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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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愛か狂気

 男は苦しげな表情でソファでうなだれていた。ガタガタと手が震えている。ポケットのある機械(・・・・)につないだイヤホンは、若い男女の会話を男の耳に届けていた。

 心臓が不規則なリズムを刻む。罪悪感とストレスが男の全てを狂わせていた。体調も良心も正義感も、そして男の輝ける未来も、全てが崩れ去りそうだ。いや、もう崩れ去ったのかもしれない。

 それでも、鈴が鳴るように美しい彼女の声を聞いていると、病んだ心も慰められるようだ。男は哀しく微笑んでいた。

 不意に、男はハッとして顔を上げた。


「メモしてね」と女は言い、「〇四〇……」


 なにやら番号をつぶやき始めたのだ。男はまるで自分が言われているかのように、微笑みながら「ゼロヨンゼロ……」と繰り返して頭に刻み込んだ。忘れないように会話をそっちのけで暗記する。何度も何度も十一桁の番号を頭の中で繰り返した。すると、気分が楽になった。そうか、と男は頬をゆるませた。彼女が自分に話しかけていると錯覚すれば、このおぞましい作業も楽しくなるかもしれない。

 だが、男のそんな慰みもすぐに消えさった。男の心臓に激痛が走る。会話の中で、女がこんな言葉を漏らしたからだ。


「それにしても、カインの皆さん、おもしろい人ばかりだったね」


 男は目を見開いた。痙攣したように手が小刻みに震えだす。喉が砂を飲み込んだかのように渇いていく。会話は虚しくも淡々と続く。


「変人、の間違いだろ」

「そうかもね。でも、みーんな大好き」


 男はガタガタと顎を震わせた。頭が真っ白になり、絶望に襲われ、聞こえてくる会話を必死で否定しようと首を左右に振り続ける。


「そんな」と体を丸めて頭を抱えた。「本当に……」


 そのときだった。いきなり部屋が明るくなって、男は心臓が飛び出るほど驚いた。条件反射で立ち上がり、部屋に入ってきた男を見ると、体中の穴から汗が噴出した。


「電気くらいつけたらどうだね、前田くん?」


 そう言って、初老の男が後ろ手にドアを閉めて入ってくる。


「カヤの部屋に盗聴器は仕掛けたんだろうね?」


 脅すような口調で言われ、前田はイヤホンを即座に外して「は、はい。本間先生」と吐きそうになりながらも答える。


「うまく作動しているかね?」


 本間はデスクへと歩み寄る。それを目で追いながら、前田は震える手を止めようと握って開いてを繰り返していた。


「丁度いいから、和幸くんを泊まらせようとしたが……今時、理性的な少年で困ったよ。すんなり断られてしまった。二人きりで会話させれば、ボロがでてくると思ったんだがね」


 鼻で笑いながらそう言って、本間は黒い上等な皮のイスに腰をおろす。眼鏡の奥の瞳を鷹の目のように鋭く光らせ、「まさか」とつぶやいた。


「警戒でもしているんだろうか」


 デスクに置いた指で、苛立ったようにトントンと机を叩く。それにあわせるように、前田の鼓動も早くなっていった。「そうだ」と言って、ギラリと獲物を見つけたかのような瞳が前田に向けられる。


「彼は電話すると言っていたが、電話は来たかね?」


 前田の体がびくんと震えた。


「は、はい?」と顔をこわばらせると、本間は不機嫌そうに顔をしかめる。

「カヤは和幸くんと電話していないのか?」 

「あ……」前田が口ごもると、本間は声を荒げる。

「しっかりしてくれ、前田くん! わたしはすぐにでも欲しいんだよ。彼がカインだという確たる証拠が!」


 段々と早口になった本間の口調に、前田は震え上がった。明らかに苛立っている。焦ってでもいるのだろうか。


「それが……」と汗だくになりながらうつむいた。そんな彼を見るなり、本間は机に手を叩きつける。

「前田くん! 君はいつになったら、一人前になるんだね? 足を引っ張る以外にできることはないのか!? この仕事は君の目標だったんだろう!? ちゃんとまともな仕事をしてみせなさい!」


