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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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二人の言い分

 お帰りって……俺は眉根を寄せた。カヤはずっと下を向いている。まったく俺を見ようとしていない。エレベーターから降りてからも、目が合ったのはたった一瞬。


「カヤ、どうした?」と俺が一歩近づき肩に触れようとすると、カヤは身をよじって後ずさった。行く当てのなくなった右手が宙をさまよっている。俺はその手をとりあえずポケットにつっこんだ。

 

「怒ってんのか?」


 カヤは何も答えない。動きもない。

 砺波は弁解しろ、と言っていた。でも……何をどう弁解すればいいんだ? おそらく、さっきのコンタクト騒動なんだろうが……俺は全くの無実だ。確かに、あと少しで有罪だったかもしれないが。ギリギリ止めたんだ。俺は本当にコンタクトを探していただけだし、やましいことなんて微塵もない。

 まあ砺波は荒れ狂うほど完璧に勘違いしていたし、同じものを見たカヤも誤解していて当然か。でも、ちゃんと事情はさっき話したんだけどな……聞こえてなかったのか?


「さっきの……キスっぽく見えたらしいアレなんだけど」って、どういう説明だよ。だが、他にうまい言い方も思いつかない。「あれは、葵のコンタクトを探してたんだ。ずれて目が痛かったらしくて」

「……」


 静まり返る通路。カヤは反応する気配すらない。

 

「葵は、バイト仲間でさ」とりあえず今日のあらましを話す。「今日、遅刻しただろ。で、迷惑かけたから出かけることになって……」

「……」


 ダメだ。うんともすんとも言わない。せめて、うん、くらいは言ってくれれば救われるんだけど。


「とにかく……だから、映画観て買い物しよう、て話になってな。それで……なりゆきでウチで夕飯食べることになって一緒に帰ってきたんだ」

「……」


 息苦しい。なんだ、この空気は。思わず俺はため息をついた。なんなんだよ。口もききたくないってことか? 誤解だって言ってんのに。なんだか、砺波のほうがマシだったな。あれくらい怒鳴り散らしてくれたら、少なくとも何考えているのか分かる。


「なぁ、カヤ。せめて、こっち見てくれ」


 顔も見れないんじゃ、怒ってるのか泣いてるのかも分からない。顔を覗き込もうと近寄るが……俺が一歩近づけばカヤは後ずさる。十七になってまで、はないちもんめをやる気はない。多少乱暴になっても……と、カヤが後ずさるより先にすばやく近づくと、腕をつかむ。


「嫌……!」と小さい悲鳴が聞こえたが、このままじゃ埒があかないんだ。俺は無理やりひきよせると、顎に手をかけ顔をあげさせた。抵抗する暇も与えなかった。ハッと目を見開いて俺を見つめる瞳。じんわりと涙が浮かんでいた。堪えるような、悔しそうな、そんな表情で俺を見上げている。


「どうしたんだよ?」


 とりあえず出てきたのは、そんな言葉だった。するとカヤは涙を一粒こぼし、俺を突き放して後ずさった。カヤの力は決して強いわけではない。こらえようと思えば、そのままカヤを拘束できた。でも、流石にできなかった。そんなことしても、余計に泣かせるだけだとそれくらい俺にも分かる。

 カヤはまたうつむいて、頭をおさえた。まるで体調が悪いかのように、荒い息遣いをしている。


「カヤ、大丈夫か?」


 まさか、実は調子が悪いんじゃないか。そんな予感がして、俺は努めて優しく声をかけた。すると、やっとカヤが自ら顔をあげた。夜の海のような潤んだ瞳がまっすぐに俺に向けられる。少なくとも目を合わせる気になったようだ。前進か。とも思ったのだが、それで安心するのは早計だった。


「大丈夫じゃない。全然、大丈夫じゃない」


 興奮した様子で、カヤはそうつぶやいた。唇が震えている。


「なにが、大丈夫じゃないんだ?」


 一定の距離を保って――約三歩ほど――俺は怪訝な表情でそう尋ねる。あくまで、落ち着いて。


「エレベーターのことなら、お前が思っているようなことは何も……」

「キスだったかどうかは問題じゃないの!」

「は?」


 勢いよく飛んできたカヤの言葉に、俺は顔をしかめる。他に弁解しなきゃいけないことは思いつかないんだが。それが分かったのか、カヤは必死に訴えるようにたたみかけてくる。


