パンピーのくせに
「オ……オークションに行く!?」
「はあ!? 何考えてんの?」
ま、それはそうだよな。好きなだけ、ののしってくれればいい。
俺は本間の家を後にし、まっすぐ『実家』に来ていた。つまり、カインノイエの本部だ。親父はまだ入院中。その留守を務めるのは、曽良。だからここに来たのだが……思わぬ人物がいた。――砺波だ。資料の整理をしている曽良を手伝っているわけでもなく、ソファで足のマニキュアを乾かしている。何しにきてんだ、こいつは。
「とにかく、これスクーターの鍵。ありがとな」と俺は、親父のデスクに座る曽良に鍵を渡す。にしても、意外と、社長イスが曽良に似合っている。立派な青年実業家にすら見える。馬子にも衣装? いや、ちょっと違うか。
「それはいいんだけど」
戸惑いつつ曽良は受け取り、心配そうな表情で俺を見てきた。
「本気で行くつもりなの? オークション」
「ああ。行く、て宣言しちゃったからな」
すると、後ろから相変わらずの金切り声が。
「今からでも断りなさいよ! オークションなんて行くもんじゃない」
「無理だ」と俺は振り返る。
マニキュアのせいで砺波は動けないようだ。足をソファの肘掛に乗せたまま、無理な姿勢で上体を起こしている。
「試されてると思うんだ。あの親父さんにさ」
「はあ?」
「よく考えたら……俺とカヤは身分が違いすぎる」
「何を今更。見た目の時点でつりあってないのよ、あんたたちは」
相変わらずだな、砺波。当たり前のようにひどいことを言ってのける。だが、いつだって間違ったことは言っていないんだ。今回もしかり。確かに、付き合ってること自体奇跡というか……。
「身分が違うから、なに? かっちゃん」
曽良の言葉で俺は現実に引き戻される。ああ、と曽良に振り返る。
「だから、カヤの世界……つまり、上流階級でちゃんとやっていけるか。それをみられてる気がするんだ」
「それで、オークションに行く? 意味わかんないわよ」
後ろから、砺波のイラついたような声が聞こえてきた。
俺も最初は理解できなかった。なんでいきなりオークションに誘われたのか……しかも、断ろうとしたら、別れろ、とまで言われた。なんなんだ、このおっさんは? と頭に来たが、落ち着いてみると、その考えが分かった気がした。
俺は……というより、俺たちカインは、オークションに悪い印象しかない。俺だって、一度はそこで出品された人間だ。何も分からずステージに出され、競りが始まった。いきなり眩しい舞台にあげられ、目の前には見たことのない服――今考えれば、単なる正装だ――を身にまとった大人たち。叫ばれる数字が、自分の値段であることも知らなかった。曽良だってそうだ。しかも、カインになってからも、オークションに忍び込んでは子供たちを救い出してきた。そのたびに、目の前で繰り広げられる儀式に、思い出したくもない記憶が無理やり引っ張り出された。売られようとしている子供が、自分と重なって見えた。毎回、吐き気がした。きっと、トラウマというやつだったんだろう。
だから俺たちには、オークションに対して嫌な記憶しかない。人に値段をつけ、物のように売り買いする場所。自由も意志も、存在さえも否定する場所。俺たちにとってのオークションは、そういう存在だ。
だが、逆に言えば、俺たちはその一面しか見ていない。裏で行われるオークション、いわゆる闇オークションは確かにおぞましいものだ。けど、カヤの親父さんが俺を誘ってくれたオークションは違う。全くの別物。意味合いが全然違う。
「金持ちはオークションに行く」と、おもむろに曽良が切り出す。「それはトーキョーの流行であり、彼らにとってステータスみたいなものだ」
そこまで言って、曽良は親父みたいにくるりと皮のイスを回し、窓を見つめる。
「オークションで挨拶まわりをするのは、一種の社交界デビュー。確かに、カーヤのパパはかっちゃんにその機会を与えているのかもしれないね」
「ああ」
