預言者 エノク②
エノク、という存在がいることは、リチャードから幼いときからきいていた。きっと、それはあいつには分かっていたからだ。オレが、エノクを必要とする日がくることを。
オレには情報がたりなかった。使命も運命もわかってる。ただ、それをなすための情報が欠けていた。
「リスト! あそこじゃない?」
ケットはそう言って坂の上を指差した。坂には大勢の観光客と大道芸人がいる。この風景、見覚えがある。
――すごいね、リストちゃん!
オレの頭の中で、ナンシェのそんな声が響いた。もう、あのときのように、ナンシェと旅をすることはないのかもしれない。今度、ナンシェと会えるのはいつなんだろう。というより……また会うことはできるのか?
「リスト? どうしたの?」
「え?」
急に、ケットの声が耳にはいってきた。
「いや、ちょっと考え事」言って、ケットがさっき指差した『占星術の館』なるものに足を運ぶ。占星術、というから、もっと怪しげな店かなんかだと思ったが……どうやら普通の家みたいだ。
扉を開けると、リビングには、歳も国も様々な客がイスに座っていた。入ってきたオレを、皆がいっせいに見つめてきた。
「……どーも~」小声でそう挨拶するが、誰も答えることなくまた顔をもとにもどした。
「なんだか、変な雰囲気だね」
「そうだなあ」
それにしても、これは皆、客なのか? だとしたら、本当に有名な占星術師だ。
だが、それらしき人はどこにもいないし。そもそも、受付、とかはないのか? 部屋はただのリビングで、イスやソファがあるだけ。オレはあたりを見回し、とりあえず、近くに座っているめがねをかけた少女に聞くことにした。
「ごめん。聞きたいことがあるんだけど……」
少女は黙って、めがねをとった。なんか、妙な雰囲気の子供だ。人形のようにかわいらしい顔をしているのだが、服は黒いワンピース。魔女っ子気分か? 白に近いブロンドの髪を、なぜか左半分だけみつあみにしている。右半分は、何もせず、ストレートのまま下ろしている。腰まであるロングヘアだ。だが、気になるな。なんで左だけなんだ?
「ここに有名な占星術師がいるってきいて」
「あそこの部屋に行きましょう」
「え?」
少女はめがねをささっとふくと、またつけた。なんなんだ、この子は?
「部屋って……あぁ、そこが受付なの?」
「ふふふ」
笑い声はオレの後ろから聞こえた。振り返ると、そこにはソファに座っている老婆いた。なにも、笑われることは言わなかったと思うけど。
「何か、変? おばあちゃん?」
すると、老婆は得意そうに微笑んだ。
「ここの占星術師様には、受付なんていらないんだよ。誰が来るかなんてもうわかってらっしゃるんだから」
「へ……」
「アイーダおばあさんには何度も言ってるのよ。あまり一度に物を買うな、て」
少女は高い声でそう言った。ため息まじりだが、どこか楽しそうに話している。
「アイーダおばあさん?」
何の話だ? 誰かと人間違いでもしてるのか?
しかし、少女はなにも疑いも迷いもない、自信に満ち溢れた表情をしている。
「会ったんでしょ? 手伝ってあげたのよね」
少女はくりっとした目でオレを見上げた。不思議な光をもつ、碧眼の目だ。
じっと、その目を見つめていると、ふと、さっき助けたあのおばあさんのウィンクがうかんだ。
「あ!」
あわててポケットにしまっていたカードを取り出す。『占星術の館 ポリー・マッコーネル』。
「ポリー……マッコーネル? 君が?」
まさか、この女の子が占星術師? 少女は、ただニコッと微笑んだ。それは、ただの子供の笑顔にしかみえない。
「ポリー・エノク・マッコーネル」
それまで、おとなしくしていたケットがいきなりそういった。オレは驚いてケットに振り返る。
「エノク?」
ケットは真剣な表情で少女を見つめている。ポリー・『エノク』・マッコーネル? ケットは今、そう呼んだよな。ということは、この子がエノクってことか?
でも、確かに、それなら納得できる。彼女が有名な占星術師であることも、そしてオレがここにたどりついたことも。
「驚くことないはず。マルドゥクの子。どこか、予想はしてたんでしょ? ここで私と会えるだろう、て」
「え……」
オレを、マルドゥクの子と呼んだ。やはり、オレのことも全部分かってる。この少女が、エノク。
呆然としているオレを気にする様子もなく、エノクはケットへと視線をうつした。
「エンキのエミサリエス……ようこそ、いらっしゃいました」
「ケット、でいいよ」
少女は口元だけ笑みをうかべた。しかし、その視線は真剣そのものだ。二人の間に、妙な緊張感がはりつめている。
二人はしばらく黙って見つめ合っていた。まるで視線で会話をしているみたいだ。オレは、ただそれをみているしかできなかった。
「さて」と、少女の高い声がその沈黙をやぶった。「ここで話していても仕方ない」
少女はイスから立ち上がると、にこりと微笑んだ。その笑顔は、無邪気な子供にもどっている。
「ごめんなさい、皆。もう少し、待っていてね」
周りに座っている客にそういうと「皆には、先約がいるからって待ってもらってたのよ」とオレに小声で言った。
「せんやく……」
オレはハッとした。そうか、ここで待っている客は、オレのせいで待たされてたんだ。彼女は、オレがこの時間にここに来ることを知っていたから。そして……オレは気づいた。オレは偶然、エノクに声をかけたわけじゃない。彼女は、オレがこの席で座っている『少女』に話しかけるのも、知っていたから、そこに座っていただけだ。
でも、意外だ。オレは少女の背中を見つめて思った。
「もっと、おばあさんだと思った?」いきなり、エノクはそう言って振り返る。
「え?」あっけにとられた。
少女は、いたずらっぽく、クスっと笑い、奥の部屋へと歩いていく。
「今……心を、読んだの?」オレはふとつぶやいていた。
「違うよ、リスト」すかさず、ケットが答えた。
「違う?」
「リチャードから聞いてるでしょ。エノクは、永遠の秩序を知る者。彼女はただ、知ってたんだよ。君が何を考えるのか」
「……」
知ってた? オレが何を考えるかも? 本当に、エノクは全てを知ってるのか。でも、それってどういう感覚なんだ?
でも、だとしたら…やっぱ、彼女なら、オレの答えも知ってるのかもしれない。
「ケット、行こう」
力強く、足を踏み出し、彼女が入って行った部屋へ向かう。