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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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平和な朝食 -1-

 どうなってんだよ、これ? 

 俺は、目の前に並ぶ色とりどりの果物を呆然と見つめていた。葡萄に、ブルーベリー、苺、グレープフルーツ、メロン。皿にごっそり積まれている。フルーツって……朝食べるものなのか? しかも、こんなにいろんな種類が並んでいいのかよ? メロンが気の毒でならない。一人で主役張れるのに。

 その横の皿には、一口サイズのクロワッサンが几帳面に並べられている。駐車場に並ぶ車みたいだ。さらにその隣には、ベーコンにウィンナー、スクランブルエッグ。

 こんな豪華な朝食は、今まで見たことが無い。広幸さんと暮らしていたころでさえ、せいぜい卵かけご飯。一人暮らしになってからは、トースト一枚。低血圧なのか、俺は寝起きが悪い。朝食をつくる時間があれば、睡眠をとりたい。


「和幸さま」


 いきなり隣から声がした。おっとりとした落ち着いた声。あわてて振り返ると、エプロンをつけた五十代くらいのおばさんが、オレンジジュースのはいった瓶を携えて微笑みかけていた。その瓶もまた、高そうな水差しで、ガラス細工みたいに模様がほどこされている。――無駄にしか思えない。なんで金持ちは、細部にまで金の匂いをただよわせるんだ。こんな水差し、模様なんていらないだろ。俺は座ったまま、じっとその瓶を見つめていた。


「オレンジジュースでよろしいですか?」


 このおばさん、メイドってやつか? 黒く長い髪をうしろできっちりとまとめ、服装も質素、メイクも必要最低限、といったところだ。だが、立ち振る舞いには気品が漂う。ベテラン? 


「あの、和幸さま?」


 気づけば、そんな上品なおばさんが顔をしかめていた。アホみたいにぼうっとしている俺を不審に思ったのだろう。俺はハッと我に返り、「すみません!」とあわててコップを手渡した。

 おばさんは満足げに微笑みながら、コップを受け取ってジュースを注ぎだす。

 それを眺めながら、俺は居心地の悪さを体の芯から感じていた。和幸さまって……何かのプレイかよ。それだけじゃない。この豪勢な朝食も、ジュースをわざわざ注いでもらうのも……落ち着かない。さらに俺の後ろには、椎名が仁王立ちして控えている。背中にその視線を痛いほど感じて、気持ちが悪い。カヤのボディガードなら、カヤのそばにいろよ。なんで俺にくっついてるんだ。

 せめてもの救いは……と、目の前に座るカヤを見つめる。カヤは俺の視線に気づき、にこりと微笑んだ。慣れているんだろう。これが当たり前のような顔をして、座っている。カヤがいなかったら、俺はこうして大人しく座ってはいられないだろう。


「何かありましたら、お声をおかけください」


 メイドのおばさんはコップを俺の前におきながら、そう言って下がった。おいおい、ホテルか、ここは。

 そもそも、このシチュエーションは絶対におかしい。なんでいきなり平和な朝食になってるんだ? 俺はちらりと、斜め横――いわゆる『お誕生日席』に座るおっさんを見つめる。四角い輪郭にするどい目つき。親父よりは髪が残っている頭。深く刻まれた皺。愛嬌があるのは、麻呂っぽい眉毛くらい。威厳漂う、カヤの養父(ちち)だ。


「さて、食べようか」と、カヤの親父さんは俺に微笑んだ。だが、その目は笑っていない。ように見える。


「は……はい」


 とりあえず、苦笑して返事をする。おかしすぎる。今朝のことはお咎めなしで一緒に朝食って……。

 俺は、目の前に置かれた空の取り皿を見つめる。食事に手が出せない。不気味すぎる。お説教前の腹ごしらえじゃないだろうな。

 家についたら、すぐさま怒鳴られると思ってた。殴られてもおかしくはない。それほど怒っているはずだ、と覚悟していた。初デートに妙なルールまでつけてきた親父さんなんだ。カヤを勝手に連れ出して朝帰りなんて、論外だろう。なのに……玄関で会うなり「初めまして」と握手を求められ、「朝食を食べていきなさい」と誘われた。あまりのことに唖然とした俺は、断る理由も見つからず……こうして上流階級の朝食に迷い込んだわけだ。

 てか、よくよく考えれば……この人、国の大臣なんだよな。今更だけど、カヤはすごい人の養女になったものだ。俺は視線をあげ、カヤを見つめた。ちょうど葡萄を口に運んでいるときだった。俺と視線があうと、彼女は不思議そうに目をぱちくりさせた。食べないの? と言っているようだった。

