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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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最後のおつかい -6-

 カインが『実家』と呼ぶ教会から一キロほど離れた小さな公園。そこは昼も夜も変わらず人気がない。遊具といえるものが、砂場と鉄棒しかない上に、鉄棒は一回逆上がりをすれば折れそうなほど錆びている。鬼ごっこができるほど広くもなく、木登りができるような高い木もない。子供がよりつかないのも無理は無かった。

 それでも、彼にとっては思い入れのある場所に違いはない。幼いころ、『実家』が近いということもあって、兄弟たちと学校帰りにここで遊んでいたのだ。兄弟といっても、(苗字は同じだが)血のつながりはない。共有していたものといえば、境遇や秘密、生業――そんな一風変わったものだけだ。だが、彼は自信を持って言える。それは血縁以上に固い絆だ、と。

 特に、同じ年のある二人(・・・・)とはどこに行くにも一緒に行動していた。勝気な少女と気ままな少年。毎日問題を起こす二人のせいで、彼は小学生ながらに気苦労が耐えなかった。そのお陰で、精神的に早く成熟したといってもいい。が、中学入学とともに、さすがにこれ以上振り回されるのは御免だ、と彼は彼らと距離を置いた。

 そして――

 一つの電灯が砂場にしゃがむ少年をぼんやりと照らしていた。フードつきのジャケットを羽織り、なにやらせっせと砂をいじっている。十年ほど前とは違い、随分大きくなった背中に、それでも懐かしさを覚え、和幸は目を細めた。


「その年で砂遊びか、曽良?」


 ゆっくりと歩み寄りながら、彼はそう声をかける。言葉と一緒に、初冬の肌寒さを象徴するような白い煙が口から漏れた。


「トンネルでもつくろうかと思って」曽良は楽しげにそう答え、振り返る。砂をいじり始めてまだ時間は経っていないようで、両手の平や爪はまだ綺麗だった。「かっちゃんもやる?」

「遠慮しとくよ」


 子供に話しかけるようなやんわりとした口調で言って、和幸は彼の背後で立ち止まる。電灯の光を彼がさえぎって、曽良の全身を大きな影が覆った。


「よく、ここで遊んだよねぇ」


 水分が無いせいで固まる様子のない砂を、それでも曽良はせっせと山の形に積み上げる。和幸からはその表情は伺えないが、懐かしむような声色で彼がどんな顔をしているかは大体予想がついた。


「そうだな」と答える自分の声も、曽良のそれによく似ている。和幸は照れくさそうに苦笑して、曽良の隣に腰を下ろした。

 いろいろと話さなきゃいけないことがあるのに、なぜか和幸は言葉が出てこなかった。隣で砂と格闘する曽良の気配を感じつつ、ただじっと前を見詰めていた。何から話したらいいのか分からないわけではない。こうして兄弟の隣で何も考えずにぼうっとする時間を――幼いころは当たり前のようにしていたことを――じっくり味わいたかったのかもしれない。

 しばらくそうして、「だめだ」とぼやく曽良の声が聞こえてきた。どうやらやっと諦めたようだ。どさっと横で音がして、やっと和幸は横に目をやる。丁度、曽良が砂に座り込んだときだった。涼しい表情で夜空を振り仰ぐその横顔は、男の和幸でさえ色気を感じるほど様になっている。


「カナエはどうした?」と和幸はやっと口を開いた。曽良は振り返ることもせず、「ひとまず『実家』に置いてきた。外は寒いからね」と答える。特に感情の感じられない口調だった。


「そうか」と言って和幸はまた顔を前に向ける。その方角の先には、かつて(といっても二週間ほど前まで)自分が『実家』と呼んでいた教会がある。和幸の表情は曇った。


―― 日向(こっち)にはもう俺の居場所はない。だから、帰るだけだ。ふさわしい場所に。


 カヤに放った別れの言葉が脳裏によぎる。そして疑問がそれを追いかけた。――果たして、自分にとって『ふさわしい場所』とはどこなのだろうか、と。

 カインに戻る気だった。視線のずっと先にある教会を再び『実家』と呼ぶつもりだった。隣にいる少年を、また『兄弟』と呼ぶつもりだった。『無垢な殺し屋』を名乗るつもりだった。

 だが、もうその自信はなくなっていた。あの教会はまだ自分にその扉を開いてくれるのか。いや、その前に、自分にその扉をくぐる気があるのか。大切な家族……果たして自分はその一員に戻れるのだろうか。和幸には分からなくなっていた。

 それを確かめる方法は一つ。この心の中で渦巻く黒いもやを消し去るためには、吐き出す他はなかった。


「なあ、曽良」肩膝を抱える手に力がこもる。自分が今から何をしようとしているのか――考えただけでも、恐ろしくなる。心の臓も必死に脈を鳴らして和幸に「やめろ」と訴えかけていた。聞くべきではないことは分かっている。だが、聞かずにはいられない。おそらくは、『無垢な殺し屋』と呼ばれる兄弟たちに最も尋ねてはいけない質問だ。それでも、和幸は問いかけた。


「なぜ、『殺し屋』なんてしてるんだ?」


 一瞬だったが、視線を感じた。唐突な、それも思いもしなかった質問に、驚いてこちらを振り向いたのだろうか。和幸は曽良を見ることは出来なかった。眉を曇らせ、視線を落とす。


