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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第四章
202/365

前夜祭 -1-

 トーキョーの都心に、夜な夜な豪華なパーティーが開かれる洋館がある。トーキョーの各地にちらばるオークション会場の一つ、『フィレンツェ』。そこは上流階級の社交場。情報を交換しあい、見栄を張りあう会場だ。

 『明治』と呼ばれた時代をイメージしたデザイン――かつて、外国からの使者をもてなすために建てられた鹿鳴館に似せた外観に、知識人を気取った人間は「ほう」と感嘆の声をあげる。

 ドアマンが開く巨大な扉をくぐれば、両腕を失った女神像――かの有名なヴィーナス像のレプリカ――が出迎え、辺りを見回せば、大理石の柱の間をぬうようにあちらこちらに高価そうな骨董品が並んでいる。

 エントランスを抜けた先には広々としたレセプション会場が広がり、フランスの王宮を彷彿とさせる巨大なシャンデリアがゲストを俯瞰している。そして女性たちの煌びやかなドレスと光り輝く宝石が会場のフロアを鮮やかに彩る。せっかくのロココ調のイスやキャンドル、華美な花瓶に生けられた背の高い花々も、見劣りして大して目に入ってこない。女性たちが――いや、女性たちが身に着けているものが会場の装飾そのものといっていい。

 点々と会場に置かれた円形のテーブル。まるで蜜にむらがる虫のように、それを囲んでゲストたちは談笑している。和気藹々と話しているように見えるが、腹のうちではどう相手を出し抜こうか企んでいる。自分の権力をちらつかせて優位に立つ――それがここでの会話のコツだ。

 ギラギラと野心に燃える瞳を浮かべる紳士たちと口元をおさえながら上品に微笑む貴婦人たち。その間を踊るように軽やかに通り抜ける配膳人――彼らは銀の盆にシャンパンを載せて、貴婦人たちに微笑みかける。中には妖しげな笑みを交わしあう貴婦人と配膳人の姿も。毎週のようにここに通ううち、若い配膳人と禁断の関係を育んでしまう女性も少なくはない。

 それが理由ではないだろうが、トーキョーのオークション会場で働くためには――掃除係さえも――ある程度地位の高い人物の推薦が必要になる。それゆえに、バイト感覚で仕事をしているとはいえ、ここで働く人間はそれぞれ由緒ある家柄の出だ。さらにいえば、見た目の良さもいくらかは考慮される――との噂だ。


「おい!」とそんな配膳人の一人が、柱に寄りかかって辺りを見回している同僚に声をかけた。「さっきから、なにそこで突っ立っている?」


 ワックスでオールバックにした髪がシャンデリアの光を浴びて輝いている。ラメでもつけているかのようだ。すばやく動いても、右手で支える盆に乗ったシャンパンはこぼれることはない。ここで働き始めて三年。彼の身のこなしはすでにベテランの域に達していた。


「お前だ、お前!」と、自分とまったく同じ格好――白いワイシャツ、黒いベストとズボン――をした同僚に近寄ってその肩を叩いた。


 それでやっと自分のことだ、と分かったようで、同僚はハッとしてこちらに振り返る。さらりとした黒髪が揺れて、深みのある茶色まじりの黒い瞳がこちらに向けられた。母性さえ感じる優しげな顔。目立つような格好良さはないが、なんとなく、綺麗だという印象を受ける。女性だったら美人ともてはやされていたに違いない。ただ……見覚えがない。オールバックの配膳人は顔をしかめた。


「なんですか?」と少年はとぼけた声を出す。

「お前、新人か?」ちらりと少年の右胸に目をやると、そこには『田中』と書かれた名札がつけられている。「田中?」


 よくある苗字だが、この職場では聞いたことはない。眉根を寄せていると、少年は頭をかいて照れたような笑みを浮かべた。


「ああ、はいはい。今夜からです。田中はじめです」


 どうも、と田中は頭を下げた。怪しむような表情を浮かべつつ、「俺は益子(ましこ)雄一だ」と面倒くさそうに名乗り、益子は持っていたシャンパンの盆を田中に渡す。「とにかく、ぼうっとしてないで飲み物配れよ」


 田中はあしらうように「すんません」と軽く言って盆を受け取った。


「初めてで物珍しいのは分かるが」


 新人め、と心の中で愚痴りつつ、益子は辺りを見回す。びっしりと敷き詰められるようにゲストが溢れる会場。このパーティーはオークションの前座のようなものなのだが、ほとんどの人間はこのパーティー目当てで来ている。どれだけ自分が裕福かを自慢できる絶好の機会なのだ。その証拠に、オークションが始まっても大半の人間(特に女性)はここで会話を続けている。配膳人の忙しさは、オークションが始まっても変わることはないのだった。いや、忙しさは増す。|なぜか《

