ではひっそりと生きてきたのだ。注目を集めてはいけない、という意識さえあった。その俺が、今、クラスの注目を一身にあびている。いけないことをしているような、落ち着かない気分だ。
「おはよう、神崎……」
ここで、カヤ、と呼ぶことはできなかった。目をそらし、小声でそうつぶやいた。長年、目立たないよう生きてきたんだ。癖というか習慣というか……つい、注目をさけてしまう。しかし、この様子……砺波に、中学生か! と笑われてしまいそうだ。
「……」
返事がなにもないので、カヤの顔を見上げると、悲しい表情を浮かべていた。
「え?」
なんで?
「それで……神崎さん、どうしたの? アンリを探してんの?」
顔が赤らんだままの平岡が(勇気をだして)カヤにたずねた。カヤは、「あ」と思い出したようにほほえんだ。
「そ、そう。でも、きてないんだね。またあとにする」
アンリを探してた? いや、違うだろ。あの様子……俺に用があったに違いない。
カヤは俺にはなにもいわず、スカートをなびかせ、背を向けた。周りの注目をあびながら、カヤは机の間をすりぬけていく。もしかして、と俺は思った。さっきの行動がカヤを悲しませたのだとしたら……考えられる理由はひとつだ。
「カヤ!」
俺は、教室中に響き渡る声で言って立ち上がった。カヤは驚いて振り返る。さらに驚いているのはまわりのクラスメートと……平岡だ。俺はかまわず、ずかずか歩いていき、カヤの腕をつかんだ。
「和幸くん!?」
戸惑うカヤになにも言わず、俺はそのままカヤを廊下に連れ出し、歩いていく。廊下ですれ違う奴らは、俺ら二人を見ると、目を丸くして何度も振り返った。
「和幸くん? どこ行くの?」
「心配すんな」
「え?」
俺はとりあえず、屋上へ向かっていた。
「俺は大丈夫だ」
「……」
「急に態度かえて避けたりしない。何があっても……」
こういうセリフを言うようなタイプじゃないんだけどな、俺は。恥ずかしくて、カヤの顔を確認する気になれなかった。