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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第一章
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kazuyuki1:1

 トーキョー。大都会。犯罪都市。いつからか、この街は様々な顔をもつようになった。

 少年は、いつ崩れるともしれない錆びたタワーから、その街を見下ろしていた。このタワーにもコフィンタワーという新しい名前がついた。寂れたタワーに自分の姿を見、ここで最期のときをむかえようという人間が登ってくるからだ。このタワーの下には普通の人は寄ってこない。上から落ちてくる『もの』の巻き添えになりたくないからだ。しかし一方で、飛び降りる覚悟が決まらず、そのままここで白骨化した死体もここにはあふれている。

 少年は、周りを見渡した。ねずみに話しかけている老女、生きているのか死んでいるのかも分からない若者。そんな人間ばかりだ。少年はせつない表情で彼らを見つめていた。自分がなぜ、このコフィンタワーに登ってくるのか彼にもわからなかった。彼にはここにくる理由はない。


「いや……」


 ふと、少年は言葉を出した。いや……もしかしたら、この世界に居場所を見出せず、ただ『死』を待つだけの彼らに、自分を見ているのかもしれない。目的も夢もなく、ただ生きているだけの自分は、彼らとなんら変わりはないのかもしれない。だから、こうして死の塔に引き寄せられるのだろうか。

 少年は枠しか残っていない窓から、また外を見下ろした。光があふれるトーキョーで、なぜこのコフィンタワーにだけ光はあたらないのだろうか。

 不意に、静まり返ったタワーに、携帯電話の音が鳴り響いた。少年はあわてる様子もなく、ポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。


「もしもし」


 しばらく携帯の向こうの声に耳をかたむけ、少年は表情を変えた。大都会の夜景が映りこむ漆黒の瞳がぎらりと鋭く光る。


「了解。すぐに取り返すよ」


   *   *   *


 トーキョーのはじにある、寂れた教会。そこはもう、教会としての役目を終え、今はある人物の事務所になっている。もう六十になるその男は、教会の奥に増築した自分のオフィスで、黒い革のイスに座っていた。

 男は電話を置くと、ため息をついた。男の頭には、これまでの彼の人生の苦労をあらわすかのような薄い白髪がかぶさっている。顔には、蚕が紡いだ繭のような白い眉毛と、深いしわがきざまれ、同年代のほかの人間よりもふけて見える。少なくとも、男の『子供達』はよくそう言うのだった。

 彼の部屋は写真につつまれている。壁には幾多もの彼の『子供達』の写真が飾られ、机の上には、幸せそうに微笑んでいる一人の少女の写真がある。皮肉な話だ。男は心の中でそうつぶやくと、その写真を手に取った。写真の少女を懐かしそうに見つめると、低い声でつぶやく。


「フィリオの死は、私に生きがいとなる使命を与えてくれた」


 男は三十年前に亡くした娘の顔をなでた。フィリオは、なでられても表情ひとつ変えない。彼女は永遠にそこで笑っている。


「運命とは、そういうものじゃないですかね、藤本さん」


 それまで黙って藤本の様子を伺っていた青年が軽い調子でそう答えた。青年は、長髪を後ろで一つに結び、ラフな格好をしている。一見、そのへんでチャラチャラ遊んでいるだけの男にもみえるが、目つきだけはするどく、ヘラヘラしているときでさえ目だけはいつも真剣だ。

 この男と藤本は長い付き合いだ。だが、それは仕事上仕方がないだけで、本音をいえば、藤本は彼をどうも好きにはなれないでいた。運命、という重い言葉を、こう簡単に言い放つところも気に食わない。

 藤本は写真から目を離し、机の向こうで膝を組んで座っている青年を見つめる。


「三神くん。君、いくつになった?」


 三神はその質問が意外そうに目を丸くした。


「歳ですか? 二十三になりましたよ」

「二十三か。その若さで、この裏社会でビジネスを立ち上げるとは……脱帽だよ」


 どこか皮肉にも聞こえるトーンで藤本がそう言うと、三神は特に気にする様子もなく肩をすくめる。


「さあ。それより、そのお歳で子供たちを束ねて暗躍されている藤本さんのほうが、脱帽に値すると思いますけど」


 弧を描く三神の眉がぴくりと上がる。口元にはにんまりと妖しげな笑みが浮かび、鋭い眼光が藤本に向けられていた。その眼差しは、獲物を狙う鷹のそれに似ている。さては、自分に口を滑らせて何か情報を引き出そうとしているな――藤本は苦笑し、どこか気を許せないこの軽い男から目を離した。