「ああいう状況になることそのものが、おかしいんだよ。なんでエレベーターに二人きりで乗ってるの? こんな時間になんで部屋に呼ぶの?」

「だから、言っただろ。遅刻した侘びもかねて……」と俺が言いかけると、カヤは興奮した様子で続きを奪い取る。

「映画、買い物、夕飯? どうして、あの子と!?」


 どうしてって……おい、何回言えばいいんだよ。


「だから!」少し苛立って声がうわずった。「あいつは俺のフォローをしてくれて……」

「でも、和幸くんと付き合ってるのは私だよ!?」

「……は!?」


 初めて、カヤの言い分が全く理解できなかった。会話のキャッチボールって、こんなんだったか? 球を投げたらグローブが返ってきたみたいだ。顔をしかめてぽかんとしていると、「私だって」とカヤは視線をそらす。「そういうことしたいのに」

「……」


 まるで子供みたいな言葉だった。俺は肩透かしを食らって絶句した。カヤの言葉だとは思えない。なんだよ、つまり葵と出かけたこと自体に頭にきてるってことか? 自分がしたいことを葵がしたから? まさか、そんな理由でずっと黙り込んでたんじゃないよな? そんなことで泣いてたんじゃないよな?


「じゃ、そう言えばいいだろ」


 若干、呆れた。心配して損した。だが、カヤは「言えないよ!」と食い下がる。


「だって、いっつも忙しそうだし、疲れてるし」

「忙しくないし、疲れてない」


 そりゃ、バイトと学校があるし、暇な時間が有り余ってるってわけにはいかないけど……言ってくれれば、カヤのために時間を割くことはいくらだってできるんだ。

 てっきり俺は、本間に養女にはいったことでカヤは忙しい日々を送っているんだとばかり思ってた。だから、誘うこともしなかったんだ。


「不満があるなら、言ってくれなきゃわかんねぇよ」と、俺は落ち着いた調子で諭す。するとカヤは眉を曇らせた。まるで俺がひどいことを言ったような、ショックを受けた表情を浮かべる。


「不満なんてないよ」


 おい……わがままにしか聞こえないぞ。流石に、じわじわと頭に血がのぼってくる。


「明らかにあるだろ。じゃなきゃ、なんであんな態度とってたんだよ? ずっと黙りこくってうつむいて」

「それはだって、和幸くんが他の女の子と……」

「葵はバイト仲間だって言ってんだろ。何回言わせるんだよ!? ちょっと遊びに行っただけだろ。ものの数時間。それがなんなんだよ!?」

「その……ちょっとの間で、私がしたいことしなくてもいいじゃない! 私だって、和幸くんと映画観て買い物行ってご飯食べたい。我慢してたのに。なのに……なんで他の女の子と、そんな簡単に……!」


 珍しく怒鳴ったカヤの声が通路に響いた。俺は面食らった。いつもの穏やかで包み込むような雰囲気はどこにいってしまったのか。目の前でわめいているのはカヤの姿をしたわがままな子供(がき)じゃないか、とさえ思った。言い分がめちゃくちゃだ。幼稚すぎる。カヤが何をしたいかなんて、言ってくれなきゃ分かるわけがないだろ。そこまで気にかけて生活しなきゃいけないのかよ?

 

「いいか!」と気づけば俺も負けじと怒鳴っていた。「カヤのことばかり考えてられないんだよ」


 その言葉を放った瞬間、何かを封じていた蓋が外れた――気がした。意思とは別に、溜め込んでいた不満があふれ出てきた。止められなかった。


「俺だって、なんでもかんでも受け入れられるわけじゃない! 頭がパンクしそうなんだ。次から次へと……ちょっとぐらい、気晴らしでもしなきゃおかしくなる!」


 言った。俺は自分で言ってハッとした。頭に血がのぼって出てきた言葉は……自覚していなかった本音だった。――それも、決してカヤに直接言ってはいけない本音だった。 


「気晴らし?」と、カヤは顔をゆがめた。「なに、それ? 私と一緒にいると、気晴らしが必要になるの?」

「……違う。そういう意味じゃない」


 さっと血の気がひいて一気に冷静になった。とんでもないことを口走ってしまった。取り返せるなら、そうしたい。でも……手遅れだ。カヤは、はっきりと聞いてしまった。俺の、『災いの人形(パンドラ)』への不満を。


