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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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平和な朝食 -2-

 和幸くん、大丈夫かな。なんだか、いつもと雰囲気が違う。

 私はブルーベリーを口に運びながら、じっと和幸くんを見つめていた。彼はうつむいて何かを考えている。落ち込んでるようにも見える。でも……まさか、ね。孤児院の話は、きっと嘘だもの。本当だったら、おじさまの非常識とも思える追求で気を害しているはずだけど……彼は、いうなれば、オークション出身。人身売買が行われるという闇オークションで、異常な需要を満たすために競売にかけられた商業用のクローン。もしそこに、広幸というカインが現れなければ、彼は今、奴隷のような生活をしていたはずだ。

 ブルーベリーが口の中ではじけ、甘酸っぱい味が香りとともにひろがる。

 孤児院の話以外で、気に障るような話題があったんだろうか。私が口をはさんでからは、趣味とか特技とか、当たり前の話しかしていなかったけど。確かに、全ての返答はあやふやだった。理由は分かる。話せる内容(・・)が、まだないんだ。彼は、学校や映画、音楽のことよりも、人身売買の事情に通じている。だって、それが彼がこれまでの人生、命をかけて従事していたことだから。いきなり、趣味や特技なんて話されても、困るよね。まして、進路なんて……

 ふと、私は心配になった。彼が本当に落ち込んでいるとしたら、原因はその質問じゃないか。彼には早すぎる。カインとしての生き方しか知らないはずだもの。将来のことを考えるのは、まだ早い。大学だって考えたこともなかっただろうし、将来の夢がないのも当然。表の世界でいきなり役割を見つけろ、て言われても……右も左も分からない異国に降り立って、すぐに就職先を探すようなもの。楽しいものじゃない。そこにあるのは、ほんのちょっとの希望と胸いっぱいの不安だ。


――かっちゃんを……俺たちの大事な兄弟を、よろしくね。


 曽良くんの言葉が頭をよぎった。うん、分かってる。私が、導いてあげなきゃ。


「和幸くん」と、またおじさまが口を開いた。今度はどんな質問だろうか。私まで、変に緊張してしまう。


 和幸くんは、名前を呼ばれて我に返ったようで、弾かれたようにおじさまに振り返った。おじさまは、穏やかな笑みを浮かべて尋ねる。


「絵画は好きかね?」


 その瞬間、和幸くんの表情がこわばった。私は思わずため息をつきそうになって、なんとかこらえる。絵画……和幸くんが興味があるとは思えない。でも、おじさまは……


「わたしはね、カラヴァッジオが好きなんだよ」


 言いながら、ウインナーにナイフをいれる。楽しそうな表情だ。おじさまは絵画の話をするとき、いつもこういう顔になる。まるで子供の話をしているような、自慢げな表情。


「カルパッチョ?」と、和幸くんは困惑気味につぶやいた。和幸くん、それ料理。彼の後ろで、思わず望さんがふきだす。もう……こらえてくれてもいいのに。私が望さんに一瞥をくれると、彼はハッとして口を押さえた。でも、その目は依然として笑っている。


「カラヴァッジオはね」と気持ちを切り替え、私は和幸くんに話しかける。「イタリアの画家。おじさまは、大ファンで……」

「わたしが一番好きなのは、『洗礼者の首を持つサロメ 』だね。盆の上に乗せられたヨハネの首には、衝撃を受けた」


 私の話を遮ったおじさまの言葉に、和幸くんは忙しく振り返る。

 おじさまったら……と、私は苦笑する。和幸くんは、カラヴァッジオの名前も聞いたことが無いみたいだし、絵の話をされても退屈にきまっている。といって、話を変えたらおじさまは嫌がるだろうし。どうしよう。

