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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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迎えに来た青年

「突然、すみません。呼び出して……」


 車から降りて開口一番、私はそう言った。遅れて降りてきた長谷川さんは「いや」と短く返事をする。

 着いた場所はどこかの駐車場だ。周りは高層マンションに囲まれている。どれも立派で高そうなマンションだ。ぐるりとあたりを見回すと、広い駐車場にびっしりと車が停めてあることに気づく。私は車には詳しくない。セダンかクーペ、軽自動車。そんな分類くらいしか分からない。でも、キレイかどうかの区別はつく。停めてあるどの車も、新品同然だ。いや、もしかしたら全て新車なのかもしれない。


「どちらにしろ、明日会う予定だったんだ。変わらないよ」


 長谷川さんが鍵についたボタンを押すと、シルバーのセダンが子犬のような声で鳴いた。


「まあ、驚かなかったというと嘘になるけども」苦笑してそう言って、長谷川さんは歩き出した。私も置いていかれないように、と後をおう。

 やっぱり、会ってみると話しづらい。私は彼の後ろについて歩きながら、落ち着かなくてうつむいた。電話だと結構話せたのにな。車の中では沈黙するだけだった。


 私はあの事件のあと、彼と連絡を取っていた。長谷川さんのお父さんを呼び出すために携帯を借りたとき、こっそり彼の番号を調べて暗記していたのだ。筒井クリニックの玄関前、和幸くんと曽良くんが後ろで言い合いをしている隙に。

 和幸くんは嫌がるだろうし、危ないといって止めると思ったから言わなかった。でも、どうしても彼とちゃんと話がしたかったんだ。そりゃ最初に電話したときは怖かった。何があったかを考えれば当然だと思う。彼に誘拐され、恐ろしい目にあわされたんだから。けど、どうしても気になったの。


――真紀、すまない。


 私はじっと、前を歩く彼の背中を見つめる。

 朦朧とする意識の中、傷だらけの彼がつぶやいた言葉だった。事情があるんだ、と確信した。悪い人ではないんだろう。そう思った。よくよく考えてみれば、あの夜、彼は怯える私に「大丈夫だ」と言い続けていた。口調は乱暴だったけど、もしかしたら本心から言っていたのかもしれない。

 そして、四日前の夜、私は思い切って彼に電話したんだ。


――生きていてくれてよかった。


 電話の相手が私だと分かると、彼は最初に震える声でそう言った。それから、すまかった、と何度も何度も繰り返した。後悔している、と。


――許してほしいとは言わない。恨んでくれていい。それだけのことはした。


 許したいと思っている。そう告げると、ありがとう、と苦しそうに答えた。それから、お互いのことを話した。あえて、あの事件の話題は避けて。不思議な気分だった。声だけ聞けば、和幸くんだから。和幸くんと電話をしているようだった。そう思うことに罪悪感もあったけど、仕方がなかった。口調は違うけど、声はそのものだから。

 そして、私は彼を誘った。会って話がしたい、て。彼は快諾してくれた。直接謝りたいから、と。

 問題は望さんだった。長谷川さんと会おうとしても、ボディガードである彼はついてくる。もし望さんが長谷川さんに会えば、絶対に不審に思う。だって、見た目は和幸くんだから。

 そこで思いついたのが、学校を抜け出すこと。学校に行っている間だけは、望さんは私の傍にいない。唯一の望さんの休憩時間ともいえる。私が学校をさぼるはずはない、というおじさまの信用があればこその方針だった。だから、それを裏切るのは気が引けたけど……他に選択肢はない。月曜日――つまり明日、私は授業をこっそり抜け出し、長谷川さんが学校に迎えに来る。そういう計画を立てていた。

 でも……計画は変更だ。私の勝手な事情で。

 嫌な気分だ。長谷川さんを利用している気がして仕方がない。


「そういえば」と、丁度駐車場からでたとき、長谷川さんは私に振り返った。「ちゃんと彼に怒ったの?」

「え!?」


 ドキリとした。彼……きっと、和幸くんのことだ。でも、怒ったって……まさか、さっきのケンカを知ってる? そんなわけない。私は言っていないし……

 戸惑っていると、長谷川さんはため息混じりに苦笑した。


「これから女性を抱こうというときに眠るなんて、男として最低だよ。居眠り病(ナルコプレシー)じゃないなら、ちゃんと怒るべきだ」

「!」


 あ……ハッと目を丸くする。怒るって、そっちの話か。私は、ごまかすように作り笑顔を浮かべる。


「あれは、もういいんです。あのときは、夜中に電話しちゃってすみませんでした」

「いや。君には大きな借りがあるから。何されても文句は言えないよ」


 静かにそう言って、長谷川さんはまた歩き出す。私は返す言葉が見つからなかった。


***


「ここが俺の部屋だ」


 駐車場の隣に佇む、とある高層マンション。正義が指差すドアは、その十三階の角部屋だった。

 カヤはただただ唖然としていた。エントラスに足を踏み入れてから十三階までのエレベーターの中でも、緊張して肩に力がはいりっぱなしだった。豪華すぎる。その一言につきる。エントランスには小さな噴水があったし、いくつか並ぶ太い柱は大理石で造られていた。エレベーターも、小さなシャンデリアのようなものがぶらさがり、手すりは黄金に輝いていた。もちろん本物の金ではないだろうが、見紛うほどの輝きを放っていた。よく磨かれていることは一目瞭然だった。

