心の古傷
夕べのことと、最初のパンドラの話と、何の関係があるんだ? 正直、カヤとクバティムとの関係性もいまいちよく分かっていない。リストは、まるでカヤがクバティムかのような言い方をしている。カヤが、違う名前で別の時代に存在していたかのような口ぶりだ。クバティムの夫をカヤの元彼だ、と言うし。全く意味が分からない。考え付くのは、生まれ変わり、という可能性だ。だが……『災いの人形』は人ではない、とこいつに散々言われてきた。人でないなら、生まれ変わるとは思えない。それに、カヤは十三番目の『災いの人形』なんだろ。クバティムもあわせて、過去に十二人のパンドラがいたということだ。まさか、それも全員カヤなのか? 十三回生まれ変わった、とでもいうのか?
分からないが、とりあえず今はおいておこう。こいつと会ってから、俺はそういう面でメリハリをつけられるようになった。開き直り、ともいうかな。
「一週間前になりますかね」とリストが切り出す。「『聖域の剣』をオレが貸したこと、覚えてますか?」
忘れるわけ無いだろ。正義のときの事件だ。俺は自分の右手を見つめた。この手で銃の引き金をひいて、カヤを撃った。思い出すだけで胸が苦しくなる。手が震える。俺はその震えをごまかすようにブラブラと右手をすばやく振ると、リストを見上げる。
「覚えてる。お前には本当に感謝してる」
あのとき、こいつから神の剣を借りていなければ……カヤは死んでいた。人間を救う、『聖域の剣』。信じがたいことだが、それで体を貫くとどんな傷でも治るという。事実、あの剣はちゃんとカヤの傷を癒してくれた。ただ……助けるためとはいえ、カヤの体を剣で貫くというのは、いい気分じゃない。未だに、その感触は忘れられない。二度と、ごめんだ。
「感謝しないほうがいいです」リストはしばらく間をあけてから、ため息混じりにそう答えた。「夕べ、『人形』が取り乱した原因は、それなんですから」
「え?」
「たぶん、ですけど」
なんだって? 俺は思わず身を乗り出した。
「どういうことだ?」
「これもケットから聞いたんですが……『人形』は和幸さんに刺されたこと、覚えてるそうですね」
「ああ。でも、あいつはそれを夢だと思ってる」
「ただの夢――頭ではそう思えても、体や魂はそうはいかない。痛みを、しっかり覚えていたんでしょう」
「痛みって、あのときの?」
『聖域の剣』は、傷を癒すかわりに、その傷の七倍の痛みを代償として与える。俺も呪いを解いてもらったときに味わったが……あれは、ひどい。指先、つま先、全身に、一つ一つの神経に伝播する、身を引き裂かれるような痛み。呪い一つでアレなら、カヤが味わった痛みは……想像すらできない。
だが、リストは顔を曇らせて首を横に振った。
「何千年もの昔の、痛みです」
「……え?」
「クバティムを殺したのは、マルドゥクではなく、シュ・シン。彼女の愛した人間です」
「!」
シュ・シン? 俺は息をのんだ。なんで?
「でも、『テマエの実』を食べた『災いの人形』を殺せるのは『聖域の剣』だけ。一体、どうやってシュ・シンが……」
いや、聞くまでも無い。ハッとして口ごもった。俺は答えを知っている。そして俺は……それを試している。
「剣を、マルドゥクから借りたのか」
「その通りです」
そうだ。マルドゥクが許可すれば、あの剣を他人が借りることができる。俺がリストから借りたように。シュ・シンも同じ事をしたのか。俺とは全く正反対の理由――恋人を殺すために。
「でも、なんでだ? クバティムが『災いの人形』なら、それを殺すのはマルドゥクの使命。そうだろ? なんで、シュ・シンが殺す必要が……」
「それが、クバティムの望みだったからです」
「!」
望み? 一体、どんな望みだよ、それ?
