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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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頭の中

「信じられん! ねえ、分かった? 京子が太一を殺すなんて!」


 映画館を出て興奮した様子でそう語る葵に、俺は失笑する。同じような会話があちらこちらから聞こえてくる。それほど、衝撃的なラストだった。個人的には……二時間も二人の恋愛について語っといて、ラスト五分で嫉妬で頭が狂ったヒロインが主人公を殺す。こんな映画、金を返してほしいと思う。

 パンフレットが並ぶ売店に見向きもせず、葵はさっさとエスカレーターへと向かった。この六階建ての建物は、最上階が映画館でその下は全てショッピングモールになっている。下りのエスカレーターに迷わず足を進めるということは……宣言どおり、これから買い物をする気満々なんだろう。


「えらく期待を裏切る映画だったな。いろんな意味で」と俺は半笑いでつぶやく。

「なあ、純愛ものを期待しとったよね? だって、トゥルーラブとよ、題名。殺人事件とは思わんやんなぁ」


 葵は興奮冷めやらず、エスカレーターに後ろ向きで乗りながら俺に同意を求めてきた。そんな姿勢で乗るものだから、葵は一瞬体のバランスを崩してよたついた。俺は手を貸そうと慌ててエスカレーターに乗って彼女の傍によった。が、そのときにはすでに葵は手すりをつかんで体制を持ち直していた。とりあえず、ホッと安堵したが……どうも、葵は危なっかしい。ちゃんと前向いて乗れよ。そう注意したくなった。


「まぁた、題名に騙されたわあ」


 難しい表情を浮かべて葵は腕を組んだ。俺の心の声が聞こえたのか、前に体を向け大人しくエスカレーターに乗っている。


「予告とか観てから選ばないのか?」


 後ろからそう声をかけると、葵は顔だけ振り返り八重歯を見せた。


「どんな話か分かったら、おもしろくないやん」

「そう……か? 少なくとも、俺は……」


 ハッピーエンドかどうかくらい、知っておきたい。俺はその言葉を喉の奥に押し込んだ。それは、映画に対する感想じゃない。そう分かったからだ。

 俺はちらりと横を見た。長いエスカレーターに面して、一点の曇りもない透き通った大きな窓が張り巡らされている。もう外は暗くなっている。室内のほうが明るいせいで、窓はトーキョーの景色よりも俺自身をはっきりと映し出している。

 せめて……結末を知っていれば、こんな不安と戦わなくていいのに。窓に映った俺は、そんな疲れた顔をしていた。


「あ、あれ、可愛い!」

「え?」


 いきなり葵がまた騒ぎ出し、俺の腕をひっぱった。って、おい、エスカレーターでひっぱるか? 残り六段を葵に引きづられるようにして駆け下り、そのままの勢いで俺は「紫苑」という名の、黒い壁に囲まれたアパレルショップに連行された。

 ぼんやりとした間接光でライトアップされる店内は、まるでカフェみたいな雰囲気だ。黒い木材の棚が並び、そこにふんわりとした雰囲気の服が並んでいる。足元を見れば、パステルカラーのヒールの靴が一定の間隔を置いて連なっている。葵は目を輝かせて棚から棚へとぴょんぴょん飛び跳ねるように物色をはじめた。実に楽しそうだ。俺はこのままぼうっと突っ立ていればいいのかな。砺波によく買い物はつき合わされたから、待たされるのは慣れている。

 にしても……と、俺は改めて店内を見回す。確かにお洒落だとは思うが、こんなに薄暗い照明でちゃんと服の色が分かるのか? 光によって見える色が変わってくるんだぞ。


「何かお探しですか?」

「え!?」


 いきなり後ろから声をかけられ、俺は弾かれたように振り返った。店内に並ぶ商品とよく似たスタイルの、ふわふわとした白い服を着込んだ若い店員だ。取ってつけたような笑顔をはりつけている。

 いや、お探しって……どう見ても、この店に男用の服はないだろ。俺が女に見えるのか?


