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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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二度目の失踪

 エレベーターの扉が開く音。和幸はハッとして振り返った。カヤが戻ってきた、とそう期待に胸を膨らませて。

 だが、目に飛び込んできた人物にぎょっとする。というより、げんなりとした。

 お決まりの細身のジーンズ。一本一本が鋼のような煌く黒い長髪。きりっと端正な顔立ち。和幸にとっては、男のくせに、と腹が立つほどよく手入れがされた眉。そして、和幸を苛立たせる余裕の微笑。


「椎名……」顔をしかめて和幸はつぶやいた。「サン」とぶっきらぼうに付け加えて。

「やあ、藤本くん。こんばんは」


 言って椎名はひらひら手をふり、エレベーターから降りてきた。そして浮かない顔で首をかしげる。


「カヤちゃんはどこかな?」

「は?」


 どこ? 突然の、そしておかしな問いに和幸は眉を集めた。カヤは、椎名が待っている、と言ってエレベーターに乗った。ということは、椎名のところに向かったはずなのだ。それなのに、その椎名がカヤの居場所を尋ねてきた。これはどういうことだ? と慌てて口を開く。


「なんで――」

「あなたのところに戻ったんじゃないんですか!?」


 後ろから唐突に飛んできた言葉に、和幸の言葉は遮られた。え、と振り返ると、曽良が緊迫した表情でいつのまにか和幸の傍に立っていた。


「は?」と椎名は彼らしからぬ戸惑った声をもらす。「何言ってるの? 僕はカヤちゃんを迎えに来たんだ。もうすぐ九時だし……変なメールが来たから」


 忙しく今度は椎名に振り返ると、和幸は眉根を寄せる。


「変なメール?」


 椎名は、そうそう、とおもむろに黒い携帯電話を取り出した。それを掲げると左右に小さく揺らして二人にみせる。


「『望さん、ごめんなさい。先に帰ってください』って。さては楽しすぎて帰りたくなくなったのかと思って連行(・・)しに来たんだけど」

「え!?」和幸と曽良の声が重なった。確かに椎名の言うとおり、それは変なメールだ。カヤはもうすでに帰ったはずなのに、先に帰って、とはどういうことか。和幸は気が焦って早口で告げる。

「カヤはもう帰ったぞ。あんたが待ってるからって言って」

「帰った?」


 はあ? と椎名は声をあげて頭をかかえる。「参ったなぁ」


「参った――」

「参ったじゃないでしょ!? それじゃ、カーヤはどこ?」


 またも和幸は曽良にセリフを奪われ、顔をしかめた。だが、それを気にしている場合でもない。とにかく、カヤが心配だ。


「落ち着いて、友人A君」


 取り乱す和幸と曽良とは対照的に、椎名は余裕の表情で間延びした声を出す。和幸には逆に落ち着き払った椎名が不思議で仕方ない。カヤがいなくなったのに、ボディガードである男がなぜ余裕の顔をしていられるのか。それを見ていると、和幸の焦る気持ちが余計に苛立った。


「カヤちゃんも子供じゃないんだから」言って、椎名は携帯のボタンを押し始める。「とりあえず、電話電話」


***


 電話の着信音が暗い路地に響いた。肩に触れるか触れないかのショートヘアが揺れ、少女は立ち止まる。皮のハンドバッグから折りたたみ式の携帯電話を取り出すと、サブディスプレイの光が少女の顔を照らした。すっきりとした鼻筋、ふっくらとした唇が浮き上がる。


「望さん」と、少女はサブディスプレイに表示された名前にため息を付いた。「ごめんなさい」


 携帯に出る素振りすら見せず、そのまま腕を下ろす。


「何してるんだろう、私」ため息混じりにつぶやくと、うつむいた。街灯が薄い彼女の影を地面に落としている。じっとそれを見つめていると、気のせいか、影がぐんぐんと成長していった。濃さを増し、前へ前へと伸びていく。

 え、と眉をひそめて、そして気が付く。別の光が近づいてきているんだ、と。

 ハッと我にかえると、後ろから獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。振り返れば、ギラリと光る二つの目。白い光線はまっすぐに彼女に向けられている。徐々に大きくなる光はやがて彼女を包み込む。