「『テマエの実』を食べる前……まだ人間だったころ、クバティムはシュ・シンに告げたそうです。国のために自分の命が邪魔になることがあれば、あなたの手で殺してほしい、と」
大きく、心臓が揺れた。聞き覚えがある、望みだ。そして……カヤらしい、と思ってしまった。
「だから、シュ・シンは実行したんです。『テマエの実』を食べ、国の脅威となった彼女を……自ら『聖域の剣』で貫いた。彼女の、最期の望みを叶えるために」
それを聞いたとき、俺の頭に浮かんだのはあの夜のこと。胸に風穴をあけたカヤの腹を、重く冷たい剣でまっすぐに貫いたあのときの光景。
――殺さないで…… 。
彼女の、夕べの苦しい声が頭に蘇る。すがるような、張り詰めたか弱い声。カヤのあんな顔は初めて見た。涙さえろくに見せない彼女が、号泣したんだ。ただごとじゃない、と思った。何事か、と思った。わけも分からず、夢中で俺は彼女を抱きしめていた。震える肩を放っとけなかった。今思えば、ちゃんと話を聞いてやればよかった。――いや、聞いても結局分からなかったのかもしれない。きっと、彼女も知らないはずだ。それは、太古の昔に受けた心の古傷。あの夜、俺が蘇らせてしまったトラウマ。
俺は、不思議にも素直に認めようとしていた。もう、認めるしかないところに来ていた。
「クバティムは……カヤなんだな」
リストが驚いて目を丸くした。てっきり、だから何度もそういってるじゃないですか、なんて文句を言われると思ったが……返ってきた反応は、遠慮がちにうなずくだけだった。
「生まれ変わり、て考えたらいいのか?」
殺さないで、と訴えてきた彼女の様子は尋常ではなかった。よく考えれば、ただの夢――カヤはそう思っている――であそこまで取り乱すはずは無い。他にも理由があってしかるべきだったんだ。恋人に剣で腹を貫かれる――その体験が、カヤの遠い昔の感情を掘り起こしてしまったというなら……あの一件で、愛する男に殺された前世の哀しみを思い出させてしまったというなら、現実離れした推測だけど、納得できる。そりゃ、不安になるはずだ。
夫に殺されたクバティム……一体、どんな気持ちで死んでいったんだ? カヤはその気持ちまで思い出しているのだろうか。だとしたら、それはひどい恐怖だ。――夕べ、乱暴に抱こうとしてしまったことが、悔やまれる。さらに悔やまれるのは、その後のことだが……。
「生まれ変わり、というより同一人物です」
けろっとした様子で、リストはそう答えた。
同一人物? いくらなんでも、それは無理があるだろう。クバティムは殺されたんだ。それに、時間差が激しすぎる。
「タイムスリップでもしたのかよ」
「いえ」リストは、俺の皮肉交じりの冗談に苦笑する。「パンドラは死ぬと、土に還ります」
「つ、土?」
いきなり、何を言い出すんだ? 答えになってないだろ。
「もともと、『アプスの粘土』から創られた体。パンドラにとっての死は、人の形を失い、土へ戻ることを意味する」
「!」
想像も、したくない。俺は口を開けたまま、言葉を失った。カヤが神に創られた土人形。それすら、考えたくもない事実なのに。死んだら、カヤは土に戻る? 彼女の姿自体、なくなってしまうのか? 人でない、て……そういうことなんだな。――残酷すぎるだろ。
俺に返事を期待していないのだろう。リストは、一人で話を続ける。
「体だった土は、『パンドラの箱』へと戻り、次の『裁き』のときまで眠る。魂も同じです。体を失った魂は、ティアマトによって記憶を消され、『パンドラの箱』に『アプスの粘土』とともに封じられる」
「ティアマト?」
その名前に、俺の体がびくっと震えた。なぜかは自分でも分からなかったが、気づいたときには鸚鵡返しでその名をつぶやいていた。口に出してみると、不思議なことに懐かしい感じがした。――馴染みがある名前だ。
「ティアマトは、地球に眠る唯一の女神です。彼女は……大昔、まだ地球が神の世界であったときに神々と対立し、聖域から追放され、地球に封印された。
一応、神々を生み出した偉大なる母……なんですけどね。今では、その権威も力もない。『裁き』に関していっても、パンドラの魂を管理しているだけですし」
「……」
ティアマト……なんだっけ。リストの話はそっちのけで、俺はこれでもかというほど眉間に力をいれて、考え込んでいた。
「和幸さん? 聞いてますか?」
ちょっと待ってくれ、リスト。もう少しで思い出せそうなんだ。ティアマト、ティアマト……
「あ!」そうだ、思い出した。俺は、真剣な顔でリストを見上げる。「俺の寝言だ」
「は?」
確か、カヤが言っていた。夕べ、あの大失態のあと、俺は寝言で「ティアマト」と言っていたって。
だが……俺は自分で言っといて、居心地が悪くなった。真面目な話の最中に、寝言のことを言う必要はあっただろうか。聞いたこともない女神の名前を、寝言で言うとは思えない。きっとカヤの聞き違いか、ただの偶然か何かだ。リストの話を遮ってまで言う話じゃなかったな。
「悪い。なんでもない」と、俺は口ごもりながらつぶやいた。頬があつい。「それで?」
リストは苦い表情を浮かべていた。こいつにしては珍しく真面目な会話を続けていたのに、その腰を折ったんだ。機嫌を悪くしても仕方が無い。今回ばかりは一方的に俺が悪かった。
「とにかく」と、リストはため息混じりに言う。「次の『裁き』が来ると、『パンドラの箱』の『アプスの粘土』から再びパンドラが創られ、封じられていた魂が宿る。
つまり、同じ体、同じ魂。それで何度も何度も、パンドラが創られるんです」
よく分からない。俺はその心情を表情であからさまに出していたんだろう。リストは、いいですか、と人差し指を立てた。
「クバティムが死んだとき、その体は土に還り、『パンドラの箱』に戻りました。魂は記憶を消されて浄化され、同じく『パンドラの箱』に封じられた。そして、次の『裁き』が来たとき……クバティムだった土は再び人の形を取り戻し、同じくクバティムだった魂を与えられた。これが、二番目のパンドラです」
とんだ、リサイクルだな。そんな感想しか浮かばなかった。
まさに、粘土だ。嫌気が差す。一つの粘土を何度も何度もこねては同じ人形を創るわけか。魂もまた、使ってはデータを消して再利用。それの繰り返し。まるで、重ね撮りだ。
「つまり」と俺は声を落とす。「カヤにとって、これは十三回目の人生、なんだな」
「本人は知りませんがね」
十二回も殺されてきたのか、あいつは。そのうち、一度は……愛する男に。俺は首を絞められたかのように、息苦しくなった。――無性に、カヤに会いたくなった。
シュ・シンとクバティムの物語『災いの王妃』を下記URLにて載せております。
リストの語る、ウルの王シュ・シンの短編小説です。(さらっと語ってます)
『災いの王妃』→http://ncode.syosetu.com/n2278m/
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