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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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正義の告白 -4-

 自首。いきなり転がり込んできたその言葉に、カヤはハッと目を見開いて正義に振り返る。つまり、ここに真紀がいないのは、警察――もしくは刑務所にいるからか。それも、自首させた(・・・)? 


「最初から、そうすべきだったんだ。彼女の罪を庇おうとしたときから、全て狂っていたんだ」


 正義は穏やかな表情でそう語った。はっきりとした口調で、一切の迷いも感じられない。


「でも……」とカヤはつぶやいて、そして口をつぐむ。何を言おうとしたのか、自分でも分からない。真紀が大野につけこまれるようなことをしたのは事実だ。冤罪ではない。確かに彼女は罪を犯した。それなら、自首はいい知らせのはずだ。これでようやく彼女は浄罪することができるのだから。正義の言葉を借りれば、正しいこと、なのだろう。だが、カヤはすんなりと受け入れられなかった。といって、でも、のあとになにを続ければいいのかは見当もつかない。

 もしかしたら、ただの同情なのかもしれない。そう思うと、自己嫌悪に襲われる。


「真紀が自首したことで、大野は強請るネタを失った。さくらも狙われることはない」


 そうだ、さくらちゃん――カヤは思い出したように、ぎゅっと写真たてを握り締めて口を開く。


「さくらちゃんは、どうなるんです? お母さんしか身寄りがいないんですよね?」


 何を隠そう、それこそ真紀が大野の奴隷になった原因だ。さくらを残して刑務所にはいるわけにはいかない。孤独な母は、娘を守るために牢屋ではなく茨の道を選んだのだ。なのに、どうして今更、娘を置いて自首したのか。

 すると、正義は目を細めて慈しむように笑む。それは見覚えのある優しい笑顔で、カヤの胸が軋んだ。


「俺がいる」なめらかに口を動かして正義は静かに告げた。

「え」

「自首する前の日に、あの子の父親になったんだ。書類上のね」


 カヤは唖然とした。回りくどい言い方だが、何を示唆しているかは明らかだ。


「結婚したってことですか?」


 目をまん丸にして確認に近い質問をなげかけると、ああ、と正義は照れながら頷いた。


「おめでとうございます!」と、思わずカヤは身を乗り出して声をあげていた。結婚したからといって、二人の状況が変わるわけではない。正義が人を殺そうと画策した事実は消えないし、真紀は今後刑務所で暮らすことになる。だが経緯はどうあれ、結婚はめでたいもの。二人が愛し合っているのなら、なおさら。暗い気持ちが一転、胸が高鳴っていた。結婚の一言でここまで気持ちが変わるのだから、とカヤは単純な自分に呆れた。

 新婚の夫は、しかし、「ありがとう」とは答えなかった。自分のことのように喜んでいるカヤに、パッとしない表情を浮かべて、参ったな、と頭をかく。


「初めて祝福されたな」

「初めて?」思わぬ返しに、カヤは目をぱちくりとさせた。「ご家族は?」


 孤児院出身の真紀に家族がいないとしても、正義にはこんな贅沢なマンションを与えてくれる父親がいる。祝福されていないということは、まさか結婚を報告していないのか。それとも、反対でもされているのか。カヤは表情を曇らせた。


「真紀は子持ちの娼婦。しかも、大麻所持に売買で牢屋に入る身。そんな女との結婚は、父にとってはとんでもない話でね。婚姻届を提出したその夜に、離婚しろ、とせがまれたよ。

 しかも、俺の一族は代々政治家だ。俺も行く行くはそうなろうと思っている。だから余計なんだろう」

「……」


 祝福されない事情に、カヤは不本意だが納得してしまった。正義の父の心配も最もだ。政治家の妻が、前科のある元娼婦。世間からすれば、聞こえがいいわけではない。正義の将来のキャリアに確実に影響がでるだろう。

 それだけではない。正義は口にしなかったが、もう一つ理由があるように思えた。さくらの存在だ。真紀は一度子供を出産している。つまり、正義との子供は一生生めないということだ。正義自身はもちろん、その父からすれば、血の繋がった孫を諦めることになる。子持ちの娼婦……反対されるのも当然かもしれない、とカヤは視線を落とした。代々政治家という歴史あるお家柄なら、なおさらだ。

 だが、厳しい境遇を語る正義の声は明るかった。晴れ晴れとした表情で一切の負の感情を感じさせない。彼はきっと一切後悔していない。未来に不安もない。それが伝わってくる。


「真紀が釈放されたら」と、正義は頬を緩めて遠くを見つめた。「認めてもらえるまで二人でしつこく父につきまとうつもりだ」

「認めてもらう……? でも、もう結婚したんですよね?」


 さっきの話で、正義の年齢は分かった。二十年前に四歳なら、今は二十四。婚姻届に親の同意が必要な歳ではない。もうそれを提出したというのだし、一体何を認めてもらうというんだろうか。カヤが不思議に思っていると、正義は肩をすくめて微笑んだ。 