 眩しさに目が痛んで、思わず顔を背けた。

 鉄の獣は彼女にのっそりと近づいて立ち止まった。そして人の言葉を発して彼女に声をかける。


「久しぶりだね、神崎さん」

「今は、本間です」言って、獣――シルバーのセダンに視線を戻す。先刻浴びた光のせいでチカチカとする視界の中、窓を開けてこちらを見つめている青年を捉える。「お久しぶりです、長谷川さん」


 ついさっきまで一緒に居た少年と同じ容姿をした青年が目の前に居た。肉付きや頬のこけ方、眉の形は若干異なるが、それでもそっくりだ。大きく異なるのは、その髪型。彼とは色も長さも違う髪――茶色の短髪。そして、顔中に残るアザ。右眉の上や右頬、そして鼻にはガーゼが貼り付けられている。それらを除けば、同一人物にしか見えない。

 自分の恋人と同じDNAを持つ男。オリジナル、と呼ばれる存在。長谷川正義という名の青年だ。彼女はそんな彼をやはり不思議そうに見つめる。分かってはいても、奇妙だ。同じ顔、同じ声。さっき口喧嘩をして別れた相手が、目の前で涼しげな表情で車の中からこちらを見ている。双子だ、とでも思い込めば、違和感は減るだろうか。

 そんなことを考えてぼうっと見つめていると、正義は居心地悪そうに顔をしかめた。


「とりあえず、乗ったら? ここにずっと停車しているわけにもいかないから」


 言われて、カヤは弾かれたように「ごめんなさい」と言って、車の前を通り反対側――助手席へと向かった。

 まだ携帯電話はうるさく軽快な音楽をならしている。カヤは助手席のドアの前で立ち止まると、それを見つめた。唇をかみしめ、ぐっと握り締める。そして慣れた手つきでそれを開き、迷わずあるボタンを長押しする。数秒の後、意気揚々としていた音楽は沈黙し、明るかった画面は息を引き取ったかのように光を失った。

 電話の電源をきっただけなのに、悪いことをしているかのような罪悪感がこみ上げてきた。カヤは自分を落ち着かせるように深呼吸して助手席のドアを勢いよく開ける。


***


「あら、切られた」


 椎名は目をぱちくりとさせて携帯電話をおろした。


「切られた!? もう一回かけ……」


 興奮して声をあげる俺を椎名は右手で制し、「分かってるから」と携帯をいじる。


「どこ行っちゃったんだろうね」心配そうな声が横からした。振り返ると、曽良が難しい表情で視線を落としている。これが砺波だったら第一声で、あんたのせいでしょう! と怒鳴って俺を殴っていただろうな。


「そんなにひどいケンカだったの?」曽良は表情を曇らせて小声で聞いてきた。


 ひどい……か。どうだったんだろう。初めてのケンカだ。度合いなんて分からない。ただ、カヤが一人でどっかに行ってしまったんだ。この事実を考えれば、ひどいケンカだったんだろう。

 俺は曽良の問いには何も答えず、椎名へと視線をうつす。丁度、「だめだ」とつぶやいて携帯を耳から離したときだった。


「電源きっちゃったみたい。これじゃGPSもつかえないなあ」


 椎名は、やれやれ、とため息をついて携帯をポケットにしまった。

 電源まで切ったのか? 俺は愕然とした。行方をくらます気満々じゃないか。そんなに、あのケンカで傷ついたのか? 罪悪感が高波となって襲ってきた。どうせなら、砺波に殴られたいと思った。


「こういうことには絶対ならない、て約束したから僕は車で待機したのに。参ったね」


 呆れたような笑みを浮かべ、椎名は俺と曽良を交互に見つめてきた。


「何があったか教えてもらえるかな? こそこそ、二人で何か話してたでしょ」


 こいつに俺とカヤとのことを話すのは気がひけるが……こんな状況だ。そうも言ってられない。腐ってもこいつはカヤのボディガードだ。協力してやる義務がある。俺は嫌々ながら口をひらく。


「ケンカしたんです」

「ケンカ」


 椎名は、へえ、と目を丸くした。近所の噂話に耳を貸すおばさんみたいなリアクションだ。このボディガードは事の重大さを分かってるのか? 護る対象が消えたんだぞ? もうこれでクビなんじゃないのか?