 前田の心臓が狂ったような速さで脈を打ち出した。ガタガタと震える手。恐怖じゃない。怖気づいているわけではない。悔しい。これは怒りだ。積もり積もった怒り。前田はごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと顔を上げた。


「すみません」


 震える声でそうつぶやく。言い慣れた言葉だ。そして本間にとっても聞きなれた言葉だ。本間は眉間に皺を寄せて前田を睨みつける。

 前田は咄嗟に視線をそらし、相変わらずはっきりとしない口調で続ける。


「盗聴器、うまく作動してないみたいで……その、まだ、会話は聞き取れていな――」

「なにやってるんだね!?」


 本間は顔を真っ赤にして、あからさまに怒りをあらわにした。思いっきり机を叩きつけると、「もう下がりなさい!」と怒鳴りつけた。


「明日の夜までには聞こえるようにしておきなさい」

「はい」


 弱々しくそう言って、前田は踵を返した。

 書斎をあとにし、顔を上げると、とある部屋のドアを見やった。そこは未だにダンボールが積まれている生活観のない部屋だった。家具もまだそろってない寂しげな部屋。ただ、空気には彼女の香りが漂っていた。息を吸うだけで、彼女の傍にいるような気がした。

 女の子だから、と本間が選んだ薄桃色のシーツと布団がかけられたベッド。盗聴器は言われた通り、その下にしかけた。この手で――前田は顔をしかめると、ぐっと拳を握り締めてドアにゆっくりと歩み寄る。

 目の前に佇んで、ごくりと生唾を飲み込んだ。このドアの向こうには、憧れの少女がいる。自分に優しく微笑みかけ、体調の心配までしてくれる心優しい女性だ。三年も仕える自分をないがしろにする本間とは違う。一人の人間として尊敬の眼差しを向けてくれる。

 勇気を振り絞り、前田はノックしようと手を挙げた。


「夜這い、ですか? 前田さん」


 いきなり間延びした声が聞こえてきた。ぎょっと目を見開いて、勢いよく振り返る。

 壁に寄りかかりにんまりと笑んでこちらを見ている男。人を侮蔑することしか知らないような眼差し。見栄えする容姿をしているから余計に腹立たしい。

 前田は飛び退くようにドアから離れ、「椎名くん」とくぐもった声を出す。


「こ、今夜は大変でしたね」


 咄嗟に当たり障りのない話をふる。椎名はじっくりと前田を観察し、鼻で笑った。


「まあ、あのお嬢さまもやっと『帰る家』がどこか覚えてくれたみたいですから。進歩じゃないですか?」

「帰る家?」


 近づいてくる椎名に、前田は愛想笑いで問う。


「どこか……というよりは、どっちか、ですかね」


 何を意味不明のことを話しているんだ? 前田は眉をひそめる。椎名という男は話をもったいぶる癖があるようだった。そして、いつも遠まわしに人を馬鹿にしたような口調で話す。それは前田にとって不快以外のなんでもない。


「それよりも」と椎名は言って、前田の肩に手を回した。まるで円陣を組む野球選手のように身をかがめ、前田に顔を近づける。香水でもつけているのか、男にしては不自然ないい香りがしてくる。

 その薄い唇は笑みを浮かべているが、切れ長の目は鋭く前田を捕らえている。


「我慢ですよ、前田さん」


 かろうじて聞こえるくらいの囁き声で唐突に椎名はそう告げてきた。


「なんのことですか?」苦しげにそう問うと、椎名は冷笑する。

「カヤちゃんを見る目が危ないんですよ、前田さんは」


 言われて前田は顔を赤らめた。「何の話ですか!?」と深夜にもかかわらず叫んでいた。椎名は前田から離れると、降参するように両手を挙げる。


「怒らないでください。僕はアドバイスをしようと思っただけですよ」

「アドバイス?」


 この男にカヤへの気持ちが知られていた事実だけで、この場で切腹でもしたいほどの屈辱だというのに、アドバイスと言い出した。前田は悔しさと怒りで爆発寸前だ。だが、彼が本間のお気に入りである以上、前田には何もできない。文句一つ言うことも赦されないのだ。


