表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
176/365

帰る家

「ここがお家?」


 正義は車の窓から顔を出し、カヤの背後にそびえる屋敷に目をやる。高級住宅街の一角にそびえる立派な豪邸だが、真っ暗で人気がしない。

 カヤは門を背にして正義に微笑んだ。


「ここです」言って、ぺこりとお辞儀をする。「送っていただいて、ありがとうございました」

「そんなことはいいんだけど」


 やはり幽霊屋敷のように不気味な屋敷が気になって、正義は顔をしかめた。


「お養父さんは、もう寝たのかな?」


 もう時刻は十一時。こんな時間まで養女(むすめ)が帰ってきてないのに、のんきに眠る父親がいるだろうか。

 カヤはちらりと後ろの屋敷を一瞥し、「たぶん」と愛らしく首を傾げた。


「本当に大丈夫? 玄関まで送ろうか」


 正義が車から降りようとシートベルトをはずすと、カヤは慌てて首を横に振った。


「ダメです! おじさまは和幸くんに会ってますから、万が一長谷川さんの顔を見たら……」


 そう言われると動きはぴたりと止まる。正義は眉間にしわを寄せ、しぶしぶシートベルトを付け直した。

 カヤは安堵したようにため息をつき、「それじゃあ」とあらたまって姿勢を正した。


「これで……お別れ、なんですよね」

「といっても」正義は冗談っぽく微笑むと、ガーゼだらけの自分の顔を指差した。「この顔には、君はこれからも付き合わなきゃいけないんだろうけどね」


 さっき部屋で取り乱していた少女とは別人かのように、カヤはほがらかに笑んだ。


「じゃあ」と、ため息混じりに言って正義は車のエンジンをかける。「元気で」


 車の窓から真剣な表情で見つめる青年に、カヤは頷いて答えた。これで会ったのはたったの二回だというのに、別れが想像以上につらい。肺が押し上げられ喉が締め付けられる感覚がする。言葉が出てこない。何を言っても、あとで後悔する気がした。もっと気の利いたことを言えれば……と。

 だから、カヤは何も言わないことにした。ただ、微笑んでいよう、と。心配はない、と正義が思えるように。

 熱気が車の底から発せられて、居心地悪くカヤの足元にただよう。エンジン音があたりに木霊する中、正義はこれで見納めとばかりにじっと美しい少女を見つめた。そして、かみ締めるようにしっかりとした口調で唐突につぶやく。


「すまなかった」


 何に対する謝罪なのかは、聞かずとも分かる。やはりカヤは何も言わず、深々と頷いた。その笑みはどんな罪をも赦すかのように神々しく高潔で、正義は気づけば見とれていた。笑顔を見ているだけでで癒され心が洗われるようだ。洗礼を受けて生まれ変わる――今の自分は、そんな気分なのかもしれないと思った。

 後ろから車のライトがせまり、正義はハッとしてハンドルに手を置く。せかされるようにしてアクセルを踏むと、「元気で」ともう一度言って車を発進させた。

 カヤはゆっくりと手を挙げて、遠ざかっていくセダンに小さく手を振る。赤いランプがついたのが見えたが、自分に対する何らかのシグナルなのか、偶然ブレーキを踏んだだけなのか。カヤはとりあえず、車が見えなくなるまで、笑顔を浮かべていようと思った。


「お幸せに」


 ふとこぼれた言葉に、カヤはハッとする。ぴったりな言葉があったじゃないか。そう言えばよかった、と後悔して苦笑した。


***


 玄関の前に立って、私は目を丸くした。ハンドバッグから鍵を取り出そうとした手を戻し、首をかしげて金色の取っ手をつかむ。


「開いてる……?」


 鍵がかかっていないだけじゃない。ドアはすでに少しだけ隙間が開いていた。それもよく見れば、鍵が壊されている。無理やりこじ開けたかのようにひしゃげて……いや、そんなわけはない。鉄の鍵をだれがこじ開けられるのか。特殊な器具でもあるんだろうか。でも、誰が? 警察? それとも、泥棒?  まさか、今、中にいたりはしない……よね。