 いや、確かに腹は減ってるけど……だめだ。このままじゃ、気持ち悪くてやってられない。

 俺は、ガタッと音を立てて立ち上がる。


「あの!」と姿勢を正して、親父さんに体を向けた。「夕べ……ってか、今朝のことですけど」


 そこまで言ったときだった。頭を下げる準備をしていた俺を、親父さんの冷静な声が止める。


「食事中に席をたつものじゃないよ、和幸くん」

「……へ」


 思わず、猫背になった。そ、そこかよ? もっと重要な問題があるだろ。


「いや、でも……」

「君もベジタリアンかね?」

「は?」やべ。大臣に、は? って……俺は慌てて手を横に振った。「い、いえ」


 親父さんは眼鏡の奥の目を細め、俺にベーコンとウィンナーの乗った皿を差し出してきた。


「カヤは食べられないからね。いつも一人なんだよ。付き合ってくれると嬉しいんだが」

「……」


 俺はしばらく反応できなかった。肩透かし、てやつだったのかな。もっと恐い人を想像していたんだ。国の大臣ともなると、さぞや堅苦しい人なんだろう、て思っていた。偏見、だったかな。目の前のおっさんは、気取った様子もない、気さくそうな人だ。確かに、厳しそうな顔をしているけど……よく考えてみれば、両親を亡くしたカヤをすぐに養女に迎えるような人だ。いくら旧友の娘だといっても、なかなかできることじゃない。カヤも、この人のことを尊敬しているって言っていたし。だからこそ、本間に養女にはいった。

 俺、気にしすぎだったかな。器のでかい人のようだし。今朝のこと、本当に怒っていないのかもしれない。若気の至り、とでも思って大目に見てくれてるのか? そうだよな。お仕置きだなんだとほざいていたのは、椎名だ。あいつの言うことなんて、相手にするべきじゃない。


「それじゃ……頂きます」


 俺は遠慮がちにつぶやいてイスに腰をおろす。フォークを手にし、親父さんが差し出してきた皿からベーコンを一切れ、取り皿に運んだ。それを見届け、親父さんは頬を緩めて皿を元の場所に戻す。

 こんがりと焼けたベーコンの香ばしい匂いが、俺の食欲を刺激する。もういいや。とりあえず、食べよう。まさか、毒が盛られてるわけでもないし。せっかく朝食に招いてくれたんだから、遠慮して食べないほうが失礼だよな。

 そうと決まれば……と、ベーコンにフォークを突き刺そうとしたときだった。親父さんの第一問が出題される。


「ところで、和幸くんは一人暮らしなんだって?」

「え!?」と、フォークを止める。「あ、はい」


 いきなり、そんな話? カヤが話したのだろうか。


「ご両親は?」


 げ。その質問に、思わずフォークを落としそうになった。心臓が一気に熱くなる。

 やべ……久々だ。そうだよな。こういう話が来るよな、普通。抜き打ちテストがあると知った瞬間と同じ感覚だ。俺は必死に、自分のプロフィールを思い出す(・・・・)


「両親は、いないんです」


 とりあえずフォークを横に置き、俺は余裕の微笑を浮かべる。小さいころに必死に覚えた設定(・・)なんだ。そう簡単には忘れない。てか、忘れるわけにはいかない。

 親父さんは、俺の言葉に大きなリアクションもなく、顔を上げただけだった。


「いない?」

「はい。孤児院出身なんで」


 目の端っこで、カヤがじっとこちらを見つめているのが見えた。カヤも気づいたんだな。日向に出てきても、結局俺は嘘をつかなきゃやっていけないことを。


「ご両親はお亡くなりに?」

「いえ、俺……あ、僕は()だっただけです」


 俺の答えに、親父さんは、ああ、と落胆にも似た相槌を打つ。

 弟……それは、今の世の中ではありえない存在だ。もちろん、カヤみたいに養子縁組の場合は違うが。一人っ子政策のせいで、子供を一人産んだ夫婦には避妊手術が義務付けられている。といっても無料(ただ)じゃない。金は自分たちで負担。だから、こっそり手術をしない夫婦もいる。国も暇じゃないからな。一人一人調べるわけにはいかない。だから、結構な数の夫婦がサボっているようだ。そのせいで誤って(・・・)二人目を授かる夫婦が後を絶たない。二番目の子供を孕んだことがバレれば、重い罰金もしは禁固刑もありうる。それは御免だ、というわけで……彼らはこっそりと自宅出産し、子供を孤児院や近くの教会に置いていくようになった。そのお陰で、全国的に孤児院の数は増加。というより、ほぼ全ての教会が孤児院に変わってしまった。

 そこに目をつけた親父――藤本マサルは、トーキョー各地の孤児院に、俺たちカインの記録を残してもらうことを思いついた。元キリスト教会の孤児院は、シスター・マリアの知り合いが多かったからな。協力を得るのは簡単だったらしい。

 カインに連れ出された子供たちは、まず孤児院に偽の記録をつくってもらい、それに合わせて戸籍やらなんやらを捏造する。俺たちのプロフィールはそうやってできあがる。


「だから」と、俺は話により現実味をもたせるために補足する。「生活費は、孤児院に面倒を見てもらっているんです。最近では、僕たちのような孤児のための基金もありますし」