「そういう意味じゃないなら、何?」

「……」


 言えるわけがない。一緒に居るとつらいんだ、なんて。失いたくないって……そればかり考えてしまう。迫り来る『収穫の日』を思うと不安がおしよせる。絶対にお前を守る、といくら誓っても、俺は人間だから……弱い自分はいつまでたっても消えてくれない。

 だから、それを考えなくていい時間がほしかった。カヤから……いや、カヤを失う恐怖から少しでも離れる時間がほしかった。そうでもしないと……身がもたないと思った。いざというとき、戦えないと思った。そのための、気晴らしがほしかったんだ。


「次から次ってなに?」

「それは……」


 答えられずに俺は目をそらした。

 それは、『災いの人形(パンドラ)』であるカヤの秘密だ。神の子孫が何かというと俺に放り投げてくる現実離れした事実。押し売りの定期購読みたいだ。ついで、で教えられたお前の正体に始まって、今度はお前の死に方だ。今朝、突然聞かされたんだ。お前はこれで十三回目の人生なんだろ? 過去十二回も、お前は殺されてきたんだ。しかも、リストははっきりと言った。お前は……死んだら粘土に還るって。俺が抱きしめたその体も、何度も見とれたその笑顔も、全部跡形もなく消えて粘土に戻る。粘土だ。粘土になるんだ。小学校の図工でいじっていた、あんなものに、だ。そんな事実をどう受け止めればいい? はいはい、と平気な顔して気にしないふりにも限界がある。お前が世界を滅ぼすかもしれない……それだけでもいっぱいいっぱいなのに。

 なんて……カヤに言えるわけはない。『収穫の日』が訪れる前に『災いの人形』に正体をバラすと罰が下るという。どんな罰が下るかは分からないが、そんなリスクを負うことはできない。それに、言ってもカヤを苦しめるだけだ。知らないほうがいいこともある。カヤは知らなくていい。今は俺だけでいい。

 俺はぐっと拳を握り締めた。

 そんな俺を冷ややかな目で見つめ、カヤは悔しそうな表情で口を開いた。


「やっぱり本間に養女にはいったこと怒ってるんでしょ。本間のこと、気に入らない?」

「!」


 そうじゃない! と声を大にして言いたかった。

 俺とカヤの間には、とてつもなく大きなピースが欠けていた。本音で言い合えば、話がかみ合うはずはなかった。『災いの人形』を会話に迷い込ませた俺のミスだ。


***


「それとこれとは、話が違うだろ」と、和幸くんは落ち着いた様子で言葉を返してきた。でも、なんの説得力もない。もう、抑えきれないほど血がたぎっていた。気晴らしがほしいだなんて……あんまりだ。


「違う? 問題はそれじゃない!」と私はみっともないほど声を荒らげた。「望さんのこと気に入らないんでしょう? 絵画の話なんて、本当はしたくないんでしょう? オークションも行きたくないんでしょう!?」


 次から次……思いつくことは山ほどある。私は和幸くんの生活に変化ばかりをもたらした。たくさん迷惑をかけてきた。カインだったときもそうだし、カインを辞めてからもそうだ。なにより、私は彼にカインを辞めさせた。彼の人生を大きく変えたんだ。そして、慣れない生活に彼を引き込んだ。極めつけは本間家。朝食のときの彼の落ち着かない表情ははっきりと覚えている。おじさまと話すときの彼は、始終居心地が悪そうだった。でも、それでも……まさか、『気晴らし』が必要なほどストレスを感じているとは思わなかった。緊張してるだけかと思ってた。言ってくれればいいのに。そしたら私だって、何かしてあげられた。わざわざ他の女の子に、救いを求めなくてもいいじゃない。


「椎名のことは否定しないけど……他は違う!」和幸くんは苛立った声をあげる。頭をかかえると、ため息混じりにつぶやく。「ちゃんと合わせようとしてる」

「合わせる?」


 話せば話すほど、心の中に何か妙なものが渦巻く。息苦しい。気持ち悪い。喉の奥に毛玉がつまったようだ。吐き出したいのに、その方法が分からない。代わりに出てくるのは、怒鳴り声。


「合わせなくていいよ! 合わせる必要なんてない。望さんが嫌いならそれでいい。絵画の話も無視していい。オークションもドタキャンしていい。おじさまに会わなくったっていい」