 取っ手をつかみながら家を見上げた。改めてこうして見上げると巨大な屋敷だ。暗くて今は分からないが、外観は白くゴシック調の窓が特徴的。三人家族が住むには、贅沢すぎる家だった。

 恐る恐る中に入り、玄関にあがる。窓から差し込む月明かりだけが頼りだ。真っ暗でほこりっぽい。玄関では床に視線を落とさないように、まっすぐに前だけを見つめて歩いた。壁に手を当てて、記憶を頼りにリビングまで歩いていく。

 一歩一歩歩くたびに、懐かしい声や音、香りが戻ってきた。幼い頃から屋敷を守っていてくれたガードマン――彼らは違う家に雇われたんだろうか。乳母のような存在だった家政婦の田中さん――行方不明だというけどどこにいるんだろう、無事だろうか。ここに暮らしたのは四ヶ月ほど。育った家ではないけれど、ここに居た人々とは一緒に育ってきた。

 リビングのドアにたどり着き、ゆっくりと開く。

 カーテンが取り払われた窓から月光が惜しみなく注いでいる。何も変わらないリビング。ただ、寂しげで哀しい。一歩足を踏み入れ、あたりを見回した。

 リビングの奥にあるダイニングテーブル。いつもなら、あそこで母は紅茶を飲んで、父は新聞を読んでいた。幻影のようにその姿が浮かび、二人はこちらに振り返る。


――おかえり、カヤ。学校はどうだった?


 母の懐かしい声が頭に響いた。もう二度と、聞くことはできない声。一生、答えられない質問。

 ぼんやりと立ちすくみ、「ただいま」と私はつぶやいた。――そのときだった。


「おかえり」


***


 予期していなかった返事に驚いてカヤは振り返った。声は横のソファから。よく目をこらせば、確かに誰かが座っている。頭のてっぺんがちょこんと背もたれから飛び出ている。


「誰?」と震えた声で尋ねると、頭はゆらゆら左右に揺れて笑い出した。


「嫌ですねぇ。声だけじゃ分かりませんか?」


 陽気で間延びした声。聞き覚えがある。カヤはハッとしてソファにゆっくりと近づいた。


「一応、一週間ずっと一緒に居たんですけどねぇ」


 言って、頭はひょっこりと伸び、やがてくるりと振り返った。月光を背にしているが、暗闇に慣れたカヤの目にはなんとか顔が見える。誰だかをはっきりと確信すると、カヤはあっと驚いた。


「望さん!?」


 そこに居たのは紛れもなく、自分のボディガードだった。

 椎名はにんまりと笑むと、ちょいちょいとカヤを手招きする。


「座って話しませんか? 久しぶりのお家なんでしょう」

「……」


 いろんな疑問が頭に浮かんで、カヤはすぐには行動できなかった。しばらく呆けていると、「ほらほら」とおもしろがるように椎名は言って、太陽が沈むように背もたれに消えていった。カヤは失笑し、戸惑いつつもグルリとソファを回って椎名の隣に腰を下ろす。

 座った途端、ほこりが舞って咳き込んだが……ふわっと自分を抱きとめるソファに懐かしさがこみ上げて、笑みがこぼれた。


「いいソファじゃないですか」と隣でだらしなくグテッと座る椎名がそう漏らす。眠りそうな姿勢だ。カヤも姿勢を崩し、ソファに深く座って背もたれによりかかった。

 しばらくそうしてから、いぶかしげな表情を浮かべ、カヤは隣でくつろぐ椎名を見つめる。


「どうして――」と問いを言いかけると、椎名は最後まで聞くことなくさっさと答える。


「落ち込んだカヤちゃんが行くとしたら、ここくらいだろうな、て思いまして。ずっと待ってたんですよぉ」


 それを聞いたところで、カヤの質問は同じだ。


「どうして――」と再び尋ねると、椎名は顔だけこちらに向けてきた。


「気持ち、分かるんです」

「え?」


 あまりにじっと見つめられ、カヤは落ち着かずに上体だけ椎名から離れるようにずらした。


「僕も同じなんですよ」と椎名は続ける。「両親を、幼い頃に亡くしてるんです」

「!」


 カヤはハッとして目を見開いた。そんなことは本間からも聞いたことはない。どう言葉を返せばいいか分からず呆然としていると、椎名は顔を前に向きなおして月光に誘われるように窓を見上げる。


