預言者 エノク③
「今日、あなたが得られる答えはひとつよ」
部屋に入るなり、彼女はそういった。こちらの部屋はただの子供部屋だ。窓のそばに白いテーブルと、それをはさんでかわいいアンティークのようなイスがおいてある。彼女はその奥のイスに座った。
「ひとつって……そういう決まりなんですか?」
オレの言葉に、エノクはくすっと微笑んだ。「とりあえず、座ったら?」ともう一つのイスを指した。言われるまま、エノクに向かい合って座る。やはり、どうみても子供だ。でも、それはケットも同じか。
「あれ」
ふと、ケットがいないことに気づいた。
「ケット?」立ち上がろうとすると、それをとめるように、エノクがわざとらしい咳払いをした。
「質問があるのは、あなたでしょ?」
「……」
「あれがエンキのエミサリエスだとは……思ったより、小柄ね」
エノクは、小柄、という言葉を強調して言った。きっと、皮肉だったんだろう。
オレは彼女をじっと見つめた。やはり、ケットと一緒だ。見た目は子供でも、どこか重い空気がある。これは、なんだろう? 畏怖?
「エミサリエス……神の細胞でつくられたバイオロボット。天使と呼ばれるもの」エノクはそこまで言ってひじをついた。「とても、そうは見えないわね。子供にしかみえない」
「……」君もだよ、といいたいのをこらえた。でも、きっと彼女はそれも知ってるんだろう。オレが言おうと思って、そしてそれをやめるのも。
「リスト・マルドゥク・ロウヴァー」
ふと、エノクは、表情をかえ、するどい視線をオレに向けた。
「私は、永遠の秩序を知る者・エノク。私に、何を聞きに来たの?」
「……それも、知ってるんだろ?」全てを知ってる、といわれると、なんだかわざわざ言うのが馬鹿らしくなってきてしまう。失礼なのかもしれないけど、そんないやみが口からこぼれていた。
エノクは気を害した様子もなく、くすっと笑った。
「知ってるよ。でも、あなたが私に質問をするという行為に意味があるの。答えだけだすのは、本当は誰にでもできるんだから」
「え?」
よく、言われた意味が分からなかった。エノクはそれも分かってるのだろう。無邪気な笑顔で、オレをごまかした。
「さ、何を聞きたいの?」
「……オレは、どこに行けばいいんです?」
シンプルで、そしてストレートな質問だった。オレに必要な情報は、それだけなんだ。
「『収穫の日』が、近づいている」エノクは、窓の外をながめた。でも、窓の外はただの路地裏。別にいい風景というわけではない。
「『災いの人形』は、今は幸せに暮らしている」
「!」
「『収穫の日』まで、少し変わった環境だけど、ただ普通に過ごすわ」
やはり、エノクは『人形』のことも知っている。オレは、つい、体をのりだしていた。
「『人形』はどこに?」
「少年とであった」
「え?」
エノクは、窓に向けていた視線をゆっくりとこちらへ向けた。
「彼も、あなたと同じ」
「オレと……?」
「迷いながらも……自分を認めようとしている」
「!」
「驚いた顔をしないで。私はエノク。全てを知っている、といったはずよ。あなたが何者なのかもわかってる。本当は、『誰』なのかも……」
確かに。だが、オレは調子が狂った。なんだか、ルール違反だ。全てを知っている…『全て』って、どこまでが『全て』なんだよ。
「それで」気を取り直して、オレは続ける。「その少年……邪魔になるんですか?」
「邪魔……それは難しい質問ね。誰の立場からの話かによるもの」
なんだか、理屈っぽいな。だんだん、エノクと会話をするのがめんどうくさくなってきた。だが、彼女しか今頼れる人間はいない。根気強く聞き続けるしかない。
「じゃあ、『収穫の日』の妨げになるかだけでも……」
「いいえ。それは大丈夫。『収穫の日』は誰にも邪魔されない」
誰にも? その言葉には違和感があった。なぜなら、オレこそが、『収穫の日』を阻止する役目をもつ人間だからだ。
「それはつまり……オレは、失敗するってことですか」
「失敗もなにもない。『収穫の日』は神の意思に反する手順で行われる。これは、違反よ」
「どういう意味?」
