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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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エレベーターと嘘

「電話もつながらないし……どこに居るんだろう」


 電源がはいっていないか、電波の届かないところにあるため……無機質な女性の声は、そんな決まり文句を読み上げる。今日一日で、耳にたこができるほど聞いた。カヤは携帯を力なく耳から離すとがっくりと肩をおとす。もう八時を回っていた。門限は九時。あと一時間で帰らなくてはならない。その焦りで、カヤは始終部屋の中を歩き回っていた。

 一方砺波は、あまりにも遅い帰りに飽き飽きしてベッドに転がっている。はだけたスカートをなおす気力すらないようだ。下着が見えるスレスレのところまでスカートがあがっている。


「もう、帰んない?」やっと砺波が発したのは、ため息交じりのそんな言葉だった。

「そろそろ、トミーがそう言うと思ったよ」


 ソファであぐらをかいていた曽良が、呆れた笑顔を浮かべてそうつぶやく。待つことは苦にならない(さが)の彼とは違い、砺波は動いていないと落ちつかない性格だ。ここまでじっと待つというのは、もしかしたら彼女は初めてかもしれない。いや、よくここまでもったものだ、と曽良は感心すらしていた。


「あとちょっとだけ」カヤはピタリと足をとめると、携帯を抱きしめながら砺波に訴える。が、砺波の気持ちはもう決まっていた。


「帰る!」


 はっきりとそういうと、砺波は勢いよくベッドから飛び降りる。これ以上待つ気はさらさらない。苛立った表情と乱暴な動作から、それがはっきりと伝わってくる。


「待って、砺波ちゃん」


 ベッドの横に置いておいた赤いバッグを取り、帰る支度を始めている砺波の腕をカヤはすがるようにつかんだ。


「ね、あと三十分?」とカヤは小首をかしげて不器用に笑った。男だったらこの可愛らしい仕草に再考したかもしれないが、砺波に効くはずはない。鼻で笑って顔を横に振る。どこか勝ち誇ったようにも見えるその笑顔に、これっぽっちも心が動かされていないことをカヤは悟る。それどころか、床においてあったカヤのハンドバッグまで手に取ると、逆にカヤの腕をつかんだ。


「あんたもいい加減、諦めなさい!」

「ええ!? 待って、あと三十分だけ!」


 必死にねばろうとするカヤの言葉に、砺波は青筋を立てる。


「三十分待ったところで、八時半! なにができんのよ、箱入り娘!」

「!!」


 ぴしゃりと言われ、カヤは言葉を失くした。あっけにとられてぽかんとするカヤの顔を見つめ、砺波は満足げに微笑む。


「分かればいいのよ」さらりとそう言うと、今度はソファでくつろぐカインのリーダー代理に振り返る。「片付け、よろしく。パパ(・・)

「そう言うと思ったよ」


 パパ……砺波が嫌味っぽく放ったその言葉に、カヤはハッとする。そうだ、曽良なら。カヤはすがるような目で曽良を見つめる。


「曽良くん、砺波ちゃんを止めて!」


 今のカインのリーダーは曽良だと和幸から聞いた。それなら、砺波は曽良の部下のようなもの。曽良の言うことなら聞くのではないか。そう期待したカヤだったが……彼女は分かっていなかった。カインノイエのルールとは別に、砺波と曽良の間には揺るぐことのない力関係が存在していることを。

 曽良は努力する気すらないような諦めきった表情をうかべる。


「それ、無茶ぶりっす。おやすみ、カーヤ」

「ええ!? リーダーなんじゃ……」

「ウチの家訓は弱肉強食、実力主義。さ、帰ろ、帰ろ」


 わめくカヤに聞く耳もたず、砺波はずんずんとカヤをひっぱりドアへと歩を進める。実に乱暴だ。よくもここまで待たせてくれたわね、といわんばかりの怒りよう。砺波にはもう説得のしようがない、とカヤは諦め抵抗をやめた。足をもたつかせながら、砺波に引っ張られて部屋をあとにする。


「今日はありがと、曽良くん」


 そんなしょんぼりとしたカヤの声だけが部屋に残り、そしてドアが勢いよく閉められた。残された曽良はひらひらと手を振りながらため息をつく。


「俺なら……」とつぶやき、そして口をつぐんだ。誰もいない部屋で言ったところでどうなる、と苦笑する。


***


「へえ、結構いいとこ住んどうっちゃんね」


 葵はエントラスにはいったところであたりを見回した。俺は、そうかぁ、と苦笑する。エントラスはいたって普通だ。橙色の壁に囲まれた小さなスペース。そこにそれぞれの部屋の郵便受けがあって、奥にエレベーターがある。

