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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
196/365

秘密の番号

「カヤさま!」


 玄関を開けるなり、悲鳴に近い声で叫んで現れたのは、昨日会ったメイドのおばさんだった。相変わらず質素な服装。控えめなメイク。だが、その顔は今にも倒れそうなほど青ざめている。

 そりゃそうだろう。カヤに駆け寄ったメイドさんを見つめながら、俺は心の中で呆れたようにつぶやいた。驚いたことに、カヤは椎名に何も知らせずに学校を早退し、今までずっとケータイの電源を切ってあいつの捜索から逃れてきたらしい。とんだおてんば娘になったもんだよ。

 出会ったときより強くなった……か。そうかもしれないな。俺は苦笑した。

 にしても、今頃椎名は必死になってカヤを探しているんだろうな。それを想像すると、なんだか気分がいい。このままボディガードをクビになってくれたら言うこと無いんだが。


「和幸さま!」それまでカヤの全身をくまなくチェックしていたメイドさんがいきなり俺を睨みつけてきた。「これは一体どういうことですか!?」

「はい?」


 どういうことって? ぽかんとする俺にメイドさんは肩をいからしてじりじりと近寄ってくる。


「門限の九時はとっくに過ぎております! 連絡もいれずにこんな遅くまでお嬢さまを連れまわすなんてどういうことです!? それも、こんなはしたない洋服を着せて……しかも、なんですか? このガーゼは!? 怪我までさせたんですか!?」

「え……え? いや、これは」


 やべ。そっか、この状況……俺がカヤを夜遊びに付き合わせたってことになるのか。メイドさんの言うとおりだ。傷はついてるわ、娼婦みたいな格好だわ、髪は短くなってるわ。って、全部、静流姉さんの仕業 (らしい)じゃないか。これで紙バッグの中探られたら、ナイフが出てくるぞ。まずい。


「ええと」と口ごもっていると、「真麻(まあさ)さん!」とあたふたとカヤが横から口を出してきた。


「和幸くんは関係ないんです。彼は私を迎えに来てくれただけで。これは、その……」


 カヤは結局言葉を詰まらせた。時が止まったかのように停止する。俺たちは困り果てて顔を見合わせた。その様子に、メイドさん――真麻さんというらしいな――は怒りで目をつりあげた。


「お嬢さま! 男をかばう必要はありません」

「かばってるわけでは……」


 俺、信用ないなぁ。言い訳するのも面倒になってきた。俺は頭をかいて黙り込んだ。俺が怒られて終わるならいいか。といっても、何をしていたかは聞かれるよな。それらしい話を考えなきゃ。そういうの大の苦手なんだが。


「和幸さま? 聞いていらっしゃいます!?」


 砺波を思わせる甲高い声が玄関に響き、俺はぎょっとして頭から手をはずす。そのときだった。


「おや、お帰り」どこからともなく、穏やかな声が聞こえてきた。


 ハッとして見上げると、玄関の目の前にある階段から一人の男が降りてきた。


「おじさま」

「遅い帰りだったじゃないか」


 笑顔を浮かべても、眼鏡の奥の鋭い瞳だけは厳しさを残している。四角い輪郭の、まるで武士みたいなおっさんだ。本間秀実。国の大臣であり、カヤの養父。

 俺は思わず背筋を伸ばした。居心地悪い緊張感がはしる。


「お邪魔してます」と頭を下げると、階段を降りきった親父さんは綿みたいな眉をくいっと上げた。「今度は(・・・)ちゃんと玄関から入ってきたね」


 皮肉ではなく、冗談のようだ。親父さんは笑い出した。俺は恥ずかしくなって苦笑する。


「本間先生」


 困り果てたような声を出したのは真麻さんだ。さすがにはっきりとは言えないようだが、その表情から「何か言ってやってください」という心情がよく分かる。

 そんなメイドを落ち着かせるように親父さんは右手で制す。


「下がっていいよ、沖野さん。今夜はおそくまで悪かったね」


 沖野っていうのか。てっきり真麻が苗字かと思ってた。

 沖野さんは納得いかないような表情を浮かべたが、親父さんに深々と頭を下げるとそそくさと去っていった。さすが上流階級のメイドだ。従順というかなんというか……

 感心していると、「和幸くん」と低い声が耳に入った。ハッとして親父さんに振り返ると、


「今夜はもう遅い。泊まっていったらどうだね?」

「はい!?」


 泊ま……泊まる!? またか!? と思った。昨日だって、この人は怒られて当然のことをした俺に「朝食を食べていきなさい」と誘ったんだ。おかしすぎるだろ。なんもお咎めなしか? これが……大臣レベルの器の大きさか?