もともと、トーキョーのオークションは人身売買とは関係なかった。二十年ほど前、アンティークブームがあって、そのときに一気に流行りだしたのだ。当時は、純粋なオークションだったという。だが、ある時期から、それを隠れ蓑に闇オークションが始まった。通常のオークションが行われている地下で、人身売買が行われるようになったのだ。オークションに来る客の中には、その存在を知らない者もいるし、闇オークションを目当てで来る奴もいる。カヤの親父さんは前者だろう。国の大臣が、闇オークションを知っているはずは無い。知っていたら……俺たちがこそこそオークションに忍び込む必要はないはずなんだ。――少なくとも、俺はそう信じている。
そういえば、カヤの親父さんは、しょっちゅうオークションに行くといっていた。おそらく、その中のいくつか――いや、もしくは全部かもしれない――親父さんの知らぬところで、闇オークションが地下で行われていたものもあっただろう。あの人、オークション、すごく好きそうだったし、それを知ったらショックだろうな。
「でも……」と、曽良は真剣な視線をこちらに投げかけてきた。俺はハッと我に返る。「かっちゃんは大丈夫なの?」
「!」
まっすぐに、その台詞は俺の胸につきささる。
「そうよ」
砺波の甲高い声が聞こえ、そして柔らかい何かが腕におしつけられた。ハッとしてみると、砺波が俺の腕に絡みつくように腕をまわし、胸をおしつけていた。もうマニキュアは乾いたのか……って、おい! この感触、それかよ!?
「もしそこで闇オークションもあったらどうするわけ?」
言われてハッとした。何に驚いたかって、砺波がその問題に気づいていたことだ。
そう……闇オークションは、通常のオークションの地下で、同時、もしくは時間をズラして行われる。親父さんが俺を連れて行こうとしているオークションが、闇オークションつきである可能性もある。
それもあって、俺はここに来たんだ。俺は砺波の腕をはらい、まじめな表情で曽良を見つめる。
「今週の金曜の夜。会場は『フィレンツェ』。誰かカインを『迎え』にやる予定はあるのか?」
すると曽良は、珍しく真剣な表情で黙った。俺をじっと見据え、そして不敵に笑う。
「やっぱり、大丈夫じゃないじゃん」
俺は、へ、と目を丸くした。大丈夫じゃない? 何の話だ?
「なんで、かっちゃんにそれを教えなきゃいけないのさ」
「え!?」
お、おい……こんな真剣な話で、こいつはふざける気か?
「なんでって……カインが来るなら、俺だってその準備をしとかないと」
俺は思わず、デスクにたたきつけるように両手を置いて迫っていた。だが、曽良は顔色ひとつ変える様子もなく、涼しげな表情で足を組んだ。
「準備ってなぁに? 余計なことしないでくれるかなぁ、パンピーのくせにぃ」
「ぱ……ぱんぴー?」
なんだ、その言葉は? 俺の新しいあだ名だろうか。
「一般人、て意味よ。すんごい大昔の流行語らしいわ」
横から砺波がそう説明した。さすが、小学校から仲がいいだけあるな。にしても、なんで言語が同じ人間と話すのに通訳がいるんだよ。
「カインじゃない人間に、ほいほい情報を渡すと思ったぁ?」
「……いや、でもな……事情が――」
「事情も何も無いよ。かっちゃんはカインじゃない。だから、俺はなにも言えない。それだけ」
「そんな問題かよ?」
「銃もなくて人も殺せない。そんな奴が、コッチで何の役に立つのさ?」
「!」
曽良の目は真剣だ。いつも陽気なアヒル口も、大人しく閉じている。こいつと、こんな緊張感ある時間を過ごすことになるとは……思いもしなかったな。
厳しい言葉。他の奴に言われていたら腹を立てていたかもしれない。だが……
――一般人らしく生きなきゃ、結局危ない目にあう。中途半端が、一番よくないんだ 。
カインを辞めた日に、こいつに言われた言葉。それが頭の中に響いた。
「そう、だよな」
こいつはこいつなりに、俺のことを気遣ってくれている。そんな気がした。俺はうつむき、曽良に見えないように微笑んだ。
実験的な馬鹿なことばかりして、人に変なあだ名を押し付け、呆れるくらい人懐っこい。そんな奴に心配されていると思うと、気に食わないが……有難い。そういえば、中学までは親友のように仲が良かった。なんで、つるまなくなったんだろう。――今思うと、もったいなかったな。
「ところでさぁ」
急にいつものお気楽な曽良のトーンに戻った。俺は、え、と顔をあげる。すると、見覚えのある形にあひる口が広がっていた。
「かっちゃん、アッチのほうは卒業したの?」
「……は?」
あ……アッチ?
