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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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不正解

「カヤ……」


 和幸くんはエレベーターに見向きもせずに、ゆっくりと歩み寄ってきた。後ずさりそうになった足をなんとかその場に食いとどめる。絶対に、答えを聞くんだ。

 彼は私の目の前に佇んで、憂いに満ちた表情を浮かべた。そして……


「!」


 気づけば私は彼の胸の中にいた。有無を言わさず、抱きしめられた。突然、容赦なく、力強く。さっきまであれほど怒っていたのに。この豹変はなんだろう? 私はどう反応したらいいか分からず、呆然としていた。彼は何も言わず、私の背中に回した腕に力をこめる。身体が一段と密着する。


「和幸くん?」


 ケンカしてたんじゃなかったの? なんで、こんなことになってるの? 私はまだ納得してないんだよ。話はついてない。何も解決してない。

 なのになんで……気が安らいでしまうんだろう。心が落ち着いていく。胸が温かくなる。心臓が優しく鼓動を打つ。苛立ちが溶けていく。眠りに落ちるように意識がとろけそうになる。

 身体の力が抜けていく。抗えずに私は目をつぶった。

 だめだ。また、ごまかされちゃう。


「!」


 私はハッと目を見開いた。――『また』? 

 心臓が収縮したように痛んだ。

 そうだ。そういえば……夕べもそうだった。夕べも、こうしていきなり抱きしめられてキスされて、ごまかされた(・・・・・)。悪魔なんじゃないか、と怯える私をねじふせるように抱きしめてきたんだ。それで、どうなったっけ? どうもなってない。彼は、どうでもいい、と言っただけだ。何も解決していない。何も答えは出ていない。

 それだけじゃない。


「あのときもそうだった」とぽつりとつぶやく。


 カインノイエの『おつかい』のため、神崎の屋敷に帰ったとき。私は怪しげな警官に遭遇し、そして殴られた。気を失って目を覚ましたら、私は和幸くんの部屋でベッドに横たわっていた。――血だらけで。

 何があったのか、と問い詰める私を、彼はやっぱりこうして抱きしめて……


「……ごまかした」


 そうだ。全く同じだ。あのときも、夕べも、そして今も。いつも、答えは出ていない。こうして抱きしめられてうやむやにされてきた。

 心臓が火がついたように熱くなっていく。血が全身を異常な速さでかけめぐる。

 あの傷のことはどうだろう? 長谷川さんの一件で、誤って撃たれた胸の銃痕。大量に血が流れ、意識が遠のき、正直もうだめだと思った。目を覚まして飛び込んできた日の光を天国の入り口だと思ったくらいだ。なのに、傷は跡形もなく消えていた。なぜか、と問い詰めると彼は言った。私の誕生日に全部話すって。でも……


「どうして、誕生日なの?」

「さっきから何言ってるんだ、カヤ?」


 さすがに不審に思ったようで、和幸くんはひとまず私から身体を離すとじっと見つめてきた。

 私は肩を上下に揺らして荒く呼吸し、彼をまっすぐに見つめ返す。


「いつも、答えてない」

「は?」

「和幸くんはいつも答えてない」

 

 和幸くんはまるで耳が遠いかのように顔をしかめた。私は思いっきり和幸くんを突き飛ばした。精一杯の力をふりしぼって。


「カヤ!?」と和幸くんは後ろによたつきながら、驚いた声をあげる。その表情にはさっきのような怒りの色は見えない。あるのは、戸惑いだけ。

「ちゃんと答えて! もう、ごまかされるのは嫌!」


 砺波ちゃんよりもずっと高い声が出たんじゃないか、と思った。ここまで大きな声は出したこなかったから。音痴の子供みたいな、ひどく裏返った声がでてしまった。


「何を、答えてほしいんだ?」和幸くんは真剣な表情で、そう尋ねてきた。


 何をって……思い返せば、たくさんある。何から、というほうが正しいだろう。私は緊張をおさえるように深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。

 

「どうして、私は血だらけだったの?」

「!」


 和幸くんが目を丸くした。「あ」と弱弱しい声がその唇から漏れる。

 何の話だ、とは言わせない。もうちゃんと分かってるのは、その様子からも明らかだ。


「あの夜、何があったの?」

「……」


 四人もの警官の突然の死。私の体中にこびりついていた彼らの血。私はてっきり、全て和幸くんが引き起こしたことだと思っていた。私を守るために彼が四人全員を殺したのだ、と。彼を人殺しにしてしまったんだ、と罪悪感に押しつぶされそうにすらなった。でも違う。長谷川さんの一件で――怯えた表情で長谷川さんに銃を突きつける彼を見て、確信したの。彼はまだ誰も殺していない、て。だからこそ私は身体を張ってそれを止めたんだ。

 けど、それなら誰? 誰が彼らを殺したの? 何があったの? 

 和幸くんは藤本さんにこう告げた。自分が駆けつけたときには、四人は死んでいた、と。でも、そんなことありえない。だって、私が気を失ってから和幸くんが駆けつけるまでの数分。その間に第三者が現れ四人もの男を殺して姿を消したというの? それも私が全身に血を浴びるほどのことを。――不可能だ。不可解だ。

 それに、和幸くんはあの事件を全く気にしていなかった。何があったのか、調べようともしていなかった。曽良くんだって言っていたじゃないか。それはおかしい、て。誰がやったか調べようともしないのは、犯人を知っているからだ、て。

 だから、答えは一つ。きっと和幸くんは見ていたんだ。彼らを殺したのが和幸くんではないとしても……少なくとも、彼はその場に居合わせた。何が起きたのか、見ていたんだ。全部知ってるんだ。知ってて隠してるんだ。


