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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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悪女の噂

「ところでさ、カーヤ」場の雰囲気を変えるように明るい調子で、曽良が口火をきった。「かっちゃん、何時にバイト終わるんだっけ?」


 聞かれてカヤは、えっと、とつぶやき、「たしか、三時」と答える。その表情には、さっきまでの沈んだ様子はない。砺波はそれを見て、内心ほっと安堵していた。ほんのちょっと、いじわるをしてやろう。そういう気持ちがあったことは否定できない。なんちゃって、と笑って終わらせるつもりだった。和幸がカヤに惚れ込んでいることは誰が見ても明らか。浮気なんて、まずありえない。無論、カヤも分かりきっているだろう。だから、まさかあんな冗談を本気にするとは思ってもいなかったのだ。――それだけ、カヤも和幸に夢中だということか。今時、こんな純粋な子がいるなんて、と砺波は半ば呆れた。

 曽良に止められていなければ、『ただの冗談』で泣かせていたかもしれない。砺波はゾッとした。カヤを泣かせたとあれば、和幸もかんかんに怒るだろう。砺波にとって、それは気に食わない展開だ。


「じゃあ、三時までに全部準備しなくちゃねぇ」


 曽良のウキウキした声が砺波の耳に入ってきた。

 いつの間にか、話の内容は今夜計画しているサプライズパーティになっている。和幸のカイン卒業を祝うパーティだ。


「バイト終わったら電話くれるって言ってたから」

「お、ナイス。確実にいつ帰ってくるか分かるね」


 頬杖をつきながら、砺波は幼馴染の彼女を見つめる。さっきまで落ち込んでいたのが嘘のように、明るい笑顔を浮かべている。すっかり気にしていないようだ。いや……そう見せているだけかもしれない。何度か買い物に出かけただけだが、彼女が自分の大嫌いなタイプの女――猫かぶって男に媚びるだけの女――ではないことは、はっきりと分かった。素直で純粋で、他人を気遣える優しい子だ。和幸が惚れたのも頷ける。もっと嫌な女だったら、よかったのに。砺波は、二人にバレないようにひっそりとため息をついた。


「でも、どうやって和幸くんの部屋に忍び込むの?」


 騒がしいコーヒーショップに居て、誰かに盗み聞きされるわけもないのだが、カヤは自然とひそひそ声で尋ねていた。


「それは……」ムフフ、ともったいぶった笑みをうかべると、曽良はポケットから銀色の鍵を取り出す。「カインノイエ、リーダー代理の特権っす」

「え?」

「父さんは、子供たち皆の部屋の合鍵を持ってるんだ。だから、オフィスからかっちゃんのをこっそりくすねてきたってわけ」


 信じられない、と不機嫌そうな声をもらしたのは、それまで大人しかった砺波だった。


「パパのものを盗むなんて!」

「借りた、の。それに、オフィスのものは好きに使っていい。父さんからはそう言われているから」

「……」


 珍しく、二人の間に異様な空気が漂った。特に砺波は、いつものさばさばとした雰囲気はなく、深刻な表情で曽良を睨みつけている。どうも曽良のしたことが気に入らなかったようだ。

 カヤは居心地の悪さを感じながらも、とりあえず話を変えなきゃ、と笑顔を浮かべて口をひらく。


「それで……今夜、他に誰が来てくれるの? 他の人も、呼んでくれたんだよね?」

「ああ」曽良は一瞬で表情を変えると、アヒル口を横に開いて、砺波からカヤへと視線をうつす。「誰も来ないよ」

「へ?」


 今日のパーティは、和幸のカイン卒業パーティだ。できるだけたくさんのカインの兄弟たちに、和幸を送り出してほしい。カヤはそう思っていた。バイトを終え部屋に帰ると、そこにはカインの皆がいて……というサプライズを期待していたのに。