 俺はとりあえず自分の郵便受けに何もないことを確認すると、葵の荷物――紙袋二つ――を左手にエレベーターへと向かった。


「ごめんね。荷物持たせて」


 葵は俺のあとについてきながら、そうつぶやいた。


「一つは俺のだよ」エレベーターのボタンを押し、俺は右手に持っている紙袋の一つを掲げる。その隅には小さく、「macaron」と書かれている。まさか俺がこんなブランドものを買うとは……我ながら気持ちが悪い。

「彼女の、やろ」


 葵はにやりといたずらっぽく笑んでそう訂正してきた。だから……茶化されるのは慣れてないんだよ。うまい返し方も思いつかずに、エレベーターの扉をじっと見つめる。すると特に待つこともなく、あっさりと扉が開いた。どうやら、ここで停止していたようだ。


「何階なん?」と葵は軽やかにエレベーターに乗り込むと、階数ボタンの前で身をかがめた。

「三階」遅れて乗り込んで、俺はそう答える。一体何が楽しいのか、葵は嬉しそうにボタンを押した。小柄で猫顔。おまけに一挙一動が幼い。子猫だな。


 エレベーターの扉が閉まり、重低音と共に上へと動き出す。若干だが重力を内臓で感じた。

 奥に備え付けられている鏡にもたれかかると、階数表示板を見上げる。確かに、このマンションは高校生一人が住むには良すぎるほどの物件だ。だが……どうも、エレベーターの動きが遅いんだよな。

 ぼんやりそんなことを考えているときだった。


「いった……!」


 急に葵が刺すような鋭い声をだし、左目を抑えた。


「どうした?」

「コンタクト……変なとこいって」


 コンタクトだったのか、葵? 思わず、そんなことを口にしそうだった。俺は荷物をその場に一旦置いて、痛そうに目を押さえる彼女に近づく。


「大丈夫か?」

「ダメ」


 即答だった。よっぽど痛いのか? 俺は裸眼だからよく分からないが……そもそも、コンタクトを入れる時点で痛まないのか不思議だ。


「手、どけて」

「うん」苦しそうな声で葵はそう答え、ゆっくりと抑えていた手をはずした。


 俺は若干膝を折り、顔をのぞきこむようにして葵の目を見つめる。


「なんか、痛いんよ。どこにあるか見つけてくれたら……」

「どの辺か、分かるか?」俺は葵の目元に親指をおき、じっくりと左目を見つめた。

「分からん」


 泣きそうな葵の声がエレベーターに響いた。痛そうだけど……それらしいものは見当たらない。俺はさらに顔を近づけ、食い入るように白目の部分を見つめる。すると、ふと、猫目石ねこめいしのような深みのある瞳が俺をじっと見てきた。


「おい、葵。違うほう見ててくれないと探せない……」

「探さんでいいと。嘘やから」

「は?」


 嘘? なにがだ? 俺が眉をよせると、いきなり葵の手が伸びてきて俺の首に回ってきた。そして、やっと自覚する。コンタクト探しに夢中で気づいてなかった。葵の顔がありえないほど近くにある。


「え、おい……」戸惑う俺に、葵は顔をさらに近づけてくる。


 ちょっと待て。これって……そういう流れか? 


「待てって!」と、とっさに葵の両肩をつかむ。

 そのときだった。

 エレベーターが微弱に揺れ、扉が開きだすのが目の端で見えた。機械的な低い音がして、葵は「続きは部屋やね」といたずらっぽく囁いた。


「!?」


 一体、何を勘違いさせてしまったのか。俺は愕然として葵を見つめる。葵はグロスで輝く唇を笑みで緩め、目を爛々と輝かせて俺を見つめていた。――期待の眼差しだ。それに気づいて一気に頭が冷えた。同時に罪悪感を覚えて顔をしかめる。いくら俺でも、何を期待しているかくらい分かる。身に覚えはないが、気があると思わせるような態度があったのかもしれない。彼女はいる、てはっきり言ったはずなんだが……いや、関係ないか。


「葵……」と俺は真剣に彼女を見つめて、そういうつもりはない、と言いかけた。


 だが、思いもしなかった甲高い声がそれを邪魔した。


「なにしてんの!?」


 それは、聞き覚えのある声だった。

 俺と葵は、ほぼ同時に振り返る。そこには――開いた扉の前には、見慣れた人物が立っていた。


「砺波……!?」


 そして、その隣には呆然と突っ立っているカヤがいた。

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