 思わず横を向くと、はたりとカヤと目が合った。カヤが頬を赤らめているのに気づいて、俺も焦って顔を背ける。


「い、いえ、その、今夜はもう遅いんで」って、だから泊まっていけ、て言われたんだろうが。「あの、制服とか全部家ですし」


 よし。俺にしてはうまい理由だ。心の中で自画自賛して、俺は思わず微笑んだ。が、それはすぐに引きつり笑顔に変わる。あれ、と疑問が浮かんだのだ。――なんで俺、必死に断ってるんだ? 別に泊まっていっても構わないよな。てか、ラッキーじゃないか。カヤと一晩過ごせるんだ。まあ、多分別の部屋で寝かせられるだろうけど。 

 撤回しようと口を開けたが、「そうか」という残念そうな親父さんの声に遮られた。


「じゃあ、家まで送らせようか?」


 どんだけ、この人は器がでかいんだよ。俺は慌てて顔を横に振る。


「大丈夫です。男なんで」いや、男なのは見て分かるだろ。親父さんを馬鹿にしてんのか、俺は。

「遠慮しなくていいんだぞ。父親だと思って甘えてくれていいんだ」俺にそう言って、親父さんは自信満々の表情でカヤを見やった。「カヤもな」


 横目でカヤが遠慮がちに微笑んだのが見えた。

 そうか。さすがにまだ打ち解けているわけじゃないんだな。先週、神崎の両親の葬式が終わったばかりだし。すぐに「父親」と思えるわけもないか。

 でも……と、俺は親父さんに目をやった。一見、堅苦しそうだが、今のトーキョーには珍しく心の広いいい人じゃないか。大臣ってもっと腹黒いイメージがあったんだが、偏見だったかな。悪い政治家もいれば、いい政治家もいるか。

 よかったな、カヤ――俺はそう心の中で言った。


「あの、本間先生」


 俺は唐突に声をかける。本間先生、て呼んでいいものか迷ったが、それ以外に呼び方も分からない。カヤが「おじさま」て呼んでいる以上、俺が「親父さん」と呼ぶのも変だし。

 親父さんは「ん?」と目を丸くした。


「今度、上野の美術館で何かの展覧会があるみたいなんですけど、一緒に行きませんか?」


 俺の口からこんなセリフが出てくるなんて、自分でも気味が悪い。カヤが驚いてこちらを見ているのが目の端で確認できた。ここに砺波がいたら、大爆笑だろうな。


「カラヴァッジオの絵はないみたいなんですけど」とぼそりと付け足すと、親父さんは「構わない」と微笑んだ。

「そうか、絵画に興味をもってくれたか。嬉しいな。来週にでも行こう」

「私も行きます」急にカヤが高らかに声をあげ、満面の笑みで俺の腕をつかんだ。「三人で行こう」


 カヤも嬉しそうにしているのが分かって、達成感に顔がほころんだ。といっても、誘っただけで何をしたってわけでもないんだが。カヤが俺にしてくれたことに比べたら……いや、比べものにもならないか。

 それでも、とりあえずは一歩くらいは踏み出せたよな。


「金曜日のオークションも楽しみにしているからね」


 念を押すようにそう言って、親父さんは携帯電話を取り出した。


「さて、わたしは望に帰ってくるように電話しないとな」

「あ!」と、カヤは血相を変えて親父さんに懇願するような瞳で見上げた。「おじさまのお話が終わってからでいいので、私にも代わってくださいませんか?」

「もちろんだ。ちゃんと謝るんだよ」


 カヤはぎこちなく笑って「はい」と返事をする。

 いや、謝る必要ないだろ。てか、クビになればよかったのに。しぶとい。思わず、舌打ちをしたくなった。


「それじゃ、俺はそろそろ」一歩後ずさってそう言うと、親父さんはケータイを耳にあて、軽く左手を振った。


「もう?」と咄嗟に振り返ったカヤの肩に手を置き、耳打ちする。「あとで電話する」


 恥ずかしいのと嬉しいのが混ざったような不自然な笑顔を浮かべ、カヤは頷いた。


***


 複数の立方体が、縦に横にと連なった、近代アートのような屋敷。和幸はそれを見上げながら、監視カメラを二つ抱えた門へと向かう。妙な視線を感じて庭を見やると、黒いスーツを着た大男がこちらに睨みをきかせている。和幸は愛想笑いを浮かべて手を振った。が、もちろん、反応はない。和幸は手を振ったことを恥ずかしくも感じて、その手を隠すようにポケットに突っ込んだ。

