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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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インターミッション:戸籍登録

「分かってる、分かってる」曽良はくすんだシルバーの携帯電話を耳にあて、机の上に腰を下ろしていた。鼓膜につきささるような金切り声が電波に乗って送られてくる。曽良はげっそりと疲れた表情でため息をつく。「そう怒鳴らないでよ、トミー。こっちにも事情が……」


 あ、と頬をひきつらせ、おもむろに携帯電話を下ろす。「まったく」と呆れたようにつぶやくと、恨みがましい眼差しでそれを睨みつけた。携帯電話は、息絶えたようにすっかり大人しくなっていた。


「相変わらず自分勝手だなぁ」


 とりあえず携帯電話を木製のデスクに置き、くるりと振り返る。電話していたときとは別人のように、ころっと愛くるしい笑顔を浮かべて。


「書けた? 白雪」


 尋ねられ、ソファに座っていた少女は弾かれたように顔を上げた。ふわりと細い茶色がかった黒髪が揺れる。蛍光灯の下では、少女の真っ白な肌は若干黄みがかかって見えた。これ以上明かりに当たっていては、溶けてしまうんじゃないだろうか。そう不安になってしまうほど儚い雰囲気を持つ少女は、雪の妖精――そんな喩えがしっくりくる。


「あ、えっと」灰色交じりの翠石(エメラルド)が上に下に、と睫の間でころころ転がる。その視線は、目の前の少年と、そして、手元にある一枚の紙を往復していた。「これで、良いのでしょうか」

「見せて」言って、曽良は机から飛び降りて少女のもとに歩み寄る。「ごめんね、一人で書かせて」


 少女は無理した様子もなく微笑んで、「いえ」と首を横に振った。近づいてくる曽良を暖かい眼差しで迎えつつ、不思議そうに尋ねる。


「それより……和幸さんは?」

「帰った」

「帰った?」思わぬ返事にぎょっとして、少女は頭を捻る。「でも、ここがカインのお家なのではないんですか?」

「お家っていうか……ここは、溜まり場に近いかな」


 曽良は暢気にへらっと笑みを浮かべて少女の隣に座った。少女は「たまりば」と不思議そうにつぶやいて、辺りを見回した。

 ここはカインノイエの隠れ家。カインが『実家』と呼ぶ場所。古びた教会だ。二人は、その奥――リーダーである藤本マサルがオフィスとして使っている部屋に居た。目に付くのは、壁に飾られたいくつもの写真。そこには屈託の無い笑みを浮かべる子供たちと、そして一人の男が写っている。写真が撮られた時期が違うのだろう。男の髪には顕著な変化が見られた。海苔のように黒い髪から絹糸のような白髪へと移り行く様子がよく分かる。


「はい、貸して」


 曽良の跳ねるような声に少女は我に返る。二人が並んで座って少し余裕がある程度のソファ。少女が横を振り返れば、曽良の顔はすぐ近くにあった。

 曽良と目が合うなり、「あ、すみません!」と少女はあわてたように持っていた紙を差し出した。


「分からないところがいくつかあって、書いていないのですが」

「いいよ、空欄のままで」

 

