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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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夜の帳に

「落ち着きなさいよ!」


 今にも外に飛び出そうかという和幸の服をひっぱり、砺波は必死に止めていた。


「冗談じゃない! どういう神経してるんだ!? カヤに爆弾渡すなんて!」

「カインの皆は、あの子をまだ疑ってるのよ」

「それなら、そう俺に言えばいいだろ! あいつの無実はいくらでも俺が証明してやる」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。そういう問題じゃないのよ」

「どうでもいい! 皆、どうせまだパーティー続けてんだろ! 静流姉さんの部屋に行って……」


 和幸の力に砺波はずるずると引きずられる。和幸はドアノブに手を伸ばし、今にも外に出んとしていた。砺波は「ああ、もう!」と叫んだ。


「あんたに行動されたらわたしが困るのよ!!」


 脳天を突き抜けるような金切り声。和幸は顔をしかめて動きを止めた。砺波はチャンスとばかりにまくしたてる。


「わたしがネックレスのこと、あんたにバラしたって分かったら、わたしが『勘当』される! あんたとは違って、わたしにはカインノイエ以外に居場所がないの。そんなことになったら、のたれ死ぬわ!」


 砺波の(聞いたこともない)懇願するような声に、和幸は冷静さを取り戻した。ばつが悪そうに頭をかいて、砺波に振り返る。


「……そう、か。悪い」


 そう言う彼の額には汗がにじんでいた。とりあえず彼が落ち着いたので、砺波は服を掴んでいた手を放す。


「わたしはただ、忠告しに来たのよ」砺波は落ちついた声で言ってため息をつく。「わたしは、こんなやり方好きじゃない。そもそも、パパからの『おつかい』じゃないし」


 その言葉に、ぴくりと和幸は反応する。


「親父からの指示じゃないなら、誰の指示だ?」


 すると、砺波は力なく首を横に振った。


「正直、分からない。どこからともなくそんな話が出てきて、皆、流されたって感じ。多分、言い出したのは留王あたりだとは思うんだけど……」

「流されたって……曽良は? 止めなかったのか? リーダーだろ」

「リーダーだから(・・・)あいつはカヤの味方にはなれないのよ」砺波は苛立った声で返す。「流れを無理にせきとめようとすれば氾濫が起きる。それでなくても、あんたが辞めて、少なからず兄弟たちは動揺してる。不安定になってるの。曽良がきっちり示しをつけなきゃ、分裂しかねないわ」


 言われて和幸は表情を曇らせる。砺波の主張は理解できる。カインの皆がカヤを疑ってるなら、リーダーである曽良はそれに付き合うべきだ。そうでもしなければ、示しがつかない――その通りだ。もし自分が曽良の立場で、カヤが見知らぬ女だったら同じ行動を取っていたはずだ。だが、和幸はそれでも理解に苦しむ。なぜなら……と、悔しそうに頭を抱える。


