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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
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最後のおつかい -3-

 声を出す暇もなく、目の前で男が崩れ落ちた。

 何が起きたのか。自分が今、何を見たのか。まるで記憶が飛んでしまったかのように、理解できなかった。ただ、顔にべっとりと不快な液体がついている。それだけはしっかりと感じていた。

 足元に倒れている男を見下ろすことも憚られ、和幸はただ前を見ていた。呼吸は乱れ、体中が震えている。さらに開かれた瞳孔は、今が夜だということも忘れてしまいそうなほど、はっきりとした視界を彼に与えていた。そして、その視界の中で佇む一人の少年の姿も、その輪郭までくっきりと映し出していた。

 火を放った竜のごとく煙を吐く拳銃。それをゆっくりと降ろすと、少年は口元に笑みを浮かべる。アヒルのように愛らしい唇はおもむろに隙間を開け、そこから風鈴のように澄んだ音が漏れた。


「『お迎え』に来たよ、かっちゃん」


 たった今、人の頭を撃ち抜いた人間とは思えない、のんびりとした声だった。遊びに行こう、と誘う小学生のような暢気な声だ。和幸はその声にハッと我に返り、思い出したかのように大きく息を吸う。


「曽……良」と、息を吐き出すのと一緒に震えた声を溢した。


 どこからともなく現れ、背後から男の脳天を銃弾で貫いた少年。薄い茶色い瞳に長い睫。筋の通った高い鼻。ほっそりとした輪郭に横に伸びた薄い唇。東洋と西洋の特徴が混ざりあった顔つきは異彩を放ち、月夜に妖しくも思える美しさをかもし出している。彼のそれは、同性をも魅了する姿だ。黒いロングTシャツに、ぴったりとひきしまった黒のジーンズ。全身黒ずくめの地味な格好でも目を引いてしまうのだから、『暗躍』という言葉は彼には似合わない。右手に握り締められている銃のほかにも、腰には警棒をぶらさげ、両手には皮のグローブ。さらに、万が一のためにナイフが仕込まれているミリタリーブーツ。愛くるしい顔立ちからは想像できないものばかり身に着けている。

 彼もまた、和幸と同じく、裏の世界で育った少年。和幸の幼馴染であり、兄であり、弟であり、親友だった。今では『無垢な殺し屋』と呼ばれる子供たちをまとめている若干十七の少年。――藤本曽良。

 曽良は微笑を浮かべ、一歩ずつ和幸に近寄る。


「ほんっと、あぶなっかしいんだから。放っとけないなぁ」


 和幸は曽良のくっきりと大きな茶色い瞳から目が離せなかった。いや、目を離すな、と言われているようなプレッシャーを感じていた。


「俺がもうちょっと遅れてたら、今、ここに転がっているのはかっちゃんだよ」


 和幸とある程度距離を置いて、曽良は立ち止まった。和幸には分かっていた。その距離が示すもの――それは、さっきまで自分に銃を突きつけていた青年の背丈(・・)。それ以上、曽良は近づくことはできないのだ。足元に、動かぬ肉の塊となった青年が転がっているから。


「間に合ってよかった」


 にこりと屈託の無い笑みを浮かべる幼馴染に、和幸はぞっと背筋が凍りつくような感覚を覚えた。

 そういえば……と眉根を寄せて思い返す。曽良とは中学に入って以来、疎遠になった。無論、『おつかい』でタッグを組んだことも無い。つまり、『殺し屋』としての彼を、和幸は今の今まで知らなかったのだ。


「それで?」と、曽良は和幸の瞳を食い入るように見つめたまま、穏やかな声で尋ねる。「あっちの二人に、顔、見られた?」


 誰にいじめられたのか――息子にそう尋ねる母親のような慈愛に満ちた声色だった。

 その瞬間、和幸は目を見開いた。ぎくりとして、みぞおちに拳を食らったような衝撃を感じた。あっちの二人。それはついさっき、和幸に蹴られ、あるいは殴られ、気を失っているガードマンたちだ。

 曽良の質問が意図することが何か。顔を見られた、と正直に答えればどうなるのか。明白だった。和幸は「いや……」と顔をしかめて口ごもった。

 曽良の右手に握られている自動式(オートマチック)拳銃は、すでに次なる咆哮に備えている。曽良はそれを倒れている男たちに向け、引き金を引けばいいだけだ。曽良は躊躇しないだろう。その凶行を止めるもの――世の中で、常識や倫理と呼ばれるもの――は、この『無垢な殺し屋』には無い。彼の命こそ、それらを捻じ曲げて創られたものなのだから。そしてなにより、彼は……いや、カインと呼ばれる子供たちは、『疑問』を持つことを知らずに育ってしまった。それが和幸と彼らの決定的な違いだった。


「そう」言葉を詰まらせる和幸に、曽良は不意にそう言って涼しげに微笑んだ。そして唐突にこう促す。「かっちゃんは、あの子を『迎え』に行って」


「え?」と和幸が困惑した声を漏らすと、曽良はちらりとバルコニーに視線を向けた。和幸もつられるように、顔を上げてバルコニーに目をやる。

 その瞳に飛び込んできたのは、柱列の間から顔をのぞかせている一人の少女。心配そうに緑色の瞳をこちらに向けている。

 和幸は彼女の姿を確認すると、そうだった、と心の中でつぶやいた。今更、自分が何をしようとしていたのか、思い出したのだ。そして、自分がしなければいけないことも。


「さすがにさっきの銃声は、近くのガードマンに聞かれてるでしょう。いろいろ話したいこともあるけど、またあとにしよう。さっさとここを離れないと、まずいことになるからね」