「お構いなく」と適当なことを言って、その場をやりすごそうと足を踏み出す。すると店員は、まるでバスケのディフェンスのような軽やかな動きで俺にはりつき、不自然な高い声で尋ねてくる。


「彼女さんにプレゼントですか?」

「!」


 葵のほうへ向かおうとした足が止まった。それをチャンスと思ったのか、店員は一段とわざとらしい笑顔を浮かべる。


「クリスマスも近いですしね。サイズはおいくつですか?」

「サイズ……」

「S、M、Lとありますが」


 馬鹿にしてるのか。それくらい知ってる。俺は苦笑した。


「あ、もしお分かりでなかったら、フリーサイズもありますので。彼女さん、どういう感じがお好みですかね?」


 マシンガントークとはこういうことか。俺に返事をする隙すら与えず、店員はてきぱきとした動きで傍の服を二、三着取り出して俺に見せてきた。


「こういうフェミニン系ですかね? それとも、ちょっとセクシーな感じですか?」


 俺はとりあえず、差し出された服を一瞥し――だが、ろくに見ず――首を横に振った。


「サイズも好みも知らないんで」

「はい?」


 そんな返事が来るとは思っていなかったのだろう。まるで銃がジャムったように店員は言葉を詰まらせた。

 彼女の服のサイズ? 好み? 『普通』の彼氏なら、知ってるんだろうか。


「和幸ー!」


 こちらも、たんぽぽの綿毛のような白い服を手に携えて俺に駆け寄ってきた。だが、今度は店員じゃない。客だ。というか、葵だ。


「どう? これ、似合う?」


 モデルのように腰をくねらせ、葵は持ってきた服を自分の体に当ててみせた。シンプルな白を基調としただぼっとした上着。四角く開いた襟元に、橙や赤などのカラフルな糸で刺繍がほどこされている。


「ああ、彼女さんいらしてたんですね」と隣に居た店員が砺波以上に高い声で言った。

「いや、彼女じゃ……」


 言おうとして途中でやめた。別に店員にそれを説明する必要はない。


「なにかありましたら、お声をおかけになってくださいね」


 そういい残し、店員は違う獲物へと向かっていった。「何かお探しですか」という上擦った声が離れたところから聞こえてくる。


「彼女やって」と、葵ははにかんだ笑顔を浮かべた。俺は肩をすくめる。そう思われても仕方ないよな。こういうことは……彼女とするもんだ。


「で、どう? 似合う?」


 葵は今にも飛び跳ねそうな勢いではしゃいでいる。女ってのは、本当に服選びが好きだよな。ファッションてのは、それほど重要なんだろうか。ステータス? 個性? プライド? 見栄? 自己表現? 砺波もちょっとでも服に文句つけようものなら、みぞおちに思いっきり拳をいれてくるもんな。

 カヤは……どうなんだろう。女だもんな。ファッションには興味あるよな。どういう服が好きなんだろう。そういえば、あまりあいつの私服を見たことがない。会うときは大体学校で、いつも制服だし。それか……俺が貸した砺波の服。ようやっと、昨日のデートで私服が見れたくらいだよな。それも、一気に二着。最初のミニスカートのワンピースもよかったけど、俺は『誘拐』したときの清楚な格好のほうが……


「おーい、こら。なに、黙っとうとよ? 変なら正直に言ってくれていいんよ?」


 ハッと気づくと、葵が上目遣いで見つめていた。俺は苦笑して「悪い」と謝る。つい、ボーっと違うことを考えてしまう。失礼、だよな。


「そうだなぁ」と、まるでファッション評論家のように偉そうに腕を組む。実際にはファッションなんてさっぱり分からないが。とりあえず、似合うかどうか主観で言えばいいんだよな。

 だが……服を当てている葵をじっと見つめ、しばらくすると俺はまた別のことを考えていた。葵を見ているようで、実はそうじゃない。気づけばいつだって、俺は違うことを考えている。

 それが葵にバレる前に、とぽつりと俺はつぶやいた。 


「似合うよ」

「ほんと!?」

「……ああ」


 カヤによく似合うと思った。


***


「和幸、趣味とかあると?」


 葵は「紫苑」と書かれた紙バッグを手に、くりっとした瞳をらんらんとさせて和幸に尋ねた。後ろから「ありがとうございました」という元気のある声が聞こえる。二人は振り返りもせずに、ショーウィンドウに挟まれた通路を歩いていく。あたりはカップルや若い女性客がわいわい話しながら歩いている。たまに向かってくるほかの客とぶつかりそうになりながらも、二人は並んで足を進める。