「彼は……己の神を見限った」
彼……オレはハッとした。心当たりがあるからだ。
「彼って、まさか」
「アトラハシスの生き残り。王をつぎ、『災いの人形』と『箱』を持ち出した者」
「フォックス・エン・アトラハシス」オレはつぶやくようにその名を口にした。
彼こそ、パンドラの箱が開いた日、アトラハシスの王を継ぎ、姿を消した少年だ。そして、アトラハシスの一族の、おそらくたった一人の生き残り。
「やはり……生きていたんですね」
アトラハシスの一族は、『ルル』と呼ばれる種族。つまり、『人類』の王。そして、オレたちマルドゥク家の主たる神・エンキが信頼する賢者の一族。だから、アトラハシスとマルドゥクは協力し合っていた。アトラハシスは、『ルル』の王として、パンドラの箱を管理することを任され、そしてオレたちマルドゥク家をサポートする立場にあった。だが……
「あの箱が開いた日、ニヌルタの王が、アトラハシスの一族を惨殺した」
オレは、ぐっと拳を握り締めて、搾り出すように言った。
「タール・ニヌルタ・チェイス……『ルル』を嫌う神・エンリルの僕」
「あの日、リチャードは遅れてアトラハシスの神殿についたんだ。あいつは言ってた。『箱』は消え、そして王を継いだはずの少年の姿が見当たらなかった、て」
まさか、誰もニヌルタの王が、アトラハシスの一族を殺すとは思っていなかった。それは、ニヌルタの一族の使命にないはずだったからだ。おそらく、王であるタール・ニヌルタ・チェイスが、使命を勝手に解釈したんだろう。今度のニヌルタの王は、ひどく乱暴な性格をしている、という噂は聞いていた。あの恐ろしい出来事は奴の勝手な暴走によるものだろう、とリチャードはオレに言った。
だからこそ、リチャードはオレを必死に訓練した。オレは、そんなわけわからない男と戦う運命だからだ。
「本来なら、『収穫の日』、オレはニヌルタの王と、パンドラの箱を前に決闘するはずだった」
「それが、今や、『箱』の場所さえ分からない」
オレはただうなずいた。だから、オレはここに来たんだ。
「パンドラの箱は、彼が持っている」
「本当ですか!」
少し、安心した。少なくとも、あの日、ニヌルタに奪われたわけではなかった。それだけでも、ずいぶんマシな状況だ。
「『人形』は?」オレはすかさず聞いた。
「彼の元にはない」
「どういう意味です?」
オレは首をかしげた。てっきり、フォックス・エン・アトラハシスが『人形』ももち出し、守っているのだと思ったのだが……。
「『災いの人形』は、彼の手を離れ、大切に守られている」
「じゃあ、フォックス・エン・アトラハシスは……どこに?」
「『収穫の日』、『災いの人形』を迎えに、『箱』とともに現れる」
「!」
「彼は、監督者としての立場を忘れている。もう、神の意見を求めていない。あなたたち、神の僕を必要とするのもやめ、ただの人間として神の創造物を私物化している」
「……ちょっとまってくれ、エノク」
大きな疑問があった。フォックス・エン・アトラハシスが、あのアトラハシス一族惨殺の日、たった一人いきのび、そのとき『パンドラの箱』と『人形』を連れ出した。おそらく、タール・ニヌルタ・チェイスからうまく逃げのびたのだろう。そして、『人形』から離れ、『収穫の日』にまた『パンドラの箱』を持って『人形』の前に現れるという。
「フォックスの狙いはなんです? 『箱』を持って『人形』の前に現れるって、まるで…」
「彼は、『災いの人形』に『テマエの実』を与えるわ」
「そんな!」オレの鼓動が大きく高鳴った。「……それじゃ、やっぱり……」
「彼はあなたたちマルドゥクにもニヌルタにもつく気はない。ただ、『箱』を開けることを選んだ」
「『箱』を開ける!?」オレの声はかすれていた。
冗談じゃない。アトラハシスの一族は、その昔、『最高の賢者』と呼ばれたエンキのお気に入りのルルの末裔。そして、ルルの王として認められた一族だ。それからというもの、オレたちと同じく、エンキを崇拝し、エンキのために使命を全うしてきた。なのに……『箱』を開けようとしているのか?
