放課後の雨宿り①
「アンリちゃん、ここのシーンなんだけど」
一応、このふざけた劇の監督であるアンリに、台本をもって神崎カヤがかけよった。
当たり前のようにカヤがこの映画研究会の部屋にいるようになって、二ヶ月がたった。一体、台本の何にほれたんだか……すっかり、この変人の集まりの一員だ。
主人公・少女Aの役作りも着実にこなしているし、演技のほうも見事というしかない。
この二ヶ月間。彼女は俺たちを驚かせてばかりだ。勉強も運動神経も、何をやらせてもぬきんでている。俺は違うクラスだから実際にその場にいたわけではないが……平岡の情報によると、音楽の授業でもクラスメートたちを驚愕させる才能を発揮したとか。
そもそも、イラン人である彼女が日本語をぺらぺらしゃべってる時点で賞賛に値するってのに。なにものなんだ? この女は?
「藤本! なに、神崎をじろじろみてるんだよ?」
「え? ああ、平岡か。別にみてねえよ」
本当はみてたけどな。がんみしてたけど……
「それより、聞いたかよ?」
平岡が目を輝かせている。また噂話か?
「主役の少年A役の小倉」
「小倉? ああ、新入部員で主役大抜擢のあいつか」
というか……この劇の主役をやることを条件に入部した、下心みえみえの男。見た目は確かに人並み以上にかっこいいからな。アンリが頼み込んだに違いない。
「小倉がどうしたんだよ?」
「どうやら、神崎にほれてるらしいぜ」
「は?」
平岡は、ほんとうにくだらない噂話までもちこんでくるな。
「そんなの誰の目からみても明らかだろうが」
「え、お前、分かってたのか?」
そんなことをビッグニュースかのように言ってきたお前の目を疑うよ。
正直、神崎が転校してきてからくだらない奴が一気に増えた。神崎がこの劇に参加すると聞いて、大量の男子生徒が『俺も参加する』ってアンリのもとにつめよったし……練習中に、いろんな男がこの部室をのぞきにくる。二ヶ月経ってやっとその人数も減ってきたが。
だが、同時に問題もある。神崎目当てに劇に参加するといった男子生徒が、だんだんめんどうくさくなったのか、勝手に辞めていくのだ。今じゃ、重要な役をあてられた奴が数人のこってるくらい。
その点、小倉はマシなほうか。二ヶ月たった今もちゃんと続けてるし。
「そういえば……」ふと、部屋を見渡す。「その小倉が来てないな」
「確かに。まあ、いつもそんなに早く来る奴でもないしな」
「……」
主役をもらい、皆の注目をあびれる。小倉には、それはどうやら魅力的な条件らしく、まじめに稽古に励んでいた。しょっちゅう神崎にちょっかいをだし、彼女を困らせていたのはおいといて。練習はしっかりしてる、てとこだけは尊敬したんだがな。
「あいつ、いつまでもつかな」俺は小声でそうつぶやいた。
「え? なんか言ったか?」
「いや、別に……」
一方で、俺だ。
台本を読んでいる神崎の横顔に目をやる。この二ヶ月。神崎とろくに接触はできていない。彼女に近づき父親を調べる、という『おつかい』は一切進展していないのだ。
「はあ……」なんで俺がこんな『おつかい』をまかされなきゃいけないんだ。俺は、そういう心理戦のようなものは苦手だ。まして、同い年の女の子を騙して近づくなんて、悪役のすることだろ。
考えようによっては、カインである俺は悪者なのかもしれないけど。
「はあ……」
「? なんだよ、藤本。はあ、はあ、うるせえな」
ガラッ! という音がして、扉が開いた。現れたのは小倉だった。まさに、噂をすれば、てやつか。
「小倉! 丁度よかった。聞きたいことがあったんだ」小倉が現れてすぐ、アンリがそう言って立ち上がった。
「悪者をやっつけるシーンをね、いれたいんだけど……」