「趣味……」


 和幸は、聞き覚えのあるその単語に苦笑を浮かべる。今朝も同じような質問をされたな、と肩の凝った朝食を思い出す。


「特にない」と、結局同じ答えを返す。

「ええ!? そんなわけないやん! なんかあるやろ、普通」


 その言葉に、和幸は鼻で笑う。


「普通、はな」

「興味あることとか、ないと?」

「興味……ねえ」


 どうしてこっちの世界の人間はそういうことばかり聞くんだろうか。和幸は疲労感を覚え、肩をまわした。

 そのときだった。突如ある物が目に入って足を止める。


「ん、どしたん?」葵も遅れて足を止めた。和幸がじっと見つめている物を見上げると、顔をしかめる。

「なん、それ? 展覧会?」


 店と店を区切る壁に貼られているのはポスターだった。どうやら、ヨーロッパの美術館が保有している絵画がいくつか出張してくるようだ。その美術館の名前もしっかり書いてあるのだが、和幸にはぴんと来ない。だが、巨大なフォントと派手な色からして、おそらくは有名な美術館なんだろう。そもそも、海外からわざわざ呼び寄せるのだ。有名でないわけはない。


「会場は……上野の美術館やな」


 感心がなさそうな間延びした声で葵はつぶやく。こんなのどうでもいいから、早く次の店に行きたい。それが正直なところだが、一体何を探しているのか、和幸はポスターを注意深く凝視している。


「行きたいと?」とりあえずそう尋ねると、和幸はたった今意識が戻ったかのようにハッとしてこちらに振り返った。

「え? なに?」


 こんな近くで聞こえてないわけはないだろう。ぼうっと別のことを考えていたに違いない。葵はムッとした表情で、語調を強めてもう一度質問を繰り返す。


「この展示会、行きたいん!?」

「いや……」言って、和幸は頭をかく。「カラヴァッジオの絵はないかな、て思って」


 探してたんだ、とつぶやいて和幸はポスターに再び目を戻した。聞きなれない単語に、葵は眉をひそめる。


「カルパッチョ?」


 その返しに、和幸は思わず噴出した。それも聞き覚えのある言葉だ。何を隠そう、同じ言葉を今朝言ったのは自分だ。


「カラヴァッジオ。イタリアの画家だよ」


 受け売りの言葉で訂正すると、和幸は歩き出す。葵は、へえ、と感心して目を丸くした。


「なんや、和幸って絵画に興味あるんや」


 葵はとことこと和幸の後をおいかけ、尊敬の眼差しで和幸を見上げる。すると和幸は、え、と顔をゆがめる。


「興味……? 俺が、絵画に?」


 まさか、と言い掛ける和幸に、すかさず葵が言葉をはさむ。


「だって気になるっちゃろ、カルパッチョ」

「……カラヴァッジオだって」

「どっちでもいいやん。興味あるなら、一緒に行かん? 展示会」

「え……」


 突然の葵の誘いに、和幸は一瞬きょとんとした。展示会がある、じゃあ一緒に行こう。葵としては自然な流れのつもりだったが、彼にとっては意外だったようだ。彼は一つ間をおいて「いや、いいよ」と微笑した。


「そ。行きたくなったら、連絡してね」


 とりあえず、次につながる一言を葵は残す。和幸は、ああ、と穏やかに答えた。


 その横顔を、心持(こころもち)身をかがめながら葵は見つめる。目立ってかっこいいわけではない。今時のイケメンにはあてはまらない。はっきりいって特徴もない。ただ、よく見れば整った顔立ちで、女だったら「美人」にあてはまっていただろう。そしてなにより、笑顔が清清しくて魅力的。それを見ただけで、彼の内面の優しさが伝わってくるようだ。若干女顔のさわやか君――それが葵が友人に彼を説明するときの表現だった。バイト中はろくにしゃべったことはない。ただ、細かいところまで気が回り、覚えも早い。自分のほうが先輩なのに、彼に助けられていることもしょっちゅうだ。その上、肝が据わっているのか、危ない客が暴れだしても冷静に対処できる。頼もしい、の一言だ。

