残念だ
「どう思った?」
本間は自分の書斎に入るなり、後ろからついてきた一見ホストのような若者に尋ねる。
「全部箇条書きにして文書で提出しましょうか?」
身近に仕える人間で、こんななめた口の利き方を自分にできるのはこの男くらいだろう。本間は鼻で笑って振り返る。掘り出し物は、曲があるものだ。
「口頭にしなさい、望」
「了解」
最後にはいってきた本間の秘書が、椎名の後ろで静かに扉を閉めた。本間は書斎のソファに腰を下ろしながら、いまいち垢抜けない若手秘書に問いかける。
「カヤは?」
「和幸くんが帰ってすぐに、シャワーを浴びると言って浴室に……」
三年も秘書を務めていながら、まだおどおどとした態度を見せる。質問をしただけで体をびくっと震わせるし、いつも怯えた表情を浮かべている。本間は、やれやれ、とため息をつく。自分がそれほど威厳があるのか、それともこの秘書が臆病者なだけなのか。とりあえず、今は秘書に構っている場合ではない。
本間はちらりと時計に目をやってから、それで、と椎名に促した。
「和幸くんはどうだね?」
「まっすぐでいい子じゃないですか。今時珍しく、真面目そうですし」
今時珍しく、か。この男が言うと説得力があるな。本間はため息をつくと、厳しい視線で椎名をにらむ。
「時間がないんだ。本題にはいりなさい」
脅しのような低い声に顔色を悪くしたのは、椎名ではなくその後ろに控える秘書、前田だった。言われた本人は、つまらなそうな顔を浮かべただけで気にする様子はひとつもない。
「そうですね。とりあえず、彼が言っていた生い立ちは全部資料通りでした。世田谷のバプテスト教会に記録も残っていますし、孤児のための基金。これも存在しています」
そこまで言って、ただ、と椎名は声を低くする。
「それにしては、暮らしが贅沢すぎます。マンションも高校生が一人で暮らすには豪華なところですし……それに中学は私立に通っています。私立に通えるほどのお金を持っているとは思えないんですよね」
「同感だな」
でも、とそこで声をあげたのは意外にも前田秘書だった。
本間と椎名が同時に振り返ると、前田は顔を強張らせる。その表情には見覚えがあるが、わざわざ口をはさむような行動は珍しい。本間は興味深げに、前田を見つめた。
「あの……それだけで、あの子がカインだ、て言えますか?」
なんだ、そんなことで話を止めたのか。本間は呆れて首を横に振った。斬新な意見でも飛び出すか、と少し期待してしまった自分が情けない。
「嫌だな、前田さん」椎名は上半身をねじり、前田に振り返る。「今はただ、順を追って話しているだけですよ。確証となるものは、他にあります」
「確証?」
「いいですか」と、まるで子供を相手にしているような態度で椎名は切り出す。「カヤちゃんがヒロインをつとめる文化祭の劇。前田さんも台本、読みましたよね」
たずねられ、前田は戸惑いつつも頷く。本間に命じられ、その台本をこっそりと学校から入手したのは、他でもない自分だ。カインを正義のヒーローに見立てた、奇抜で危険な劇。そして、フィクションというにはあまりにも現実的なストーリー。読んだ本間が顔を赤くし、それを床に叩きつけた事件は記憶に新しい。
「あれは間違いなく、なんらかのかたちでカインを知る人間が書いている。もしくは、書かせている。それは容易に想像つくでしょう」
いくら、あなたでも――そんな言葉が続きそうだ。その見下した言い方に、前田は奥歯をかみ締めた。もし自分に力があったなら……と、どうしようもない空想を描いて拳を握り締める。蔑まれることには慣れてもいいころなのに、いつまでたっても自尊心がしつこく根深く残っていた。