「それで、今回の情報、どれくらい確かなんだね?」


 再びビジネスの話に話題が戻ると、三神は身を乗り出す。


「いやですね。トーキョーに三神アリ、といわれるこの情報屋を疑うんですか?」

「若者はつめが甘いからな」


 三神はふっと鼻で笑った。そしてすかさず言葉を返す。


「それを言うなら、あなたの部下は僕よりずっと若いじゃないですか」

「彼らは特別だよ」


 藤本は表情ひとつ変えずにそう答えた。そして貝のように固く口を閉ざす。これ以上、餌はやらんぞ。藤本の態度からはその意志がはっきりと見て取れる。

 情報屋の三神の前では、言葉に慎重にならなくてはならない。軽口をたたくわけにはいかない。特に、『子供』たちにかかわることとなれば、細心の注意を払わなくてはならない。でなければ、いつそれが情報として誰かに売られ、自分の足元がすくわれるか分かったものではない。

 三神はそんな藤本を観察するようにじっと見つめてから、微笑した。「特別……確かに、特別ですね」とさらりと流すようにつぶやいて、電話に目をやる。


「さっきの電話の相手は?」

「あぁ。和幸だよ」


 その名前に、お、と三神は声をあげた。


「彼ですか。そういえば、ずいぶん会ってないなぁ。元気ですか?」


 教科書に書いてあるような典型的な質問に、藤本はフッと笑った。


「元気じゃなければ、仕事を頼んだりしないよ」

「それもそうだ」三神は、ははは、と明るい笑い声をあげてそう言って、すぐにその笑顔を消し去った。「でも、ほら……」


 彼の声色が顕著に変化したことに気付き、藤本は三神に目をやる。若き裏世界の情報屋は、試すような視線で藤本をじっと睨みつけていた。恐れなど知らない、若いエネルギーがみなぎる瞳で。


「彼も特別な子供だから。きっと、もう長くはないんじゃないかと思って」


 藤本は白い眉をぴくりと動かしただけで、口を開く様子はなかった。


   *   *   *


 トーキョーのトシンから離れたところに、高級住宅がならぶ一角がある。このご時勢、金持ちになれるのは大抵、裏の仕事にたずさわっている連中だ。人にいえないことをしていながら、堂々と屋敷を建てる。それはいつのまにか常識になり、暗黙の了解となった。金持ちに質問するな。それが、トーキョーで生き残る方法だ。

 和幸は、ある屋敷の前で立ち止まると、高層ビルにはさまれて不気味に聳え立っているコフィンタワーをながめた。さっきまで自分があそこにいたとは思えないほど、それは遠い存在に思える。求める人にのみ、扉を開く。まるで教会のような場所かもしれない。和幸は、ふとそう思った。


「さて……」


 ため息混じりにそう言って、和幸はそれまでかぶっていた帽子をはずし、ズボンの腰に乱暴にさしこんだ。帽子のせいでへんな癖のついた髪を、和幸はぐしゃぐしゃと手で適当に整える。その黒い髪は、女性だったら自慢になるくらい、サラサラとした直毛だ。ショートだというのに、そのきれいな髪は人に強い印象を与える。だが、彼の際立った身体的特徴といえば、それくらいだ。背の高さも同年代の平均だし、顔も平均的だとよくいわれる。一体、平均的な顔とは何だ、と和幸は友人に聞いたことがあるのだが、そのとき言われた言葉といえば、「かっこよくもないし、かっこわるくもないのよね」だった。もしかしたら、それはショックなことだったのかもしれないが、和幸にはどうでもよかった。彼は、見た目を気にしたことはない。彼にとって、生まれ持ったものは、自分には関係ないものだからだ。

 なぜか、と彼に尋ねれば、きっとこう答えるだろう。もともと、全て自分に与えられたものではないのだから――と。

 和幸は膝や腕を回し、簡単にストレッチを施すと、屋敷を見上げた。


「『お迎え』の時間だ」


 ため息混じりにそう言い残し、目の前にそびえる門を、和幸は軽々と飛び越えた。それはジャンプというより、飛翔に近かった。庭に降り立つと、背を低くして、玄関まで音もたてずに走っていく。走りながら、黒の皮手袋をはめ、玄関につくやいなや、ドアノブに手をかけた。鍵がかかっているのは分かっている。でも、彼には、そんなことは問題ではなかった。

 ドアノブをまわすこともなく、そのまま後ろにひっぱると、ガキン、という鈍い音とともに鍵がこわれ扉が開いた。その音で、誰かがおきたかもしれないが、それも和幸にはどうでもよかった。ポケットから携帯を取り出すと、ある画像を見る。それは、ある少女の写真だ。


   *   *   *


 二階の子供部屋は、人形であふれていた。少女には、一体ここがどこなのかよく分からなかった。天蓋のあるかわいいベッドの中で、ぼうっと頭上につるされている星を見つめる。このベッドも、この部屋も、何も見覚えはない。気づいたら、ここに暮らしていた。でも、ここは自分の部屋だ。なんとなく、その意識ははっきりしていた。

 ママとパパは優しくて、私の名前はユウ。七歳の少女は、その言葉をいつも頭の中で繰り返していた。なぜなのかは彼女にも分からない。なぜ、毎晩、さびしくなるのかも分からない。ぽろっと少女は、自分の目から涙が落ちるのに気づいた。しかしそれでも、目をつぶって眠りにつくことしかできない。分からないことだらけなのに、理由を聞こうという気持ちはどこからもわくことはなかった。

