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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
189/365

悩みの種

「さ、これかぶってぇ」


 美月さんは半透明のゴミ袋をばさっと開いた。その底には私の頭が入る程度の穴が開いている。タイルが敷かれたバルコニーに、キャンプ用のイスが一つ。私はそれに座って、美月さんにされるがまま、ケープ状になったゴミ袋をかぶった。窓に映る自分はまるで照る照る坊主。くすりと失笑してしまった。


「さって。チョキチョキするよん。そんなみっともない髪じゃ『おつかい』行けないもんねぇ」


 みっともない髪。それは、左側だけところどころ短い私のヘアスタイルだ。アシンメトリーもここまでくると、おしゃれとは言えない。

 美月さんは右手にすきバサミ、左手に木製のクシを持って、左右に振った。くるりと私の背後に回ると、慣れた手つきで私の髪をクシですく。特に、ナイフで減らされた左側の髪を念入りに。


「しずるんったら、女の命をなんだと思ってるんだろねっ」子供みたいな高い声でそう言って、美月さんは私の左側に移動してしゃがんだ。「一番短い髪にあわせるけど、いいかなぁ?」

「あ、はい」


 戸惑いつつもうなずくと、美月さんは満足げににこりと微笑んだ。


「じゃ、始めるねぇ」


 立ち上がると、再び私の背後に回ってすきバサミを躊躇無く入れる。ばっさりと髪がゴミ袋に落ちて、すべっていく音が聞こえてきた。リズムを刻むように軽快なハサミの音。楽しげな美月さんの鼻歌。

 私はある疑問を抱いて、「あの」と美月さんに声をかけた。「よく、こういうことするんですか?」


「こういうことってぇ?」

「カインの髪を切ったりとか」


 そもそも、当たり前のようにすきバサミをバッグから取り出したときから、不思議だったんだ。殺し屋といっても、まさかすきバサミを護身用に持ち歩くとは思えない。


「カインの子の髪も切ってあげるよぉ。これが私の専門だもの」

「専門?」もしかして、カインの中で役割分担でもあるのかな。

「私ね、美容師の専門学校通ってるんだよ」

「え」


 美容師の専門学校……? 殺し屋(カイン)が!? 私はぎょっとして目をむいた。でも思い返せば、アリサさんも医科大学に通っていた。高校を出ると、カインは自分の道を選べるんだろうか。それとも、藤本さんに指定されるのかな。どの進路にいけ、て。

 

「腑に落ちない? 殺し屋が専門学校なんて」


 まるで私の心を読んだかのように、美月さんはずばりと言った。私は思わず飛び跳ねそうになった。


「いえ」と口をついて出たのは、嘘だった。


 美月さんは私の髪にハサミをいれながら、クスクスと笑った。嘘だなんてバレバレみたい。


「結局は、私たちも表の世界のルールに従わなきゃいけないの。表裏一体とでもいうのかなぁ。表と裏は、切り離せないものだから。裏でうまくやっても、表でほころびがでることもある」


 美月さんの言っていることがよく分からず、私は眉をひそめた。背後で髪を切っている美月さんにはそれが分からないのだろう。なめらかな口調で言葉を続ける。

 

「だから、私たちも権力を創る必要があるの」

「権力を創る?」

「そうよぉ。表の世界では権力がすべて。表で闘おうとしたら、権力で立ち向かうしかない」

「……」


 権力がすべて? 私は思わず黙り込んでしまった。私の世界って、そんなところなの?


「だから、高校を卒業したら、カインはそれぞれ権力創りに励むのよ。いろんな方面でね。機械工学とか情報処理とかが特に多いかな。あと、警官とか政界を目指したり。

 ちなみに。私の場合は、権力というよりも便利だから、だけどね。お医者さんや歯医者さんも同じ。何かあったときに助かるじゃない?」

「そう、なんですか」


 純粋に驚いていた。藤本さんのリーダーとしての能力。先見の明というのだろうか。あの人は、カインだけじゃなく、カインノイエという組織自体も、将来に向けて計画的に育ててるんだ。私はてっきり、高校を卒業したカインは、殺し屋として生きていくんだとばかり……。