「和幸くんがカインなら」と椎名は前田にだけ聞こえるように小声で切り出す。「日曜日にはカヤちゃんはフリーになります」

「……」

「婚約者を亡くして落ち込んでるところを狙えばいいですよ」


 前田は言葉を発せずに、目をむいて硬直した。そんな彼の様子に満足したように椎名は笑んで、前田の肩に手を置く。


「傷心中の女ほど、落ちやすいですから」


 軽い調子でそう言って、椎名は前田の横を通り過ぎて本間の書斎へと向かった。

 残された前田は呆然と立ち尽くした。心臓までが言い知れぬ恐怖で震えているようだ。握り締めた拳にはじんわりと汗がにじんでいる。

 和幸くんがカインなら――椎名の言葉が、前田の頭の中で何度も何度も繰り返された。前田は前にも後ろにも進めず、その場に立ち尽くした。


***


「秘密の番号、かぁ」少年はアヒルのような口をにぱっと開きながら、頬杖をついてそうつぶやく。「かわいいなぁ」


 ほんわかとしながら、デスクの上にある黒い携帯電話に目をやる。そこからはスピーカーフォンで少女の鼻歌が聞こえてきている。少年――曽良は優しげな眼差しでそれを見守る。


「でも……二人だけの番号じゃないんだな、これが」


 そうぼやいて、部屋の中を目だけで見回す。壁に並ぶたくさんの写真。微笑む子供たちと父親――一見、平和な家族写真だ。曽良は一つずつじっくりと眺めて、すぐに見飽きた。今度は天井の木目を数え始めたが、やはりすぐにつまらなくなった。

 がっくりとおでこを机にぶつけるように突っ伏す。「あ~」と唸ってから、顔を横に向けた。目に入るのは、携帯電話の姿をした悪魔の機械。

 大きくため息をつくと、目を瞑る。

 頭の中に浮かぶのは、十一桁の数字。曽良はいたずらっぽくと笑って「かけちゃおうかな」とひとりごちる。

 だが、言ってすぐに、最悪だ、と自己嫌悪に陥った。

 頬に机のひんやりとした冷たさが伝わってくる。それが寂しさを助長して、泣けてくる。


「トミー、どこまで買い物行ったんだ?」


 曽良は弱々しい声を漏らした。


***


「砺波?」


 俺はぱちくりと目を瞬かせた。幻でも見ているのかと思った。


「なんで二回も呼ぶのよ? うざいわね」


 ああ。砺波だな。


「入れてくんない? あんたと会ってるの見られるとまずいんだから」


 言ってきょろきょろと辺りを見回す。この階には他にカインは住んでいないが、別の階には何人か住んでいる。そいつらに見られるのを警戒しているんだろう。

 

「ああ」と戸惑いつつも、部屋に入れる。


 わざわざ、お忍びで会いにくるとは。パーティーに来れなかったから個人的に挨拶に来たんだろうが……砺波らしくないよな。


「いつから、律儀になったんだ?」


 玄関に上がりながらそう言って、ふと、砺波がついてこないのに気づいて振り返る。どこか浮かない表情で玄関でじっと立っている。珍しいな。どうしたんだ?