 痛々しいアザが残る少女の白い手から紙を受け取ると、曽良は「どれどれ」と茶色い瞳で紙をスキャンするように眺め始めた。

 そこには、いくつかの項目が並んでいる。名前、年齢、性別といった基本情報から、『売られるまでに至った経緯』、『特記すべき身体能力』など奇妙な質問もある。

 書類をチェックし始め、曽良はすぐに目を丸くした。「へえ」と感心したような声を出し、名前の項目を指差す。


「『(かなえ)』って書くんだね、名前。初めてみたよ、この漢字」


 少女――鼎は、懐かしむように目を細め、「ええ」と答えた。


「父がちょっと変わり者で……」

「お父さん? お父さんがいるの?」


 鼎は目が覚めたかのようにハッとして、ぎこちなく微笑む。「養父です」と肩をすくめ、曽良の持つ書類にちらりと視線をやる。


「そこにも書いておいたのですが、生まれてすぐ養女にもらわれて……」


 言われて曽良は紙の上に視線を滑らせる。「あ、ほんとだ」と鼎の言葉を遮ると、ある項目を読み始めた。それは『売られるまでに至った経緯』。お手本のような綺麗な字で簡潔に綴られた鼎の過去。曽良はそれを黙読しつつ、目を細めて考察する。直接的には書かれていないが、その内容から彼女が『発注』されたクローンであることが分かる。どうやら『発注』した人物が、何らかの事情でまだ赤ん坊だった彼女を捨てたようだ。そんな彼女を、ある夫婦(後の養父母)が買い、そして――


「なるほど」と、曽良は重いため息をもらす。「その養父母が亡くなって、こうしてオークションで売られることになったわけだ」

「はい」


 鼎は目を伏せ、肩を落とす。長く伸びた睫がそっと光を遮断し、翠色の瞳に陰りを創る。膝の上に乗せた骨ばった手が蒼いスカートに深い皺を刻み、ほんのりと淡い桃色に染まった唇がきゅっと締まった。

 そんな彼女に、曽良は弔辞を述べるわけでもなく、


「二度と、そんな目にあわせないよ」


 ぽつりとつぶやかれた言葉に、鼎は目を見開いた。青白い顔をばっと上げ、曽良を食い入るように見つめる。その視線に――気付いてはいるのだろうが――応える様子もなく、曽良はただ、書類を見つめていた。


「二度と、家族を失わせたりしない」


 宣誓ともとれる、力のこもった声だった。

 鼎は凍ったように硬直し、喜怒哀楽のどれともつかない表情を浮かべる。


「君に新しい家族をあげる」不意に曽良の唇がゆるみ、その視線が紙からそれた。彼の見つめる先には、主の留守を寂しげに過ごす黒い皮のイス。曽良の顔には穏やかな笑みが自然と浮かんでいた。「父さんが俺にしてくれたように」


「父さん?」と、今度は鼎が顔をしかめた。「曽良さんもお父さんがいるのですか?」

「うん。白雪のお父さんになる人だよ」

「はい?」

「明日、会わせてあげるからね」


 それだけ言って、曽良は再び書類に目を戻した。鼎はしばらくきょとんとしていたが、ぼんやりと「お父さん」とつぶやき、眉根を寄せる。


「カインのリーダー……ですか?」


 艶やかな唇が滑らかに動き、風鈴のように心地よい音色を奏でた。曽良は振り返りもせずに「そうだよ」と答える。

 鼎はちらりと壁に並ぶ写真を見つめた。すべての写真で子供たちの横で微笑む一人の男。視界が悪いかのように目を細め、ごくりと生唾を飲み込む。――と、そのときだった。


「に……っ!」いきなり曽良が身を乗り出して奇声を発した。「にじゅうよん!?」


 書類を持つ手は、今にもぐしゃりと握り潰してしまうんじゃないかというほど力が入っている。何事かと唖然としている鼎に、曽良は仰天した表情で振り返り、


「二十四歳なの!?」


 鼎は目をぱちくりとさせ、ぽかんとしたまま頷いた。曽良はしばらく硬直し、ひきつった笑みをこぼす。


「年下かと思ってた」

「よく、言われます」


 鼎は頬を緩ませ、申し訳なさそうにつぶやいた。


「参ったなぁ」ショックが収まるのにほんの数分ほどかかったが、ようやく曽良は我に返って立ち上がった。「これからは『鼎姉さん』って呼ばなきゃ」


 鼎から受け取った書類を手に、藤本のデスク――今は暫定的に曽良のものだが――へと向かう。そんな曽良の背中を、妖しく煌く二つの翠石(エメラルド)が追っていく。「いいですよ」と照れくさそうに微笑むと、鼎もおもむろに腰を上げた。