「なるほどね」


 唸るような声で親父さんはつぶやいた。そして……


「どこの孤児院だね?」

「え」


 乗り切った……と思ったのに、まさかまた質問がくるとは。普通、ここまで突っ込むか? 俺が本当に孤児だったら気を害してるぞ。


「世田谷のバプテスト教会です」


 かといって、シカトするわけにもいかないからな。俺は言いづらそうにそう答えた。だが、若干不安だ。世田谷……でいいんだよな。こうして人の親に会う機会なんて小学校以来。学校でもここまでの話をすることもないし。自己紹介は本当に久しぶりなんだ。これ以上、細かい質問されたらボロがでるぞ。


「孤児院の院長の名前は覚えてるかね?」

「……」


 言ってるそばから! 俺は言葉を失った。なんで……なんで、そこまで聞いてくるんだよ? 院長の名前? そこまでは……覚えてない。なんだろう。変に緊張してきた。彼女の父親と会っているから? それだけじゃない。まるで、尋問されてるみたいで……冷や汗がでる。


「院長は……」と、とりあえず間をもたせようと俺がつぶやいた。そのときだった。

「おじさま!」


 それまで黙っていたカヤが口をはさんできた。俺も親父さんも、え、とカヤに振り返る。


「もう少し、楽しいお話をしませんか?」


 カヤの明るい声が、ダイニングに響いた。


「堅苦しいお話ばかりだと、和幸くんも緊張して話しづらいでしょうし」


 カヤの穏やかな笑顔で、それまでよどんでいた空気が一気に晴れる。少なくとも、俺はそう感じた。


「せっかくなんですから」と、 カヤの最後の一押し。俺はただ、ひきつった笑顔を浮かべてじっとしていることしかできなかった。

 しばらくしてから、「そうだな」と親父さんがため息まじりにつぶやく。その瞬間、一気に肩の力がぬけた。

 質問攻めは終わりか? よかった。カヤに助けられた。俺は心の底からホッとした。これで、安心してベーコンを……と、フォークを手に取る。

 すると、また親父さんの低い声が俺に襲い掛かってきた。


「和幸くん、趣味はなんだね?」

「はい!?」


 しゅ、趣味? 俺はまた親父さんに振り返った。趣味って……趣味!? 俺の趣味?


「休日は何をしているんだ?」

「休日は……」


 もっぱら下見だ。侵入する屋敷とか、オークション会場とか……それか、銃の手入れ。もちろん、それはカインだったときの話で、カインを辞めてからは……って、まだ一週間も経ってないんだ。一般人としての休日はこれが最初。

 仕方なしに、俺はひきつり笑顔でしょうもないことを口走る。


「寝てますね」


 だめ男じゃないか。


「じゃあ、特技は?」

「特技……は」


 ピッキング。不法侵入。射撃。――どれも言えたもんじゃない。


「特に、ないです」


 親父さんの眉がぴくりと動いた。さすがのカヤも、これはフォローできないよな。


「それじゃあ、将来の夢は?」

「……夢も、特にないです」

「進路はどうするんだ?」

「進路……」

「大学は、もう決めたかね?」

「え?」


 よくそんなに質問が次から次へと出てくるな。それも、俺が困るような質問ばかり。


「さあ……進学はしないと思います」


 金が無いっての。それに、そこまでして勉強する理由もないし……夢なんて、考えたことない。つい先週までは、考えなくてよかったんだ。殺し屋(カイン)という定職(・・)があったから。それに俺は、親父の指示に従っていればよかったから。

 そんなことを知っているわけもなく、親父さんはぎょっとして俺を見つめてきた。


「もったいないなぁ。せっかく、頭がいいのに」

「まさか。頭は悪いほうですよ」


 俺が頭いい? 一体どこからそんな考えを? カヤが言ったんだろうか。それとも、社交辞令ってやつか?


「謙虚だね」と、親父さんは目を細めた。「このあたりで一番優秀な進学校に通っているんだ。もっと威張っていいんだよ」

「へ」


 一番優秀な進学校? 俺はぽかんと口を開けていた。そしてハッとしてカヤに目をやる。

 そういえば……俺、カヤと同じ高校、なんだよな。天才的な頭脳をもつ――それも『災いの人形』だからなんだろうが――カヤが転校してきたんだ。その時点で、あの学校が馬鹿なはずがない。

 知らなかった。てか、考えたことがなかった。高校のレベルなんて、どうでもよかったから。藤本さん――親父が、ここに行け、て言ったから受験しただけだ。そうか。たまに授業についていけないのは、俺が頭が悪いからだと思ってた。でも、違ったんだ。授業のレベルが高かっただけ。

 俺は思わず、視線を落とした。

 趣味も特技も進路も夢も、そして自分の高校のことさえ分かっていない。俺……カイン以外の自分のこと、何も知らない……。

*実在する孤児院、また世田谷のどのバプテスト教会とも全く関係ありません。念のため……

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