「殺し屋の仕事はね」と、また私の心を読んだかのように、美月さんは切り出す。「表の世界で仕事に就いたら引退することになってるの」

「え!?」


 思わず、私は振り返っていた。美月さんは目を大きく開けて、「こらこら」と怒ったように口をとがらせてハサミを動かした。「どんどん短くなっちゃうよぉ?」


「すみません」言って前に向き直るや否や、私は尋ねる。「じゃ、カインは皆、殺し屋じゃなくなるんですか。表の世界で職を見つけたら?」

「そうよぉ。それまで生き残れば、だけどねぇ。

 だって、昼に仕事して夜に殺し屋なんてできると思う? 自殺行為よ。二兎を得るものは一兎を得ずってね。昼の顔に集中するのよ」

「てことは……皆、いつかは裏世界から抜けられるんですね」


 和幸くんみたいに――と私は心の中で付け加える。私は自然と微笑んでいた。なんだ。和幸くんは早かっただけ。皆、あとから日向に出てくるんだ。

 よかった、と肩を撫で下ろす私に、しかし、美月さんの言葉が現実をつきつける。


「いいえ。昼の仕事は、ただのスパイ活動よぉ。情報のリークが目的。言ったでしょ? 権力創りだ、て」

「!」


 私の期待はあっさりと切り捨てられた。足元で黒い絨毯のようにひろがる髪のように。スパイ活動……? つまり、表の世界の仕事も、結局はカインとしての『おつかい』? 


「そうやって、地道に私たち自身でコネを築いていく必要があるの。長い年月はかかるだろうけど、いつか必ず実を結ぶわ。それほど、重要なの。表の世界で権力を掴むことは。特に、裏世界に暮らす私たちにはね」


 私は美月さんの言葉に聞き入っていた。どこかつらそうなお義姉さんの声を。


「私たちは表に出れば、無防備な赤ん坊。裸の兵士同然。頼れるものも、守ってくれるものも、何も無い。自分たちで創るほかないのよね」


 頼れるもの……守ってくれるもの……権力。私は美月さんの言葉を、ずっと頭の中で反芻していた。そして、「権力」とぽつりとつぶやく。表の世界で、何よりも重要だといわれる武器の名前を。


***


――リスト。


 唐突に頭に響いた愛らしい声にオレはハッと目を覚ました。カーテンも締め切った部屋で、置時計の文字盤だけが緑色に光っている。ソファに横になったまま、暗い天井を見つめた。そして、どうしたの? と尋ねた。自問ではない。どこかで和幸さんを守っているオレの天使(エミサリエス)への問いだ。


――気配がする。


 その言葉に、オレはむくりと起き上がった。気配……それは、他のエミサリエスが近くにいる、ということ。ごくりと生唾を飲み込み、オレは核心に迫った質問をする。


「どのエミサリエス?」


 思わず、口に出していた。心臓がドクン、ドクン、と低い音を鳴らしている。ソファの背もたれに置いた手が震えている。武者震いなのか、怯えているのか、自分でも分からない。


――この気配は……シャカンのエミサリエスだ。


 シャカン? オレは目を丸くした。聞き覚えの無い神の名前だ。眉をひそめながら、どっち(・・・)派の神? と心の中で唱える。


――シャカンは、エンキ派の神だよ。一応、味方。もちろん、贈り物(ドラ)の持ち主次第、だけど。


「エンキ派……か」


 肩の力が抜けた。とりあえず、エンリルの気配がする、と言われなくてよかった。それはつまり、オレの宿敵であるニヌルタの王が現れたことを意味するからな。

 アトラハシスのせいで『裁き』のしきたりは滅茶苦茶になっている。ルールも分からないゲームを闇雲にプレイしているようなものだ。この状態で、今、ニヌルタの王が現れたら、オレは正直どうすればいいのか分からない。とりあえずは、神崎先輩を奪われないようにすればいいんだろうけど。

 そういえば、そろそろ考えなきゃな。ニヌルタの王をどう対処すればいいのか。今回は、オレたち自身でルールを創る必要がある。本来なら、『収穫の日』、オレとニヌルタの王が『パンドラの箱』を前に決闘をし、勝者が『テマエの実』を獲得する――そんなシンプルなルールだった。なのに、アトラハシスが『パンドラの箱』を持ち出したせいで、どこで闘えばいいのかも分からない。そもそも、アトラハシスがこのまま勝手に『テマエの実』を『収穫』する可能性だってあるんだ。オレもニヌルタの王も『テマエの実』を得られない可能性だってある。