「どうして、誰も? 誘ってないの?」


 このパーティの企画を電話でしたとき、曽良は確かに言っていた。カインたちは自分が招待しておくから、と。

 聞かれた曽良は一瞬顔を強張らせてから、「ごめんね」と苦笑する。特に、言い訳もするつもりはないようだ。


「そっか」正直残念だが、リーダー代理をこなす曽良はきっと忙しいのだろう。カヤは晴れやかな笑顔を浮かべる。「でも、二人がいるし。それだけで、和幸くんは喜ぶよ」


 曽良は、ありがと、と微笑して答えた。そんな曽良を横目で見て、砺波は呆れて首を横に振った。こいつも気がいいんだから。


「皆、カヤに会いたくないのよ」


 砺波は、きっぱりと事実を述べた。なんの躊躇もなしに。

 カヤは、え、と顔をしかめる。


「トミー!?」


 また叱責にも似た曽良の声が飛んできたが、今度は引き下がるつもりは毛頭ない。砺波はカヤを真面目な表情で見つめ、特に感情をこめずに淡々と語りだした。


「曽良はちゃんと誘ったの。和幸を知っている皆には片っ端から。でも、全員に断られたのよ」


 断られた? カヤは眉をよせる。なぜ、と問いかけて口をつぐむ。


――皆、カヤに会いたくないのよ。


 そんな砺波の言葉が浮かんだからだ。自分はもう理由を聞いているではないか。


「私……」と、カヤはつぶやくような声をだす。「カインの皆に嫌われてるの?」

「『神崎カヤ』は、カインノイエでは有名なの。ほら……あんたの父親を、人身売買の黒幕だ、とウチらは睨んでいたわけでしょう」


 カヤはハッとして肩をふるわせた。思い出したくもない悲しい過去が、記憶の奥深くから湧き出てくる。優しかった両親と、闇の人身売買。思い返せば、和幸はもともと、『おつかい』で自分に近づいてきたのだった。神崎の両親をスパイするために、娘の自分を利用しようとした。まるで遠い昔のようだ。そんな彼が今では、れっきとした自分の恋人。不思議なものだ。

 そういえば……と、カヤは眉をひそめる。両親と人身売買との関係はあやふやなまま闇に葬られてしまった。今となっては、カインノイエの読みが正しかったのかどうか、知る由も無い。


「その噂だけが一人歩きしてさ、あんたまで悪者扱いされてたの。黒幕の娘、とかいって」

「トミー、そんな話……」


 真剣な表情で止めようとする曽良を、砺波は一瞥する。その瞳を見つめ、曽良はこらえるように黙った。砺波が恐いから、ではない。ちゃんとした理由があるように思えたからだ。


「で……和幸まで、あんたに奪われた。皆、そう思ってる。あんたが和幸を惑わして、カインを辞めさせたってね」


 カヤは何も言わずに押し黙った。間違ってはいないだろう、と悲しく微笑する。自分と会わなければ、和幸はカインを辞めていなかったのだから。


「わたしもさ」と、砺波は背もたれにもたれかかった。「カヤのこと、嫌ってたと思う」

「!」


 思いっきり、ナイフで心臓を貫かれたような気分だった。目を見開いて砺波を見つめる。今にも涙がでそうだった。嫌い――同性からは狂うほど言われてきたというのに、いつまでたっても慣れない。耳にした瞬間に身が凍る。それほど、聞きたくない言葉。

 だが、砺波の表情はいたって穏やかだった。


「もし、あんたに会ってなかったら、ね」


 整った歯並びが微笑んだ口からのぞいた。カヤは、きょとんとして目をぱちくりさせる。


「あんたと和幸のこと、カインの中でちゃんと分かってるのはわたしと曽良よ。他のカインには、言わせておけばいい」

「……」

「悪者の娘かもしれないけど、和幸をたぶらかした悪女じゃない。和幸がカインを辞めるほどのいい女だっただけ」


 いたずらっぽく笑って砺波はそうしめくくった。

 駄目だ、とカヤは思った。今度こそ、涙がでる。感極まって、ありがとう、ともいえずにカヤは目を細めた。果たして、同性の友達から暖かい言葉をもらったのはいつぶりだろうか。


「ただ……」と砺波は耳に髪をかけながら、視線を落とす。「分かっておいてほしいの」

「?」

「あんたは神崎の娘で、和幸にカインを辞めさせた。カインの皆が知ってるのはそれだけで……わたしだって、こうして実際に会ってなければ恨んでた。結果だけみれば、カヤはそれだけのことをしたの。