「でも、曽良はカヤを……」


 言いかけ、口ごもった。その先を口にすることさえ憚られる。そんな彼の様子に、砺波はつまらそうに口をとがらせた。和幸の考えていることが手に取るように分かったのだ。


「キスのこと、ひっかかってるわけ?」

「え!?」


 砺波が知っているなど、これっぽっちも予想していなかったのだろう。和幸は驚き飛びのいて背中を壁に打ち付けた。どんだけ驚いてんのよ、と砺波は不快そうに顔をしかめる。


「いいじゃない、キスくらい。ちっちゃい男ね」

「キスくらいって……」


 反論しようとする和幸に、砺波は人差し指を突き出した。表情は真剣そのもの。和幸はたじろいで口を噤む。


「起爆スイッチを持ってるのは曽良よ」

「!」

「ま、リーダーにその役が回るのは当然よね。さすがのわたしも同情してんのよ。好きな子を『片付け』る羽目になるなんて、とんだ貧乏くじをひいたもんだわ」


 言葉通り同情するような表情を浮かべ、砺波は人差し指を引っ込める。

 和幸はいきなり衝撃的事実をさらりと聞かされて、反応ができないようだ。口をあんぐりと開けて固まってしまった。

 砺波は腰に手をあてがうと、「だから」と勢いよく言い放つ。


「キスくらい、赦してあげなさいよ。減るもんじゃないんだから」

「……」

「あいつ、リーダーも向いてないのよ。まだ代理だってのに、ストレスでへばってる。へらへらその辺でスキップしてるほうがあいつらしいのに」


 あいつらしい――独り言のように漏らした砺波の言葉に、和幸はぴくりと眉を動かした。顔を上げると、苦しげな表情を浮かべている幼馴染を見つめる。


「お前、曽良とは小学校からの付き合いだよな? ずっと仲いいんだよな?」


 砺波は顔をしかめた。確かに、和幸は中学以降、砺波と曽良から距離を置いた。その後の二人の関係を和幸が把握していないのも頷ける。だが、今、尋ねる質問か?


「だから、なんだっての?」

「お前もキスのこと、あいつらしくないって思うんだな?」


 和幸の言っている意味がさっぱり理解できない。困惑して本物の馬鹿にでもなったのか。しかも、まだキスがどうのと言っている。赦せ、と言ったばかりだろ。砺波は靴を脱ぎすて、和幸の頭をそれで思いっきり引っ叩きたくなった。


「だったら、何よ!?」


 殴りかかりたい右拳を腰に押し付け、砺波は怒鳴りつける。すると和幸は、なぜか、安堵のため息をついた。「そうか」と満足げに笑む。


「なら、いいんだ」

 

 何がいいんだ? 砺波は理解できない言動の連続に狂いそうなほど苛立っていた。だが、まじめな話をしにきたのだ。ここで暴れだすわけにもいかない。


「とにかく」と大げさなほど語調を強めて和幸の注意を引くと、真剣な表情を浮かべて本題に入った。「注意事項、教えとくから。これを明日から一週間(・・・)守り続ければ、カヤは死なずに済む」

「曽良がカヤを殺さずに済むってことだな」


 間髪いれずに聞き返してきた和幸に、砺波は目を丸くして「ええ、まあ」と不思議そうにこくんと頷く。和幸は覚悟を決めたようで、腕を組むと「で?」と促した。態度の変わった彼に戸惑ったが、砺波は気を取り直してまくしたてるように早口で述べ始める。


「一。もし、カヤがあんた以外の誰かにカインの情報をもらすようなことがあれば、アウト。

 二。入浴するとき以外でカヤがネックレスを外せば、それもアウト。一定時間以上、物音がしなかったら、曽良がカヤを探し出して『片付け』る。

 三。今夜、カヤと会ったカインの身に何か(・・)あれば、アウト」

「なんて大雑把な……」


 和幸は呆れたように頬をひきつらせる。なるほど、今夜のパーティーが決まって慌てて考えたルールなんだろう。付け焼刃のような粗雑さを感じる。砺波もこれが滅茶苦茶なのは分かっている。だが、皆がすでに決めてしまったことだ。どうしようもない。今できるのは、対策を打つことだけだ。


「とりあえず、カヤが『黒幕』とつながっていなければ大丈夫だから。信じましょう」


 すると、和幸は豆鉄砲をくらった鳩のようにぽかんとした。じっと砺波の大きな瞳を見つめる。砺波はさすがに恥ずかしくなって頬を赤らめると「なによ?」と苛立った口調で言う。


「いや……お前の口から、信じる、なんて言葉がでてくるとは、意外で。意味分かって使ってるか?」


 言われて、砺波の顔はさらに真っ赤に茹で上がった。


「うるさいわね!」怒鳴って顔を背ける。「だって、これであの子が『黒幕の娘』だったら、わたしの立場ないじゃない」

「は?」

「せっかくこっちが身を引いたってのに、騙されたとあったら死んでも死にきれない……」


 全てを言い終わらぬうちに、砺波ははたりと言葉を切った。あまりに夢中で、口に出して話していることを忘れていた。「あ!」と赤面して、うつむく。


「身を引いた?」といういぶかしげな声が聞こえてくる。


 さすがに、気づかれた――砺波は悪霊にでも取り憑かれたかのように何度も何度も髪を撫で、真っ赤な顔でどぎまぎする。


「砺波」という真剣な和幸の声に、びくっと体を震わせる。しばらく沈黙が続き、砺波はおそるおそる顔を上げた。和幸は目をまん丸にして――微笑んでいる。


「お前、やっぱ曽良のこと好きだったのか」

「は!?」


 そうか、と和幸は晴れやかな表情を浮かべる。「大丈夫だって」と和幸は元気付けるように砺波の肩に手を置く。


「カヤは曽良のことどうとも思ってないし、お前と曽良ならお似合いだよ」


 砺波の顔は一層赤く染まった。さっきとは違い、今度は怒りの表れだった。


「あんたとカヤは全然似合ってないわよ! これっぽっちもつりあってないわよ!」

 