 あぁ、もう……何度もいうが、ぜーんぶ、アトラハシスのせいだ。

 

――あのー、リスト? 愚痴ってる最中悪いんだけどね。ケットはどうしたらいい? 気配がするといっても、贈り物(ドラ)だと知らずにルルが持ち歩いている可能性もあるし。


 困ったような声が脳に直接送られてくる。

 どうするもこうするも……と、オレは鼻で笑った。ケットが今、言ったじゃないか。贈り物(ドラ)は見た目はただの骨董品やアクセサリー。エミサリエスの存在を知らずに、人間(ルル)が所有していることもある。そこまで警戒する必要もないだろう。ただ、念のため、もし気配が近づいてくることがあれば、そのときはオレに教えてくれる? 


――うん、分かった!


 弾けるような声が頭の中に響いた。まるでゲームでもしているかのような元気な声だ。やれやれ……と、オレは微笑を浮かべた。本当に、子供なんだから。見た目と性格は。

 ちらりと時計を見れば、六時を指している。いつもなら劇の稽古で帰りはもっと遅いのだが、今日はヒロイン不在で練習にならなかった。アンリ先輩は不満そうではあったが、さっさと稽古を切り上げたのだ。

 ケットの話だと、和幸さんはまだ神崎先輩に『人形』のことを打ち明けてはいないみたいだけど……それじゃ、なんであの人は練習に現れなかったのだろうか。例の盗撮写真のこと、よっぽど堪えてるのか。それとも、和幸さんとのケンカで落ち込んでるのか。


「……参ったな」


 いずれにしろ、危険な状態なのは……オレだ。苦笑して、またソファに横になる。

 神崎先輩を心配している自分を、諌めようとも思わなかった。


***


「何しに来たんだ、新人」


 閑静な住宅街にこじんまりとたたずむ一軒の焼き鳥屋。巨大なマンションに挟まれて、今にもつぶれてしまいそうな木造の家屋。昼は食堂、夜は飲み屋とその姿を変える。昼と夜で顔を変える――まるで、『無垢な殺し屋』と呼ばれていた頃の俺みたいだ。

 『すすむちゃん』と書かれた赤い暖簾(のれん)の下で、『すすむちゃん』という愛称とは程遠い、俺よりもずっと殺し屋みたいな容貌の男が腕を組んで仁王立ち。額の左に残る古傷をぴくぴくと動かしている。


「何って……バイトですけど」と俺は遠慮がちに答えた。


 すると、店長――真田進(通称、組長)はへの字の口に力をこめて、富士山のように変形させた。額には青筋。鋭く細い目は、カッと見開かれている。


「お前は自宅謹慎なんだろう?」

「え……」


 馬頭観音が降臨したのかと思った。眉はつりあがり、皺には濃い影が落ちている。組長の怒りで地響きでも起きるんじゃないかとさえ思った。俺は初めて、人の顔をみて恐怖を覚えた。思わず、後ずさる。


「何の話っすか」

「学校からちゃんと連絡がきてるんだよ。阿呆が」


 やべ。俺は言葉を失った。そういえば……俺がバイトしていることを学校は知ってるんだったな。孤児は無条件でバイトの許可をもらえるから、軽い気持ちで申請してしまった。こそこそと隠れて裏で何かをやるのはもう嫌だったし。それに、まさか自宅謹慎になるとは思っていなかったからな。


「帰れ、この大馬鹿野郎が」

「いや、大丈夫です。バレませんから」

「そういう問題じゃねぇ! 俺は曲がったことが大嫌いなんだよ!」


 怒鳴り声で吹き飛ばされるかと思ったのも、これが初めてだ。俺は顔をひきつらせて、さらに一歩後ずさる。この人……本当にただの焼き鳥屋の店長か? そういえば、昔はヤクザだった、とかいう噂があるんだったな。俺は段々とそれを信じ始めていた。じゃなきゃ、ここまでの迫力は出せないだろう。

 てか、曲がったことが嫌いって……見た目と言っていることのギャップがありすぎだ。


「今日はもう店は開けねぇ」舌打ちしてから、組長はそう吐き捨てるように言った。「葵も辞めちまったからな」

「辞めた!? 葵が!?」

「ああ。今朝、急に電話があってな。参ったよ」


 言って、組長は唸り声が混じったため息をついて背を向けた。剣山のような頭が暖簾をくぐり、店へと入っていく。勢いよく戸が閉められ、周りの通行人までその音に驚いて振り返った。