「それじゃ、アトラハシスは、ルルを滅ぼすつもりなんですか」
「……」
エノクは答えなかった。しばらく沈黙が続き、いつからかけていたのか、どこからかタイマーがなる音が聞こえた。
エノクは、ひとつため息をつき、立ち上がった。
「話しすぎたかな」
「え?」
「時間。次の人、早くしないと電車を逃しちゃうから」
「ちょっとまってくれ。まだ聞きたいことが」
そう、オレはエノクに聞きたいことがあった。それは、とても個人的な話だけど…
でも、エノクは知っているんだろう。
「神は人に命を与える」
「え」
エノクは急に脈絡のないことを言い放った。
「でも、そのときに、その命に意味までは与えてくれないの」
「!」
「それは……人が生きる意味は、生きているうちに自分で作り出すものだから」
エノクは、やはりケットと同じように、全てを見通すような瞳でオレをじっと見つめて言った。
「あなたには命がある。私に分かるのはそれだけよ」
それは、遠まわしないい方だった。エノクは、呆然とするオレの横を通り過ぎ、何も言わずに部屋から出て行った。
「つまり……」一人残された部屋で、なんだか変に力がぬけた。「意味は自分で作り出せばいいだろ、てことか」
でも、エノクは答えてくれなかった。この命が、果たして神から与えられたものなのか。そして、そんなオレに神の使命を果たす資格があるのか……。
まあきっとそれも、自分でつくりだせ、といわれるような気がした。
「あ」ふと、最初に彼女がこの部屋で唐突に言った言葉を思い出した。
「今日、オレが得られる答えはひとつ。このことだったのか」
オレの命の意味はオレで作り出せ。彼女がくれた答えはそれだけ。だが、それが果たして『答え』といえるものなのかは微妙だ。期待はずれで気がぬけたが、それでもどこか、安心した気分になった。
「よし」
ため息交じりに勢いをつけ、イスから立ち上がった。
***
リストはエノクに別れを告げ、占星術の館を出た。
「どうだったの? リスト」
ケットは、好奇心に満ち溢れた表情でリストを見上げた。二人は、周りの大道芸に目をくれることもなく、坂を軽い足取りで下っている。
「いろいろ教えてもらえたよ。意外と答えてくれるもんだな」
「へえ、そっか。よかったね、リスト」
「とりあえず、『収穫の日』までに『人形』を探そう。エノクは、フォックス・エン・アトラハシスが『パンドラの箱』を持って『人形』のもとに現れると言ってた」
「フォックス・エン・アトラハシス? 王をついだっていう少年?」
「ああ。やっぱり、生きてたんだ」リストは、ケットにそう言って微笑んだ。
その言葉に、ケットの表情はぱあっと明るくなる。
「そっか。よかった!」
ケットはリチャードと共に、あの日、アトラハシスの神殿で惨殺の跡を見た。リチャードは、自分がもっと早く着いていれば、と嘆き、その場で泣き崩れた。ケットはその背中に投げかける言葉もみつからず、ただアトラハシスの一族の無残な姿を、無力感におしつぶされそうな気持ちで見つめるしかなかった。
「亡骸の中に、王を継いだはずの子供の姿が見当たらなかったから……つれさられたか、もしくはどこかで殺されたんじゃないか、て思ってたけど……」
ケットは胸元に手を置き、祈るように目をつぶった。
「よかった」とケットは、もう一度、深いため息とともにつぶやいた。リストは、そんな神の使者の頭に優しく手をのせた。
「でも、皮肉だよな」ふと、リストは表情を変えた。
「え?」
「あの事件がなければ、オレは創られることはなかったんだ」
「!」