「あまり年齢のこと、気にしませんから」

「いやぁ、でも」と躊躇う曽良の後を追うように、鼎は華奢な脚を一歩一歩前へと進めてデスクへと歩み寄る。「言葉遣い、言葉遣い……て、うるさく言われて育ったんです。だから、逆にそういうの嫌になっちゃって」


 曽良が「そう?」と鼎に振り返ると、ちょうど二人はデスクを挟んで向かい合っていた。


「だから、白雪、のままで結構ですよ」


 その美しい瞳が隠れるほどに目を細め、鼎は屈託のない笑顔で答えた。

 そんな笑顔に後押しされるように、曽良はため息交じりに「じゃあ」と照れくさそうに微笑む。「そうする」


「そうしてください」

「その代わり……というのも変だけど、俺のことも『曽良』でいいから。敬語も終わりね」


 思わぬ提案だったのだろうか、鼎はぎょっと目をむいた。今まで見せたことのない、どこか間抜けにも見える鼎の顔に、曽良は失笑する。


「白雪のほうが年上なんだから、当たり前でしょう」

「そうですが……」

「そうだよ。敬語は禁止」


 ぴしゃりと言われ、鼎は諦めたような笑みを浮かべる。


「……分かったわ」


 どこかぎこちないタメ口だったが、一気に親しみが増したのには違いなかった。


「うん、そのほうがいい」満足げにそう言い残し、曽良はデスクの陰に消えた。――少なくとも、鼎からはそう見えた。単にしゃがみこんだだけなのだが。「空欄のところは、明日父さんに会って話してからにしよう。とりあえず、今日はここまで。疲れてるだろうしね。これから妹のとこに連れて行くよ。今夜はそこで休んで……」


 デスクの向こう側から流れてくる声とともに、ガタガタと物音が聞こえてくる。その音に鼎は小首を傾げ、


「なにしてるの?」デスクに近づき手を置くと、身を乗り出して曽良を覗き込んだ。「それ、さっきの紙だよね?」


 鼎の瞳に映りこんだのは、デスクの一番下の引き出しを開けている曽良の姿。しゃがんでいる彼の手には、さっき鼎が書き込んだ書類がある。


「そうだよ」


 さらりとそう答え、曽良はその紙を引き出しの中に差し入れた。そこにはびっしりと同じような白い紙が、いくつかの色違いのフォルダに分けられてつまっている。それを鼎が視界に捉えるや否や、曽良はさっさと引き出しを閉じ、鍵を閉めた。親指ほどの小さな鍵――それをポケットにしまいつつ、すっくと立ち上がり、鼎に微笑みかける。


「どうかした? じっと見つめて?」


 尋ねられ、鼎は咄嗟に背筋を伸ばして両手を挙げる。


「ううん」と首を横に振ると、輪郭を隠すように左右に垂れた前髪が彼女の頬をさすった。「今更なんだけど、あの紙はなんだったんだろうな、て思って」

「『戸籍』」


 けろっとそう答える曽良に、鼎は眉根を寄せた。「こ、戸籍?」と疑い深げに尋ねると、曽良は「俺たちがそう呼んでるだけ」と肩を竦めて付け加える。


「『迎え』に行った子供たちの記録だよ。こうして、一人一人書類に残しておくんだ」


 そう言う曽良の視線は、先刻鍵を閉めた引き出しへ向けられている。へえ、と興味深げに鼎はそんな曽良を正視し、静かな口調で尋ねる。


「カインも、書くの?」

「もちろん」自慢げにそう言って、曽良は鼎に振り返る。「カイン全員、一度は書き込んでるはずだよ」


 鼎は唇に浮かべた微笑を崩すことなく、「そう」とつぶやいた。体の横で大人しくしていた真っ白い腕がぴくりと動き、彼女の胸元へと伸びる。鎖骨の間で蒼く輝くペンダントに触れると、撫でるようにそれをさすった。


「カイン全員の『戸籍』……便利(・・)そうね」


 それはまさに、『無垢』といっていい愛くるしい笑顔だった。そしてその笑顔に、やはり心に染み渡る懐かしさを覚え、曽良は目を細めた。

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