 そして……と、葵はちらりと彼の二の腕を見つめた。今は服で隠れているが、バイト中に半そでをまくるとたくましい二の腕が顔を出す。それを見るのが、今の葵の何よりの楽しみだった。いわゆる、二の腕フェチ。葵は十分自覚している。そして彼の二の腕は、ばっちり彼女のタイプだった。


「で、和幸は何か買いたいもんないと?」


 実際のところ、葵は絵画に興味はない。さっさと次の話題……というより、次の店に行きたかった。


「買いたいもの……かあ」と、和幸は明後日の方向を見つめ、しばらく黙った。そしてなにやらしばらく考えてから、「マカロンってブランド分かるか?」と尋ねる。

「マカロン?」


 葵は目をぱちくりとさせた。そして聞く必要もないだろう、と苦笑する。マカロンといえば、今若者に大人気の靴専門のブランドだ。上品さの中にも可愛さのあるデザイン。シックな色からパステルカラーまでそろっている。特にトーキョーの女子高生の間では大ブームだ。


「もちろん! バリ人気やん」と元気よく葵は答える。すると和幸は間髪居れずに次の質問をなげかける。

「どこに行ったら買える?」


 聞かれて、葵はきょとんとする。


「なんで? マカロンって女の子の靴しか置いてないよ?」

「ああ。シンデレラには靴が必要らしくてな」


 何を言ってるんだろう。葵は怪訝な顔で首をかしげた。だが、和幸は気にする様子もなく、微笑を浮かべて歩いている。

 もしかして……と、葵は冷笑する。


「彼女に買うん?」


 刺すような視線を向けると、和幸は「いや、まあ」と照れながらそっぽをむいた。まさか、シンデレラとは彼女のことか。葵はつまらなそうに目を細めた。彼女にとって、おもしろい話ではない。二の腕はもちろんだが、顔も雰囲気も葵の好きなタイプだ。彼女がいる、と聞いてがっかりしたが、一週間と聞いて希望がわいた。一週間くらいの薄い付き合いなら、まだ自分がつけいる隙はあるだろう。そう思ったからだ。だが……もし、彼が彼女にぞっこんだった場合は別。今まで彼女の存在をほのめかすようなことは一切なかったから、てっきりそこまで浮かれていないのだろう、と踏んでいた。

 並んで歩く二人の間にしばらく沈黙が続き、葵はある策を思いつき、口を開いた。


「じゃ、マカロンのお店行って……和幸の部屋で夕飯食べん?」

「は? 俺の部屋?」ぎょっとして和幸は立ち止まる。すると葵は猫なで声で袖にすがるように懇願する。

「いいやん! 和幸、一人暮らしなんやろ?」


 客が少ない時間帯は、唯一二人がバイト中に世間話をできる。和幸が一人暮らしで、焼き鳥屋の近くに住んでいることはそのときの会話でリサーチ済みだった。


「いや、さすがに部屋は……」としぶる和幸に、葵は腕をつかんでもう一押し。

「マカロンの店、焼き鳥屋の近くにあるんよ。やけん、いっぺん戻らないかんと。やったらさ、そのまま和幸の部屋で夕飯食べたほうが効率的やんか」


 まくしたてられ、和幸はあっけに取られた。果たして葵の主張は的を射ているのか。あまりにも勢いよく熱弁されたので、判断しかねていた。

 一方の葵は、爛々とした瞳で迷っている和幸を見つめる。マカロンの店なんて本当はどこにでもある。このショッピングモールにも入っているのは知っている。

 でも、葵には嘘をつく必要があった。一発逆転するにはどうしても部屋に上がりこむ必要がある。彼女がいようがいまいが、男なのには代わりはない。それこそ、自分がつけいる弱点だ。そして、もう一つ。自分は彼の弱みを握っている。


「遅刻して迷惑かけたのは、誰やったっけー?」


 クスッといたずらっぽく笑って、葵は止めを刺した。

しばらく、一話ずつの長さは長めになるかと。長すぎでしたら、ぜひ一言頂ければ修正いたしますので。

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