 そしてエレベーターが開き、目に入ってきたのは長い通路。通路自体は何の変哲もない普通のマンションで、これにはカヤもホッとしてしまった。いくつものドアを通り過ぎ、とうとう正義の部屋にたどり着いたのだ。

 正義は鍵を取り出し、それを鍵穴に差し入れる。それを見つめながら、カヤは段々と自分が不安になっているのに気づいた。よく考えれば、正義は一人の男だ。それも、年上の。見た目とDNAは和幸だといっても、別人に変わりはない。ついさっき、部屋に葵を連れ込もうとした和幸に怒ったというのに……自分は他の男の部屋に入ろうとしている。まさか正義と二人きりになっても、間違いが起こることはないはずだが……それでも、これを知ったら和幸は嫌な気分になるはずだ。そもそも、正義と会ってること自体、和幸にとってはいい話ではない。

 カヤは急に自分がしていることが恐ろしくなり、後ずさった。その間にも、正義は二つの鍵を順調に開けている。


「あの……」


 ここまで来て、今更違う場所がいいなんて言っていいんだろうか。でも、言わなきゃこのまま部屋で二人きり。カヤは困惑していた。もし、万が一、取り返しのつかないことになったら……。ドアが徐々に開いていく。それに伴って、カヤの心拍数も増していく。


「あ、あの……」ダメだ。入っちゃだめだ。カヤはそう決意すると、思い切って声を出す。「やっぱり、ごめんなさい!」


 そのときだった。「え」という正義の戸惑う声に重なるように、明るくあどけない声があたりに響いた。


「おかえりなさい、まさよし!」

「へ」


 カヤはハッとして声のしたほうを見つめた。開かれたドアの向こうには、くりっとした大きな目でこちらを見つめる幼い少女が立っていた。熊のぬいぐるみを抱き、ピンクのパジャマを着ている。地毛なのだろうが、やや茶色に近い黒髪は三つ編みでまとめられている。ほどけば肩よりやや下くらいの長さになるだろう。ふっくらとした頬に、小さな鼻の下には桜の花びらのようなかわいらしい唇。睫毛は放射線状に広がり、大きな目をさらに強調している。まるで人形のような可愛らしさに、カヤは息を呑んだ。

 正義は少女に向かってため息をつくと、「寝る前に髪を結ぶなって何度も言っただろ」と諫める。


「だってぇ」と少女はいたずらっぽく笑む。「こうするとね、明日の朝には、髪の毛ウネウネしてるの」

「ウネウネしなくていいんだよ」


 ウネウネ……きっと、ウェーブの真似ごとをしたいんだろう。カヤは幼い少女の思い付きが微笑ましくて、ついクスッと噴出した。その笑い声に、思い出したかのように少女は小首をかしげてカヤを見上げる。


「その人、だあれ?」

「ああ、そうだった」と苦笑しながら正義は中に入ると、少女を軽々と抱き上げた。「カヤお姉ちゃんだ」


 正義の腕に座るように乗っかった小さな少女は、不思議そうにカヤを見つめる。


「カヤおねえちゃん?」

「はじめまして」と、カヤは満面の笑みで答えた。


 しばらくじっと見つめて少女はきょとんとする。そしてほんのりと頬を赤らめると、いそいそと正義に耳打ちした。


「きれいなひとだねえ」


 その声は内緒話には大きすぎて、カヤにまではっきりと聞こえた。カヤは目をぱちくりと瞬かせ、照れ笑いを浮かべる。

 心がほんのりと温まっている。愛らしい少女のおかげで、さっきまでの緊張が嘘のようにすっかりほぐれていた。


「そうだな」目を細めてそう答え、正義は少女を床に下ろす。「さ、歯を磨いてもう寝なさい」

「もう磨いたよ」


 自慢げにそう言って、少女はにかっと笑って歯を見せた。正義は満足そうに微笑むと、少女の頭をなでる。


「偉いな。じゃあ、あとは寝るだけだ」

「おはなしは?」


 ぎゅっと熊のぬいぐるみを強く抱きしめると、懇願するように少女は正義を見上げる。正義は、あ、と顔をしかめて、ちらりと後ろで立っているカヤを一瞥した。


「今夜は、ごめんな。お客さんが来てるから」

「……はあい」


 少女は悲しそうに返事をすると、くるりと踵を返して廊下を走っていった。

 それを見届ける正義の背中をじっと見つめ、カヤは頬をゆるめて尋ねる。


「名前、なんていうんですか?」


 すると、正義は振り返りもせずに「さくらっていうんだ」と答える。


「さくらちゃん……可愛い名前ですね。ぴったりだと思います」


 正義の返事はなかった。カヤは、それで……と遠慮がちに尋ねる。


「妹さん、ですか?」


 もしそうなら、養女か親の再婚相手の連れ子か、はたまた……。いずれにしろ、血は繋がっていないはずだ。いや、もし繋がっているならこの兄妹は複雑な状況下に置かれていることになる。聞くかどうか最後まで迷っていたのだが、うやむやにしていても今後やりづらくなるだけ。それにこうして自分に堂々と紹介してきたのだ。正義は気にしていないはずだ。カヤはそう思った。

 正義はしばらく間をおいて、ゆっくりと振り返った。その表情はとても穏やかで、カヤの見てきた正義とは違っていた。――どちらかというと、和幸のそれに似ていた。


「娘だ」


 正義はさらりとそう答えた。

しばらく、カヤと正義の話になります。

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