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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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笑えない冗談

 デパートの地下にある食料品売り場――いわゆるデパ地下。食料品の買出しにしては必要以上に着飾った女性客が、そこかしこにあふれている。ロールケーキやプリンなど、洋菓子の並ぶ一角には行列までできている。その向かい、色とりどりのフルーツが並ぶ棚の前で、高校生くらいの三人組がわいわい騒いでいた。周りで真剣に品定めをしている主婦にとっては、鬱陶しくてならない。だが、そんな厳しい視線も、話に夢中になっている彼らにとってはなんてことは無い。――いや。唯一、ショートヘアで中東系の顔立ちをした少女だけは、周りを気にしていた。


「皆、見てる気がするんだけど」と彼女は後ろを振り返ってつぶやく。

「そんなこと言ってぇ。カーヤ、ごまかそうとしてるでしょ」


 しっかり荷物もちにされている曽良は、買い物カゴを片手ににやりと笑んだ。


「ごまかすって……別に、何も」と、カヤは目の前にあったリンゴを手に取る。

「またまたぁ。顔、赤いよ。夕べ、何があったか教えてよ」

「夕べ……」


 ライトに照らされ輝くリンゴをじっと見つめ、カヤは夕べのことを思い出した。初デートに、誘拐、真夜中のスクーター、虹の橋……そして、悪魔。リンゴをつかむ手に自然と力がこもる。妙な老婆の叫んだ言葉。自分を悪魔と呼び、和幸に「殺せ」と訴えた。一体、あれはなんだったんだろう。なにより、自分はどうしてあんなにも不安になったんだろう。ただの老婆の戯言(たわごと)じゃないか。

 和幸に剣で刺される夢をみてから何か変だ。鏡に写る自分が恐くなったり、あの夢が正夢になるんじゃないかと怯えたり、老婆の言葉を本気にしたり……。夕べなんて、和幸に殺されると本気で思っていた自分がいた。一度、撃たれたからだろうか。でも、あれは事故だ。ちゃんと分かっているのに。和幸に怯えるなんてどうかしている。カヤは浮かない表情でため息をついた。


「ため息!?」

「え?」


 いきなり叫んだ曽良の声に、ハッと我に返ってカヤは振り返る。曽良は気の毒そうにこちらを見つめていた。そして、ぽつりと言う。


「……かっちゃん、下手だったんだ」

「は? え? なに?」


 なかなか慣れないが、かっちゃん、というのは和幸のあだ名だ。といっても、名付け親である曽良しか使っていないのだが。

 曽良は、そっかぁ、と悲しそうに顔をゆがめ、カヤに抱きついた。


「かわいそうな、カーヤ! 痛かった!?」

「ええ? なにが? 何の話?」


 友達同士とはいっても、公共の場で男女で抱き合うのはカヤの中のマナーに反する。カヤは持っているリンゴのように顔を赤くして、曽良から離れようとじたばたした。

 そんな二人をよそに、砺波は冷静に果物を眺めていた。そしてある物を見つけ、キラリと目を輝かせる。いいこと思いついた。砺波はニヤリと怪しげに微笑んで、それを手に取る。


「曽良、曽良! これ、和幸にいっぱい買って行こうよ」


 抱き合っている二人に振り返り、砺波はパック詰めになっているある果物を差し出す。カヤはそれを見つめてきょとんとした。


「さくらんぼ?」


 すると曽良は弾かれたようにカヤから離れ、腹を抱えて笑いだした。カヤは理解に苦しみ、隣で首をかしげる。さくらんぼの何がおもしろいのか、さっぱり分からない。


「あからさますぎ。かっちゃんに殺されるよ」と、曽良は笑いながら砺波に警告する。

「あいつが人を殺せたことあった?」


 余裕の表情でさらりと言ってのけると、砺波は曽良の持っているカゴにさくらんぼのパックを三つ入れた。言われて曽良は、アヒル口に微笑を浮かべる。


「それもそうだ」

「それに、今夜はあいつの卒業パーティでしょ。アッチの卒業も、祝ってあげなきゃ」


 怪しげに言って、砺波はカヤをちらりと見つめる。


「ねえ、カヤ?」


 逃がさないわよ、という獣のような目つきで見つめられ、カヤはたじろいだ。砺波だけでなく、曽良も不敵な笑みを浮かべている。二人が一体、何をたくらんでいるのか、見当もつかない。ただ、分かるのは……よからぬことを考えている、ということだ。


「あ……アッチって?」

「もお、あんたたちは二人して! ごまかさないで白状しなさいよ」

「白状? 何を?」

「夕べよ! ヤったんでしょ!?」

「!」


 高級デパ地下での会話とは到底思えない台詞が、堂々と放たれた。カヤはあまりに率直に聞かれて、言葉を失い硬直する。


「夜中に連れ出してすることといったら、それしかないんだから」


 ヤった……どうして皆、そういう表現をするんだろう。もう少しまともな言い方はないのだろうか。カヤは何よりそこが気になってがっくりと肩をおとした。


「ね、どうだったの?」と、砺波は瞳を輝かせてカヤに近づく。「あいつ、ベッドの上では……」

「砺波ちゃん!」


 それ以上、質問を聞くのも恥ずかしい。カヤは顔を真っ赤にして、砺波の両肩をつかんだ。


「夕べは、何も無かったの」


 嘘ではない。少なくとも、砺波や曽良が期待してるような話は何も無い。――悲しいことに。

 だが、二人は疑わしげな表情を浮かべている。これでこの二人が納得するわけが無かった。


「もう、そういうのはいいからさぁ」砺波は呆れたようにそう言って、両肩をおさえているカヤの腕を軽くふりはらう。「ダサい指輪でプロポーズして、何もしないわけないじゃない」