「冗談じゃねえ!」
「え?」
小倉の叫び声に皆、静まり返った。
「なんだ?」平岡がまた目を輝かせている。こいつは、野次馬根性というものを生まれもってきたのだろうか。
しかし、小倉の奴、どうしたってんだ? あんなに声をあらだてるような奴だとは思わないけど。一番驚いているのはアンリだろう。呆然と突っ立っている。
「え? なに? 悪者やっつけるの……無理?」
「俺は……おりる」
「ええ!?」
「うそだろ」というどよめきがおきた。
主役がここにきてやめるといいだしたんだから当然だな。やっぱり小倉も飽きたのか、と思ったのだが……どうも、様子がおかしい。小倉の顔色は青く、さらに体にはところどころ怪我がある。おまけに……右足だ。包帯まきで、そして松葉杖までついている。アンリもそれに気づいて、目を丸くした。
「小倉……あんた、その足どうしたの? 事故にでもあったの?」
「う、うるせえ! とにかく、俺は劇をおりる!」言って、小倉は神崎をにらみつけた。「お前には、二度とかかわらねえ!」
「……え」神崎が消え入りそうな声でつぶやく。
捨て台詞をはいて、小倉は部屋をでていった。扉を力強くしめるもんだから、部屋にその余韻が残った。残された俺たちはただ呆然とした。一体、なんなんだ? 最後のセリフからすると……もしかして、神崎と何かあったのか?
俺は、神崎の様子を伺う。彼女も顔色が悪い。やっぱ、何か心当たりでもあるんだろうか。
「カヤっち……あいつとケンカでもした?」
そんな聞きにくい質問をなげかけたのはアンリだった。こいつは遠慮というものをしらんのか。
「……」
神崎は黙りこくっている。しばらく沈黙がつづき、アンリがためいきをついた。
「ま、やりたくないっていうなら、仕方ないしね。新しい主役候補を探さなきゃ。
こら! 小道具担当! なに、ぼうっとしてるのよ!」
アンリのいいところ。この転換の早さだ。アンリに怒鳴られた小道具担当の二人はあわてて作業を再開した。それを皮切りに、ほかの連中も自分の作業を始めた。
また教室に活気が戻った。皆、小倉のことは気になってるんだろうが……神崎の手前、知らんふりをきめている。当の神崎は、教室のはじで窓の外をみていた。
「……」
その横顔は、すごく寂しそうだった。
「神崎」
気づくと、俺は話しかけていた。自分でも驚いた。こんなに自然と彼女に話しかけられたのは初めてだ。
「大丈夫……か?」とぎこちなく聞いた。それ以外にも気の利いた質問はあるのだろうが……アンリ以外、普通の女と話すことのない俺にはこれが限界だ。
「……うん。雨、ふりそうだな、て思ってただけ」
「雨?」
確かに、雲行きはあやしいな。俺も窓から空を見上げた。
「嬉しい」急に、神崎はそういった。
「え?」
「藤本くん、やっと話しかけてくれた」
「は?」
「アレ以来、全然話しかけてくれなかったから……」
「アレ以来?」
「ほら、初めて会ったとき。私が藤本くんを週番だと間違って……覚えてない?」
ああ……二ヶ月前のあれか。アンリが俺に神崎の勧誘をおしつけてきたあの一件。確かに、あれ以来まともに話してなかったかもな。そりゃ、無理な話だよ。俺には『下心』があるんだ。話しかけるという行為にさえ、抵抗があった。
本来なら、藤本さんのために、積極的に彼女に話しかけなきゃいけないとこなんだけど……
「覚えてるよ」
「てっきり、私、何か嫌われることしたかな、て心配してたの」
「いや、そういうんじゃ……」
「よかった」神崎は笑顔で言った。
なんだ、意外と話せるな。今まで変に気を張っていたのが馬鹿らしくなった。
「あのね」声をおとして神崎は言った。「今夜、一緒に帰れないかな?」
「……え?」