 とうとう、ずっと抑え込んでいた不満が、玄関に――いや、もしかしたらマンション中に――響くほどの怒声となって腹の底から飛び出していた。


「な……」と和幸は耳の痛みに顔をしかめる。

「カヤと曽良のほうがお似合いだっての! だから、わたしは曽良をカヤに紹介したのに! あんたが身の程をわきまえないから……」

「身の程!?」

「せいぜいフラれないように必死にすがりついて暮らせばいいわよ!」


 喉がかれるほどの大声で怒鳴りつけ、砺波は勢いに背中を押されるまま外に飛び出した。


「どんだけ、鈍感なのよ!? 野生動物だったらとっくに死んでるわよ、あいつは」


 ぶつくさと文句を言いながら砺波はエレベーターへと闊歩する。顔は熱くて、自分でも熱があるんじゃないか、と疑うほどだ。


「もう、最低。最悪。最後に……」


 最後になんて別れ方したんだ、わたしは。急に冷静になると、砺波はぴたりと足を止めた。

 最後……そうだ、これが最後だったんだ。これでいいの? 胸元に手を置いてぎゅっと握り締め、砺波は表情を曇らせる。

 そのときだった。ドアが開く音とともに、「砺波」と後ろから声がして、脳天に雷でも直撃したかのようにびくついた。「一つ、言っておきたくて」


 咄嗟に振り返るのも負けたようで悔しい。砺波は「なによ?」と背を向けたまま、問いかける。


「さっきのことだけど」

「さっき?」

「『勘当』されたら居場所がない、て」


 足音が近づいてくるのが分かった。心臓が慌てだしたことに、砺波は腹立たしくさえ感じた。


「それがなによ?」

「俺がいるよ」


 ドクン、と心臓が飛び跳ねた。砺波はごくりと生唾を飲み込む。苛立ちでしか震えたことのない体がわなないている。


「表の世界に来たら、俺がいるから」


 こんなときにどう言ったらいいのか分からず、砺波は唇をかみ締めた。頭に浮かぶのは罵声ばかり。どれもこれも、使い物にはならない。


「いつでも、こっちに来たらいい」と言う声はすぐ真後ろから聞こえてきた。その息が髪にまで届きそうだ。「その頃には、俺も立派なパンピーになってると思う。助けてやれるよ」

  

 振り返りたくてたまらなかった。でも、それをやったら自分でなくなる。そんな気がして仕方がなかった。砺波はこみ上げてくるものを押さえながら、肺に大きく息を吸い込んで深く吐いた。泣きそうだということが彼に悟られないように、呼吸を整える。


「……覚えとくわ」

「ああ。妹としてうちに居候してもいいからな」


 からかうようなおどけた声。砺波は恥ずかしさを振り払うかのように、「そっちが弟でしょ!」とすかさず反論した。


「カヤと別れてたら、一緒に暮らしてあげるわよ」

「え?」


 とぼけた老人のような声。また、肝心なとこは聞き逃したようだ。砺波は、「なんでもないわよ!」と怒鳴って、和幸をちらりとも見ずにエレベーターへと足早に進んでいく。


「おい、送っていく……」

「必要ないわよ、わたしはカヤじゃないんだから!」


 さっさとエレベーターに乗り込み、扉が閉まるその瞬間まで、背を向けていた。「おい、砺波」と自分を惑わす声を必死に無視する。ほんの一瞬だけでも、顔を見ておきたい――その気持ちをがむしゃらに抑え込んだ。