「そうそう。いくら、かっちゃんでもここまできて……」


 カヤは、ぐるぐると頭が回るような気分になった。段々と耳が遠くなる。まるで水の中にいるかのように、音がぼやけていく。次から次へと、二人の追及の言葉が襲い掛かってくる。――だから、何も無かったんだって。


ヤって(・・・)ないの!」


 気づけば、カヤはそう叫んでいた。


***


「ね……寝た!?」


 砺波ちゃんは、コーヒーショップに響き渡る声でそう言った。私は返事をすることなく、カプチーノをすする。

 結局、果物は買えなかった。今思い出すだけでも恥ずかしくて顔があつくなる。あんなに人の多いところで、はしたないことを口走ってしまった。それも、大声で。穴があったら入りたい。まさにその気持ちで、私はとっさに二人を置いて逃げ出していた。気づくと一階にいて、追いかけてきた二人とともにこのコーヒーショップにやってきた。

 一番奥、窓際の席に落ち着くと、事のあらましを話した。私自身考えないようにしていた、夕べの出来事。和幸くんには悪いけど……やっぱり、ひっかかるんだ。心の片隅に置いといて放っとけるほど、私は大人じゃないみたい。


「嘘でしょ? これから女を抱こうって男が、普通寝る!?」


 持っているカフェモカのカップを、そのまま握りつぶすんじゃないだろうか。そう心配になるような剣幕だ。

 私はカプチーノをテーブルにおくと、砺波ちゃんの隣に座っている曽良くんに目をやる。男の子の気持ちは、男の子にしか分からない。


「どうなの、曽良くん?」

「さすが、恩を仇で返しマン」


 曽良くんらしからぬ、渋い表情を浮かべてそうつぶやいた。私は「へ?」と目をぱちくりさせる。恩を仇で返しマン。たしか、会ったときも言っていたよね。もしかして、和幸くんのことだろうか。


「いくら、あいつでも……それは、おかしいでしょう」


 曽良くんの珍回答にぴくりともせず、砺波ちゃんは眉をひそめてじっと見つめてくる。珍しいものでも見るかのような表情だ。よく平気ね、と言われている気がした。


「やっぱり、変だよね。よほど疲れてたのかな」

「いや」曽良くんは、呆れたような表情でテーブルにひじをつく。「疲れてても、そのタイミングで寝ないでしょ」

「じゃあ、病気とか……」


 確か、電話であの人(・・・)が言っていたな。突然眠ってしまう病気があるって。ナルコ……なんだっけ。

 そのときだった。砺波ちゃんが、何食わぬ顔でぽつりとつぶやいた。


「他に女でもいるんじゃないの」

「え!?」


 思わず、ガタッとイスごと後ずさっていた。曽良くんも目をまん丸にして、砺波ちゃんを見つめている。


「な、なに言ってるの、砺波ちゃん!?」

「だぁってぇ、せっかくヤれるチャンスに寝るなんて、あやしいでしょう。他の女でもう済ましてて、やる気がでない……」

「トミー!」


 身を乗り出して砺波ちゃんを止めてくれたのは、曽良くんだった。「なによ」と困惑気味に砺波ちゃんは曽良くんを睨む。

 茫然自失。そのときの私は、まさにそれだ。和幸くんが、浮気? 考えたこともない。ううん、考える必要なんてないもの。そんなこと、あるわけがない。あるわけ……ないよね?


「やだ、ごめん。ただの冗談だから」

「え」


 気づくと、私はうつむいていた。砺波ちゃんの申し訳なさそうな声に、ハッとして顔をあげる。


「ちょっと、からかいたくなっただけよ。何、凹んでんの」


 小首をかしげて苦笑する砺波ちゃんは、いたずらをした子供みたいだ。冗談……か。嘘でも、笑顔を浮かべることはできなかった。

 嫌だな。私、どうしてこんなに余裕がないんだろう。こんな冗談、笑い飛ばさなきゃ。和幸くんは浮気をするような人じゃない。それを一番分かってるのは、私じゃないか。なのに、なんで……

 ちらりと、左手の薬指を見つめる。


――お前の誕生日に、結婚しよう。


 プロポーズまでされて、何が不安なんだろう? 自分でも分からない。一体私は……何を恐れているんだろう。なぜ、焦っているんだろう。和幸くんとは、じっくり一緒に歩んでいきたい。そう望んでいる私と、幸せで円満なはずなのに、怯えている自分がいる。鏡に映る自分を見るたびに、得体の知れない絶望感が襲ってくる。

 最近、私はおかしい。

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