「お前は……」と、首でも絞められているかのような苦しげな声を漏らす。「蟻も殺せなかった。延々と蟻の行列を眺めて、楽しそうにしてる馬鹿な奴だった。だから……」


 和幸はそれ以上は口には出来なかった。ぎゅっと唇を結び、押し黙る。

 ショックだったのかもしれない。お互い『殺し屋』と呼ばれるようになる前に――真に『無垢』であったときに――遠ざかってしまった。だから和幸の中で、曽良は小学生のころから成長していなかったのだ。ただの『馬鹿な良い奴』。それが、目の前で人を殺した。言い知れぬ恐怖を覚えた。大切な何かを失ったような気分だった。

 分かっているつもりだった。自分以外の家族が『殺し屋』と呼ばれるに値する行いをしていることを。理解している上で、家族と呼んでいたつもりだった。だが――。


「もし」と曽良が口火を切るまで、随分長い間、沈黙が続いた気がした。


 ようやく和幸は曽良に視線を向ける。曽良はやはり涼しげな表情でそこに座っていた。とんでもない質問をしたはずなのに、動揺は見当たらなかった。

 そして曽良のアヒル口がおもむろに開き、


「もし、かっちゃんが蟻アレルギーで、命に関わるというなら、俺は世界中の蟻を殺して回るよ」

「……は?」


 思いもよらなかった返答に、和幸は無意識に間の抜けた声を漏らしていた。蟻アレルギーというものが実在するのかすら和幸には分からない。曽良らしいといえばそうなのかもしれないが、何を言い出したのか、全く理解できなかった。

 曽良はそんな和幸の様子を楽しむようにくすりと笑んで、愛しそうな眼差しを月に向けた。


「俺が『殺し屋』なのは……ただ偶然、家族を脅かす存在が人間だったから」言って、曽良は視線だけ和幸によこす。「家族の脅威は全て取り除く。俺がしているのはそれだけだよ」


 和幸の眉がぴくりと動いた。曽良の(やはりセンスの無い)喩え話の意図を汲み取ったのだ。途端に、曽良の視線を避けるように苦い表情を浮かべて顔をそらす。罪を糾弾されているような気分だった。胸が締め付けられるように痛む。それを堪えるように固く瞼を閉じ、「俺は」と悔しそうな声を漏らした。


「俺は、そんな考え方はできない」


 閉じた瞼の裏に浮かんだのは、全く関係のないはずの少女の笑顔だった。和幸はそんな彼女の幻影から逃れるように目を開く。それでもやはり、はっきりと残ってしまうのだった。これから先、何が起きても消えることはないのだろう、彼女への想い――。


「危険だから、殺せばいい。そんな考え方はできないんだ。たとえ、それが……」


 世界を守るためだとしても――和幸はその言葉を喉の奥に押し込んだ。

 曽良の話とこれ(・・)は無関係だ。見当違いの返答をした、と自覚している。ただどうしても、曽良の言葉から彼女を連想せずにはいられなかったのだ。

 曽良の言う家族の脅威。間違いなく、カヤもそんな存在に含まれることを和幸は知っていた。

 冷たい風が容赦なく吹き付けて、曽良が創り上げた小さな山がさらさらと砂の海へと消えていった。――そのときだった。


「そんなかっちゃんだからこそ、カーヤは好きになったんだろうね」


 いきなりその名が飛び出して、和幸は目を見開いた。確かに、カヤのことを考えてはいたが……まるで心の中を読まれたような気がして、和幸はあわてふためいた。


「なにを……急に!?」歯切れ悪くそう怒鳴って、和幸は不機嫌そうに顔をしかめる。「カヤの話はやめてくれ」


 口ごもり、和幸はそっぽを向いた。落ち着かない様子で、胸元の十字架に手をやる。

 そんな和幸を横目で見ながら、曽良は慰めるように話しかける。


「かっちゃんは彼女の傍にいるべきだよ」

「は!?」一度はそむけた顔を戻し、和幸は曽良を睨みつける。「お前……これ(・・)で聞いてたんじゃないのかよ!? カヤと俺は別れたんだ」


 和幸は掴んでいた十字架をひっぱり、曽良に見せ付けた。何も知らない人間が傍からこの様子を見れば、和幸がネックレスを見せびらかしているように思うかもしれない。が、彼の真意はそんなことではない。

 和幸の胸元にぶら下がるネックレス――一見、それはただのロザリオだが、中には盗聴器と小型の爆弾が仕組まれている。何を隠そう、曽良が和幸と鼎を『迎え』に行ったのも、その仕込んだ盗聴器を通して和幸のメッセージを聞いたからだ。


――フィレンツェ、東側の庭を抜けて外に逃がす。


 それが、曽良へ届くように和幸が十字架にこめた『お祈り』だった。


「どうせ、俺とカヤとのケンカも全部筒抜けだったんだろ!?」呆れと苛立ちが混じったような声色でそう怒鳴り、和幸は大きくため息をつく。本当なら、こうして口に出したくも無い出来事だ。「カヤはもう俺を必要としてない」

「必要としてるよ」間髪いれずに曽良はそう反論した。「これまで以上に」


 そう言う曽良の声色にはからかっている様子は一切ない。いや、真剣そのものといっていい。和幸はそれに気付いて、眉根を寄せて曽良を見つめた。その瞳には怒りも照れもない。ただ純粋に不思議だった。


「知ってるんだ」


 ぽつりと曽良はそうつぶやいた。憐れみの混じった神妙な面持ちで。

 和幸は妙な胸騒ぎを感じて、ひきつった笑みをこぼす。「なにを……」と尋ねる声は不安定に揺れていた。曽良は覚悟を決めた厳しい眼差しで和幸を見据え、そして――


「カーヤはもう全部(・・)知ってるんだ、かっちゃん」

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