 これでいい。これがわたしなんだ。そう言い聞かせ、腰に手をあてがって息を吐き出す。エレベーターが下がっていくにつれて、自分の気持ちも落ち着いていく。そんな気がした。一階に着いたときには、あいつのことなんて忘れてる。目を瞑り、そうまじないのような暗示をかける。

 でも、それまでは……


「俺がいる、か」


 表の世界――それもアリなのかな。砺波は穏やかな微笑を浮かべて心の中でそうつぶやいた。


***

 

 俺は外に面した通路の手すりによりかかり、エントランスを見下ろしていた。長い髪を揺らして出てくる女を見つけて、身をかがめる。バレないようにこっそりと、バイクに乗り込むのを見守った。女は赤いヘルメットをかぶりバイクにまたがり、エンジンをかける。きびきびとした動き。後ろ髪がひかれる――あいつの世界には存在しない言葉、かもな。あたりに轟音が響き渡り、赤いヘルメットのバイカーは颯爽と走り去った。マンションには一瞥もくれずに。

 俺はその様子につい頬がゆるんだ。ほんっと、最後まであいつらしい。これからも、そのままでいてほしい。どんな世界になろうとも……そう願った。


「ありがとな、砺波」


 ぽつりと言って、俺は踵を返した。

 悪いけど、カヤと別れることは想像もしたくはないんだ。とりあえず、お前のためにも世界の終焉は止めるよ。それで赦してくれな。


***


「リスト?」


 急に呼び戻されて驚いている。可愛らしいこった。


「お帰り」言って、頭を撫でる。目がくらむほど美しいブロンド。手に金粉でもついてきそうだ。

「どうして、ケットを戻したの? かずゆきはまだ気づいていないよ?」


 おろおろとしている姿は迷子の子供みたいだ。これがバイオロボットとは誰も思わないだろうな。

 オレは手を離してソファに寝転がった。


「例の気配。シャカンのエミサリエス……だったよね。今は近くにいる?」

「うん、まあ」ケットは、よいしょ、と勢いをつけてオレの足元に座る。「でも、さっきから動いてない」


 そうか、と頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。


「妙だったんだよ。最初は近づいてきてたんだけど、急に同じところをぐるぐるぐるぐる回りだして」

「なに、それ?」

「知らないよ」分かるもんか、とケットは口をとがらせた。「とりあえずは、それからは追ってこなくなったんだ」


 ぐるぐるぐるぐる、ねぇ。どっかでメリーゴーランドでも乗ってんのか?


「ねぇ、リスト。ケットはかずゆきに憑いてなくていいの?」


 身を乗り出して、ケットはオレの顔をのぞきこんできた。オレは「なんだ、ケット」といたずらっぽく笑む。


「すっかり和幸さんに懐いちゃった? 寂しいなぁ」

「違うよぉ」いじけるように頬をふくらませて、ケットはふいっと顔をそむける。「だって、『災いの人形』を見張ってなきゃいけないじゃないか。『人形』に一番近いのはかずゆきだもん。ケットがかずゆきに憑いていれば『人形』を監視できる」


 へえ、ちゃんと分かってるじゃないか。遊び感覚で和幸さんに憑いているかと思ったら。ケットもしっかり考えてくれてるのか。感心、感心。


「その通り」言うと、ケットは嬉しそうに頬を赤らめた。自慢げな表情だ。だが……「そうなんだけど」と、オレは極端に抑揚をつけて言う。「このまま和幸さんにケットを憑けていたら、シャカンのエミサリエスは和幸さんをオレだと勘違いする。それはまずいだろ?」


 オレ――つまり、マルドゥクの王ね。

 ケットは、でも、といじけたような表情で食い下がる。


「シャカンのエミサリエスは、ケットたちを探してるわけじゃないかもしれないよ?」


 ぐるぐるぐるぐる……か。ケットの言うことも一理ある。こっちが向こうの気配が分かるということは、あちらもこっちの気配を感じている。こうしてじっとしているんだ。気配を辿っていつでもここに辿りつけるはず。だが、ケットによると今は動いていないという。最初に近づいてきたのは偶然で、全然関係ないルルが知らずにシャカンの贈り物(ドラ)を持ち歩いている可能性が高い。