 誰かが監視カメラで見張っているんだろう。和幸が近づいた途端、門が独りでに開いていった。


「要塞だよ」と呆れてつぶやく。


 門から出て、夜道にぽつんと立つ。カヤと一緒だったときは感じなかったが、暗がりの路地というのは寂しいものだ。静流のマンションから本間の家まで、かなりの距離があったはずだが、カヤと他愛もないことを話しながら手をつないで歩いていると、短いくらいだった。

 ポケットから右手を抜いてじっと凝視する。柔らかくて暖かいあの感触が懐かしい。今は、ぐっと握り締めても、虚しく空気さえも逃げてしまう。触れるものがない――こんな当たり前のことに物足りなさを感じている自分は、贅沢者なんだろうか。


「和幸くん!」門が閉まる音に混じって、そんな高い声が聞こえてきた。「忘れ物」


 言いながら駆けてくるカヤは、閉まりかけている門の間をするりとすり抜け、振り返った和幸の胸に飛び込んできた。


「忘れ物?」と目を瞬かせると、カヤは「こっち、こっち」と和幸の服を引っ張る。


 戸惑いながらも連れて行かれた先は、門から一メートルほど離れた塀の前。カヤは塀に背をしっかりとつけて辺りを見回している。


「忘れ物って?」と尋ねると、カヤは上目遣いでちょいちょいと指で招く。その仕草に心はくすぐられるものの、理解はできない。和幸は照れているのを隠すように「なんだよ?」とくぐもった声で尋ねた。


「ここなら、監視カメラに写らないから」内緒話をするように、カヤは小声でささやく。

「……だから?」

「それに、もう……いいかな、て思って。その……時間もあいたし」


 もじもじとそうつぶやくカヤに、和幸は眉をひそめる。するとカヤは諦めたようにため息をつき、腰に手をあてがった。


「もう。分からないの? 能無しか?」

「は?」


 明らかに誰か(・・)をマネした口調だった。だが、本人とは違って随分可愛らしい。和幸がぼうっと呆けていると、カヤはいたずらっぽく笑って、彼の胸倉をつかんで引き寄せる。ぐいっといきなり引っ張られて、「なんだ?」と思ったときにはカヤの唇が下唇に触れていた。急なことに目を瞑るのも忘れていると、カヤの手が胸倉から肩にうつる。まるでしがみつくように掴まれ、和幸はカヤが背伸びをしていることに気づいた。

 愛おしさに、つい目を細める。そういえば、今日はずっと背伸びをしていたのかもな――今日一日のカヤの奮闘ぶりを想像しながら、和幸は目を瞑り、身をかがめた。カヤの踵が地面につくように。

 何度か唇を重ねあい、二人は気恥ずかしそうに顔を離した。

 慣れないことをしたせいか、カヤは顔を真っ赤にして俯いている。そんな態度を取られると、和幸まで恥ずかしくなって目をそらした。


「じゃあ」というカヤのこわばった声が聞こえ、和幸は視線をカヤに戻す。依然としてカヤは俯いていたが、唇はしっかりとその言葉を発した。


「おやすみ、和幸」

「!」


 和幸はハッとして目をしばたたかせる。カヤはにこりと照れ笑いを浮かべ、その場から逃げるように去っていく。その背中に「おやすみ」と和幸は答えるが、動揺しているせいか、声は上擦っていた。


「気のせいじゃなかった……のか」


 一人で呆然と立ち尽くし、ぽつりとつぶやいた。パーティーの最中、台所でカヤと林檎のことでもめたときだった。カヤは自分を「和幸」と呼んだ気がした。といっても、一度だけだったが。てっきり、聞き違いかなにかだと思っていた。

 呼び捨てにされただけで胸が高鳴っている自分に、和幸は呆れたように苦笑した。


「中学生か」


 もうそうつっこんでくれる幼馴染とは会えない。和幸は自らつっこんだ。


***


 ずいぶん、短くなったんだな。シャワーを浴びて髪をタオルでふいていると、乾きの早さにそれを実感した。ここまで短くしたのは初めてで、髪を洗っているときも違和感があった。でも、楽になったのは確かだ。

 私は鼻歌交じりに軽い足取りで階段をのぼり、ビリヤード台のある二階へたどりつく。ふと、おじさまの書斎へ入ろうとする見覚えのある背中を見つけ、私は声をかけた。


「前田さん!」


 その瞬間、背中はびくっと震えた。


「カヤさん?」


 振り返ったのは、爽やかなお兄さん。つぶらな瞳に、海苔のようなくっきりとした眉。かっちりとワックスでかためられた黒髪。こけた頬が多忙さを物語っている。おじさまの秘書である前田さんだ。学生時代はバスケットをしていたらしく、すらっとした長身だ。私は顔を見上げながら歩み寄る。