 曽良の真剣な声に、和幸は視線を戻して「そうだな」と苦しげな表情で答えた。曽良は満足げに微笑むと、目をつぶってそっと呟く。


「ヤハウェのご加護を」


 誰が言い出したのか、それはカインの子供たちの間で使われる合言葉だった。特に『おつかい』に向かう兄弟姉妹に送る祈りの文句。

 ヤハウェとは、初めて人(それも実の弟であるアベル)を殺したカインに情けをかけた神。人々からの迫害を恐れるカインに、『カインを殺せば七倍の復讐がある』、と刻印を押して守った情け深き神。――少なくとも、『無垢な殺し屋』と呼ばれる子供たちは、そう信じていた。だから彼らは、そんな神とある人物とを重ね合わせていた。

 彼らが陰でヤハウェと呼んで崇めるもの。彼らの罪深い命を許し、救い、居場所と『使命』を与えてくれた存在。それは藤本マサルに他ならなかった。

 それこそが、カインの子供たちの中での『常識』だった。

 だが、和幸だけはその『常識』に違和感を覚えていた。確かに、藤本マサルは恩人であり、自分や兄弟たちにとっては神に等しい存在。いや、神よりも偉大な存在かもしれない。和幸も藤本マサルを誰よりも慕っているつもりだ。だが……その合言葉だけは引っかかっていた。彼には、それが兄弟たちの内なる悲鳴に聞こえて仕方が無かったのだ。本当にヤハウェとは藤本マサルを意味しているのだろうか。本当は、(アベル)を殺したカインと同じく、罪に怯え、本物の神(・・・・)の救いを求めているのではないだろうか。本当は、兄弟たちも自分と同じく、命を奪うという行為から逃れたいのではないだろか。

 兄弟たちのヤハウェへの祈祷を耳にするたびに、和幸はそんな疑問を抱いていた。


「すまない、曽良」


 気付けば、和幸はそう謝罪していた。自分を守るために、その手を更なる血に染めた兄弟に。

 曽良はゆっくりと瞼を開くと、不思議そうに和幸を見つめた。


「なにが?」


 その表情は、やはり普段と何も変わらなかった。和幸は何も答えられずに、首を横に振った。寂しさと言い知れぬ虚しさが心をえぐった。

 和幸はその場から……いや、曽良から逃げるようにあとずさると、バルコニーを見上げて下半身にぐっと力を入れて地面を蹴った。一時的に筋力強化された両脚は、強力なバネとなって彼の身体を軽々と夜空に跳ね飛ばした。


   *   *   *


「和幸さん!」


 バルコニーの手すりに着地した途端、カナエは血相変えて駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 大きな緑色の瞳を左右上下に忙しなく動かし、俺の体中をなめ回すように見つめてくる。俺は苦笑しつつ、「大丈夫だ」とバルコニーに降り立った。

 にしても……庭から二階(ここ)まで跳びあがってきたってのに、驚く様子を見せないのな。カヤだったら「どうやったの?」なんて言って、目を丸くして呆然としそうなものだ……て、何考えてんだ、俺は。カヤはもう関係ないだろ。未練たらしい。


「あの、さっき話されていた方は? お知り合いなのですか?」


 あたふたとしながら、カナエはそう尋ねてきた。

 そういや、ここからずっと様子見てたんだよな。てことは、曽良が人を殺すのを見ていたはずだが……。別段、取り乱してもいない、か。不思議な女だ。ま、カインが『殺し屋』と呼ばれていることは知っているだろうし、こういう展開も予想はしていたのかもな。覚悟の上、か。それとも……殺しを見ても平気なほど、よっぽどひどい目にあってきたのだろうか。これくらいの年頃の女が売られるとしたら、その目的は大体、性玩具。あまり考えたくは無いが……。

 まあ、いい。なんにせよ、ろくな理由ではないだろう。人が殺されるのを目の当たりにして平気でいられるなんて……まっとうな理由があるはずもないんだ。

 俺は手すりを背にして頭をかいた。


「ああ。知り合いってか、あいつもカインで……」


 そのときだった。あたりに銃声が鳴り響いた。衝撃が空気を震わせ背中に伝わる。ぞくっと背筋に悪寒が走った。

 目の前で、カナエがびくっと身体を震わせた。「また……」と彼女が怯えた声を漏らしたのと同時に、もう一つ。ほんの少しだけ間を空けて、二つ目の銃声が鳴る。

 これで、二人目。

 俺は諦めたようなため息をついて視線を落とした。曽良の暢気な笑顔が頭に浮かぶ。人を殺したあとだとは思えないほどの、いつもと変わらない笑み。まるで何事もなかったかのような、それが当然かのような……。普通であることが、これほどまでに恐ろしいと感じたことは今までない。あの笑顔に恐怖を覚えることになろうとは、思いもしなかった。

 もう……曽良(あいつ)を知っている、と言える自信がない。俺はきっと、随分昔に、大切な幼馴染を失っていたんだ。蟻を踏むのも躊躇った『無垢』な弟は、とっくにいなくなっていたんだ。

 俺はちらりと庭に振り返り、銃を片手に辺りを見回す男を見下ろした。

 あれが誰なのか……俺にはもう、分からない。

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