「問題は、誰が……なんですけどね」と、椎名は偉そうに腰をあてがった。「脚本を書いたのは誰だ、とカヤちゃんに尋ねても、どうもごまかされる。学生の台本だからフォーマットも適当で、脚本家も日付も何も記されていない。ま、わざとなのかもしれませんが……」
そこまでは自分も知っている。前田は表情を曇らせた。必要以上に丁寧な説明は、逆に苛立たせる。わざとなのかもしれない。その言葉は、まさに今自分が椎名に向けて言いたい台詞だ。
「そこで、とりあえず劇に参加しているメンバー全員を調べたわけです。すると面白いことに、あやしいのは一人だけ」
椎名が天井を指す人差し指を、前田は眉をひそめて凝視する。
「和幸くん、ですか」まるで何かに乗り移られたのように、若い秘書はそうつぶやいた。
「そう。彼のプロフィールだけ、どうもうさんくさい。理由はさっき言ったとおりです」
「でも、実際、孤児院出身の子供はたくさんいます。教会にちゃんと記録もあったんでしょう? お金の件も、いろんな可能性があるはずです。やはり、それだけでは……」
前田が勇気をだして食い下がると、椎名の大きな右の手のひらがそれを制した。
「僕も半信半疑でしたよ。今朝まではね」
「は」
ここにきて、やっとか、と本間は椎名を見上げる。半人前の秘書のせいで、無駄に時間をくってしまった。さっさと本題にはいりたいというのに。どうも、秘書はあの少年をかばっているように見えて仕方がない。同情でもしているのだろうか。――全く、余計なことを。
本間は腕を組み、椎名の名を呼ぶ代わりにわざとらしく咳払いをした。
「確証を得たんだな」
「そりゃ、そうでしょう」恐いもの知らずなのか、上下関係に疎いのか、椎名は嘲笑にも似た笑みを浮かべて本間に振り返る。「この家の警備に携わってはいませんが……それでも、これだけは分かります。夕べ、屋敷のガードに不手際はなかった」
その言葉に、本間は眉間にシワを寄せ、うむ、と答える。
椎名は、ふと窓に目をやり、今度は明らかな嘲笑を浮かべて鼻で笑う。
「そんな中、カヤちゃんを連れ去っちゃダメでしょう」
だから、子供なんだよ。そう心の中で付け加えた。
「それで……彼はどうやって忍び込んだと思う?」
すると椎名は、ふうむ、と腰に手をあてがい、おもむろに窓に歩み寄った。じっと外を眺めてから、小首をかしげる。
「塀を飛び越えただけでしょう。彼は手ぶらでしたし。シンプル・イズ・ザ・ベスト、ですよ」
「飛び越えた!?」それまで押し黙っていた前田は思わず声をあげていた。「あんな高い塀を!? そんな、無茶な」
おもしろいほどいいリアクションをする。椎名は、あはは、と笑って前田に振り返る。本間の秘書を三年もしていて、カインの知識も豊富なはずだが、まだまだ素人だ。椎名がちらりと本間に目をやると、予想通り落胆のため息をついていた。出来の悪い秘書ですね、と思わず言いたくなった。
「無茶かどうか……」椎名は気を取り直し、微笑を浮かべて前田に持ちかける。「お見せしましょうか?」
「!」
前田はハッと息を呑む。そうだった、と忘れかけていた事実を思い出した。本間がこの気に食わない男を頼りにしている理由。それは、太古の法律を思い起こさせる。――目には目を、歯には歯を。
前田はごくりと生唾を飲み込み、小さく首を横に振った。
「結構です」
その声は、自分でも驚くほどか弱かった。
「それにですね」と、前田を気にかける様子はさらさらなく、椎名は本間に話しかける。「普通の高校生は、銃を向けられてあんなリアクションはしませんよ」
のんきに笑うと、人差し指を立てて銃の形にした右手を前田に向けた。小学生みたいなイタズラに、前田はぎょっと目を丸くする。
「あれは、映画で見慣れてる……そんなもんじゃない。道端でいきなり顔見知りと会った。そんな反応です」
前田が居心地悪そうにしている。椎名は笑いを必死にこらえ、手を元に戻した。真面目でお堅い青年は、実にからかいがいがある。