「カヤちゃんと違うのは……どう亡くしたか、ですけどね」

「どういうこと、ですか?」


 椎名は話の内容に似合わない薄ら笑みを浮かべている。


「カヤちゃんのご両親は自殺されたんでしょう」


 椎名は躊躇もせず、すんなりと口にした。

 カヤはつらそうに顔をゆがめ、椎名から目をそらす。殺人事件と疑われた両親の事件は、心中自殺で幕を閉じた。自殺するとは到底思えなかったが、父の遺書も見つかったということでカヤは認めざるを得なかった。納得できない答えを押し付けられ、カヤは未だにそれが現実とは思えずにいた。こうしてはっきりと口に出されると、胸を深々とひっかかれるようだ。

 表情を曇らせるカヤを横目で見ながら、椎名は余裕の笑みで続ける。


「僕の両親は殺されたんです」


 突然の告白に、さすがに胸の痛みを忘れ、カヤはハッとして椎名を見やった。


「殺されたって……」

「僕と義妹(いもうと)の目の前で、いきなり殺されたんです」

「いもうと?」


 震える声で言葉を繰り返すカヤに、椎名は目を細めた。


「血は繋がってませんよ」

「あ……ごめんなさい」


 ということは、連れ子か養子縁組か。カヤはとりあえず、こんな話の最中に細かいことを気にしたことを後悔していた。兄弟姉妹がいる時点で、何らかの訳があることは想像できる。わざわざ聞かなくてもよかったのに。


「なぜ……」殺されたのか、という言葉までは出なかった。残酷すぎて口にするのもはばかられる。


 それを悟ったかのように、椎名はあっさりと答える。


「盗みに来たんですよ」

「盗む?」

「ええ。両親が命よりも大事にしていたものを……」


 それが何かは気になっても、そこまで詮索する気にはなれなかった。カヤは次に何を尋ねればいいのか。はたまた、ここで話を終わらせるべきなのか。判断つかずに困惑していた。

 すると、椎名は人差し指を突き出して、指揮をするかのようにリズムよく空中を切った。


「ま。だからですかねぇ。分かったんですよ。カヤちゃんがここに来るだろう、て。

 僕も義妹を連れて……寂しいとき、昔の家に帰ったこともありましたから。行っても結局はつらいだけでしたがね」


 それはまさに、カヤの今の気持ちを言っていた。つい、暖かい家が懐かしくなって戻ってきたが……心に沸き起こったのは哀しみだけだった。ただ、恋しい。余計に孤独が増してしまった。もし、椎名がいなければ自分はどうなっていたか分からない。カヤは横で微笑を 浮かべる青年を見つめる。


「ありがとうございます」と無表情でつぶやいた。


 突然言われて、椎名はぱちくりと目を瞬かせる。


「何がです?」

「迎えに来てくれて……」

「いえいえ。仕事ですから」


 陽気にそう言い放って、椎名は足を組みなおした。そして冗談交じりに付け加える。


「でも、このまま本間の家に帰ってくれないと、僕はクビなんですけどね」


 クスリとカヤは微笑んだ。「ちゃんと帰りますよ」と諦めたように言うと、椎名は同情するような表情を浮かべてカヤを見つめてきた。


「本間先生は、カヤちゃんに心から感謝してるんですよ」

「え」


***


 感謝してる? おじさまが私に? 感謝しないといけないのは、私のほうなのに?