ケットは、リストのその一言で、フェスティバルが一瞬、静まったかのように感じた。そういえば…そうリストが考えるのもおかしくはなかったのだ。ケットはぐっと喉がくるしくなった。
「リスト、それは……」
また、ケットにはリストに投げかける言葉が見つからなかった。
「つまり、だ!」ケットの頭から手を離すと、リストは急に明るい表情に戻り、そう声をはりあげた。「要は、『人形』のとこで、フォックスを待ち構えればいいわけだ! そしたら、『人形』もパンドラの箱も手に入り、一件落着!」
にこりと微笑むリストの笑顔に、ケットは余計につらくなった。やはり、彼の悩みまではエノクは解決してはくれなかったのだろう。ケットにはそれが分かった。
「リスト……」
「ん?」
何かを言ってあげたいのに、なにも思いつかない。ケットはうつむいた。
「ケット?」
リストの心配そうな声がケットの耳にはいってきた。
「なんでもない」ケットにいえるのはそれだけだった。
「それで……今から、どこに行くの? 『人形』の場所は教えてくれた?」
ケットも気持ちを切り替え、リストを見上げた。だが、その言葉に、リストは表情を曇らせた。
「あ」
「え? どうしたの?」
「忘れてた!」
「ええ?! 一番大事なことでしょお?」
つい、新事実が明らかになるなかで、彼は具体的な行き先を聞くのを忘れていたのだ。
「どうするの? 戻ろうか、リスト?」
「いや……あ、電話だ!」
「え? 電話?」
リストは、携帯とカードをポケットから取り出す。
「きっと、どっかに電話番号くらいかいてあるだろ?」とあわてた様子でカードの隅々を調べる。だが、そこには名前と地図しか書いていない。
「う、嘘だろ? いまどき書いてないの?」
がっくりと肩を落とし、「もう一度戻って聞くしかないか」とリストは坂を見上げた。その横で、ケットはカードを下からのぞき、「あ」と声をあげた。そこには、手書きのメモのようなものが書かれている。しばらく見つめて、ケットはため息まじりに微笑をうかべた。それが何か分かったのだ。
「ねえ、リスト」
「ん?」
「裏、見てみて」
言われて、リストは眉をあげる。
「裏? なんで?」
「いいから、ほら」
言われたとおりにリストはカードをめくった。
「あ」
その手書きのメモは、どこかの住所だった。
「……」
やはり、エノクは『全て』を知っているのだ。リストは恐怖すら覚えた。
「これって……」
ひきつった笑顔で聞いてくるリストに、ケットは自信満々の笑みで答える。
「ケットたちの目的地だよ」
「……ははは。もう笑うしかないな。エノク様さまだ」
「で、どこ?」
しかし、そこに書いてある住所も信じられないものだった。リストは、眉をひそめながら、もう一度見直してみる。
「ニホン」
「え?」
「ニホンのトーキョーだ」
「トーキョー? なんで、そんな遠くに?」
リストはただ首を横にふった。
「ほかには何か書いてある?」
「詳しい住所と、名前だ」
「名前?」
二人はふと黙り込んだ。名前……それは、一体、誰の名前だろうか。
「オレは、今から『人形』のもとに行こうとしてた」
「うん。ということは…エノクはきっと『人形』の居場所をそこに書いてくれてるはずだよね」
「……つまり」リストはごくりとつばをのみこんだ。「この名前は『人形』の名前」
ケットも、緊張の面持ちでうなずく。
「『災いの人形』……『パンドラ』の名前だね」
「ああ」
リストは、カードをぎゅっと握り締めた。そこにある名前は、ルルを滅ぼす『災いの人形』。そして……自分が殺す運命にある女性だ。
「カヤ……カンザキ」