「だから、そういう問題じゃ……!」

「ねえ、和幸くん、無理してるの?」

「……」


 和幸くんは何も答えず、疲れ果てた表情で私を見つめていた。答える気すら起きない……そんな感情が見て取れた。


「私のこと、本当は恨んでる?」気づけば、そうたずねていた。

「は!?」

「私と出会わなければ……カインを辞めなかった。慣れない生活に無理して合わせることなかった。窮屈なことしなくてよかった。気晴らしも……必要なかった」


 途中から、声が震えていた。自分で言っててつらくなった。瞳の奥に溜め込んでいた涙があふれてくる。

 会ったこともない私を恨むほど、カインの皆は和幸くんを大切に思っている。殺し屋だったことはいいとは思わないけど、少なくともカインだったころの和幸くんには素敵な家族がいた。血縁以上に強い絆で結ばれたお父さんと兄弟姉妹がいた。それを私は引き裂いたんだ。それで私が彼に与えたのは何? カインの家族以上のものを与えられた? ううん……居心地の悪い場所とストレスだけだ。無理ばかりさせてたんだ。


「……」


 嫌な沈黙だ。和幸くんはしばらく何も答えなかった。苛立ったため息をつくと、「最悪だ」とつぶやいた。


「……もういい。冗談じゃない」


 冷たく低い声ではっきりとそう言うと、私に背を向けエレベーターのボタンを押した。もう帰れ……そういうジェスチャーだろう。

 でも、このままじゃ帰れない。だって――


「答えになってないよ!」

「……ああ、答えられないんだよ。それが、問題なんだよ!」


 体を突きぬけ骨まで振動するかのような怒鳴り声。体に震えが走った。和幸くんを、初めて本気で怖いと思った。

 呆然とその背中を見つめていると、彼は鼻で笑って振り返った。


「なんなんだよ、これ? なんで言い合いになってんだよ? 少しでいい、普通のことをしたくなったんだ。それだけだろ」

「普通?」どうしても、聞き逃せない一言。私は震える唇を精一杯動かす。「普通ってどういうこと? あの子とでかけるのが普通のこと? じゃあ私はどうなるの? 私と出かけるのは普通じゃないの?」

「なんで、そうなるんだよ!?」

「私が普通じゃないから!?」


 いい加減にしてくれ、と頭痛でもするかのように彼は頭をかかえた。でも、引き下がれない。だってそれは私にとってとてつもなく大きな意味を持っているから。


「私はなに? 普通じゃないならなに? 呪われた女? 悪女? 黒幕の娘? それとも、大臣の娘?」


 段々と、自分の感情が分からなくなってきた。体が得体の知れない何かに勝手に動かされているみたい。次に何を言い出すのか、自分でさえも予想がつかない。それでも何の迷いもなく口が言葉を発する。


「結局、和幸くんも他の皆と同じじゃない!」


 和幸くんの表情が一変した。エレベーターに向けていた体をこちらに向けると、迷子の子供でも見つけたかのような困惑した顔で見つめてきた。


「カヤ、なにいってんだ?」

「和幸くんは言ってくれたじゃない! 何があっても急に態度変えたり避けたりしないって」


 それは……廊下で初めて言葉を交わしてから二ヶ月が経ったときのこと。ストーカーの相談をした翌朝、教室に会いに行った私の腕をつかんで彼は私を屋上に連れ出した。そのとき、初めて言ってくれたんだ。心配するな、大丈夫だ、て。


――急に態度かえて避けたりしない。何があっても……


 今でも昨日のことのように思い出せる。その声ははっきりと頭の中に残ってる。

 私はその言葉が嬉しくてたまらなかった。初めて、両親以外の人からそんな心のこもった言葉を言われた。

 呪いのことや、嫉妬や妬み……それがどこに行っても私を孤独にした。周りの視線はいつもよそよそしかった。どこに行っても見世物だった。ちやほやされるのは最初だけ。時間がたてば、異質な存在として遠ざけられる。ひそひそと囁かれる言葉に心は蝕まれ、容赦なく浴びせられる好奇な視線に身体が切り刻まれた。

 決して、普通に扱われることはなかった。いつまでたっても、どこに逃げても、私は外人――よそ者だった。まして、普通に私を好きになってくれる人なんか居なかった。

 だから、すごく意味があったんだよ。あの言葉に救われたんだ。

 じっと彼を見上げる。和幸くんの表情からはさっきまでの剣幕は消え去っていた。代わりに、心配そうに私を見つめている。いつもの彼だった。


「いつから私……普通じゃないって思われてたの?」


 私は涙を堪えてそう尋ねた。

 丁度そのとき、空っぽのエレベーターが到着し何事もなかったかのように扉が開いた。

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