 望さんは優しげな瞳で私を見つめている。


「先生はいつも言っていますよ。カヤちゃんこそ、先生がずっと探していたものだ、て」

「ずっと探していたもの? 私が?」

「そうです」と望さんは力強く頷いた。「先生が長年待ち望んでいたものを、カヤちゃんが運んできてくれたんですよ」


 もしかして、幸せ、とか……そういうことだろうか。そうだと嬉しいけど、それは良く考えすぎだろうか。でも他には思いつかない。何か本間家に持ってきた物もないし。抽象的なものとしか考えられない。


「それって、なんなんですか?」とつい直接尋ねていた。


 望さんはだらしなかった姿勢を正すと、真剣な目で私を食い入るように見つめてきた。


「そのうち……いえ、すぐに分かりますよ」


 すぐに? 戸惑って眉をひそめていると、望さんの手が伸びて私の髪に触れた。思わずびくっと肩が揺れる。


「だから」つぶやく望さんの手が髪をなでて毛先を指にからめた。「先生にとって、カヤちゃんは本当に本当に大切な義娘(むすめ)なんですよ。幸運の天使……そうも言ってました」


 望さんに髪を触れられるのが落ち着かなかったけど、話が気になって私は彼を凝視していた。


「幸運の天使?」


 おじさまが私のことをそう思っているの? 胸が熱くなった。迷惑をかけているんじゃないか、と心配していたのに。厄介者だったらどうしよう、なんて不安だったのに。それに……私はおじさまを避けていた。両親を思い出してつらいから、距離を縮めるのを躊躇(ためら)っていたんだ。それなのに、おじさまは……。私はこみ上げてくるものをごまかすように微笑んだ。目が潤んでしまっている。


「本当ですか?」と尋ねると、望さんは髪を弄んでいた手を私の肩においた。整った顔立ちが微笑を浮かべる。男性だというのに、絵になるほど美しいと思った。


「だから」とゆっくりと丁寧に望さんは口を動かす。「もっと心を開いて、先生を頼ったらどうですか?」


 心を開く? 頼る? 養女に引き取ってもらった上に、そんな負担はかけたくない。その気持ちを汲み取ったかのように、望さんは私の肩をさすって囁くように言う。


「遠慮はいらないんですよ。カヤちゃんの家は、今は本間なんですから」

「!」


 ハッとして望さんをじっと見つめた。彼は自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。


「僕も、先生には助けてもらってるんです」

「え?」


 月の光が彼の顔に淡い影を落としている。そのせいか、笑みが妖しく見えた。


「僕と義妹は両親を殺した犯人を見ていた。だから警察に訴えたんです。でも、子供の言うことだ、と相手にしてもらえませんでした」


 いつかの、藤本さんの言葉が浮かんだ。


――警察は、もう機能していません。腐敗しているんです 。


 望さんのそれも、その例の一つにすぎないのかもしれない。子供だからって相手にしないだなんて。子供だからこそ、力になってあげなきゃいけないはずなのに。当時の望さんの気持ちを思うと、胸が痛んだ。犯人を知っているのに、何もできないなんて。やるせない思いだったに違いない。


「絶望の淵にいたとき、本間先生と出会ったんです。そして約束してくれた。犯人を必ず見つけ出してくれる、と」

「そうだったんですか」


 お決まりの相づちしか出てこない。どんな顔をしてもいいのかさえ分からず、私は眉根を寄せた。


「その約束もあって、僕はこうして先生の下でボディガードとして働かせてもらってるんですがね」急に明るい口調になって、望さんは肩をすくめた。「今は、カヤちゃんの護衛ですけど」

 

 だから、と望さんは腰を少し上げて私のすぐ隣に移動してきた。


「先生は頼りになる人だって僕がよく分かってます。カヤちゃんも、少しは甘えたらいい」

「……そうかもしれませんね」


 といっても、甘えられるのはだいぶ先になるだろう。望さんの心遣いは嬉しい。きっと、私が本間の家に馴染めていないことに気づいて、こんな話をしてくれたんだろう。おじさまは信用できるぞ、て安心させるために。でも、それは私も分かっていた。おじさまを信用していなかったわけじゃないんだ。ただ……時間がかかるだけ。今すぐには本間カヤにはなれない。おじさまを父としては、まだ見れない。親子の絆は、そう簡単には築けてはいけないものだと思うし。