「俺は……」と、やっと彼の口が動いた。私はじっと彼を食い入るように見つめる。お願い、答えて。そう心の中で祈りながら。

 彼は苦悶の表情を浮かべてうつむいて、そして低い声でつぶやいた。


「俺はなにも知らない」

「え」


 和幸くんは顔を上げ、真顔で私を見てきた。


「俺がかけつけたときには、警官は死んでてお前が倒れてた」


 台本を読み上げるかのようにすらすらとそう言って、口を閉じた。きっと、藤本さんに報告したときと全く同じセリフなんだろう。なんとなく、そんな気がした。嘘のようには聞こえないが……説得力はなかった。じっと私を見据える真剣な眼差し。これ以上は聞くな。そんな無言のプレッシャーを感じた。 


「それじゃあ……」と、彼の視線にたまらなくなって目を背ける。「胸の傷は?」

「え」


 私はぎゅっと左胸を押さえる。あの話題をもちかけることさえ、良心が痛む。彼は表にはださなくても、気にしているはずだから。傷をえぐるようでつらい。そもそも、なかったことにしようと持ちかけたのは私なのに……調子のいい女だ。でも、聞かずにはいられない。気になって仕方がないの。不安でたまらないの。

 過去が――和幸くんと歩んできた道が――濃い霧に覆われていることに、今頃気づいたんだ。このまま進んでいったら、得体の知れない場所に迷い込む。急にそんな恐怖に襲われた。


「どうして、傷が消えていたの?」改めて私は問うた。

「……」


 返事がすぐ返ってくるわけはなかった。


「それは……」と彼は口ごもり、ため息をもらす。「言えないんだ」


 怒鳴りあっていたときよりも重い空気だ。あたりの静けさがよけいに緊張を高める。


「言えないなら」私は覚悟を決めて彼を見上げた。「その理由を教えて」

「!」

「どうして、私の誕生日なの?」

「……」


 一生言えない。そう言われたら、まだ納得できたのかもしれない。カインの秘密道具かな、とか子供じみた空想でこじつけられた。でも彼は言った。誕生日が過ぎたら全部話す、て。


「傷が消えたことと誕生日……何か関係があるの?」


 その瞬間、和幸くんはつらそうに顔をゆがめた。今にも涙を流すんじゃないかとさえ思うほど、苦しそうな表情。今まで、こんな彼を見たことはない。


「何を隠してるの?」


 思わず、私はつぶやくようにそう尋ねていた。


「……」


 彼は何かを言おうとして口を開き、そしてまるで声を失ったかのように戸惑った表情を浮かべた。結局、言葉がでてくる気配はなかった。


「そう」


 それが答えなんだと思った。

 私は浅いため息をもらし、棒のように立っているだけだった足を動かして彼の横を通り過ぎた。

 そのときだった。すれ違いざま、彼は私の腕をつかんだ。いきなり重心を後ろにとられ、私はその場で足踏みをした。


「信じてくれ」

「え」


 振り返れば、目を血走らせた彼が切羽詰った表情を浮かべている。


「頼む。信じてくれ」

「……」

「今はそれしか言えないんだ」


 信じる。その言葉を聞いたとき、頭に浮かんだのは曽良くんの言葉。


――もう少し、人を疑わなきゃだめだ 。


 催眠術にかかったようだった。私は、その言葉に誘われるように首を横に振っていた。


「もう、分からない」


 何もかも、分からない。心がぐちゃぐちゃだ。ここまで何も答えてくれない彼を、どう信じればいいのか分からない。まるで、ふられたような気分だ。もう、葵という少女がどうのという問題ではなくなっていた。

 秘密が多すぎる。分からないことが多すぎる。唯一分かるのは、彼が何かを隠しているということだけ。

 息苦しい沈黙の中、私はただ彼を見上げていた。まっすぐに、じっと……。その視線から、私がそれ以上何も話す気がないことを悟ったのだろう。彼は「そうか」と低い声でつぶやいて、ゆっくりと私の腕から手を離した。


「望さん、待ってるから」と視線を落として言うと、私はエレベーターへと歩を進める。いつのまにやら扉は閉じていた。ボタンを押すと、すぐさま扉は開く。狭い箱の奥でこちらを見つめているのは私だった。――鏡に映る自分。憐れむような目で私を見ている。

 やめて。そんな目で見ないで。私はあなたじゃない。

 なぜか、鏡の中の自分に向かってそんなことを考えていた。自分でも何のことだか分からない。やっぱり、私おかしい。


「カヤ」


 エレベーターに乗り込み、ボタンを押そうとしたときだった。黙り込んでいた彼が駆け寄ってきて、閉じかけた扉を手で押さえた。

 最後のチャンス。そう思った。私はじっと彼を見つめる。真実を教えてくれる気になったんだ、と信じて。


「カヤ、俺は……」


 扉を押さえつつ、彼はかみしめるように言葉を放つ。


「お前を愛してる」

「!」


 息を呑んだ。夕べ、コフィンタワーであれほど言えずにいた言葉を、彼はすんなり言い放った。やっと彼の口からそれを聞けた。嬉しいはずなのに。あんなに待ち望んだ言葉だったはずなのに。それは、今ほしい言葉ではなかった。


「答えになってないよ」


 まるで条件反射のように、そんな言葉が涙と一緒にこぼれていた。

 すると、彼は諦めたように鼻で笑って扉から手を離した。一歩後ずさり、疲れ果てた笑顔を浮かべてつぶやいた。


「悪い。俺の答えは、もうそれしか残ってないんだ」

 

 どういう意味か分からなかった。私は何も答えず、エレベーターのボタンを押した。

 今はただ、一人になりたかった。

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