「とにかく」という本間の低い声が、椎名を真面目な会話に引き戻す。「確信した、ということだね、君は」
「ま、そうなりますね」
「彼の狙いはなんだと思う? なぜ、カヤと付き合っている?」
ここにきて、椎名は急に真顔になった。あぁ、と言いづらそうに顔をゆがめると、鼻をかく。
「残念ながら……普通に恋愛してるんだと思います。
神崎夫婦殺害に関しては分かりませんが……今回は、単純にカヤちゃんにゾッコンなんでしょう」
「なぜ、そう思う?」
「箇条書きにしましょうか」
「箇条書きは忘れなさい」
それじゃ、と椎名は息を大きく吸い込んだ。
「まず第一に、本間先生の命は狙っていません。夕べ悠々と屋敷に忍び込んでおいて、本間先生には見向きもしていないですからね。何をしたかといえば、カヤちゃんとコフィンタワーで居眠りだ。
さらに、朝食のときも始終緊張しているだけ。目の前にフォークやらナイフもあったのに、ベーコンひとつまともに突き刺せなかった。
カインは後先考えて行動するほど大人じゃない。目の前にチャンスがあったら、自分の命は顧みずに行動にうつすはずです」
そういえば、結局彼は何も食べなかったな。本間は、今更それに気がついた。
「第二に、本間先生のスパイをしているわけでもありません。本間先生の裏の顔を知って、カヤちゃんを利用しているのだとしたら、目的は情報収集でしょう。特に、オークションの話題には目がないはず。
なのに、オークションに誘われて実に嫌そうに断りました。早速舞い込んできたチャンスを棒に振るのはおかしい。
慎重に機を選んでいる、という可能性は、彼に関してはないでしょうしね。そんなタイプには見えませんから。
そして、最後に……」
椎名は急に気が抜けた表情を浮かべ、肩をすくめる。
「年齢も考えずにプロポーズ。狙ってそんな馬鹿ができるわけがない。以上です」
余計なことを付け加える男だ。本間は、呆れた表情で頭をかかえる。だが……と、朝食の席で十七の少年が見せた真剣な顔を思い出す。カヤと結婚させてほしい。そう言い出したときだ。確かに、演技でできるような表情ではなかった。本気なんだ、とまっすぐな瞳が必死に訴えていた。
今時珍しく、という椎名の言葉が脳裏をよぎる。本間は、やれやれ、とソファにのけぞり天井を見上げた。
「謹厳実直……惜しい少年だな。――残念だ」
独り言のようにそういって、本間はソファから重い腰を上げる。
「あとは、証拠がほしい」
前田はぎょっとした。まだ、足りないというのか。やはり、自分大事の男は嫌になるほど慎重だ。
「証拠……ですか」と、椎名が首をかしげる。「どんなものをご所望で?」
「そうだな。名乗り出てもらうのが理想だ」
「……は?」
本間は腰をぐっと伸ばし、ほくそ笑んだ。三年傍にいる前田は、その顔をよく知っている。頭の中でシミュレートした自分のプランがうまくいったときの笑みだ。
「証拠があがったら……自首してもらう」
珍しく、椎名は理解に苦しみ眉をひそめた。自首? そんなことをカインがするとは思えない。自首するくらいなら、命を捨てるようなガキ共だ。いきなりぼけだしたのかとさえ思った。ちらりと前田を見ると、前田もぽかんとしている。どうやら、本間が一人暴走しているようだ。
「望。君の義妹は、使えそうかね?」
「は」
いきなり義妹の話? ますます分からない。椎名はのどもとを掻きながら、「まあ」と返事をする。
「彼女にも手伝ってもらうよ」
「……じゃ、連絡しときます」
けど、何をするつもりです? 椎名はその言葉を飲み込んだ。本間は腹黒いおっさんだが、能無しではない。考えがあるのなら、自分は――そして義妹は付き合うまでだ。
「さて。ゴルフに遅れてしまう」
のんきに本間はつぶやいて、歩き出した。