 とりあえず、私が通訳(・・)になって……と、絵の説明をしようとしたときだった。


「盆……ヨハネ……」と、彼がつぶやくのが聞こえてきた。「サロメって……ヘロディアの娘ですか」

「え」


 和幸くんが、落ち着いた声でそう言った。私は思わず、驚いて声をあげていた。さっきまで今にも笑い出しそうだった望さんも、きょとんとしている。


「おお、サロメは知っているのかね」


 感心したようにおじさまはそう言った。和幸くんは遠慮がちに微笑んでから、しっかりとした口調で答える。


「養父であるヘロデ王に踊りをみせ、その褒美に洗礼者ヨハネの首を欲したという古代パレスチナの女……ですよね」

「その通りだ。よく知っているじゃないか」


 私も、正直驚いていた。まさか、サロメの話を知っていたなんて。

 すると、和幸くんは照れ笑いを浮かべて言った。


「教会で育ったこともあって、聖書はよく読んでいましたから」

「ああ、なるほどね」


 あ……そっか。孤児院育ちは嘘でも、教会で育ったことは本当なんだ。いつかの、藤本さんの言葉が頭によみがえる。あれは、カインという名前の由来を話していたときだ。


――ここは教会ですからね。聖書も残っている。どうやら、彼らはそれを読んでそこからもってきたらしい。


 カインだった和幸くんも例外じゃない。教会を改装したカインノイエで、聖書を読んで育ったんだ。


「じゃあ、宗教画は興味あるのかな」


 おじさまは唐突にそんなことを言い出した。うーん、どうしても……和幸くんを絵画の世界に引き込みたいようだ。せっかく、生き生きしてきた和幸くんの顔がまた強張ってしまった。


「あ……そう、ですね」


 興味ない、て顔に書いてある。


「それなら」とおじさまは、得意げに微笑んで言う。「金曜日の夜、一緒にオークションに行かないか」

「!」


 お……オークション!? その単語に、和幸くんの表情がさらに強張る。私もきっと、同じような顔をしているだろう。

 オークションに和幸くんを連れて行く? だめ……そんなの絶対、だめ!


「あの、おじさま。突然すぎますよ。土曜日は文化祭もありますし」

「ああ、そうだったね」


 だが、とおじさまは迫力のある目力で和幸くんを見つめる。


「ぜひ、未来の息子をはやくお披露目したくてね」


 未来の息子……? いきなり、そんな言葉がでてくるなんて。私も和幸くんも絶句した。

 確かにプロポーズは受けたけど、おじさまにはまだ言っていない。そもそも、夕べのデートに妙なルールをつきつけてきたのはおじさまだ。厳しい門限とか、家にあがるな、とか。てっきり、彼との交際をよく思っていないのかと思っていた。なのに、急に『未来の息子』?

 もしかして、今日会ってみて、和幸くんのこと気に入ってくれたのだろうか。あ……さっきのサロメの話かな。あれで一気に気に入った?  


「わたしはオークションで絵画を発掘するのが趣味でね。よく行くんだよ。だから、知り合いも多くてね」


 おじさまがオークション好きなのは昔から知っている。掘り出し物を見つけるときの興奮がたまらない。そう話してくれたこともあった。

 トーキョーのオークションは、今や上流階級の社交場。オークションというより、パーティに近い。おじさまのようなお金持ちとなると、人脈を広げるためにオークションに顔を出すこともある。私も、神崎の両親に連れられて一度だけ行ったことがある。いろんな人に挨拶させられ、すごく疲れた記憶がある。だから、おじさまが和幸くんを連れて行きたいと思うのも自然な流れ。もし、本当に彼を未来の息子だと思っているなら、だけど。

 でも……と、私は和幸くんの顔色を伺う。彼にとってのオークションは全くの別物のはず。もちろん、おじさまが連れて行こうとしているオークションは、全うなオークション。和幸くんが関わってきたオークションとは――闇オークションとは違う。だけど、嫌だよね。いくら違う、と言っても……オークションはオークション。嫌な記憶、たくさんあるだろうし。そもそも、彼はオークションで競売にかけられた過去がある。大嫌いな場所なはずだ。行きたくなくて当然。ううん……行かせたくない。


「いつかは」と、おじさまはこちらを見つめてきた。「カヤを紹介しなくては、と思っていたんだ。だから、ついで、と言うと失礼かもしれないが……君も一緒に来てくれれば、カヤも心強い。なにより、ああいう場に年頃の女性が一人で行くのはさびしいものだ。デートがいたほうが格好もつくだろう」


 私の反応を確認することもなく、おじさまはすぐに和幸くんに視線を戻してそう言った。

 どうして……こんなにしつこく彼を誘おうとしているんだろうか。それも、今度の金曜日だなんて。オークションは毎週のように行われている。別にいますぐ行かなくても……。いつか行こう、でいいはず。初めて会ってここまで説得する理由はなんだろう? よほど気に入ったのだろうか。


「あの」と、やっと和幸くんが口を動かす。「やっぱり、文化祭の前日なんで……遠慮しておきます」


 その言葉を聞いて、私はほっと肩をなでおろす。よかった。断ってくれて。気を遣って承諾してしまうんじゃないか、なんて思ったけど、ひとまず安心。

 この話はここで終わり。私はそう信じていた。おじさまが険しい表情で口を開くまでは。


「なんだ。やはり、遊びで付き合っているだけかね」

「は……?」

「お、おじさま!?」


 いきなり、不機嫌そうにフォークを置くと、おじさまは腕を組んで顎をひいた。和幸くんはもちろん、私も理解できない。どうして、唐突にそんな話になるの? まさか、オークションを断ったから? なんか変。おじさまらしくない、横暴な振る舞いだ。