・・・》、数人の配膳人が仕事の途中で貴婦人たちとともに忽然と姿を消すからだ。そのせいで人手が足りなくなっててんてこまいになるのはいつものこと。だからこそ、新人にはしっかりしてもらいところだ。

 益子は田中に視線を戻すと、脅すように告げる。


「あまりきょろきょろしていると田舎者だと馬鹿にされるぞ」

「いやぁ」と田中は特に気にする様子もなく苦笑して、辺りを見渡した。「元カノを探してるんですよね」

「……元カノ!?」


 ここに元カノが? てことは、相当のお嬢さまか……もしくは人妻だぞ。いや、と益子は自分を諌めるように首を横に振った。そんなことはどうでもいい。こいつは仕事中に何を考えているんだ? 先輩としてびしっと言ってやらなくては、と益子は勇んだ。


「お前な……」

「いきなり、フラれたんスよ。それからろくに口も利こうとしないんで、どうすりゃいいのか……」


 益子の言葉を遮って田中がぽろっともらした愚痴に、益子は口を噤んだ。注意しようという気が一気に失せて、代わりに仲間意識が芽生えた。


「俺もそういうことあったな」益子は仕事を忘れて、遠い目でかつて本気で愛した女性の面影を思い出す。「狂ったように電話かけては、ことごとく留守電にされたなぁ」


 哀しげな先輩の言葉に、田中は苦笑して何度もうなずいた。


「左に同じです」

「女は皆、悪魔だよ」

「……そうかもしれませんね」


 急に田中は神妙な面持ちで視線を落とす。口元には笑みが浮かんでいるが、笑顔とは程遠い表情だ。益子はそれに気づいて眉をひそめ、「ああ、そうか」と憫笑した。


「よっぽどひどい女にひっかかったんだな、お前」


 すると田中は益子に振り返り、「は?」と目をしばたたかせる。なんともとぼけた表情だ。ここまできて悪女に遊ばれたことを否定したいんだな――益子はさらに同情して、泣きそうになった。全ては経験だ、次に生かせ。口に出して伝える代わりに、益子は田中の肩を力強くつかむ。

 田中は柳眉を寄せて、唇をかみしめて自分を見つめる先輩を見つめた。――そんな二人に、小柄な茶髪の少年が駆け寄ってくる。


「益子先輩!」


 銀の盆を脇にはさんで、愛嬌のある顔を赤らめて走ってくる。益子は田中の肩から手を離すと、「なんだ、松本?」と声をかけた。


「やばい、すんげぇ美人!」


 松本は二人の前で立ち止まるなり、息を切らせてそう言い放つ。いくら騒がしいパーティー会場とはいえ、興奮したまま放った声は辺りによく響き、周りの貴婦人がいぶかしげな表情でこちらに振り返った。中には自分のことか、とそわそわしている女性の姿も見受けられる。

 益子は「声でけぇよ」と松本の腕をひっぱり、そそくさと柱の影につれていく。


「美人って誰だよ?」


 しかし、美女と聞いて知らんふりをするわけにはいかない。期待に胸を躍らせながら、益子は松本を食い入るように見つめて尋ねた。松本は「聞きたいですか?」ともったいぶって、押し殺した声で益子に耳打ちする。


「噂の本間代議士の娘ですよ。いやいや、ほんっと噂以上っすよ!」

「本間の娘!?」と益子は驚愕のあまり、目を見開いて大声を出していた。「来てんのかよ!?」


 本間代議士――本間秀実は国家公安委員会委員長を務める国務大臣だ。オークションの常連で、ここ『フィレンツェ』にも毎週のように顔を出している。政治的手腕もさることながら、最近では、絶世の美女を養女に迎えたという噂で有名だ。一体、いつ本間代議士は娘を社交界デビューさせるのだろうか、と『フィレンツェ』の配膳人の間でも話題だった。トーキョーでの社交界デビューとは、すなわち、オークション会場にドレスアップさせて連れてくることを意味する。美少女のドレス姿……『フィレンツェ』の従業員は今か今かと、毎回オークションが開かれるたびに待ちわびていたのだ。

 そんな彼女がなんと今夜来ているという。益子は目を輝かせて、松本に迫る。


「で、一人(・・)で来てるのか!?」


 もちろん、一人なはずはない。父親である本間代議士も一緒だろうが、そんなことを聞いているのではなかった。つまり、連れ(・・)はいるのかどうか。フリーかどうか、だ。松本も益子の意図は汲み取っていた。益子の期待の眼差しを一身に受けつつも、だが、「いえ」と苦笑して首を振る。その瞬間、益子は舌打ちして頭を垂らした。