「こんな時間までお仕事ですか?」


 尋ねると、「あ、まあ」と居心地悪そうに顔をそっぽに向けた。気のせいかもしれないけど、顔色が悪い。


「あまり、無理しないでくださいね」

「あ、いえ……お気遣いなく」


 そう答える前田さんは、やはり様子がおかしい。私と決して目を合わせようとしない。普段は、ニコニコと微笑んでくれるのに。よほど疲れてるんだろうか。

 邪魔しちゃ悪い、かな。まだお仕事あるみたいだし。

 私は「おやすみなさい」とおずおずと言って、踵を返した。いつもなら、「おやすみなさい!」とお腹から出したような太い声で返してくれるんだけど……背後からは書斎の扉を開く音しか聞こえてこなかった。

 もしかして、今日の私の失踪で前田さんにも迷惑をかけたのだろうか。そう思うと、部屋のドアノブに伸ばした手がぴたりと止まる。


「……」


 ドアの前で足元を見つめて突っ立っていたときだった。部屋の中から音楽が聞こえてきて、私は顔を上げた。軽快な呼び出し音。


――あとで電話する。


 和幸くんの声が頭に響いた。大急ぎでドアノブをまわして中に飛び込んだ。机に一直線に向かうと、暗い部屋で必死に光を放っているケータイを手に取る。


「和幸くん!?」耳に当てるなり、はじけるような声を出していた。


 すぐには返事は無く、不思議に思っていると、


「戻ってる」


 いぶかしげな声が聞こえてきた。


「何のこと?」

「いや、なんでもない」


 なんでもなくなさそうだ。声色ですぐに分かる。そして、彼が何のことを言っているのかも本当は分かってる。――呼び方のことだ。私は苦笑しながら、机の上でチェーンにくるまっている十字架を手に取った。ぎゅっと胸の前で握り締め、ベッドへと歩み寄る。

 だって、ずっと「くん」付けだったんだもん。すぐには呼び捨てには変えられないよ。徐々に慣れていこうとは思ってるけど。


「もう部屋、ついた?」


 尋ねながらベッドに腰をおろした。


「ああ」と答える彼の声に耳を傾けながら、そういえば……とあることが気にかかった。


「和幸くんって、自宅謹慎中だったんだよね?」

「一応な」


 それにしては、自由に外に出ていたな。といっても、私が彼を誘い出したようなものか。私はケータイを耳に当てたままベッドにごろんと横になった。


「いつまでなの?」

「さあ」


 そのとき、退学、という言葉が脳裏をよぎった。十字架を握り締め、ごくりと生唾を飲みこんでおそるおそる聞く。


「退学……にはならないよね?」


 しばらく沈黙が続いた。電話の向こうで困ったように頭をかいている彼の姿が思い浮かぶ。


「熊谷の母親次第さ。明日、校長に直談判しにくるみたいでな」

「熊谷くんのお母さんが?」


***


 床に座り、俺はカヤに熊谷の母親のことを説明した。退学になるかもしれない――その可能性をカヤが指摘したのには驚いたが、それ以上に、泣きじゃくるわけでもなく毅然とした声でそれを尋ねてきたことに驚いていた。もう無闇に隠し事をするのはやめよう、と思った。カヤは強くなった。守られるだけのお嬢さまじゃなくなったんだ。甘やかすのはやめよう。カヤのためにならないし、カヤもそれは望んでいないんだ。


「じゃあ、明日、決まるんだね。和幸くんが退学になるかどうか」


 全部聞いて、カヤは落ち着いた声でそうまとめた。俺は目に付いたカーペットのゴミを取りながら、「ああ」と答える。近くのゴミ箱にそれを入れたときだった。


「大丈夫だよ」とカヤが明るい声で言ってきた。

「あ、ああ。ありがとう」


 勇気付けてくれてるんだろうか。それにしては自信満々だが。にしても、本当に変わったな。てっきり、「和幸くんが退学になったら、私も辞める!」て言うかと思ったんだが。


「ねえ、和幸くん」

「ん?」

「権力がこの世界の全てなら、私はそれをあなたにあげる」


 唐突に、カヤはそんなことを言い出した。俺はきょとんとして言葉が出せなかった。


「私が、世界の全てをあなたにあげる。だから、安心して」


 安心して……皮肉に聞こえた。胸騒ぎがした。どうしてそんなことを急に言ってきたのかは分からない。でも、カヤのその言葉は不吉に聞こえた。世界の終焉の鍵を握る彼女から、そんな言葉が出てきたのが恐ろしかった。


「あ、ああ」


 カヤに他意はないはず。単に俺を元気付けたかっただけだろう。なのに、俺は余計なことを考えて、素直に礼も言えなかった。


「そうだ! もう一つ、あげなきゃいけないものがあったんだ」


 カヤはパッとしない俺の返事を気にしていないようだった。元気のいい声で嬉しそうにそう言った。


「あげなきゃいけないもの?」ごまかすように、すかさず相槌を打つ。

「うん。秘密の番号だよ」


 秘密の番号? また、何を言い出すんだ?