 残された俺は、呆然と突っ立っていた。葵が……辞めた? 心が一気にかき乱される。夕べのいざこざが鮮やかに思い出されて、思わずうつむいた。耳に蓋をしたかのように、周りの喧騒が聞こえなくなった。聞こえるのは、自分の心臓の音。罪悪感から必死に逃げるように、駆け足で波打つ鼓動。

 俺と会うのが気まずくて、辞めた……? それとも、まさか砺波に何かされたんだろうか。脅された? しつける、とか言ってたもんな。何か、ひどいことでもされたのか。いや、そうだとしても……結局は、俺のせいだよな。やっぱ、夕べ、電話の一つでもいれておくべきだった。まさか、あれで葵とはお別れか? あんな別れ方? 最悪だ。悔しさがこみ上げてきて、ぐっと拳を握り締めた――そのときだった。

 ドン、と背中を思い切り叩かれて、俺はつんのめった。通行人とぶつかったのかと思いつつ、とっさに振り返る。すると、


「やっほ。夕べはどうも」


 ヒラヒラと手を振り、白く細長い足をショートパンツで惜しみなく見せている少女。くりっとしたつり目。グロスで光る唇。ふんわりとしたショートヘア。


「葵……」


***


 葵はぎこちなく微笑んで八重歯を見せる。


「なに、突っ立ってんの」


 首を傾け、髪を揺らす。和幸は呆然とそれを見つめていた。まるで、幽霊でも見るかのように。


「見つめすぎ」からかうように葵はいたずらっぽい笑顔を浮かべる。「それとも、見とれてるのかな」

「あ、いや……」和幸はやっと我に返って、落ち着かない様子で頭をかいた。「辞めたって聞いたから。ついさっき」


 葵の表情から笑顔が消えた。ふっと真顔になると、「まあね」と目を背ける。


「気が変わったっていうか……やっぱり気持ちは変わらない、ていうか」

「え?」


 もごもごと口を動かす葵に、和幸は目をしばたたかせる。聞こえなかったわけではないが、何を言っているのか意味が分からなかった。分かることといえば、葵の口調から、あの聞き慣れない独特なイントネーションと言葉遣いが消えていることくらい――。


「とにかく」と、葵は和幸に近寄る。「手に入らないものほど、燃えるっていうか?」


 じっと自分を上目遣いで見つめる少女に、和幸は「あ」と顔をしかめて声を漏らす。いくら鈍感な彼でも、夕べの騒ぎで葵の気持ちにはさすがに気づいている。彼女の瞳に宿る期待が何を示しているのかくらい予想はついた。


「あのさ、葵」和幸は言いにくそうにそう切り出した。「俺はカヤが……」

「さて、バイトバイト」

「え」


 和幸の話を聞こうという気はさらさらないのか、葵はすばやく顔を背けて和幸の腕をつかんだ。


「組長に怒られちゃうよ」


 言いながら、店の中へ引きずろうとする。和幸は慌てて「いや、俺は今夜は無理なんだ」と引き止めた。葵は不思議そうな表情で振り返ると小首を傾げる。


「無理って?」

「自宅謹慎中なんだよ。組長に帰れって言われた」

「じ、じたくきんしん?」初めて聞いた単語のように、葵は不自然に発音した。「和幸が? 嘘でしょ。何したの?」

「自宅謹慎になるようなこと、だよ」


 がっくりと肩を落とす和幸に、葵は目をぱちくりと瞬かせる。本当なんだな、と心の中でつぶやくと、和幸の腕を捕らえている手を離すことなく、じっと何かを考える。そして、ニヤリと微笑んだ。


「つまり……またあたしに借りを作るわけだ」

「は?」

「そうでしょう? 今夜はあたし一人で和幸の分も働くわけなんだし。借り(いち)!」

「いや、まあ、そうだけど」


 夕べの一連の騒動は、そういえば、この葵の『借り』発言が発端だった。和幸はどこか嫌な予感を覚えて、頬をひきつらせる。

 葵はその様子にどこか満足そうに笑んで、和幸の腕から手を離すとくるりと後ろ手を組んだ。


「じゃ、今度じっくり返してもらおうかな。和幸の部屋で」

「……は!?」

「大丈夫、大丈夫。浮気も本気になれば、浮気じゃなくなるって、よく言うじゃない?」


 葵は腰をかがめて和幸を下から覗き込む。和幸は返す言葉も見つからないようで、ただ呆然と葵を凝視する。やっと出てきたのは「え」という呆けた声。葵の言葉をやっと理解したかのように、急に耳まで赤くして「言わないだろ!」と慌ててつっこんだ。