「で、それで一人でたそがれに行っちゃったのかな」


 なるほど、なるほど、と軽い調子で椎名はつぶやく。ここにきてよくそんな態度がとれるな。もっと焦れよ。心配しろよ。


「カーヤが行きそうなとこ、心当たりある? かっちゃん」と曽良が口を挟んできた。俺は弾かれたように曽良に顔を向ける。

「行きそうなとこ……?」

「よく行く場所とか……誰か、友達の家とか? カーヤの学校の友達、誰か知ってるでしょ?」

「!」


 友達……カヤの友達? 俺は眉間にしわを寄せ、うつむいた。

 アンリとは仲がいいといえばいいのだろうが、家に押しかけられるほどの仲ではないだろう。いつか、アンリをカヤが家に呼び出したこともあったが、あれは自分が売られると思ったから。知り合いでそんなことを話せるのは、幼い頃売られた経験のあるアンリくらい。だから頼ったに過ぎないはず。証拠に、劇の練習以外で二人がつるんでいるのを見かけたことはない。となると、二組の連中だが……いや、やっぱりカヤが誰かと一緒に居るのを目にしたことはない。体育の時間のグラウンドでも、一人だったし。

 つまり――誰も、思い浮かばない。俺は胸がしめつけられた。


「分からない」


 顔を上げてそう小さくつぶやくと、曽良はいぶかしげな表情を浮かべた。


「分からない……て」

「とにかく、探しに行こう。歩きならまだ近くにいるだろ」

「そうだね」


 珍しく真剣な表情で曽良はうなずいた。今にも駆け出そうという勢いの俺たちだったが、間延びした椎名の声がそれに水を差す。


「いやぁ、その必要はないよ」

「え?」と俺と曽良はほぼ同時に椎名に振り返る。

「落ち込んでたんでしょう? なら、行く場所は一つだ」


 それだけ言って、それじゃ、と椎名は踵を返す。俺はとっさに「待て」と声をあげていた。


「一つって、どこだよ!?」椎名を追いかけるように足を踏み出す。「俺も……」


 俺も連れて行ってくれ。そういいかけ、口をつぐんだ。こんなときとはいえ、こいつに頼みごとをするのは……(しゃく)だ。

 躊躇している間に、椎名はさっさとエレベーターに乗り、こちらに手を振っていた。


「尻拭いは大人の仕事。気にしないでいいよ。おやすみ」

「は!?」


 尻拭いだと!?


「あんたな……!」


 悪態の一つでもついてやろうかと口を開けたが、そのときにはエレベーターの扉はあっけなく閉まっていた。最後に見えたのは、椎名の勝ち誇ったかのような嘲笑。

 行き場のなくなった苛立ちをどこにやったらいいのか分からず、俺は堪えるように拳を握り締めた。


「好きになれないな、あの人。嫌な感じがする」


 ぼそりと曽良が横でつぶやく。俺はエレベーターを睨みつけたまま「ああ」と答えた。


「とにかく」曽良は俺の怒った肩を落ち着かせるように、軽く手をのせてきた。「俺たちも探してみよう。トミーにも連絡するよ」

「そうだな」

「携帯取ってくるから。ちょっと待ってて」


 そう言って部屋に向かう曽良を横目に、俺は不安に痛む胸をおさえた。 

 カヤはどこに行ったんだ? こんな夜遅くに。一人で。椎名はカヤの行く場所はひとつだ、と言っていたが……行くあてなんてあるのか? 俺のとこ以外に?

「くそ」と小さく悪態づいた。頭を抱えて唇を噛み締める。

 こんなときに、もしアトラハシスが現れてあいつを連れ去ったりしたら……いや、それならまだマシなのかもしれない。それよりも、もし、変な男に襲われでもしたら……。考えただけでも胸が引き裂かれる。

 絶望に打ちひしがれ、マンションの廊下で立ち尽くしていると……ふと、あの事件を思い出した。突如行方が分からなくなったカヤに動揺し、今と同じようにここで狂うほど心を乱した。気づけば、あのときと同じ状況だ。

 嫌な一致だな。俺は苦笑する。思い出したくもない、あの夜。長谷川正義にカヤを連れ去られた、悪夢のような一週間前の夜だ。

*『さっき口喧嘩をして別れた相手』とありますが、『別れ』は『バイバイ』のほうで二人はまだ付き合っています。分かりづらいかな、と思ったので念のため。

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