「メモしてね」

「いや、暗記力はいいから。言っていいぞ」

「〇四〇……」


 カヤは丁寧に一つ一つの数字を読んでいった。結局俺の頭の中には十一桁の番号が並ぶ。


「電話番号か?」


 そうつぶやくと、カヤは「そう!」とまるで俺がクイズに正解したかのように弾けた声を出す。


「今日、こっそり買ったの。『おつかい』のついでに」


 おいおい。なんて活動的な。本当におてんば娘になったもんだな。俺が唖然としてると、カヤは恥ずかしそうに付け足した。


「和幸くんしか知らない番号だよ」

「!」


 体に電流のようなものが走り、一瞬で俺は頬を赤らめた。ああ、くそ。やっぱ泊まればよかった――無性に後悔して俺はがっくりと頭を垂らす。


「ほら」と悪いことをしたわけでもないのに、カヤは必死になって言い訳を始める。「この携帯は、GPSで望さんに居場所見つかっちゃうでしょ。電源きらなきゃ二人でこっそり会えないから。だから……」

「なるほど」


 カヤ、賢いな。俺は顔を上げてにんまりと笑んだ。これで椎名を撒けるってことか。実に気分がいい。


「今日、『おつかい』行ってるとき、ケータイ使えなくて不便だったし。家出したとき、和幸くんに連絡できたほうがいいから」


 俺はつい笑っていた。「家出する気あるのかよ。すっかり不良娘が板についてきたな」


「もしものときだよ!」とカヤは慌てて訂正する。


 まあ、家出するほどのケンカを親父さんとできるようになったら、それはいいことだろう。俺はくつくつと笑いながら、そんなことを考えていた。


「それにしても、カインの皆さん、おもしろい人ばかりだったね」


 カヤの懐かしむような声に、俺は心が温まるのを感じて目を細めた。


「変人、の間違いだろ」

「そうかもね」クスクスとおもしろがるように笑うのが聞こえてきた。「でも、みーんな好き」


 ありがとう――そう言う資格はもう俺にはないんだろうな。『勘当』された今、あいつらと俺は関係ない人間なんだ。

 でも、だからこそ、本当によかった。最後に皆に会えて。もちろん、仲のいいカイン全員に会えたわけじゃない。何人か、姿が見えなかった。砺波もいなかったしな。それに、夜遅かったからだろうが、ちびっこたちもいなかった。せめて、俺が『迎え』に行ったカインとは会っておきたかったが……仕方ないよな。それは贅沢な後悔だ。カヤの奮闘がなかったら、俺は誰とも会えずに『勘当』されていたんだから。なんだかんだ強がっても、一生後悔していた気がする。


「ありがとな、カヤ」


 結局、そう言っていた。家族を褒めてくれたからじゃない。カヤが今日してくれたことに対する礼だ。その意図が伝わったかどうかは分からないが、カヤは「どういたしまして」と満足げに答えた。

 丁度、話に区切りがついたときだった。扉を乱暴に叩く音が玄関から聞こえてきた。いきなりで体が大げさにびくついた。なんだ!? と玄関に振り返って立ち上がる。


「誰か来たみたいだ」ぽつりとそう言う。

「誰か?」カヤが驚いている。そりゃそうだよな。俺も驚いているよ。「こんな時間に?」

「ああ」


 夜遅くに俺の部屋に来る人間なんて、カインの兄弟くらいしか有り得ない。学校の人間で俺の部屋を知ってるのはカヤくらいだ。


「悪い。また明日、学校でな」

「う、うん。おやすみ」


 心配そうな声ではあったが、俺はとりあえず電話を切った。

 玄関では相変わらず、ドアが手荒く叩かれている。俺は振動するドアを見つめながら、小首を傾げた。ちょっと待てよ。こんなことする人間は、カインの中でも一人くらいしか……


「和幸! いるんでしょ!?」

「!」


 甲高い声が聞こえてきて、俺は慌てて裸足で玄関に降りるとドアを開けた。

 そこに立っていたのは、想像通り、


「砺波?」

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