「男いるのかよ。夢がねぇ」

「それが」と松本は渋い表情を浮かべて、陰口でもたたくかのようにひそひそと報告を始める。「連れてる男も、有り得ないくらいのいい男なんですよ。つい、俺も見惚れちゃいました。あれなら仕方ないかな、て諦めがつきますね。お似合いっすもん」


 それを聞いて、益子はゆっくりと顔を上げた。「まあ」と呆れたように鼻で笑う。


「ゲストとして来る人間と配膳してる俺たちじゃ、元々つり合わないもんな」

「そうですよね」松本は肩をすくめてあっけらかんと同意する。「目の保養させてもらって、満足しましょう」


 そんな二人の話を後ろで盗み聞きしていた田中は、唐突に「どこに居るんですか?」と口を出してきた。

 話に夢中で田中の存在に気づいてもいなかった松本は、びくっと肩を震わせて慌てて振り返る。


「お、お前誰だ?」

「田中はじめです」と田中はへらっと微笑んだ。

「新人か?」

「はい、今夜からっす」


 そんなことより、と田中は松本に歩み寄り、不敵にも思える微笑を浮かべて低い声で尋ねる。


「本間代議士の娘、どこにいったら会えますかね?」


***


 パーティー会場の視線がある一点に釘付けになった。膝丈のホルターネックドレスに身を包んだ少女がハイヒールを鳴らして入ってきたからだ。ただの少女だったなら、ここまでの注目は浴びなかっただろう。彼女がもし、男も女も関係なく、一瞬にして目を奪われてしまうほどの美しい少女でなかったならば、皆、見向きもしなかっただろう。まさに傾国の美女とは彼女のこと。会場が一気に静まったようにも思えた。

 ワインレッドやゴールドなど派手な色のドレスが溢れる中、たったひとり真っ黒な質素なドレスで現れた彼女は会場で一際目立つことになった。ドレスの背中は腰の辺りまでぱっくりと開き、浅黒くなめらかな肌があらわになっている。そのせいで、彼女の後姿にさえ、視線が集中してしまう。

 少女はおずおずとパーティー会場の中を歩き出した。ぱっちりと大きい黒曜石のような瞳が落ち着かない様子で辺りを見渡す。長い睫毛はせわしなく上下に動き、薄紅色の唇からは吐息が漏れる。手持ち無沙汰なのか、必要もないのに短い黒髪を耳にかけたり、胸元に光るシルバーの十字架を握ったり、その右手はまるで何かを探しているかのように動き続けている。

 注目から逃れようと会場の端へと足を進めるが、視線は自分を追いかけてくる。どれだけ早歩きをしようとも、どれだけ背の高い貴婦人の影に隠れようとも、それは彼女を捕らえて離さなかった。特に、男性からの熱い視線――舐め回すように上から下まで鑑賞(・・)するような視線が少女を動揺させた。

 自分をここに連れてきた養父は、大事な用事があると言ってどこかへ行ってしまった。先に行っていなさい、と言われてこうして足を踏み入れたのだが、エントランスで待っていればよかった、とひどく後悔していた。彼女は一度、幼いときにこうしてオークションに来たことがあった。だが、そのときは――子供だったからだろう――こんな落ち着かない視線を浴びせられることはなかった。

 少女はなんとか会場の隅までたどり着き、柱に身を寄せて胸元に手を置いた。ひんやりとした銀色の十字架に指が当たり、少女は安堵したような笑みを浮かべる。――そのときだった。


「お飲み物いかがっすかー?」


 唐突にそんな鼻にかかったような声が背後からして、少女はハッとして振り返った。条件反射のように「ありがとうございます」と言い掛けて――息を呑んだ。


「噂どおり、お美しいことで。本間のお嬢さま」


 そこには、シャンパンを乗せた銀の盆を右手で持って、配膳人の少年が怪しげな笑みを浮かべて立っていた。その右胸には『田中』と書かれた名札。少女は顔をしかめた。彼が『田中』であるはずはないからだ。

 少女は幽霊でも見ているかのような青ざめた顔で彼を見上げ、震えた声を漏らした。


「……なにしてるの、和幸くん?」

「やっと目を合わせたな、カヤ。別れたとき以来か」


 和幸は笑顔を消し去り真顔になると、高々と掲げていた盆を下げてカヤを睨みつける。


「で? 連れ(・・)はどこだ?」

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