 少女は、ベッドに鼻までもぐると、ただ目をつぶった。ふと、部屋のドアが開く音がした。少女は、また目を開いた。相変わらず星が頭上でゆれている。


「ママなの?」


 誰かがベッドに腰を下ろしたのを感じた。ギイっとベッドがきしむ音がする。少女はゆっくりと体を起こした。


「ママ?」


 少女は『誰か』を見つめた。暗くて顔がよく分からない。しかし、その影がママとは違うことは明らかだった。では……


「パパ?」


 人影は、スッと少女に手をのばした。


「小夜子ちゃん」

「え?」


 少女は確信した。その人影は、ママでもパパでもない。差し伸べられた手におびえながら、少女は声をしぼりだす。


「誰?」

「俺は和幸」

「かず……ゆき?」

「小夜子ちゃんを迎えにきたんだ」


 和幸はにこりと優しく微笑んだ。


「小夜子? 私はユウよ」

「……」


 少女の言葉に、和幸は表情を曇らせる。差し伸べた手をゆっくりと戻すと、ため息をついた。


「催眠術か」


 ふと、下で物音がした。それに続いて誰かが騒ぐ声が聞こえる。どうやら、和幸が侵入したことに気づいたようだ。


「お兄ちゃん、悪い人?」


 少女の純粋な問いに、和幸は苦笑した。


「難しい質問だ」でも、と和幸は続ける。「少なくとも、君の偽者のパパとママよりはマシだと思うよ」

「え?」


 和幸は戸惑う少女の目の前に手のひらを広げる。


「?」

「本当のパパとママは、小夜子ちゃんの帰りを待ってる。だから、帰ろう」

「どういうこと?」

「強い催眠術で、記憶を変えられてしまってるんだ。今から、解いてあげる。怖がらないで」


 そう言うと、少女の目の前で開いていた手のひらを、フィンガースナップの形に変える。――そのとき、ドアが勢いよく開いた。


「誰だ!?」

「パパ!」


 少女は入ってきた人物に声をあげる。和幸は振り返りもせず、少女の肩を別の手でおさえた。


「ユウ!」


 パパと呼ばれた男は、状況を把握すると血相をかえた。


「お前、何してる?」

「分かってるだろ」


 男は和幸の手を見つめた。少女の前でフィンガースナップの準備をしている。男の額からはいやな汗がふき出し始める。


「まさか……」


 男の後ろから、寝巻きにカーディガンを羽織った女がかけよってきた。女も部屋の中の様子に気づき、悲鳴をあげる。


「ユウ!?」

「落ち着け、ミドリ」


 男は、部屋に入ろうとした女を止めた。そしてじっと和幸を観察する。


「お前……カインか」


 その言葉に、女はハッと目を見開いて和幸を見た。


「カイン……『無垢な殺し屋』!? 彼が?」

「……」


 和幸は何も言わずに、フィンガースナップの指に力をいれる。少女は、おびえて黙り込んでいる。


「待ってくれ。金を払う!」


 男はすがるようにそう怒鳴った。


「そうよ、お金、払うわ。だから……ユウを」

「この子は、ユウじゃない。小夜子だ」


 和幸は、冷たい視線で二人に振り返る。


「悪いな」

「やめて!」


 和幸は、パチンと指をならした。小夜子は、一瞬、目を開けたまま固まった。ミドリは、その場にくずれるように座り込む。


「せっかく、ユウを取り戻したのに……」


 男は怒りに震える拳を握り締め、和幸にとびかかるように向かっていく。小夜子は相変わらず、ぼうっとしている。和幸は男に気づくとさっと身を翻し、男の腕をとってぐいっと後ろにまわした。


「ぐわあっ」


 無表情のまま、和幸は腰にしまっていた銃をとりだし、男につきつける。


「俺をカインと分かっていながら、いい度胸だ」

「ぐあ……」


 和幸の指が引き金に置かれたのに気が付くと、ミドリはハッとして震える足で立ち上がった。


「やめて!お願い! ユウを失って、その人まで失ったら……。

 つらかったのよ。娘が死んで、寂しくて……もう、私たちには子供がうめないのに。だから」


 ミドリは、自分のお腹をさすった。そこに子宮はない。誰にでも分かることだった。和幸が銃をつきつけているこの男にも、生殖機能はもうないだろう。それが、この世界のとりきめだ。人口を抑制するための、人工的な自然淘汰だ。子供は一人。一人生んだ夫婦は、避妊手術を受けるのが義務だ。


「だからって……」和幸の銃を握る手に力がはいる。「金で人の子供を買うのか」


 高級住宅街に銃声が鳴った。でも、誰も気にはしない。

 理由を聞くな。それが、ここで生き残る方法だ。

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