 でも……


「念のため」とオレはつぶやくように言った。「念のためだよ」


***


 茶色い癖毛の少年が人気のない真っ暗な改札の前で座り込んでいた。周りでダンボールを引き始めた老人たちが興味深げに少年をじろじろと見ていた。


「若ぇのに」

「世も末だ」


 口々にそんな言葉を漏らしている。

 少年の左手の中指には、美しく輝く宝石が。地球のように丸く青い玉。それを半開きの目でじっと見つめて、少年はおもむろに口を開く。


「ラピスラズリ」


 その瞬間、少年の隣に光の粒子が飛び交った。徐々にそれは一つの形を成していく。老人たちの熱い視線を浴びながら、光の集合体はやがてホッキョクグマとなって少年の傍らに寝そべった。雪のように真っ白な毛並み。一本一本が煌いているかのように眩しい。大きな黒目はすいこまれそうな深みをもっている。


「はあ~?」と感嘆のような声を漏らして、老人たちは何度も目をこする。「もう俺は駄目かもしんねぇ」

「白い熊が見える」

「俺もだぁ」


 少年は気にする様子もなく、ホッキョクグマを枕代わりに寝転がる。


「今夜はここで寝るのですか、ユリィ?」


 老人たちはぎょっとして辺りを見回した。どこからともなく声がした。それも包み込むような暖かい声。思わず母親を思い出して、老人たちは涙しそうになったくらいだ。


「あの電車、止まっちゃったから」


 眠そうに目をつぶって、ユリィはそう答える。ラピスラズリはこれで何度目かという大きなため息をついた。あの電車……ね、と首を左右に振る。


「もう二度と、あれには乗らないでください」厳しく子供をしかる母親のようにラピスラズリはびしっと言った。するとユリィは目をぼんやりと開いて、「なんで?」と不思議そうに尋ねる。

「おもしろいんだ、あの電車。ぐるぐるぐるぐる同じところを回るから」


 不可思議な電車だった。千葉からトーキョーに来るのに乗った電車とは違っていた。まっすぐに進むのではなく、延々と円を描いて同じところを回り続けたのだ。永遠に乗っていられる、とユリィは目を輝かせて座り続けた。しかし……


「だから!」とラピスラズリはため息混じりに指摘する。「先に進めてないんでしょう、ユリィ! お願いですから、エンキのエミサリエスのところに早く行きましょう。時間がないんですよ」

 

 まるで自分が叱られたかのように、周りで老人が血相変えて背筋を伸ばした。幼い頃に母親に怒られた思い出がありありと蘇ったのだ。当の本人はぱっとしない表情で「う~ん」と唸る。

 どうやら、まだあの電車に乗り足りないようだ。電車に乗ったことがない彼にしてみれば自然な反応かもしれないのだが、状況を考えれば観光などしている暇はない。だが、これ以上言ったところで彼が聞く耳をもたないことはラピスラズリも重々承知。諦めたようにホッキョクグマは両手の甲に顔をのせる。

 不意に、ユリィは思い出したかのように体を起こし、「ねえ」と周りの老人たちに話しかける。

 いきなり呼びかけられ、老人三人組は「へ?」と顔を見合わせた。「俺たちか、坊主?」

 うん、とユリィは頷いて、微笑を浮かべた。少年の雰囲気は穏やかで、広大な草原を思わせる。冬が近づく駅の構内で、老人たちは春風が吹いたかと思った。


「寒いでしょ? クマ、あったかいよ。こっちで寝たら?」


 クマ? とラピスラズリは顔をしかめたが、ユリィの相変わらずのつかめない性格に愛おしそうに微笑んだ。気まま、破天荒、異端児……その全てが当てはまっていそうで、それだけじゃ足りない気もする。唯一つ、ラピスラズリが確実に感じているものがあった――それは、ルルへの深い愛。

 こっちに来いってことか? と老人たちはこそこそ相談事を始めた。幻覚かとも思い始めていた白いクマの少年が話しかけてきたのだ。老人たちは戸惑いながらも、遠慮がちにクマと少年に歩み寄った。


「本物か?」と老人たちはおのおのホッキョクグマを突っつき始める。ユリィはまるでわが子を見守る父親のような眼差しでそれを見つめていた。

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