 葵はケタケタ楽しげに笑って、「自宅謹慎中に部屋片付けとくのよ」と言い残してくるりと踵を返す。和幸の反応を確認することなく、さっさと店の中へと入っていった。

 愕然として立ち尽くす和幸。これは表の世界の洗礼か、と脈絡も無いことを頭の中でつぶやいた。今の会話さえ、カヤに聞かれたらまた一騒動起きそうだ。そもそも、現時点でカヤとはうまくいっていない。他にも心配することは山積みなのに、これからどうなるんだ、と顔を青くして頭を垂らす。

 そんな和幸を元気づけるかのように、明るい音楽が和幸のポケットから流れ出した。


   *   *   *


 葵が元気だったのはよかった。バイトも続けてくれるみたいだし、一安心だ。ただ、あそこまで堂々と『浮気』を肯定されると……俺は一体どう反論すればいいのか。『彼女もち』カードはもう使えないようだな。

 やれやれ、砺波の『しつけ』はどうなったんだ? いや、まあ、あいつが妙なことをしたわけじゃなくてよかったけど。そうだよな。これは俺と葵の問題なんだ。行く行くは俺がきっちり話をつけなきゃ。とりあえずは、部屋にあげないようにしよう。今度葵と何かあったら、カヤは気でも狂いそうだな。もう修復できなくなるだろう。てか、失神してムシュフシュに葵ともども食い殺されるか――って、最悪な冗談だな。

 ふうっと一つため息をついて、俺はさっきからうるさく自己アピールをしている携帯電話をポケットから取り出した。誰だろうか、とサブディスプレイを見つめ、そして息を呑んだ。


「静流姉さん?」


 どうして、静流姉さんが? ぱちくりと目を瞬かせてケータイを見つめる。その名前を見ただけで、カヤや葵のことが頭から吹っ飛んだ。背筋が凍りつくような戦慄を覚える。


「なんで……静流姉さんが?」


 俺はもう『勘当』されたはず。カインの人間から連絡が来ることは不自然だ。何か重大なことでもあったのだろうか。親父の身に何か……? いや、それだったらリーダー代理である曽良から連絡が来るだろう。なぜ、静流姉さんなんだ?

 そこで俺はハッとする。そういえば、夕べ静流姉さんと電話で言い合いになったっけ。まさか、その件でまだ怒っている? 心なしか手が震える。通話ボタンを押した瞬間、鼓膜が破れそうだ。

 てか、静流姉さん、しつこいな。もうそろそろ留守電につながりそうなものだが。


「ううん」と俺は唸った。留守電に静流姉さんの擦れた怒号が残るのも恐い。「仕方が無い」


 覚悟を決めるか。

 恐る恐る通話ボタンを押し、耳に当てる。怒鳴り声に備えて、数センチ離しておく。「静流姉さん?」と、見えるわけでもないのに作り笑顔を貼り付けた。


「和幸、出るのおせぇよ」


 あれ? 大人しいな。穏やかにも感じる。


「どうしたんだよ、姉さん?」油断は禁物。丁寧な口調でそう尋ねた。「『勘当』された俺に電話したらまずいんじゃ……」


 すると、電話の向こうで豪快な笑い声が聞こえた。「暢気だねぇ」というハスキーボイスが囁かれる。


「陳腐なセリフで悪いんだけどね」珍しく上機嫌にも聞こえる声でそう前置きして、「お前の女は預かった。返して欲しかったら、あたしの部屋に来な」

「……は?」

「あたしは辛抱強くねぇんだ。早く来たほうがいいよ」


 質問する暇も与えられず、容赦なく電話は切られた。

 無機質な電子音が鼓膜を揺らす。いつのまにか、ケータイは耳にぴたりとくっついていた。俺はただただ放心状態で立ち尽くした。


「は!?」と、とりあえずもう一度叫んだ。

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