 じっと押し黙っていると、望さんの手が頬にのびてきた。私は驚き飛びのいて、ぎょっとして彼を見つめる。そういえば……さっきから、やたらと触られているような……。


「どうかしました?」と、望さんは何事もないかのように薄ら笑みを浮かべている。そんな落ち着きはなった態度を取られたら……私が変に意識してしまったみたいで恥ずかしい。暗くてよかった、と思った。今の私の顔は真っ赤だ。


「あ、えと……」慌てて何か話をしよう、と話題を探す。沈黙は、危ない気がした。「犯人は捕まったんですか?」


 思わず口をついて出ていたのは、不躾な質問だった。あまりに咄嗟で……つい、本当に気になっていることを口にしていた。――気になっても、尋ねるべきではない、と思っていた質問が。

 私は、あ、と表情を曇らせて顔をそらした。


「ごめんなさい。答えなくて、いいですから」

「もう少し」望さんの低い声が聞こえてきた。「もう少しで、捕まえられそうなんです」

「え……」


 きょとんとして彼を見つめると、不敵な笑みでこちらを見ていた。真剣な眼差し。思わず、心臓が大きく飛び跳ねた。


「やっと手がかりを見つけたんですよ」


 そう言ったときには、すでに彼の表情は陽気で、刺すような眼差しは消え去っていた。虫を捕まえて喜んでいる少年のような、嬉しそうな声色。私は「そうなんですか」と微笑んだ。


「捕まるといいですね」


 決して、社交辞令じゃない。心からそう思う。そう願う。子供の目の前で両親を殺すなんて……人間業じゃない。ひどすぎる。望さんと妹さんが負った心の傷は、想像もできない。そんな残酷なことが起こるなんて、トーキョーはなんてひどい場所になったんだ。きっと犯人が見つかっても傷は癒されない。それでも――長谷川さんじゃないけれど――せめて正義の裁きが下れば、と思う。


「ありがとう」と望さんは言って、今度は私の首元に手をのばしてきた。

「え」

「本当に……」


 囁くようにつぶやき、そして彼は手を私の首の裏に回してきた。ハッと気づいたときには、望さんは腰をあげ、上半身をねじり、今にも私に覆いかぶさろうとしていた。もう一方の手が私の頬に伸び、あまりのことに硬直していた体がびくんと震えた。その瞬間、金縛りがとけたように私は咄嗟に両腕を突き出して彼の体を押しのけた。


「何するんです!?」


 即座に立ち上がって怒鳴ると、望さんは苦笑して両手を挙げた。


「あれぇ?」ととぼけた声で首を傾げる。「てっきり、カヤちゃんはもうフリーなのかと……」


 フリー? 私は「違います!」とムキになって答えていた。


「まだ付き合ってます! こんなこと知れたら、和幸くんに怒られますよ!?」


 それでなくても、彼は望さんが嫌いなんだから。怒られるというより、殴られるだろう。


「あ、そうなんだ」感心したような声をあげて、望さんはにやけて腕を組む。「別れたわけじゃないんだね」


 くつくつと笑っている彼を見て、私はハッと気づいた。そして、ジト目で彼を見つめて問う。


「からかったんですか?」


 すると望さんは笑いを止め、肩をすくめた。


「確認したかっただけですよ」

「確認?」

「ケンカしたって聞いたんで」言うと望さんはおもむろに立ち上がる。「心配していただけです。別れてないならよかった」

「それなら、そう聞いてくれればいいじゃないですか」


 なにも、襲うように見せかけなくても……未だに心臓が騒いでいる。どうしようかと思った。恐くて動けなかったほどだ。

 望さんはあっけらかんと笑いながら、首をかいた。


「エンターテイメントというか。せっかくなんで、楽しんでもらおうかと思いまして」

「楽しくありません。今度したら、おじさまに言いつけますから」


 ぴしゃりと言うと、望さんは顔をしかめた。


「それは困ります。クビ確実だ」


 思わず、ため息がもれた。あれが冗談だったと分かってホッとしたのと、望さんの悪戯に呆れたので、張り詰めていた気持ちが和らいだ。


「家に帰ります」と私は微笑する。「送ってくれますか?」

「そりゃ、もちろん。そのためにわざわざ来たんですから」


 望さんは腰に手をあてがって、自慢げに答えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