「書類上は、ね。でも、ちゃんと祝福してもらいたいだろう。真紀は俺が惚れた女だから、俺の家族が気に入らないはずはないんだ。それに……」そこで言葉をきると、正義は力強い口調で付け加える。「やっぱり、真紀にも俺の家族を知ってほしい。贅沢を言えば、愛してほしいと思う」

「!」


 カヤはギクリとして体を強張らせた。なぜか、和幸に言われているような錯覚を覚えた。針でつっつかれたような痛みが胸を刺し、カヤは無意識に眉を曇らせた。


「確かに父は、恐ろしいことをした。赦されることじゃない。でも、どんな家族であれ、俺の大事な家族なんだ。俺の一部なんだ。だから……真紀にも、その一部になってほしいと思う」


 明るい未来を信じて疑わない。正義の眼差しはそんな希望に満ち溢れていた。

 その斜め横で、カヤは浮かない表情を浮かべている。錯覚は続いていた。カヤは責められているような気さえして、うつむいた。


「父が真紀を認めてくれたら、そのときには晴れて式を挙げようと思っている」


 正義はそう締めくくり、「これで、俺の話は終わりだ」と几帳面に終止符を打つ。

 じっと話を聞いていた少女は、浮かない表情を浮かべていた。予想外の反応だ。結婚と聞いてあれほど瞳を輝かせて興奮したというのに、結婚式には無反応。まあ、「ぜひ呼んでくださいね」なんていわれたらどうしようかと心配していたから、丁度良かったかもしれない。正義はそう心の中でつぶやいて、声の調子を変えて尋ねる。


「何か、まだ聞きたいことはある?」


 突然そう聞かれ、カヤはハッと我に返り顔を上げた。


「聞きたいこと……」


 何かあるだろうか、とカヤは天井を振り仰いだ。正義が和幸を利用して大野を殺そうとした理由も、真紀が何者かも、和幸の存在を知った理由も……そして、彼の正義(せいぎ)への渇望の源も分かった。知りたかったことは全部聞いた。いや、期待していた以上だ。まさか、正義がここまで洗いざらい話してくれるとは思っていなかった。――まるで閉店セールの勢いだった。カヤはそんな陳腐な例えがうかんで苦笑する。

 

「もう、ないと思います」カヤはそう答えて首を横に振る。「気が済みました」と冗談交じりに付け加えて。


「なければ」正義は身を乗り出して、食い入るような視線でカヤを見つめる。「これでお別れにしたいんだ」

「……へ」


 お別れ? いきなり出てきたその言葉に、カヤはきょとんとした。もう夜も遅い。帰ってほしいということだろうか。だが、それにしては正義の表情は深刻だ。


「俺が君と会うのを承諾したのは」と、まっすぐにカヤの瞳を見つめて正義は言う。「一つは、直接謝りたかったから。もう一つは……」


 不自然にそこで言葉をきると、正義は一瞬だけ躊躇した。カヤの表情があまりに不安そうで、言うのがはばかられたのだ。だが、これはお互いのためだ。言わなくてはならない。正義は甘い考えをばっさりと切り捨てるように、勢いをつけて言い放つ。


「君と……いや、君たち(・・・)と関係をきるためだ。今夜で、連絡をとるのも会うのも最後にしたい」


***


「これが最後の夜?」いきなりフラれる女は、こんな気持ちなんだろうか。それくらい、唐突に告げられた。「何の話だ?」


 曽良は諦めたようなため息をついて、鋭い視線を向けてきた。


「父さんと話し合ったんだ。リーダー代理としてね。この前例のない事態にどうすればいいか」


 前例のない事態? 俺は理解に苦しみ、顔をしかめて鶏のように顎をひいた。


「カインノイエを抜ける兄弟はかっちゃんが初めてだから」と、曽良はポケットに手をつっこんで視線を落とした。「どうすればいいか、父さんとティコと三人で話し合って決めたんだよ」

「……!」


 そのことか。俺は腕を組んで「そうか」と小さく呟いた。話が読めたな。

 ティコは、もちろん、曽良のつけたセンスの無いニックネームで、本当の名前は茶々(ちゃちゃ)。一つ年下のカインだが、とてもしっかりしていることで昔から有名だった。俺が曽良のサポート役を断って、彼女が代わりに曽良の右腕となったと聞いている。つまり……親父、曽良、茶々は今のカインノイエのスリートップ。その三人でわざわざ俺の今後について話し合ってくれたわけか。はは。光栄この上ない。

 大きく息を吸い込むと、冷たい空気が気道を通り抜けた。厳しい冬がそこまで来ている。それを感じた。

 

「それで? 何を決めた?」そう促すと、曽良は心情を読み取りにくい複雑な笑顔を浮かべる。

「新しいルールを決めたんだ。それが……『勘当』。カインノイエを抜ければ、それから一切の家族(カイン)との接触を禁ずる。もちろん、父さんともね」


 曽良は俺の反応を注意深くうかがっている。心配してるみたいだな。俺は肩をすくめて微笑し「妥当だよ」とかばうように答える。


 こうなるだろう、とは思っていた。カインを辞めると宣言してから、普通に曽良や砺波と会っていることが不思議だったくらいだ。まるで以前と何も変わっていなかった。いや、カインだったとき以上に曽良とは会っていた気がする。『実家』にも自由に出入りしていたし。銃を手放した以外、変化はなかった。