「『カインノイエ』が『クローンを救う会』だったころのこと。どれくらい知ってる?」


 唐突な砺波の質問に、俺は苦笑した。


「いきなり、なんだよ? 卒業試験か?」気の利いた冗談を言ったつもりだったが、砺波は真剣な表情で睨みつけてきた。


「答えなさいよ!」


 答えろって……俺は肩をすくめた。「興味なかったから、基本しか知らないけど」

 『クローンを救う会』はカインノイエの前身であって、まったくの別物。共通している点といえば、親父がリーダーを務めていたことと、クローンを助けていたこと。メンバーは親父がかき集めた同志。『無垢な殺し屋』が誕生するずっと前の話だ。助け出した子供を育てる、という考えすらまだ生まれていなかった。やっていたことといえば、クローン製造工場の爆破くらいだったらしい。

 当時のメンバーは、親父との意見の相違で散らばって現在は消息不明。親父は彼らの名前すら俺たちには明かさない。『クローンを救う会』については語りたがらないのだ。だから俺もわざわざ聞こうとは思わなかった。


「なんでそんなこと聞くんだ?」尋ねると、砺波ははりつめた表情を浮かべる。

「『クローンを救う会』のメンバーは、皆、あるネックレスを身につけていたんだって」

「あるネックレス?」


 いきなりアクセサリーの話かよ? まさか、最後に何か買えっていうんじゃないよな? 別にいいけど。

 それがなんだ? と小首を傾げると、砺波は目を反らした。


「そのネックレスは、パパが創ったらしいの。中には、盗聴器と小型の爆弾がしかけられてる」

「爆弾?」


 思わず顔をひきつらせた。親父が頭が良いというのは噂に聞いていた。だが、小型爆弾? それも、ネックレスでカモフラージュ? そんな恐ろしいものを創っていたのか?

 唖然としている俺をよそに、砺波は珍しく暗い表情で話を続ける。


「爆弾は遠隔操作で起爆できるようになってる。起爆スイッチは見た目はケータイにそっくりで、電話するみたいに盗聴できるし、決められた十一桁の番号を押すと起爆するようになってる」

「何のために、そんなネックレスを?」

「万が一メンバーの誰かが敵に捕まっても、情報を漏らす前に消せるように、よ。盗聴器も、捕まったメンバーの状況を把握するため。起爆スイッチを押すタイミングを見計らうためね」

「口封じか」


 親父がそんなことをさせていたなんて、意外だ。

 俺たちカインは、捕まりそうになったら自分で命を捨てるように教えられてる。拷問でもされて、カインノイエの情報を喋ったら、他の兄弟姉妹が危ないからな。でもそれは、親父からの指示じゃない。兄さんや姉さんたちから伝わってきたカインの心得みたいなもの。

 親父は嫌がっていた。俺たちの命を大事に思ってくれているからな。『おつかい』から帰ってこない子供が現れるたびに、『実家』で十字架に向かって祈りをささげているのを何度も見たことがある。

 事実、今、カインはそんな危ないネックレスを身に着けてはいない。それが何よりの証拠だ。親父は何があっても俺たちに「死ね」とは言わない。


「それで? それがどうかしたのか?」


 砺波はしばらく黙りこみ、神妙な面持ちを浮かべてこちらを見やった。童顔だからか、悪いことをした子供みたいだ。


「そのネックレスは、パパのオフィスに隠してあったの」

「オフィスに!?」

 

 冗談だろ。親父はオフィスに爆弾を溜め込んでたのか? 危ないだろ、普通に。まさか、それが爆発して『実家』が吹っ飛んだ、とかそういう話じゃないよな? それなら、砺波の暗い雰囲気も頷けるが。


「でも」と砺波は苦しそうに切り出す。「今日の昼間、一つ消えた。誰かが持ち出したの」

「ぬ、盗まれたのか!?」


 ぎょっとしてそう尋ねると、砺波は唇をかみ締め、首を横にふる。


「ある人物にあげたのよ。プレゼントとして」

「……」


 その瞬間、家の中が急に冷え込んだ気がした。ネックレスのプレゼント――聞き覚えがあるフレーズだ。それも、つい最近。いや、ついさっき。ぞくっと嫌な予感がした。

 砺波はおもむろに胸元に手を当て、つぶやく。


「銀の十字架のネックレス。見覚えあるでしょ」

「……十字架」


 ごく自然に、そのネックレスが頭の中に浮かんだ。不吉なことに、細部まではっきりと想像できる。

 血の気が引いて、急に心臓が絞られるようにキリキリと痛みだした。

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