「そうそう。それを私たちは聞きたかったのよね」
隣から、また砺波が俺の腕にしがみついてきた。その目は光り輝き、肌はいつも以上に艶々している。頬はほんのりと紅潮していて……って、こいつのこの顔も見覚えがあるぞ。色恋話を期待しているときの砺波だ。
い、嫌な予感がする。
「カヤ、どうだったの?」
「……は!?」
「夕べ、したんでしょ?」
「な、なにをだよ!?」
すると、砺波はげんなりとした表情を浮かべた。あからさまに人を蔑んだ目で見つめてくる。
「信じられない。それでも男なわけ? 分かるでしょ!? 何の話だか!」
ああ、もう分かってるさ。だからこそ、とぼけたいんだよ。てか、こっちの台詞だ。お前、それでも女かよ? はじらいをどこに落としてきたんだ?
「卒業したの、卒業したの?」
親父のイスのほうから、そんなしつこく迫る声が聞こえてくる。まるで悪霊のようだ。
そしてこのとき、走馬灯のように小学校の思い出がよみがえってきた。――ああ、そうだ。俺が曽良や砺波と距離をおいた理由……これだ。こいつらのしつこいちょっかい。俺の初恋を台無しにし、その後の恋愛にも多大な悪影響を及ぼした。
だめだ。さっさとここから出よう。
「話は終わりだ!」と、乱暴に砺波を突き放す。こいつもカインのはしくれ。このくらいされても平気だろう。
「なによ。人が心配してやってんのに」
ほらな。ひるむ様子もなく、噛み付いてくる。砺波に心配されてろくな目にあったことがないぞ。
「大きなお世話だ」
「白状するまで、逃がさないから」
言って、砺波は大またを開き、俺の前に立ちはだかる。いつもどおりのミニスカートから、ほっそりとした太ももがのぞいている。やっぱ、スタイルはいいんだよな。顔も可愛いし、この横暴な性格さえ直ればもてるだろう。
「それで……かっちゃん、卒業したの!?」
横からもしつこい追求が。カヤの親父さんといい、こいつらといい……なんで今日はこんなに質問攻めされるんだ。
しかも、卒業、卒業って……中学生か! 他に言い方、いくらでもあるだろう。デリカシーってものをそろそろ覚えろよ。せっかく、見直したっつーのに。やっぱ、曽良はただの馬鹿だ。
「バイトあるから帰るぞ」
相手にしてらんねぇよ。てか、相手にするべきじゃない。俺は砺波を押しのけ、足早に出口へと進む。
「えー? 逃げるの!?」
砺波の不満いっぱいの声が背中に突き刺さる。だが、全く気にならない。俺はずかずか扉へと歩いていく。
「そうだ」と、忘れかけていた重大事実を、振り返りざま曽良に告げる。「お前のスクーター、コフィンタワーに停めてあるから」
「はっ!?」
さっきまでのにやついた顔はどこへやら。曽良の顔は一気に凍りついた。
俺はその顔を見て、くすんでいた心が晴れ渡るのを感じた。すっきりした。
コフィンタワーで椎名に見つかり、カヤと共に連行されるように本間家に車で連れて行かれた俺は、曽良のスクーターを置いてきてしまっていた。バイトの時間も迫っていて、結局取りに行く暇がなかった。借りといて、鍵だけ帰してさようなら。あまりにも礼儀知らずだ。どう謝ろうかと思っていたが、こうなったらもうどうでもいい。いい仕返しだ。――まあ、少しおつりがきそうな復讐ではあるけど。
「そんじゃ」
「かっちゃん、ひどい!」
曽良の悲鳴にも似た声を残し、俺は親父の――いや、曽良のオフィスを後にした。