 そうか、やっと分かった。今まで誰もカインノイエを自ら抜けた奴はいなかったから、その後の指針がなかったんだ。俺は宙ぶらりん状態だったわけだな。それが、やっと決まったんだ。『勘当』――カインノイエの新しいルール。親父や兄弟姉妹たちと完全に縁を切る掟か。


「断腸の思い」曽良は不意にそう言った。「それが、父さんの言葉だった」

「!」


 何を言い出すのかと思ったら……よっぽど俺が心配なんだな。言われなくても、親父が喜んで俺を『勘当』するわけじゃないことくらい分かってる。そのくらいの絆は築いてきたつもりだ。

 俺はため息混じりに「ああ」と微笑んだ。


「でも、ケジメは必要だから」なおも、曽良は言い訳のように続ける。「きっちり俺たちと縁をきらなきゃ、結局こっちの世界から抜けられない。だから……」

「今夜で、そのケジメをつけようとしたんだな」


 慰めるような声色で、俺はあとを引き継いだ。曽良は驚いたように目を丸くしたが、すぐに眉をひそめて暗い表情を浮かべた。断腸の思い……こいつもそうなのかもな。馬鹿で能天気だが、昔からいい奴なのは変わらない。

 さっきの電話で、シズル姉さんは『勘当』とはっきりと口にしていた。まだ間に合う、とも言っていたし……今夜俺が『勘当』されることは、カインの皆にすでに連絡がいっているんだろう。

 思い返せば、今朝の砺波の様子も変だった。


――私ら家族を捨てるんだから……ちゃんと、幸せになってよね 。


 言われたときは深くは考えなかったけど……そうか。意識してみると、別れの言葉に聞こえなくもない。いや、あいつにしてみれば、かなりちゃんとしたはなむけの言葉だ。

 こうなってくると、今夜葵を連れてきてしまったことが心の底から悔やまれる。バタバタして、砺波とちゃんとした別れができなかった。今までは当たり前のように会えていたからな。まさか今夜が最後だとは思ってもいなかった。全く……サプライズパーティってのは厄介だな。まあ、厄介にしたのは俺なんだろうけど。

 

「それで……」と、一つだけ気がかりなことを尋ねる。「カヤはどうなる?」


 カインの兄弟たちと会えなくなることは、覚悟の上だった。今更、ショックを受けたりはしない。寂しくないといったら嘘になるが、これが俺の選択――カインを辞め、表の世界でカヤと生きること――に対する結果なら快く受け入れる。

 ただ、心配なのはカヤだった。

 

「どうなるって?」俺の質問の意図が分かっていないようで、曽良は顔をしかめて首を傾げた。「口止めなんてしないよ?」

「カヤもお前らと会えなくなるのか?」


 曽良はハッとして、珍しく哀しい表情でうつむいた。その反応で十分答えは伝わってきた。


「会えないんだな」


 胸が締め付けられた。俺をカインノイエから引き離すための『勘当』。それで俺の彼女がカインと会っていたら、結局、繋がりは残ったままだ。予想はついた。そうだろうとは思ったが……


「どうにかならないのか?」


 気づけば、わがままな子供のように曽良にせがんでいた。俺のこの反応は、曽良にとってかなり意外だったようで、顔を上げてぎょっと目を丸くした。


「どうにかって……?」

「カヤだけでも、友達としてお前らと会うわけにはいかないか?」そこまで言って、俺は降参するように両手の平を曽良に見せる。「俺は一切関わらない。カヤだけだ。約束する。なんなら、俺がバイトのあいだだけでも……」

「ダメに決まってるでしょ、かっちゃん」


 俺の言葉を遮って、曽良は苛立ったような声を出した。


「俺だって、そうしたいけど……」と言うと口ごもり、つらい表情を浮かべて俺を睨んできた。「それじゃ、キリが無い!」


 静まり返る夜道に、曽良の声が響き渡った。

 こんなにムキになる曽良を初めて見た気がする。そりゃ、中学からほとんど会ってないからそうなのかもしれないが……こいつらしくない、と思った。


「切るときには、きっちり切らなきゃ……特に、こっちの世界とは。中途半端が一番危ないんだよ」


 悔しそうに曽良は拳を握りしめてそう呟いた。

 反論の言葉はない。その通りだ。分かってる。無茶な提案だったってのは、重々承知だ。それでも、カヤから曽良や砺波を奪いたくはなかった。気づいてしまったんだ。さっき、曽良に聞かれたときに。


――よく行く場所とか……誰か、友達の家とか? カーヤの学校の友達、誰か知ってるでしょ 。


 分からない、とあのときは答えたが、言葉を濁したにすぎなかった。本当は――


「でも、お前と砺波しか……あいつに友達はいないんだ」

「え?」


 ぼやきのような俺の一言に、曽良は唖然とした。

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