 だから……あんたを嫌う皆のこと、責めないで」

 

 こんなに真剣な砺波を、初めて見た。カヤはそう思った。いつもテンションが高く、話すことといえば文句か恋愛話だけ。そんな彼女が見せた、意外な一面。自分を気遣ってくれていると思ったのは、間違いだったかもしれない、とカヤは思った。本当は、カインを……彼女の家族をかばっているんだ。確かな絆を感じて、カヤは頬を緩めた。同時に、申し訳ない、という罪悪感がこみあげてくる。和幸がカインノイエを抜けたのは、彼自身のため。彼はそう言っていた。だが、少なくともそのきっかけをつくったのは、自分だ。大切な兄弟を家族から奪い取った女……嫌われて当然だ。

 

「隠そうとしてごめんね」

「え」


 砺波の話がひと段落ついたのを見計らって、曽良が口をはさんできた。


「普通、こういう裏話は避けるものだと思ったから」


 曽良はジト目で、隣に座るバカ正直な少女を見つめた。曽良の言葉が嫌味だとちゃんと分かっているのだろう、ツーンと白を切っている。

 彼女はカヤと違い、守られる立場になったことはない。平等もレディファーストもない裏世界で、たくましく生き抜いてきた。そんな彼女にしてみれば、嘘までついてカヤの気持ちを守ろうとする姿勢が気に入らなかったのかもしれない。曽良はそう思って、苦笑する。

 彼女のいいところは、妬みや嫉妬、不満を心の中でくすぶらせないところだ。気に入らなければ行動にでて、心のモヤモヤは自分できっちり処理する。そのせいで、いらぬトラブルを招くことも多々あるのだが……曽良は、彼女のそういうところは好きだった。――ある程度、だが。


「でも……」と、カヤは言いにくそうに上目遣いで二人を見やる。「二人の気遣いは嬉しいんだけど、やっぱり和幸くんにはカインの人たちと会ってほしいの」

「は?」


 せっかく丁寧に事情を話してやったのに、何を言っているんだ。カヤがいるところに、カインは来ない。磁石の同じ極が反発しあうのと同じだ。それを分かってそんなことを言うのは箱入り娘のわがままにしか聞こえない。砺波は、あからさまに顔をしかめた。それを見て、カヤは慌てて弁解するように言葉を続ける。


「私は、行かないから! そしたら、皆、来てくれるよね」

「行かない? 何言ってんのよ?」

「私と会うのが嫌で、カインの皆が来ないなら……私は行かなくても……」


 自分は和幸とはいつだって会える。だったら、わざわざパーティで会わなくてもいい。それよりも、これから会いづらくなるカインの皆と会ってほしい。カヤにとっては、当然の結論だった。卑屈になっているわけでもない。カインが自分を嫌っていることは納得できた。それを変えたいとも思ってはいない。嫌われて当然――その感情はカヤにとって初めてのものだった。

 だが、逆に今度は砺波が納得できなくなった。はあ? と苛立った声をもらす。


「ちょっと、カヤ!? わたしの話、聞いてた?」

「え!?」


 ああ、もう……と、砺波は大きくため息をついた。その隣で、曽良は孫を愛でる老爺(ろうや)のような笑顔を浮かべて、黙っている。そういえば、この二人の性格は正反対だな、とのんきに考えていた。


「和幸は、カインを辞めてあんたを選んだの。その時点ではっきりしてるでしょう」

「な、なにが?」


 なんでわたしがここまで言ってやらなきゃいけないのよ。砺波はムッとした表情を浮かべ、腕を組む。


「カヤとカインなら、和幸はあんたを選ぶ。

 あんたがいないんじゃ、誰が来たってあいつは喜ばないっての」

「……」


 カヤは、ぽかんとしてしまった。砺波の言いたいことを理解するのに、ほんの少し時間がかかった。そして、ハッとして顔を赤くする。


「あ、ありがとう」と、恥ずかしそうにうつむく。

「まったく……世話が焼けるんだから」


 そっぽを向いて、砺波は呆れた笑みを浮かべた。

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