「カヤを夜通し連れまわしたのも、それだけカヤを好きなのか、と信じていた。若さゆえの、情熱的な愛。いいじゃないか。いや、それなら許そうと思っていた。だが……それが単なる遊びで、カヤと真剣に付き合っているわけではないのなら……今すぐ別れなさい」


 理不尽すぎて、言葉が出てこない。なにか言わなきゃ。でも……反論しようにも、おじさまの主張に筋が通っていないから、どう言ったらいいのか。


「行きますよ」


 私が焦っていると、和幸くんが低い声でそう言い出した。投げやりにも思える、乱暴な口調 だ。絶対、怒ってる。


「オークションに行けば……僕が真剣だって、分かってくれるんですよね」

「和幸くん……」


 嫌な予感がする。話がおかしな方向に進んでいる。コロコロと何かに誘われるように、坂道を転がっていく。なんだろう、この違和感。

 ふと、和幸くんの後ろにいる望さんを見やった。彼は――笑っていた。それも、人を見下すような笑み。


「無理はしなくていい。公式の場で、カヤの恋人だ、と紹介されるのが嫌なら……」

「嫌です」


 それまで決して和幸くんと目をあわせようとしなかったおじさまが、ハッとして顔を上げた。私も、思わぬ言葉に顔をしかめる。嫌って……どういうこと?


「カヤさんの婚約者として、紹介してください。それなら、行きます」


 え……一気に、顔が熱くなる。たぶん、目の前のウィンナーより真っ赤な自信がある。そんな私とは対照的に、和幸くんは落ち着いて堂々たる風貌だ。もう、恥ずかしいとか照れるとか……彼にとってはそんなレベルじゃなくなっているんだ。本気なんだ。グッと胸が押し上げられる。――純粋に、嬉しい。


「婚約者?」と、あっけにとられたようにおじさまがつぶやいた。どこか、呆れたような表情だ。

「できれば、カヤさんの誕生日に結婚させてほしいんです」


 カヤさん……なんだかくすぐったい。和幸くんもそうなんだろう。さっきもだったけど、そう呼ぶときだけ発音が可笑しい。


「はあ……結婚」


 おじさまは、参ったな、という表情で頭を抱えた。


「おじさま。私からも、お願いします」


 姿勢をただし、遠慮がちに私も口をはさむ。話がまた違う方向に進んでいるけど、どうでもよかった。婚約者、てことになれば、今後、和幸くんと会いやすくなるだろうし。この家に自由に出入りすることもできるようになるだろう。二人きりの時間が、もっとほしい。


「だがね……」と、おじさまはため息混じりにつぶやく。「和幸くんは十七だ。まだ結婚は無理だろう」

「あ」


 時が、止まった気がした。私と和幸くんは顔を見合わせる。そういえば、そうだ。私が誕生日を迎えても、お互い十七。婚姻は、男性十八、女性十六以上。私は大丈夫だけど、彼は法的に結婚できない。二人とも……気づいていなかったなんて。

 呆然としていると、おじさまが声をあげて笑い出した。


「若さゆえの無知な情熱。わたしは好きだよ」


 私は恥ずかしくてうつむいた。望さんの笑い声も聞こえてくる。

 でも……と、上目遣いでおじさまの笑顔を見つめる。さっきまでの重い空気は消え去っている。いつものおじさまだ。つい、頬がゆるんだ。


「結婚の話はまだ先だとして」とおじさまは、一通り笑ってから切り出す。「そこまで真剣だというなら、次からは玄関から入りなさい」


 おじさまの右腕が和幸くんの肩にのび、ぽん、と優しく叩いた。


「泥棒じゃないんだから。ちゃんと呼び鈴を鳴らして、挨拶してから家にあがりなさい。いいね?」

「は……はい。ありがとうございます」


 和幸くんも、いつもの表情に戻っている。さっきのことで、耳は赤いままだけど……嬉しそうな表情だ。おじさまは満足げに頷いて、朝食に戻った。

 私はその様子を見届けて、こっそりと安堵のため息をつく。終わりよければ全てよし、かな。とりあえず、おじさまと和幸くんの初対面はうまくいった……と信じたい。

 でもオークションは、結局行くことになっちゃったんだよね。和幸くんはまじめだから、一度了解したらキャンセルはしないだろう。すごく心配だけど……私がしっかりしていれば、大丈夫だよね。私が、彼を守ればいい。そうだよね。


――かっちゃんを……俺たちの大事な兄弟を、よろしくね。


 分かってるよ、曽良くん。

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